2006/12/30 - 2006/12/31
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ぱんぱーすさん
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ローラの門(赤壁)の難関を突破したローレシアな俺。愛すべきサマルトリアの王子(タクシーの運ちゃん)やムーンブルクの王女(ツアコン姉ちゃん)と別れ、1人武漢へと乗り込んだ。目指すは第2の神器、黄鶴楼の扇だ!
武漢は武漢三鎮といい、長江の3つの支流が合流する水運の一大拠点。しかし、時間が何しろ無かったのでほとんど武漢らしきところを周ってねぇ!黄鶴楼オンリーな旅行記ですが、よろしければどうぞ。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 旅行の手配内容
- その他
-
武漢の武昌駅に到着。駅前を思いっきり派手に工事している。埃っぽくて息苦しいぜよ。
漢口という駅もあり、そちらの方が武漢のメイン駅らしいのだが、そちらへは行かなかった。だって用も時間も無いんだもん。ちなみに武漢の街は長江の流れで三分されており、河の東岸に位置するのが武昌、北側に位置するのが漢口、南西に位置するのが漢陽。 -
という事で、伝説の詩人が棲むといわれるブショウの塔、通称黄鶴楼に乗り込む。
乗り込もうとしたのだが、強制イベントなのか、50元も払わされてしまう。まだ持ち金に余裕はあるが、そろそろモンスター狩りでもしてお金貯めないとツライ、かも。 -
門を抜け、まず目に飛び込んだのは「勝像宝塔」通称白塔。元代に造られた塔で、ラマ教の思想が織り込まれた塔なんだとか。さすが黄鶴楼、いきなり場違いな物品を安置して幻覚攻撃を仕掛けてきましたよ。
ところで、何でこんなトコにラマ教の物品があるの? -
塔の幻を振り払い、次の段へ。何やら門が通せんぼしてくる。曇りがちの天気と相まって、後ろにそびえる黄鶴楼が霞んで見える。
一体黄鶴楼に辿り着くまで何重構造になっとるねん。 -
ついに黄鶴楼がその全貌を現した。左右の小塔とのバランスも抜群、泣き出しそうな空めがけて堂々と存在を主張している。威圧感に圧倒されそうになる。
個人的見解では、莫高窟の96窟外壁楼閣の上を行く見事な建築だ。果たして俺はこの塔を制覇し、黄鶴楼の扇を手に入れることが出来るのか?! -
楼の前に門番として立ちはだかるのは、2羽の鶴と亀と蛇の像。何でも頻発していた長江の氾濫を止めるために漢陽の亀神と武昌の蛇神が戦ったのが由来だとか、亀と蛇が協力して氾濫を止め、舞い降りてきた仙人が鶴になったとか、訳のわからん伝説があるようだ。どれか1つに統一せい。
門番だけあって、何か条件をクリアしないととおれないかと思っていたが、すんなりと通してくれた。 -
ちなみにこれが黄鶴楼景勝区がオープンした頃の鶴亀蛇像。真っ金金じゃないですか!その者金色の衣を纏いて蒼き野に降り立つべし……どこかの映画のセリフを拝借しちゃいましたが、こいつぁ観光客を迎えてくれる像としてはムチャクチャ栄えますね。
さっき見た現在の鶴達像が、金が酸化してあの色になったのか、下衆なヤロウ共が表の金箔をひっぺがして持っていってしまったのか……興味はつきない。 -
おぉっ、こ、これはかの有名な唐代のバーテンダー・辛氏と鶴の伝説の場面が描かれたシーンではないか!
(簡単に説明すると、酒屋を始めた辛氏のもとに仙人がやってきて酒を飲み、金がないから代わりに鶴の絵を壁に描いたところ、鶴が客の前で踊るようになり辛氏は大もうけした。しばらくしてまた仙人が現れ、鶴と共に天へ登っていった)
見事なタイル芸術だ。このタイル絵は10数年前に送られたものらしいが、このレベルならまぁ満足は間違いないだろう。 -
夢と雲に気を呑まれつつも、俺はこの楼へ特攻をかける!
-
何か……岳陽楼でも見た記憶がある鯱っ!しゃちほこっ!屋根に噛み付いてます、ガジガジいってます!
遥か眼下には武漢の街。こうやって見てみると、相当高い場所だったんだな、と実感。こりゃゲームみたいに飛び降りたら死んじゃうぞ。 -
ん……?
何でもこの部屋は、かの有名な毛沢さんが武漢に来た時にもてなしを受けた超VIPスペースなんだそうです。さすが中華人民共和国の祖ともいうべき男、待遇もVIPだったんでしょうねぇ。俺もここで小休止して、体力を回復させますかぁ。やはり塔の昇降は辛いですよ、脚にも足にもキます。
え?名前の切るところが違う? -
最上階にて発見した妙な絵画。唐の栄枯盛衰でも描いた絵なのだろうが……まるでバチカン美術館で見た「天地創造」の中国版のように見える。
さて、5階にて羽を扱う敵と遭遇!コマンド?
たたかう
→にげる
じゅもん
どうぐ
何か買い物してやろうと思ったけど、店員同士がバドミントンで盛り上がってしまい、客そっちのけになってる始末。つーか、何故黄鶴楼の中でバドミントンやっとるかぁ!しかも客がいる目の前だっちゅうのに!名楼は名楼なのだが、中で働く服務員のレベル低すぎるぞ!という事で買い物は別のところでする事にしました。 -
最上階からの遠景。遠くに橋がかかっていますが、その向こうに広がるのは長江です。でも霧やら靄やらでよく見えない(TДT)せっかくのチャンスだったのですが……
結局今回の旅では長江のたもとまで行く事ができず、「武漢三鎮」と呼ばれる所以などを欠片も感じる事ができませんでした。うわあぁぁ〜〜(><) -
逆サイドの遠景。眼下に広がるのは黄鶴楼景勝区です。まだまだこの先にも知られざる名所がありそうです。
-
という事で一気に下に降り、上の写真手前にあった黒い物体の元へ。
鐘でした。しかもサービス内容が怪しい。1回3元で10回まで衝く事ができ、回数が増えるごとに祈願できる内容が増えていく、ありがたい鐘なんだそうです。内容は、家内安全とか人生安寧とか色々ありましたが……でもね、あのね、鐘の銘に「CHINA」なんて思いっきり彫られている鐘のドコがありがたいんですか?! -
2枚上の写真の上部にあった黒い物体は、以前黄鶴楼のてっぺんにあったという尖塔でした。とがっちゃいないか……下から黄鶴楼のてっぺんを眺めても大きさが判別しづらいが、こうやって目の前にすると、大きい大きい。185cmある俺が「うわぁ……」と感心するほどだ。
これ、どうやって下ろしたんだろう。 -
しばらく歩くと見えてきたのは「白雲閣」という名の小楼閣。「閣」の字が簡体文字なのに何故「雲」の字は繁体文字なんだ?統一性が無いぜよ。
さてさて、ここは黄鶴楼の博物館になっているよきうだ。ちょっと足を踏み入れてみる。 -
これはおよそ150年前の黄鶴楼の様子を撮影したものだそうだ。まだカメラができたばかりの頃の、像を残すために10分以上じーっとしていなければならなかった頃の写真だ。黄鶴楼も動いちゃいけないなんて言われて大変だったんだ……え?もうボケはいい?はいはい、わかりました。
しかし今の黄鶴楼と昔の黄鶴楼はまるで似ていない。各時代の黄鶴楼をミニチュアで再現していたが、後年作られた黄鶴楼が、以前のものを全く参考にしていなかった事だけはよくわかった。
しかし、どれもしっかりしている。ところで、昔の黄鶴楼の様子なんて、どうやって資料を見つけてきたのかが激しく気になる。 -
白雲閣を抜け、連ねの門を更に奥へと進む。
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遥か足元に小さな東屋が造られている。こういった部分は小洒落てて自分は好きだ。
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何やら一際大きな門が立ちふさがった。「精中報国」とでかでかと書かれている。まるで愛国の精神を持たぬ者は通さないかのように。ここはバトルだ!
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DQ4の暴れ狛犬(マニアックすぎ)のようなモンスターが8体も装備されていた。細工が細かい。赤壁の周瑜像を建てたヤツに見せてやりたい!
何とか門を突破、ボスの待つ方へ進む。 -
そしてついに辿り着いた!黄鶴楼のボスだ!岳飛という武将らしいが俺は全く知らん!何やら南宋時代の将軍らしいが、俺は南宋といったらフビライ・ハン率いるモンゴルもとい元軍に無残に滅ぼされた印象くらいしかないぞ!中国ではどんだけ英雄なのか知らないが、俺には通じないぞ、くらえー!!
→たたかう
じゅもん
ぼうぎょ
どうぐ
背後の馬に蹴られてやられちゃいました。
→こんてぃにゅー -
しかしよく出来た像だ。元々大きい像ではあるが、馬の荒々しさと岳飛のいかめしさがうまくマッチして、ものすごい存在感を醸し出している。その荒々しさとは対照的に、細部まで細かく彫られた一種の芸術品。2枚上の狛犬の像もそうだが、全体的に芸術品としての質が高い。赤壁の周瑜像の作者に見習わせたい。
-
岳飛像は黄鶴楼景勝区の北東の果て。ここから南へ向かって丘を下るのですが……その途中で撮った1枚。黄鶴楼のすぐ横には、割れた窓も直せない、どこまで色褪せても壁を塗り替えるお金もないような貧乏人が暮らしているのです。栄える中国と病める中国の両極端が混在した、何ともミスマッチというか、中国は本当はこっち側に目を向けなきゃいけないのになぁと思わされる1シーンでした。
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落梅軒。ここでは表演(演劇や出し物)を行っているらしい。但し夕方と夜の2回のみなので、今はまだ何もやっていないようだ。RPGでいえばこんな感じか。
「こんにちは、ショーは夜からよ。夜になったらまた来てね」
残念なのは、俺は昼過ぎには廬山へ旅立ってしまう事なんだが…… -
劇場では演目に備えて役者達が思い思いに楽器の調整や練習をしていた。メインの出し物は、背後にある沢山の鈴を使ったもののようだ。うーん、マジで興味があるのだが……社会人のツライところ。泣く泣く後にする。
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更に進み、まもなく南門の出口というところで発見したのは「偉人懐念館」なる建物。その入り口に鎮座していたのは、黄金の毛沢東さん!をいをい、いいのか中国人!確かに毛沢東は有名人かも知れんよ。中華人民共和国の立役者かも知れんよ。しかしな、文化大革命なる阿呆の所業を行ったのも毛沢東なんですよ!中国が世界に置いていかれるきっかけを作ったのも毛沢さんなんですよ!ったく。共産党一党体制の政治基盤は怖いったらありゃしない。
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お次は共産主義五傑像。左からマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン、そして毛沢東ですよ。毛さんどれだけ神格化されとるんじゃ?!前の2人は共産主義なんて破綻の見えている主義を打ち出し、レーニンは革命と称しつつ「平和なんてフィクションだ」といって殺戮を繰り返し、スターリンは独裁政治で殺戮を繰り返し、毛沢東は保身のために殺戮を繰り返した男ではないですか。
すまぬ、言い過ぎました。中国の無私な迎合主義とでもいいますか、共産党の指導といいますか、どうも俺にはあまり好かんもので…… -
曇り空に向けて天高く聳える黄鶴楼。見栄えしますなぁ。このアングルだと、黄鶴楼がどれだけ高いのか何となくわかってもらえる気がします。
さて、いつの間にかゲットしていた「黄鶴楼の扇」をバックパックにしまいつつ、黄鶴楼景勝地を後にする。 -
「黄鶴古肆」と銘打たれた通り。ここは黄鶴楼の南門傍にある唐代の中国を再現したストリートだ。タイムスリップしたかのような感覚にしばし身を任せる。
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黄鶴楼のすぐ隣には、「辛亥革命博物館」なる観光名所がある。もともとは孫文紀念館とか色々名前が変わったらしいが、現在はこれで落ち着いている。日本人が見てもそれほど面白いものではないかも知れないが、時間も微妙に余っちゃったことだし、入ってみるとするか。
ちなみに20元。正式名称は「辛亥革命武昌起義紀念館」……舌噛みそう。しかもチケットの裏面は武漢市内の業者や学校の宣伝になってるって……これは有効利用というよりただのごっちゃ煮です。 -
都督府跡。築70年の立派な建物だ。中国史をマジメに勉強している人にはここは面白くてたまらない場所なのかもしれないが、かじった程度にしか知らない俺には、何の場所やらさっぱりだ。
なんて言ってると、中国人から「これだから日本の歴史教育はおかしいんだ」なんて言われちゃいますから気をつけよう。というより、日本の若者は本気で歴史の勉強をして頂戴。 -
都督室。西安で八路軍の事務所跡を見た時にも感じたのだが、ベッドちっちゃいな。俺が寝たら完全に脚が出ちゃいますぞ。と言っても赤字という意味じゃないぞ。
-
都督府の中の議事堂。ここで朱徳やら張学良らが熱弁をふるい、対国民党政策や対日政策を打ち出していたのでしょう。張学良は本当に活動範囲が広いな。もともとは東北の瀋陽(奉天)出身なのに、西安に足跡があり、ここ武漢にも足跡があり、更に西南の奥地にも足跡があるんだとか。まぁ中越(越はベトナムの意)同盟の生命線を担ってたりもしたそうだから、そりゃ広くもなるか。
日本が攻め込んだりしなきゃ、学良も小物で終わってたのかもしれないなぁ。 -
孫文の顔像。周囲には中華民国成立や辛亥革命に関わった人々の肖像画などが並んでいる。さすがに孫文は現在の中国のおおもとを作った人だけに、扱いでかいなぁ。
ところで、孫文が一時期日本に留学(亡命?)していた歴史って皆さんは知ってるかな?と同時に、この事実(「日本で」自由な思想を学んだ事)を中国ではちゃんと教えているのかな? -
辛亥革命の様子を表した像が立てられていました。背景はご覧の通り戦場であり、館内には銃声や轟く声などが録音されたテープが延々と流され続けております。何というか……中国のどこにいってもこういう像ってあるんですよ。もう見飽きるくらい。
ところで、皆さん勇ましいですねぇ。 -
これもまた、勇ましいですねぇ。敵陣へ特攻をしかけてるんですかねぇ。
-
おいっ!!!!!!!!!!!!!!
お前は違うだろ、ただつまづいて転びそうなだけだろ?!勢い余り過ぎなんだろ?お願いですからこんな身体の角度で敵陣に突っ込ませないで下さい! -
最後は紀念館正門前にて。左の像は孫中山、つまり孫文の像です。自分は孫中山なんて名前、全く知りませんでした。これを三国志風に解釈するなら「姓は孫、名は文、字は中山」とでもなるのでしょうか。
ここは紀念館にするくらいなら、最初から武漢市政府の議場として使った方が、お金も節約できたし名所として観光の目玉の1つにもする事が出来たんじゃないかと思う。 -
そろそろ出発の時刻なので、武昌駅に戻ってきた。
面白い看板を見つけたのでご紹介。手前は「ペテン師や客引きはお断り」と観光客を保護する内容が書かれている。これならば日本でもたまに見かけるのだが……
後方の看板には「美人局は厳しく取り締まります」と書いてある。何だこりゃ。こんな事まで文章にして晒すのかいな。 -
今回泊まった宿。武昌駅のチケット売り場からすぐのところにあり、アクセスは最高!但しドミトリー。
面白かったのは、中国語で「今回泊まらないのはアンタのミス、次回泊まらないならウチのミス」と入り口に書かれていた事だ。俺はこれでツボにはまってしまった。ようもこう堂々とこのセリフを看板にして置いておけるな、と感心すらしてしまった。
もっとも安い部屋で20元。 -
こんだけモリモリ食べて10元。安い、安すぎるよ中国。駅前の食堂で多少値段が高いとはいえ、お盆いっぱいによそられた米飯とおかずの数々。これだけ食べれば廬山まで何もいらないな。
-
武昌駅の構内。出発までまだ1時間以上(その後出発が延びて2時間半待ちになったが)あるのに、乗客はもうこんなに集まっている。
中国人は何がしたいのかよくわからないが、とにかく先に先に行こうとする。車の運転でもジグザグ走行で車の間を抜けていくのは当たり前だし、信号が赤に変わって減速しているところに後ろから猛スピードで突っ込んできて割り込んだりする。ついでに赤信号無視もかなり一般的だ。電車のチケットでも同じ事で、席が決まっているにも関わらず、改札が開くと同時に猛ダッシュで電車まで走っていくのだ。それをやって何が変わるのか聞いてみたい。 -
さて、電車も到着した。廬山に着くのは夜になるかな。それまでゆっくり寝て、体力を蓄えておこう。多分山歩きになるから……。
時は2006年12月31日。果たしてぱんぱーすは廬山にて無事初日の出を拝む事ができたのか?!
武漢編 完結
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