2007/03/23 - 2007/03/24
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tabijiisanさん
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オーロラ観光は2002年にカナダのイエローナイフに行って以来2回目である。オーロラ見物は当たり外れがあるが、厳冬期の北極圏へ簡単に連れて行ってくれるので、私は好きである。今回のツアーは、ノルウェーのハシュタなどロフォーテン諸島、スェーデンのキールナなどで、オーロラ見物と共にフィヨルド地形などもたっぷり観光出来る格安ツアーであった。これらは何れも北緯66度33分以上と定義される北極圏に位置している。こんなお得なツアーが13人しか参加者がいなく、出発が危ぶられたのは信じがたいことだった。
この写真はロフォーテン諸島最南点の捕鯨基地レイネへの道中で見られる鋭鋒の一つである。
今回のツアーは、オーロラも見ることが出来、天気にも恵まれてフィヨルド地形を堪能出来た素晴しい旅であった。
尚、挿入した写真は、このブログで許容される最大の画素数で入れていますので、原画像でお楽しみ下さい。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ノルウェー北西岸に位置しているロフォーテン諸島の地図と航路。
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成田空港12時発のフィンランド航空(エアバスA-340-300、4基のエンジン搭載)にて、ヘルシンキに向け出発する。満席である。この時期のヨーロッパ行きは、ジェット気流が強いため、札幌まで真北に進路をとり、その後西北に向かって日本海を渡り、シベリアに上陸する事が多い。(日本航空確認済み)シベリア上陸時に撮ったのがこの写真である。流氷が融け出している。ハバロフスクの上空を経てシベリアの雪原を西北に向う。残念ながらナビのない機体だったので、位置を確認する事は出来ない。
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シベリアに上陸して3時間ほど経った頃眼下に開発中の露天掘りの鉱山が見え道路が真下に伸び大きい露天掘り鉱山に続いていた。
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湿地地帯を河川が見事に蛇行して北へ流れている。水がある所は凍て付き白く反射しているのでよく分かる。
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河川が平原を浸食し谷がどんどんふかくなり、平原が丘陵地に移り変わっていく様が手のとるように観察される。シベリアの平原は地質学の生きた教科書である。
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ヘルシンキ空港に近づくと眼下に流氷が漂う海域が望まれた。白海付近だろうか。午後3時にヘルシンキ空港に着陸する。日本との時差は7時間である。ここでオスロ行きのフィンランド航空機(ブラジル製エンブレア190、100人乗り)に乗り換える。待ち時間は2時間45分ある。
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ヘルシンキ空港の出発ゲート待合ロビーには小型飛行機が吊り下げられていた。出発時の手荷物検査で機内で配られた未開封の飲料水ボトルは没収される。
オスロ空港までの所要時間は1時間半で、薄明かるい18時半に到着する。フィンランドとノルウェイとの時差は1時間ある。オスロ空港は木調を基調としたインテリアで好感を持てた。この空港での待ち時間は1時間10分。オスロ19時35分発ハシュタ・ナルヴィック空港行きのスカンジナビア航空に乗る。定刻になってもゲートに中々航空機は到着しない。遅れるのかと心配したが、はるか彼方の滑走路に止まっている航空機にバスで連れて行ってくれた。時間節約のために蛇腹に接続しなかったようで、小さい空港ならではの機敏な処置に感心する。 -
ハシュタ・ナルヴィック空港に21時15分に到着する。所要時間は1時間40分である。
すぐバスでハシュタのホテルへ移動する。バスに乗ってしばらくするとオーロラが見えるとの声あり。慌てて目を凝らすと緑色の鮮やかなオーロラが見えるではないか。近くの駐車スペースに止めてもらう。三脚がスーツケースの中でカメラを固定する術なくバスにもたれ手持ちで撮った写真がこの写真である。(30秒露出、28mmレンズ、絞り開放3.5、ASA1600、画像修正なし)ここは町から離れた山中で照明が入らなかったのが幸いした。その後バスに乗ると、車窓の右側から左側に鮮やかなオーロラの帯が狭くなったり、広くなったりして動いていく。見事なオーロラが余りにも簡単に見ることが出来たので、何時でも見れると錯覚し、これ以上バスを止める事をお願いしなかった事が悔やまれた。
今回の旅行で2度とこれほど見事なオーロラに遭遇しなかったので、旅行中愚痴る事と相成った。 -
この建物が、ハシュタの港に程近い、我々が泊まったグランド・ノルディック・ホテルである。(翌朝撮影)
着いて程なく、添乗員の案内で、オーロラの写真をものにしようとホテル付近を三脚を担いで歩き廻ったが、町の照明に邪魔され、オーロラらしきものも出たようだがとてもオーロラ見物に適した所でなく、あきらめて寝てしまった。小さな町なのに、付近の塔からレーザー光線がぐるぐる回り、金曜の夜なので、ホテルのバーで若者が遅くまで騒いでいる始末だった。 -
この港から、朝8時半にロフォーテン諸島クルーズに出発する。南北に細長く海岸線が複雑なノルウェーの物流の中心は、沿岸を行き来する定期船である。我々はこの定期船に乗り、ロフォーテン諸島中ほどに位置している今晩泊まるホテルがあるスヴォルヴァール港まで、行く予定である。定期船といっても6167トンもある貨客船で500人まで乗ることが出来、ベッドを備えた個室も148人分ある。日本の北海道行きなどのフェリーよりはるかに高級で、クルーズ船に近い位である。
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我々の乗ったMs Lyngen号(6167トン、1982年竣工)である。
この定期船はノルウェーの南のフィヨルド観光で有名なベルゲンから、ロシアのムンマルスクに近い北のキルケネスまでを昼夜兼行で6日間かけてはしり、この航路には同様な定期船が11隻も運航している。
ハシュタから今晩泊まるスヴォルヴァールまで、347kmの距離を10時間かけてはしる。途中、3っの港で接岸し、乗客、貨物の出し入れを行う。我々観光客はその間の「海上アルプス」を十分に堪能する算段である。この時期、乗客は少なく数人が乗降するだけの港も多かった。乗っている観光客の総数は50人弱だったろうか。 -
ハシュタ港から正面に切り立った岩山(Kjotta島)が見える。ロフォーテン諸島の写真に登場するお馴染みの景観である。航路はこの島を目がけて北に進み、左折し西北へ進む。
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船の右側は、切り立った岩壁、左側は猫の額の平地、その奥には、鋭鋒が望まれる。写真は右側の景観である。この水道を進む。黒い雲があり、何時雨が降ってもおかしくないが、段々青空が出てきているようにも見える。素晴しい景色が見えるに付け、期待が増して来る。
船の上部にはデッキがもうけてある。周囲を透明なガラスの防風壁に囲まれているが、写真撮影のために、無い部分もある。デッキではダウンのアノラックを着ていても、冷たい強風が吹きすさび、ふるえながらの見物となる。勿論船室で暖まりながら見ることも出来る。 -
右側の日の射さない岩壁には、青い氷がへばりついている。
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右側の水道を抜け、開水面に出る。船の後ろに通ってきた島(Grytoya,最高峰1012m)の岩壁がだんだん遠ざかって行く。
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氷河で削られたフィヨルド地形のため、ロフォーテン諸島は多くの島からなり、島と島との距離は比較的近接している。まだ、連絡船の区間も残っているが、豊かな国のため島と島とは、橋、トンネルでつながれている。それも、コンクリート製の橋が圧倒的に多いようだ。
写真は最初の寄港地Risoyhamn付近の連絡橋。 -
最後の寄港地Stokmarknes手前に見えるMoysaren国立公園の鋭鋒、最高峰は1004mに過ぎない。
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最高峰Durmsls tindan(1004m)
この山の裏側をRaftsundet水道があるので、この山の裏側の山容をも見ることが出来た。 -
鱈漁に出漁に出動している漁船。近距離の出漁のため幅が広いでぶっちょの船だ。
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寄港地の中で1番大きな町Stokmarknes。1時間寄港するので、その間下船し、町のスーパーマーケットと博物館に寄った。買いたい物は何もなく、博物館に寄る。沿岸航路の歴史、連絡船の模型、内部の備品などが飾ってあった。英語の説明があったが、英語のパンフレットは置いてなかった。
写真は陸に上げられた連絡船。博物館になっているが、まだ公開していなかった。 -
この寄港地を出港し、再び港の入口にある橋の下を通り、南の国立公園の鋭鋒群を目がけて進む。とても水路があるとは思われない狭い水道(Raftsundet水道)が通っている。両岸には絶壁が続き、晴れ上がった空にくっきりと鋭鋒がそびえ立つ。
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水道の右側にそびえる鋭鋒。高さは1000m位だが、山容はアルプス、ヒマラヤに引けを取らない。
山容は船が進むにつれ、その姿を少しずつ変える。数分で、180度近くの異なった方向から鋭鋒の全容を眺められるのは、ここならではの楽しみだ。 -
水道の途中の絶景ポイントの支流に一寸入り、バックで戻る。勿論観光客に対するサービスだ。丁度、岩壁に日が沈む光景を目の当たりにし、船内で歓声が上がる。
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開水面に抜けると、再び日が射してきた。斜光に照らされた岩壁が輝いていた。
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スヴォルヴァール港に予定より早く6時15分に着く。ここで下船しクルーズは終了する。ここのホテルで宿泊し、明日から、専用バスで南下し、捕鯨基地レイネに至るフィヨルドを地上から見物する。
港の入口に、大きな女神像が出迎えてくれる。漁の安全を守ってくれる神様だ。
港は魚臭い匂いに満ちていた。港に面して鱈の乾燥場が並んでいるためと判明する。鱈漁はそろそろ終わるので、今ならではの匂いで、観光シーズンの夏には体験出来ない。そう考えると趣ある匂いに感じられてくる。 -
港のある入江に面して、今日のホテルのリカ・ホテル・スヴォルバールにある。我々の部屋は安普請だったが、食堂は入江に突き出ていて、300度の眺望が楽しめる。
私は1日デッキに居たため、目が充血し、オーロラ見物はパスしたが、オーロラは殆ど出現しなかったようだ。
写真は波止場から見た景観でホテルの食堂が中央に朝日を受けて光っている。 -
この写真も波止場から見た入江の風景である。
朝食前に付近を散歩する。良く晴れわたり、空気が澄んでいるせいか、日の光がまぶしい。港内にはカモメの鳴き声と小さな貨物船から荷物を搬出する音が響いている。人口9000人の小さな町でありながら立派な商店が並び、洒落た靴まで並んでいた。 -
港に面して、大きなやぐらが組んであり、大きな鱈が何千匹も吊り下げられていた。重い鱈をどうやって吊るすのか。大変な重労働のはずである。冷凍設備が発達している今、このような保存法が生き残っている現状は興味深い。
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この街並みの一角に戦争博物館を見つけた。早朝のため開いていなかったが、入口のガラス戸越しにイギリス兵の人形が置いてあった。ノルウェー本土のナルビックには、戦争博物館があるとガイドブックに書いてあったが、ここにあるとは知らなかった。
第2次大戦中、ドイツはノルウェーの北のこんな僻地を攻撃し、支配下に置いた。その理由は、今度のツアーで訪ねるスウェーデンのキルナの鉄鉱石の積出港がノルウェーのナルヴィックであったためである。鉄鉱石はボスニア湾、バルト海を経て運ぶ事ができるが、内海は塩分濃度が低く、水温が低いので冬季凍結してしまう。1940年4月9日ドイツ海軍は奇襲攻撃を加え、10日にナルヴィックは占領される。この海域ではイギリス軍とドイツ海軍は激烈な海戦を繰り広げお互いに、艦隊の大半を失う被害を被った。しかし、ノルウェーのドイツ軍の占領は1945年まで続き、ドイツの傀儡政権下にあった。ヒットラーはノルウェー人は純粋なアーリア人である」と唱え多くのノルウェー人女性とドイツ人将校との結婚を奨励し、多くの混血児が生まれた。 -
戦後ノルウェー政府はナチス協力者を特別立法で死刑にし、混血児に対し迫害政策をとったが、その後謝罪し賠償したという。
8時20分にホテルを出発する。ホテルで現地ガイドの日本人レイ子さんがバスに乗り込む。彼女はスヴォルヴォール在住20年になり、ご主人は当地で漁師をしている由。お陰で当地の漁業事情を詳しく教えていただく事が出来た。
バスの車窓から、昨日を上回る風景が展開する。
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