2006/11 - 2007/10
5683位(同エリア7460件中)
ムッシュさん
東北4寺回廊。
ここでは山形県の有名な山寺(立石寺)参拝です。
山形線山寺駅から見上げるような奥の院に圧倒されます。
参道入り口で”力こんにゃく”を一串食べて元気をつけて700
余段の石段を登り始める。たっぷり汗をかき始めた頃にやっと
展望台のような五大堂に到着。そこから見下ろす町並みと頬にあたる風がなんとも言えず心地よい。松尾芭蕉の気分を味わいながらの寺の厳しい修行に思いを馳せる。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 新幹線
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いきなりですが、山の麓の駅より【山寺】を見上げる。
最上部に見える社が開山堂(五大堂)
。え、あの上まで登るのかと驚いた。
登山口から奥の院まで1000余段の石段です。 -
舞台造りの見晴らし展望台になる【五大堂】
延々と1000余の石段を登ると、やっとこさ、到着出来ました。
見晴らしがよい展望ができます -
見下ろす町並み。立石寺随一の眺めです。
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全体案内図(パンフより)
第3世天台座主の慈覚大師・円仁(えんにん、794-864)が860(貞観2)年に創建した。 -
絶壁に修行場を持つ。
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修験道場が崖に設けられてる。怖い場所ですね。
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展望台より電車の駅方面を見下ろす。
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山寺 【根本中堂】
入り口正面の大きな建物が、山寺の本堂にあたる「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」。1356(延文元年)年に初代山形城主・斯波兼頼(しば・かねより)が再建し、ブナ材を使った建築物としては日本最古のものといわれる。 -
山寺 【芭蕉と曽良】
江戸時代の俳聖・松尾芭蕉(1644-1694)が1689(元禄2)年に訪れたことでも知られる。
芭蕉と、おくのほそ道の旅に同行した門人・河合曾良(そら、1649-1710)の像(右側) -
【松尾芭蕉】さんです
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芭蕉句碑
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【立石寺の山門】で入り口です。
円仁により860年に開山された。鎌倉時代建造の茅葺屋根の門・山門。
鎌倉時代の建立といわれる山門は、開山堂などへの登山口で、大仏殿のある奥之院までの石段は800段を超える。 -
山寺 【せみ塚」
『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句が書かれた短冊を埋め、記念碑を建てた場所です。夏になれば、芭蕉も聴いたはずの蝉の声が。
芭蕉はここ山寺で名句「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉(セミ)の声」を詠んだ。蝉の鳴き声が響く中でも、心が落ち着く参道の清閑さを見事に表現している。山寺を訪れた芭蕉の弟子らが「この辺りで句の着想を得たのではないか」と推測した場所は、山門と仁王門の中間点。1751(寛延4)年に句をしたためた短冊が埋められ、石の記念碑「せみ塚」が立つ。 -
山寺 せみ塚から仁王門の間にある【弥陀洞(みだほら)】
岩が長い年月をかけて雨や風の自然現象によって削られ、直立した阿弥陀如来の姿に形作られたもの。
直立した巨岩の表面に、全長1丈6尺(4.8メートル)の阿弥陀如来の姿が彫ってあるので「丈六(じょうろく)の阿弥陀」とも呼ばれる -
山寺 【仁王門】
門の左右に安置された仁王像は仏師・運慶の弟子たちの作品と伝えられている。 -
山寺 【奥の院】
のぼりの石段の終点。
慈覚大師が中国での修行中持ち歩いたと伝わる釈迦如来と多宝如来を本尊として祀っている。 -
山寺 岩の上に立つ【開山堂】
慈覚大師の木造尊像が安置され、今でも朝夕の食飯とお香を欠かさずお供えしているお堂。
向かって左側の岩の上にある赤い小さなお堂は、写経を納める納経堂で、山寺の中で最も古い建物と伝えられています -
山寺 開山堂の隣の納経堂
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五台堂の造り。舞台です
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崖から空中に浮かぶように造られている。そこから周りの山々や下界の田畑を見晴らすと、ここまで登ってきた苦労が全て払拭(ふっしょく)される。
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山寺駅
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山形線と山寺駅
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