2007/03/19 - 2007/03/19
90位(同エリア109件中)
アリヤンさん
地球のハテ、大河に浮かぶ孤島、文明の届かぬ原始の村、などと言う表現が似合うコン島。
ここに落ち着いて、島民の生活や周辺の滝などを見て来たが、この島の南の端まで、縦断をしてみたくなった。
Pan's GHのパンさんに描いてもらった地図を参考に、縦断を敢行した。
陽射しは、日本の真夏と同じく、ヒジョーに強く、熱い。
普通の観光客は、「仏印鉄道蒸気機関車の旧軌道跡」を、南北に自転車で縦断する。
ワタクシたちはそんな観光ルートはとらず、全くの徒歩で山道を選んで、よりひと気の無いルートに踏み込んだ。
それだけに、スリル一杯、汗一杯、オモシロさ一杯であった。
現地ネット環境劣悪のため作成した当時の現地緊急避難ページ。
http://www.geocities.jp/mihata01/ &
http://www.geocities.jp/mihata01/4traemergency_057.html &
http://www.geocities.jp/mihata01/4traemergency_058.html
旅行データー集は、http://outdoor.geocities.jp/ariyan9906/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
パンさんが描いてくれた、コーン島の概略図は、貴重なものだ。
どこのガイドブックにも、コレだけの地図は載っていない。
(これはパンさんが描いたモノを、加工した地図)
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/KHONEmap.jpg -
イチオシ
この島は、観光化が進んでいるデット島とは様子が、かなり違っている。
パテトラオの共産勢力の締め付けが強いのか?
今だに、マシンガンAK47や、カラシニコフを担いだ、民兵がウロウロしていた。
村の集会場では、教育ミーティングが行われていた。
そうした写真は、さすがに怖くて撮れなかった。
遠くからこっそり撮ってみた。 -
近くの小学校。
朝の、校長先生の演説に聞き入る、生徒たち。
演説が、なが~い。 -
究極のガソリン・スタンド。
1Lづつ、ペット・ボトルで売っている。 -
ワタクシたちは山道にわけ入った。
-
この谷間の橋は、一本の細木を渡したものだけ。
こわごわ渡って、ドンドン山の中に進んでいった。 -
ドンドン分け入ると、
-
イチオシ
キノコ採りの村民に出会った。
大きな包丁を持っていたので、ちょっと心配したけど、、、
素朴な村の人びとだった。
うれしそうに採ったキノコを自慢げに見せてくれた。
コプチャ~イ! -
深い山中でついに発見!
旧仏領鉄道のレールらしきモノが、アチコチに放置されていた。 -
小さな谷に、レール様のものが渡されてあった。
このレール様のものは何、ナニ、なに??? -
フランス統治時代の、鉄道レールをツイに発見!
ガイドブックには;
「仏領時代のレールは、ほとんどが売り払われ、今ではどこにも無い。枕木は庭の柵や燃料として燃やされた」と書かれてあったので、レールなどはもう、どこにもないのだ、っと思っていた。
旧軌道跡も歩いてみたが、すでにレールはどこにも無く、枕木はどの村の家の柵にもなっていなかった。
シカシ、シカシ、それらはココに有ったのダ!#!
谷をわたす、橋になっていたのだった!
ワレワレはそう言った文化遺産をこの山中で発見したのだった! -
枕木はあまり役に立たなかったのか、周辺に捨てられていた。
-
イチオシ
村ビトが、レールを橋の代わりに、再利用したものと考えられる。
渡るのは一苦労だ。
まず、タテの間隔がたいへん、広いのです。
所々、サビてて、穴だらけで、その強度が疑わしい。
ソロソロと渡ったり、ハテは、這って渡ったり。
スリル満点だ。
パートナーには、恐怖満点だったようだ。 -
ワタクシもレールが折れるのを恐れながら走って渡った。
-
「仏領南印」、「大日本帝国、仏領インドシナへ南進」、などという古いフレーズが頭に浮かぶ。
このレールには20世紀最大の世界戦争、第二次世界大戦 or 太平洋戦争を生き抜いてきた、歴史を感じさせられた。
本当にいいモノを、ラオス最南端のメコンの島で見せてもらった。 -
現在の島の村々は平和そのものだ。
-
難所を越えて、小さな村々を越えて、ドンドン南下する。
-
イチオシ
教育熱心な国だ。
どんなイナカにも、学校は有る。
(国際社会の援助には、教育方面に集中しているせいか、そのおかげで、学校の数は多い)。
森の奥深く、小さな女の子たちが、ゴム跳び遊びをしていた。
学校の校庭だ。
どの子供の顔も明るい。
この国の将来は、明るいと思う。 -
島の南端には、もうひとつの機関車の残骸が、放置されていた。
旧日本軍のものだと言う。
北端の、フランスの機関車も、ツイ最近まで、放置されていた。
しかし、今では、周囲の草が奇麗に刈り込まれ、陳列している、と言う雰囲気だった。 -
イチオシ
現地人が感じた、インパクトの強さの差か?
フランス統治時代のものと、旧日本軍のものの扱われ方の差。
旧日本軍から、なにも得られなかったのか?
それとも、日本は、敗戦国だったからか?
真偽のほどは、分からない。
ただ、かつて、日本人が使っていたもの、作ったものが、粗大ゴミのように放置されているのを見るのは、なにか、わびしい気分になるのです。
-
放置された穀物倉庫跡。
-
船荷を上げ下ろししたであろう、装置とケーブルが収められた小屋。
今は、無用の長物となっている。 -
この坂を、ケーブルで吊り下げられた荷物が、上げ下げされていた、と考えられる。
下に、小さな貨物船が停泊していたのだろう。
ここらはとどろき渡るメコンの瀑布ももうなく、流れは静かだ。 -
今は全く静かでのんびりとしたメコンではあるが、70年近く前にはフランスと日本の「帝国主義」の縄張り争いの舞台でもあったのだ。
-
今の平和な島では、子ブタたちが、木の周りで、昼寝を謳歌している。
-
帰りは、レ―ル軌道跡の道を、真っ直ぐに北上した。(普通足を伸ばす観光客でも、この道を北⇒南に辿って、南端にあるジャパニーズ・ロコモーティブを見に行くはずだ)
途中、自転車で南下していた2,3人の外人と、すれ違っただけだ。 -
約1時間ほどのウオーキングで、島の北側、フレンチ・ブリッジ近くまで帰ってきた。
コーン島の、観光の目玉になっている、フレンチ・ロコモーティブは、回りに柵がめぐらされていて、丁重に保護されている。 -
今日の出発点となった学校に着くと、生徒たちは授業が終わって、家に帰る前の、買い食いをやっていた。
-
今日のコーン島探検行は、約3時間だった。
日本では、休日になれば、大抵3時間くらいの散歩はしていた。
でも、摂氏35度以上のカンカン照り、熱帯雨林地帯での3時間は、イグゾーストだ!
ゲストハウスの庭のハンモックに揺られて、何とか疲れを癒そうとした。
空はマッタク、南洋だった。 -
-
Pan’s GHのバンガロー。
-
突然のスコールも気持ちが良い。
-
暮れなずむメコン。
-
パンさんのゲストハウス・レストランに飾ってあるこの色紙。
見た瞬間に、”これは日本のものにチガイないっ!” っと思った。
「月に臥して、雲に眠る」
なにか、芭蕉さんの世界のようだ。
ワビだ、サビだ。
(エラそうに言うとるケド、芭蕉さんの句で知ってるのは「タライからタライへチンプンカン」くらいなもの。コレは一茶の句か?) -
Pan's Guest Houseのレストラン。
-
パンさん夫妻。
このMr.Pu Pan(40才).
約20年前、木材切り出し技術研修で、茨城県の会社で3ヵ月労働研修をした。
その後、その会社のラオス事務所で働き、そこで、現在の奥さんを見つけた。
その後、2003年~2005年、
パクセーで、パクセーホテルの専属運転手として働いていた。
その時、パンさんがお世話をした日本人(ご老人)が、パンさんの懸命さ、とラオスの自然の豊かさと、国の貧しさに、心を動かされた、のか?
ポンと大金をパンさんに寄付したらしい。
その方をパンさんは「ラオスの父」と呼んでいた。
その資金で、現在のPan's Guesthouseがアル。
だから、パンさんはその人のことを「日本のお父さん」と今も呼んで、敬っている。
店の柱に吊るしてあった掛け軸は、その方が描いたものだ、とのこと。 -
ラオスの父:「パン君、今一番、キミがやりたい事は何カネ?」
パンさん: 「ハイ、ゲストハウスをやりたいデス」
ラオスの父:「幾らくらい要るカネ?」
パンさん: 「○○○ドル位です」
ラオスの父:「そうか、これで足りるかネ?」
っとポンと現金を出した。
らしい。
イヤーッ!カッコいいですネ。
ワタクシも聞きました。
アリヤン: 「パンさん、今何が一番欲しい?」
パンさん:「トヨタ・ハイエースみたいな車」
アリヤン: 「いくらするの?」
パンさん:「9千ドルくらい」
アリヤン: 「アッ、そう。ワタクシが日本で有名になって、講演でも殺到したら、9千ドルくらいはあげるよ」
パンさん:「いつごろですか?」
アリヤン: 「さあ、それは分からない。あと20年後
カナ?」
パンさん:「それじゃあ、もう、死んでるじゃないで
すか」
(笑、笑、笑) -
パンさんの奥さんの家は、かなりの資産家だったらしく、大きな土地と建物を持っていた。
2人とも、中国系ラオス人。
写真は、奥さんの実家、大きな邸宅前の門の跡。
レストランはこの敷地内にある。
パンさんは自力で、ゲストハウスを増築中です。
なんとか、ゲストハウスのビジネスで、ひと旗上げたいようだ。
-
-
この写真は、本件とは関係ないのですが、イルカ見学の時に見かけた日本人?グループ。
イエ、日本人に良く似ていますが、雲南省からやって来ている若者たちです。
特に、右端のニイちゃんは、どこから見ても、日本人に見えます。
本人もそれを自覚しているようで、
「こんにちわ、日本人デスカ?」
と聞けば、
即座に「I am from Yunnan」
と答えています。
この写真を撮ったとき、右端のニイちゃんは
「また、日本人がワシのこと、日本人にソックリや~言うて写真、撮りよる。カナワンナー#&!」
っと言ってるようです。
(左のほうのおネエちゃん、ナカナカ美人ですねエ。これから雲南省に行くのが楽しみデス)
*写真の川岸はデット島から陸側、ナカサン側に渡ったところです。
この時から4年後の様子は;
⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10545672/ -
ラオス最南端、メコンの島々:シーパンドンのコーン島を後にして、ミニバスでパクセーに移動した。
*「パクセー・トラベル」が運行しているパクセー⇔シーパンドンのミニ・バスサービスをPan's GHでアレンジしてもらった。
コーン島⇒ナカサンまではパンさんのボート。
ナカサンからパクセーまでは日産・アーバンバスで2時間
(かなり飛ばす)
65,000kips(US$6.5/-)/1人
(逆方向、パクセー⇒ナカサンはトヨタ・ハイエースで60,000kips) -
ナカサン⇒パクセーへのバス(日産アーバンバス)
-
パクセー・トラベルのパンフレット。
-
パンさんから手渡されたお土産。
メコン河の小魚の干物。
これはワタクシたち用ではなく、パクセーのサバイディー2 GHのMr.Vongさん用です。
パンさんはMr.Vongさんには良くお世話になったようです。 -
最後にもう一度、シーパンドンの地図で位置関係を、
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/siipandon.jpg
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アリヤンさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45