2006/09/16 - 2006/09/16
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よっしーさん
「康熙王朝」「雍正王朝」を見て以来、清の歴史に興味を持つようになったのがきっかけで、もう一度故宮が見たくなり、2度目の故宮へ。
2つの大河ドラマを見た後、いろいろな資料をあさり極力正確な資料収集に努力、調べれば調べるほど、「故宮にもう一度行きたい」願望がますます強くなった。
1度目はあまり興味なく、ただサーっと見て歩いただけだが、今回は、一つ一つの宮殿を味わいながら見て歩くことができた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 航空会社
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故宮へ向け天安門をくぐる
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天安門の前に立つ狛犬
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故宮博物院への入り口「午門」をくぐる
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中和殿へ。ここは、大和殿で儀式を行う前の皇帝が休憩を取ったところ。
大和門をくぐって最初の大きな宮殿「大和殿」は、工事中だった。 -
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保和殿。
ここで科挙最後の難問「殿試」が行われた -
次に乾清門をくぐる。
この中には乾清宮をはじめ3つの宮殿があり、ここで清の皇帝が「御門の政」というが、政務を行った。 -
乾清宮
明の時代はここは皇帝の寝宮だった。
清の雍正期、ここは皇帝が日常の政務などを行うところとなり、そのほかに宮廷での宴会も行われ、皇帝が崩御した際はここにいったん安置した。
雍正期以降、皇帝は養心殿へ住居を移動する。 -
乾清宮ないの皇帝の玉座
「正大光明」の額は有名で、順治帝が書いたものといわれている。雍正帝時代、太子密建法という法を作り後継者は皇帝の死後、皇帝が後継者を書いた勅書を開いて初めて太子が誰かわかるという制度を作った。
これは後継者争いを防ぐためである。この「正大光明」額の裏に、その勅書がしまわれていた。 -
交泰殿
ここで皇后を冊立する儀式が行われた
乾隆帝の時代には、ここで玉璽の管理・収蔵が行われていたらしい -
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養性斎
最後の皇帝、宣統帝溥儀の英語教師が住んだところ -
養心殿へ向かう
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養心殿への入り口
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養心殿
雍正帝以来、ここが皇帝の居住となった
ここは康熙帝の寝殿で、雍正帝は政務を行い、西大后が聴政を行い、宣統帝溥儀が退位をしたところ。
さまざまな歴史上の舞台となったところのひとつ -
「中正仁和」の額の文字は、雍正帝が書いたものといわれる
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「勤政親賢」の額のいみは、政務に勤め、賢者に親しめという、皇帝への戒めが書かれた額
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寝所
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熱さにばて、ちょっと休憩
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確か西大后の部屋?
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人民解放軍の皆さん?
このグリーン系の制服がかっこいいとおもう -
宮殿の飾り物の数々
貴重なもののほとんどは、国共内戦で国民党が敗れた際に、国民党政府が持ち逃げしてしまった。 -
地球儀
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白菜の置物
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スターバックス故宮店
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軍機処
康熙帝の時代に軍事上の重要決定を閣議を経ず速やかに決めるために設けた施設。雍正帝の時代に入ると、この機能を強化し軍事ばかりでなく政治決定も内閣を通り越して決める場となり、軍機処の機能充実により皇帝の独裁権は確立された。 -
皇帝の印鑑
漢字と満州文字と何かの文字 -
雍正帝が、兄と弟と年羮堯の罪を列記した朱筆による諭状
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雍正帝の朱筆による役人の上奏文への返信。
雍正帝は、地方の下役人にいたるまで一人ひとりすべての役人の上奏文に目を通し、いちいち返信をしていた。貴重な文書のほとんどは台湾にあるらしい。
文書は非常に心がこもったもので、たとえば「愚か者」としかるもの、「これは面白い」など、丁寧な返事を毎日深夜まで書き、一日の睡眠は3時間または不眠のときばかりだったそうだ。雍正帝は、人間味もあふれる人情皇帝であり、最も尊敬する。
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