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今年の大河ドラマの舞台の一つである東信地方。地元では盛り上がりを見せているでしょうか?<br />長い冬も終わり、いよいよ花咲く季節の到来です。昨年は大雪で時期がやや遅かったようですが、果たして今年は?毎年ながら桜の開花予想は難しいですね。今年の旅行計画の参考までに、まずは、戦国の雄・真田氏ゆかりの地での城と桜の競演を紹介します。

春の東信濃路巡り・上田

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2006/04/14 - 2006/04/16

656位(同エリア664件中)

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VAGABONDさん

今年の大河ドラマの舞台の一つである東信地方。地元では盛り上がりを見せているでしょうか?
長い冬も終わり、いよいよ花咲く季節の到来です。昨年は大雪で時期がやや遅かったようですが、果たして今年は?毎年ながら桜の開花予想は難しいですね。今年の旅行計画の参考までに、まずは、戦国の雄・真田氏ゆかりの地での城と桜の競演を紹介します。

一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車
  • 「歴史を旅するロマンのまち(ガイド紹介文より)」上田市にやって来ました。<br />ここは、戦国武将・真田氏の居城だった「上田城」です。歴史にその名を残す名城ですが、詳しい解説は後ほど。まずは夜桜見物をいたしましょう。<br />写真は、上田城址の表玄関、東虎口櫓門(左・一部)と北櫓前の通路です。すでに夜も遅く、シンシンと冷え込んでいるにも、関わらず、多くの見物客で賑わってました。

    「歴史を旅するロマンのまち(ガイド紹介文より)」上田市にやって来ました。
    ここは、戦国武将・真田氏の居城だった「上田城」です。歴史にその名を残す名城ですが、詳しい解説は後ほど。まずは夜桜見物をいたしましょう。
    写真は、上田城址の表玄関、東虎口櫓門(左・一部)と北櫓前の通路です。すでに夜も遅く、シンシンと冷え込んでいるにも、関わらず、多くの見物客で賑わってました。

  • 二の丸橋〜駐車場を経て、東虎口櫓門に向う辺りで、紅枝垂桜が丁度見頃を迎えており、夜遅い時間(22:00頃)にも関わらず、大勢の見物客で賑わってました。 櫓下の堀端には沢山の光源が、根元から桜全体を浮かび上がらせるように、ビッシリと配置されてました。 <br />ちなみに、この照明デザインを担当されたのは、以前、門司港レトロ訪問時に紹介した石井幹子さんです。上田城のライトアップは、まだ設計途中(?)だそうで、平成20年に完成する予定なのだとか。最終的にどんな作品に仕上がるのか楽しみです。

    二の丸橋〜駐車場を経て、東虎口櫓門に向う辺りで、紅枝垂桜が丁度見頃を迎えており、夜遅い時間(22:00頃)にも関わらず、大勢の見物客で賑わってました。 櫓下の堀端には沢山の光源が、根元から桜全体を浮かび上がらせるように、ビッシリと配置されてました。
    ちなみに、この照明デザインを担当されたのは、以前、門司港レトロ訪問時に紹介した石井幹子さんです。上田城のライトアップは、まだ設計途中(?)だそうで、平成20年に完成する予定なのだとか。最終的にどんな作品に仕上がるのか楽しみです。

  • 本丸背後のお濠です。一直線に長く桜並木が続くこの場所からの眺めは、観光パンフレットの写真に使われてますので、見たことがある人も多いのでは。<br />残念ながら、花の開き具合は、2〜3分咲きと言った程度。蕾の方が多かったです。

    本丸背後のお濠です。一直線に長く桜並木が続くこの場所からの眺めは、観光パンフレットの写真に使われてますので、見たことがある人も多いのでは。
    残念ながら、花の開き具合は、2〜3分咲きと言った程度。蕾の方が多かったです。

  • お堀を2/3ほど廻った地点です。 <br />土塁の角が削られて丸く、なだらかになっています。 <br />この辺りは本丸の北東、いわゆる「鬼門」にあたりますので、恐らく鬼門封じとして切り欠きをしたものと思われました。 <br />この日の夜は、非常に冷え込んでましたが、無風状態でお堀の水面が鏡のように穏やかだったため、ほぼ満開の枝垂桜が綺麗に映り込んで、幻想的な光景を見ることができました。

    お堀を2/3ほど廻った地点です。
    土塁の角が削られて丸く、なだらかになっています。
    この辺りは本丸の北東、いわゆる「鬼門」にあたりますので、恐らく鬼門封じとして切り欠きをしたものと思われました。
    この日の夜は、非常に冷え込んでましたが、無風状態でお堀の水面が鏡のように穏やかだったため、ほぼ満開の枝垂桜が綺麗に映り込んで、幻想的な光景を見ることができました。

  • 翌朝、あらためて見物に出掛けました。<br />昼間の上田城址入口付近(北櫓下)の桜の様子です。 <br />お日様の下で見ると、紅枝垂の色が一層鮮やかに見えます。(贅沢を言えば、青空だったらもっと良かったのですが) 欄干に座ると、丁度、顔の高さで花を撮影できるので(写真、御夫婦が映っている場所)親子、カップル問わず、記念撮影で大盛況でした。

    翌朝、あらためて見物に出掛けました。
    昼間の上田城址入口付近(北櫓下)の桜の様子です。
    お日様の下で見ると、紅枝垂の色が一層鮮やかに見えます。(贅沢を言えば、青空だったらもっと良かったのですが) 欄干に座ると、丁度、顔の高さで花を撮影できるので(写真、御夫婦が映っている場所)親子、カップル問わず、記念撮影で大盛況でした。

  • 真田昌幸(信幸、幸村の父)が築いたこの城は、現存する中では数少ない「実戦経験を持つ城」として知られています。難攻不落を誇り、徳川家の大軍を二度も撃退したことから、真田氏の勇名とともに、その名を全国に轟かせました。 中でも、二度目の徳川軍との合戦では、豊臣方との決戦のため、関ヶ原へと向う徳川家の本隊を足止めし、後の2代将軍・秀忠に天下分け目「関ヶ原」に遅参、という大失態を演じさせたという、歴史に残る快挙(?)も成し遂げています。 その時の恨みでしょうか、関ヶ原の後、真田氏の築いた城郭は徹底的に破壊されてしまいました。現存する3つの櫓を初めとする遺構はいずれも、その後入城した仙石氏の手によるもので、現在の城址もオリジナルと同じ場所だったかも定かではないのだとか。<br />それでも、城址内には真田氏を偲ばせる物も幾つか残されていました。その内の一つ、「真田石」と呼ばれる写真中央の巨石は、北櫓(枝垂桜と一緒に映っている建物)の石組み部分にあって、お家断絶を免れた真田信幸(東軍についたため)が、松代藩へ移封するにあたって、持って行こうとしたところ、この場所からビクとも動かなかった、という伝説が残されているものです。

    真田昌幸(信幸、幸村の父)が築いたこの城は、現存する中では数少ない「実戦経験を持つ城」として知られています。難攻不落を誇り、徳川家の大軍を二度も撃退したことから、真田氏の勇名とともに、その名を全国に轟かせました。 中でも、二度目の徳川軍との合戦では、豊臣方との決戦のため、関ヶ原へと向う徳川家の本隊を足止めし、後の2代将軍・秀忠に天下分け目「関ヶ原」に遅参、という大失態を演じさせたという、歴史に残る快挙(?)も成し遂げています。 その時の恨みでしょうか、関ヶ原の後、真田氏の築いた城郭は徹底的に破壊されてしまいました。現存する3つの櫓を初めとする遺構はいずれも、その後入城した仙石氏の手によるもので、現在の城址もオリジナルと同じ場所だったかも定かではないのだとか。
    それでも、城址内には真田氏を偲ばせる物も幾つか残されていました。その内の一つ、「真田石」と呼ばれる写真中央の巨石は、北櫓(枝垂桜と一緒に映っている建物)の石組み部分にあって、お家断絶を免れた真田信幸(東軍についたため)が、松代藩へ移封するにあたって、持って行こうとしたところ、この場所からビクとも動かなかった、という伝説が残されているものです。

  • 本丸跡に設けられた真田神社境内にあった井戸「真田井戸」です。 <br />解説板によると、この井戸は城の裏手にある太郎山中の砦とつながっていて、将兵や兵糧が自由に行き来できたらしい、とのことでした。 <br />上から中を覗いて見ましたが、問題の抜け道は確認できませんでした。真偽のほどはともかく、謀略に長けた真田氏ならば、あながち噂ではないかも、とつい思ってしまいます(笑)

    本丸跡に設けられた真田神社境内にあった井戸「真田井戸」です。
    解説板によると、この井戸は城の裏手にある太郎山中の砦とつながっていて、将兵や兵糧が自由に行き来できたらしい、とのことでした。
    上から中を覗いて見ましたが、問題の抜け道は確認できませんでした。真偽のほどはともかく、謀略に長けた真田氏ならば、あながち噂ではないかも、とつい思ってしまいます(笑)

  • 城から戻る途中、空掘となっている外濠跡にかかる二の丸橋の上を通りました。<br />ここは、かつて上田丸子電鉄真田傍陽線が走っていた場所です。1972年2月に廃線となりましたが、公園下停留場のホーム跡は今も濠の中に残されていました。左側に紅葉やけやき、右側に桜並木が続き、春、秋それぞれに、訪れる人の目を楽しませてくれる場所です。肝心の桜はまだ蕾が固く、満開になるのはまだまだ先のようでした。

    城から戻る途中、空掘となっている外濠跡にかかる二の丸橋の上を通りました。
    ここは、かつて上田丸子電鉄真田傍陽線が走っていた場所です。1972年2月に廃線となりましたが、公園下停留場のホーム跡は今も濠の中に残されていました。左側に紅葉やけやき、右側に桜並木が続き、春、秋それぞれに、訪れる人の目を楽しませてくれる場所です。肝心の桜はまだ蕾が固く、満開になるのはまだまだ先のようでした。

  • 二の丸橋から上田市役所前を通り、かつての大手門跡付近で左折して北へ向うと、ポツポツと昔ながらの白壁の建物が道沿いに出てきます。さらに進んで川を渡った辺り、古い家並が続く場所へ到着しました。 <br />ここは、旧北国街道の上田宿の面影を残す「柳町」です。 <br />旧北国街道は中山道・追分宿から分岐して、信州を横断しながら北陸道高田へと続く全長140kmの道。北陸地方と関東方面を結ぶ重要な街道で、佐渡金山からの金の輸送、加賀の前田藩はじめ北陸諸藩の参勤交代の通路、関東と北陸の物資の輸送路、善光寺参拝の信仰の道として利用されました。現在では国道18号線に沿う形で、断片的に残されています。 <br />上田市内の旧街道沿いでは、柳町の他にもかつて茶屋、鋳物師が鍋釜を作り商いをしていたという商家町の風情を残す「常田の通り」や大名行列が通過した立派な家並みの残る「塩尻の通り」など、幾つかの通りに、城下町として、また宿場町としての面影を偲ぶことができます。

    二の丸橋から上田市役所前を通り、かつての大手門跡付近で左折して北へ向うと、ポツポツと昔ながらの白壁の建物が道沿いに出てきます。さらに進んで川を渡った辺り、古い家並が続く場所へ到着しました。
    ここは、旧北国街道の上田宿の面影を残す「柳町」です。
    旧北国街道は中山道・追分宿から分岐して、信州を横断しながら北陸道高田へと続く全長140kmの道。北陸地方と関東方面を結ぶ重要な街道で、佐渡金山からの金の輸送、加賀の前田藩はじめ北陸諸藩の参勤交代の通路、関東と北陸の物資の輸送路、善光寺参拝の信仰の道として利用されました。現在では国道18号線に沿う形で、断片的に残されています。
    上田市内の旧街道沿いでは、柳町の他にもかつて茶屋、鋳物師が鍋釜を作り商いをしていたという商家町の風情を残す「常田の通り」や大名行列が通過した立派な家並みの残る「塩尻の通り」など、幾つかの通りに、城下町として、また宿場町としての面影を偲ぶことができます。

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