2007/06/12 - 2007/06/21
7988位(同エリア11189件中)
みーままさん
オーストリア・ドイツ・スイスをそれぞれの雰囲気だけでも味わってみたいと、世界の車窓からよろしく「一寸だけよ!」とそんな気分で、10日間の覗き見鉄道の旅に二人で出ました。
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オーストリア/ウイーン
1日目
アンマン発10:05 RJ127 ウイーン着 12:55
アッと言う間のフライトでビエンナ・シェヴェヒャート空港に着いた。空港からリムジンバスでビエンナ・西駅(ウエストバーンホフ)へ向かう。途中ビエンナ・南駅(サウス・バーンホフ)に寄る。所要時間約30分、料金6ユーロ。 -
今日のホテルは西駅より地下鉄U6(地下鉄がU1U2U3U4U6とある)で一駅Bu
rggasse-stadthalleなかなか覚えられないので“ブルガッセ”とU6で一つ目と覚えた。
先ず、ウイーン市内の地下鉄、路面電車、バスを何度でも乗り降りできる“72Stunden Wien―Karte”を購入。これは72時間24時間も8日間も有るがウイーン市内の乗り物地下鉄、バス、路面電車に何回でも乗り降りが出来るチケットであり、割引なども着いている。72時間で13.6ユーロ。最初に乗車する時に日付のパンチを入れればオーケー。皆乗客はごまかさずにチケットを購入しているのかな〜〜〜と疑問!3日間で1度も検察に合わなかった。 -
U2カールプラッツ行き地下鉄
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国立オペラ座
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オペラ座と其の周辺・・・・
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オペラ座と其の周辺・・・・
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ウイーンのストアー。綺麗に並べられた食品はどれを取っての美味しいそう、でもたか〜い!
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ホイリゲで夕食&ワイン
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ホイリゲとは「今年の新ワイン」を意味し、その新しいワインを出す店の事をホイリゲと呼ぶ。こうした居酒屋はたいていブドウ畑の広がる郊外にあり、ワイン醸造家がオーナーを兼ねている場合が多いようだ。皿にジャガイモ、ボイルビーフ、白ソーセージ、ローストチキンがたっぷり盛られ、ジョッキに赤ワイン(白でもよい)が並々とつがれ出された。他に食べ物も有り頼めば皿盛にして持ってきてくれる。少々お腹が一杯に成り酔いが廻ったころには、バイオリンとアコーデオンで日本の童謡などを奏でてくれ、耳元で囁く様なバイオリンの音色に何ともいえない郷愁を感じた。心、身体に染み入る音色・・・ブラボ〜〜
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グリンツイング村のホイリゲ
小道が多く、ランタンなどでホンノリ照らし出された店並はホイリゲ特有の雰囲気をかもし出している -
小さな宮殿での小さなコンサート
1706年に建造された“アウアースベルク宮殿”でのウイーン・レジデンツ・オーケストラの小さなコンサートを聴きに行きました。アウアースベルク宮殿はまだ子供だったモーツアルトが皇妃マリアテレジアの膝に飛び乗ったり、後にはモーツアルトや著名な音楽家が演奏したり、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃のシッシー(エリザベート)が絢爛を極めた舞踏会で踊ったとされる宮殿です。間休憩を挟んで2時間半の演奏はあっという間に過ぎました。 -
宮殿
夜10時半に成っても太陽が沈みきれないヨーロッパの夜にビックリ!朝5時半に成ると夜は明ける。夏は日が長い、なが〜〜い!でも冬は3時半には日が暮れるとの事。「意外と辛いのよ」と、言われてしまった。 -
2日目
ブルガッセ駅・・・朝7時で明るいと言うのに全部の自動車がライトを点けて走っている。聞いてみると、オーストリアでは一日中ライトを点けて走る事が法律で決まって居ると言う。ドライバーのマナーはすこぶる良く、歩行者優先* -
U6ブルガッセの地下鉄のホーム
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ウイーン・西駅より地下鉄U3で3駅、乗り換えてU2で2駅カールプラッツ駅
1899年完成の白い大理石と緑色の鉄骨が時代を思わせるコントラストをなしている。 -
ゲーテの像
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モーツアルトの像
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マリア=テレジアの像
天にそびえている -
自然史博物館
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ブルク門
此の門の向こうに歴史がギュッと詰まっている。 -
シェーンブルン宮殿
テレジア・イエローに色どられた数奇の世界遺産の宮殿は華やかに堂々と建ってた。此の宮殿は最初からハプスブルグ家の物ではなく14世紀初頭には「カッターブルク」と呼ばれ、クロスターノイブルク修道院の所有にあった。次々と所有権が変わり1548年にはウイーン市長のヘルマン・バイヤーの所有になり、1569年にマクシミリアン?世に買い取られた。 -
こうして施設はハプスブルグ家のものになった。1576年にはルドルフ?世の所有となった。
次の所有者マテイアス皇帝は施設を猟場として使用、その際美しい泉“シェーナー・ブルネン”を発見、ここからシェーンブルンの名が生まれた。 -
次の皇帝フェルデイナント?世とエレオノーラ皇后は此処を狩猟の際の猟館とした。1646年の公文書に初めて“シェーンブルン”の名が記載されていると言う。1728年皇帝カール?世がシェーンブルンを手に入れた後娘のマリア=テレジアに贈った。
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マリア=テレジア女帝の所有に成ってからは猟館は豪華で華麗な居城に増改築された。
宮殿の中には漆喰で飾られた壁、モザイク調の寄木造りの床、天井のフラスコ画、要所要所に飾られた式典を表す絵画、子供達との日々の絵画・・・・一つ一つが美しい。 -
1770年代にマリア=テレジアの命によりシェーンブルン庭園が完成した。
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グロリエッテ(凱旋門),ネプチューンの泉・・・・両サイドには並木。其の道標の様にたたずむ神々の像。
冬の長いウイーンでは子供たちがビタミン不足になってはと、レモンを沢山育てていた。其のための温室もあった。女帝マリア=テレジアも素敵なお母さんでも有ったのです。 -
ベルヴェデーレ宮殿
ハプスブルグ帝国に使えトルコ軍からウイーンを救った将軍プリンツ・オイゲン公がシェーンブルン宮殿に負けじとバロック様式で建てられた宮殿。最初に居城としてウンテレス・ベルヴェデーレが造られ後に2年間で上宮のオーベレス・ベルヴェデーレが造られた。オイゲン公が亡くなった後ハプスブルグ家が買い取り今は国の物に成っている。
オーストリア風バロック様式の左右対称の建物にはギリシャの神々の彫刻が施され、天使が戯れている彫刻も見応えあり。 -
オーベレス・ベルヴェデーレからなだらかな庭園続く庭園ウンテレス・ベルヴェデーレ宮殿、オイゲン公は此処を住まいとしていたと言う。
なだらかに続く庭園、下宮其の先にはオールド・ウイーンの町が望め其の先にはウイーンの森が続く -
なだらかに続く庭園は(只今修復中で噴水は出ていない)美女のスフインクスが飾られ
どのスフインクスも美女。一説によるとオイゲン公は廻りに沢山の美女を侍らせ、其の美女には身長、ウエスト、体重など規制したと言われるほど、美女好きの様であった。 -
ウイーンの森
アルプスから続く山の裾野を総称して“ウイーンの森”と呼ぶのだそうだ。東西南と有るが南の森には見所が多いというので、アウトバーン6とルート33を使い出かけてみた。
高速道路は1年に日本円で1万円程納めると、全部のただ・・・・いいな〜〜! -
其のこんもりとした木立の中に建つ個人所有の城リヒテンシュタイン城
灯りが窓から見え到来客を待つ準備がなされていた。 -
ウイーンの森の中にはモーツアルトが足しげく通ったと言う、菩提樹の咲く水車の有った所がある(今はカフェに成っている)。此処に奇妙なモーツアルトが居た。記念にパチリ!
見つめられ奇妙な気分??? -
ゼ・グロッテ(地底湖)
石膏を掘っていた坑道。有る時水が染み出し地底に貯まったと言う。戦時中には広い坑道が戦闘機の工場としても使われたようだが、ここで造られた飛行機は1機も飛び立たなかったと言う。 -
外気は28度地底は6度ヒンヤリとして神秘的に水色で透明度の高い水が池をなしている。
電気で操られる船に乗って15〜20分の遊覧が楽しめる。不思議な事に余り深くないのに、水に映る周りの景色で底がないような湖に感じられたりする。とっても幻想的な地底湖。 -
ハイリゲン・クロイツ教会
シトー派の男性修道院。荘厳で威厳を持って建っている。只今は入り口をお化粧中。
修道僧は広大な畑を耕し、ワイン、果実酒、ジャムなど等を作り販売し日々の糧としている。宗教の高校、大学も保有している。 -
中にはペストの塔がたっている。
オーストリアでは其処此処にペストの塔が建っている。大変な流行で犠牲者も沢山だったと言う -
マイヤーリンクの館 (カルメル派の女子修道院)
マイヤーリンク一帯はは以前はハイリゲンクロイツ修道院の所有地でラウレンチ教会と邸宅が建っていた。1886年、ハプスブルグ帝国皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートの一人息子のルドルフ皇太子が此の地一体を領地とした。ルドルフは無類の狩猟好きで有ったので此処に狩猟用の別荘を建てた。 -
1889年1月30日マイヤーリンクの劇的な事件、男爵令嬢17歳のマリア・ヴェチェラと30歳の皇太子ルドルフとの心中事件が起こった。情死とも皇帝とのハンガリー政策に対する対立とも、ベルギー国から嫁いできた妻ステファニーとの不仲、ルドルフの精神的病気など・・真相は判っていない。
皇帝は二人の死後すぐ狩猟用別荘を閉鎖し一部を取り壊し、亡くなった皇太子を哀れみ、教会とカルメル(カトリックの一派)の修道院に立て替えた。此処は女性の修道院で周りの村の施しを得て5人(4人のシスターは80歳を越えていて、最近お1人の若いシスターが見えた)のシスターが静かに祈る毎日を過ごしているという。教会内に飾られたルドルフ皇太子の肖像画は物悲しい・・修道院もヒッソリと森に中に建っている。 -
ウイーンの街中に戻り・・・・
ゼツエッシオン
1897年クリムトやモル、オルブリヒ、ホフマン等は新しい芸術運動を起こすためにグループを結成した。ウイーン分離派(ゼツエッシオン)と呼ぶ。此のゼツエッシオン家達の作品を展示するために1897〜1898年にヨーゼフ・オルブリヒの設計で建てられた。ローリエの葉をかたどった金色のキューポラを戴く。 -
此の建物の直ぐわきに有るA・シュトラサーが1899年に製作したライオンを引き連れたマルクス・アントニウス像が置かれている。 -
ナッシュマルクト
ウイーンに来て二日目の夕食はウイーンのナッシュマルクトと言う食料市場(八百屋・肉屋・魚屋・香辛料屋・パン屋などなど軒を連ねている)にした。ウイーンは条例によって18:30でデパートなど全商店を閉めなければならない。此の市場も例外ではない。但し食堂は別である。エスニック、イタリアン、チャイナ、魚料理店と色とりどり揃っていて、ウイーン人、観光客に大人気の様だ。私達はビュウテフル・ロール(アボガド+かにかまの巻き寿司と手巻き(アドガド+かにかま)+ビールで蒸し暑かったウイーンの2日目を締めくくった。
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