2004/09/24 - 2004/09/27
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みとさん
観光編に続き、歴史中心の旅行記です。2004年は大河ドラマの新撰組が放映されていて、便乗して行って来ました。テーマは「土方歳三を偲ぶ旅」です。あとお城めぐりが趣味なのでお城(館)跡も巡っています。解説文は主に現地の案内板を参考にしました。
※良かったら観光編も見てください
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ JR特急 私鉄
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松前藩戸切地陣屋跡(国史跡)
【住所】北海道上磯郡上磯町野崎
【遺構】空堀、土塁
道南の平野を一望できる要地に所在した松前藩の西洋式築城法による陣屋の跡です。確かに四稜郭みたいです。
当時あったとされる17棟の建物は松前藩の藩士と旧幕府脱走軍との戦いの戦火により消失。 -
松前藩戸切地陣屋跡の門。
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館城跡(国史跡)
【住所】北海道檜山郡厚沢部町字城丘
【遺構】礎石、井戸跡など
松前藩最後のお城。天守閣は無く、陣屋形式の建物がありました。
着工から完成まで約2ヶ月、着工後わずか75日で旧幕府脱走軍の攻撃を受け、落城。 -
館城跡は、公園として整備されていますが、その敷地内にあった時計台のようなもの。
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館城跡へ向かうと、この門が迎えてくれます。
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「開陽丸青少年センター」にある開陽丸(復元)
オランダの木造蒸気帆船で、幕府最強の戦艦でしたが、あえなく沈没した船です。 -
洲崎館跡。
【住所】北海道檜山郡上ノ国町
【築城者】武田信広
現在は砂館神社になっていました。 -
上之国花沢館跡(国史跡)
【住所】北海道檜山郡上ノ国町勝山
【築城者】蠣崎季繁
山城で、台地に続く後ろ側に堀切を築いて防御施設としています。
コシャマインの戦いでは蠣崎季繁の養子、武田信広が戦いを挑み勝利をおさめています。 -
上之国勝山館跡(国史跡)
【住所】北海道檜山郡上ノ国町勝山
【築城者】武田信広
松前藩祖の武田信広の埋蔵金伝説が伝わるお城。
整備されて、柵などが復元されていました。
墳墓群もあり、信広とその一族の墓もあると思われるそうです。 -
勝山館の復元された柵。
景色もきれいです。 -
比石館跡
【住所】北海道檜山郡上ノ国町石崎
【築城者】厚谷重政?
道南十二館の一つで、コシャマインの戦いで落城したお城。
奥の方に館神社があります。
何かに注意する必要があります。
(行った方はわかります) -
松山城(福山城)(国指定史跡)
【住所】松前郡松前町字松城
【築城者】松前崇広
昨年2006年に築城400年を迎えた松前城。
日本で最後の日本式城郭です。
天守は1949年焼失。1961年に再建。内部は資料館となっています。
写真左側の本丸御門は国指定重要文化財です。 -
松前城敷地内にある本丸表御殿玄関。
この表御殿玄関は1982(昭和57)年まで小学校の正面玄関として利用されていたそうです。 -
松前藩屋敷跡
北海道(蝦夷地)の城下町は松前のみです。箱館戦争で多くの建物が消失したため、その当時の面影を残す建物を再築しているそうです。 -
松前藩主松前家墓所(国指定史跡)
松前藩の祖、武田信広を含む19代の歴代藩主とその妻子などの人たちが埋葬されている墓所。 -
茂別館跡(国指定史跡)
【住所】北海道上磯郡上磯町字矢不来
【築城者】安東盛季
道南十二館の一つ。
コシャマインの戦いで、花沢館とこの茂別館が落城しませんでした。
茂辺地川左岸の丘地の南端に位置し、大館、小館に分かれています。
暗くて見れませんでした。 -
志苔館跡(国指定史跡)
【住所】北海道函館市志海苔町
【築城者】中世の和人豪族(小林重弘?)
道南十二館の一つ。
アイヌの蜂起により落城。
土塁が良く残っています。
コシャマインの戦いにより戦死した方々(和人、アイヌ)の慰霊碑があります。 -
南部陣屋跡
【住所】北海道函館市元町
【築城者】南部藩?
詳細はわかりません。すみません。
でも、石垣が良く残っていました。 -
宇須岸河野館跡
【住所】函館市元町
【築城者】河野政通
道南十二館の一つ。
コシャマインの反乱により衰退した箱館ですが、
再び繁栄し、1802年には幕府がこの地に
箱館奉行所を設置しました。
その後も北海道庁函館支庁庁舎となるなど、
この地は函館の行政の中心地でした。
特に主だった遺構があった記憶がありません。 -
ペリー提督の像。
日本と和親条約を結んだペリーは1854年に開港予定の函館港の下見に船で訪れ、この来航が契機となり五稜郭が築造されることになったほか、開港場として欧米文化の影響を受け函館市が国際都市として発展する礎となりました。 -
函館四天王像
左から
今井市右衛門:北海道で最初の新聞社を作る。私財を投じて福祉事業や鶴岡学校を創立した。
平田文右衛門:函館の呉服太物商。四天王の功績の多くを主唱し、計画・実行した。
渡邉熊四郎:金森洋物店を開き、貿易に貢献した。また、巨費を投じて函館病院を再建した。
平塚時蔵:公共事業に尽くし、慈善活動に貢献した。四天王の一人として後輩の育成にも力を尽くした。 -
四稜郭跡(国指定史跡)
【住所】北海道函館市陣川町
【築城者】大鳥圭介
五稜郭を援護する支城として五稜郭の北約3kmの丘陵に築城。航空写真で見ると形が良くわかります。
新政府軍の攻撃により落城。残兵は五稜郭に撤退しました。 -
四稜郭の土塁
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五稜郭タワーから見た五稜郭の半月堡
半月堡は他の場所にも作られる予定でしたが、財政難で1つのみなりました。 -
五稜郭タワー内にある土方歳三の胸像
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五稜郭タワーの近くにあった土方歳三の銅像。
カッコイイです。 -
箱館戦争供養塔
この塔の所に土方の銅像もあります。 -
五稜郭(国指定史跡)
【住所】北海道函館市五稜郭町本通1丁目
【築城者】江戸幕府
武田斐三郎の設計で守備の際の死角をなくすために西洋式の築城法を取り入れて作られました。
箱館戦争では、大鳥圭介、土方歳三らが占領し、蝦夷共和国を樹立しましたが、新政府軍に敗れ、明け渡されました。戊辰戦争最後の戦いの地です。
兵糧庫や箱館奉行所の玄関など見所がたくさんです。
私が行った頃は特別展「士道〜新撰組と箱館戦争〜」が開催されていました。 -
五稜郭の武者返し(上段)
石垣の上に板石を張り出して、敵兵の進入を防ぐ役割を持っています。 -
啄木小公園の石川啄木像
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土方・啄木浪漫館の土方歳三函館記念館にある
土方歳三・終焉の像 -
土方歳三の愛刀。長刀「兼定」と脇差「国廣」
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土方歳三最期の地
明治2(1969)年5月11日、箱館が新政府軍の手に落ち、土方は箱館奪還を目指して50名の兵を率い、ここ一本木関門から箱館市中へ猛然と切り込んで行きました。時に35歳、若き獅子は銃弾を浴び、波乱の人生を閉じました。
土方ファンは必ず訪れて欲しい場所です。 -
「伊能忠敬、北海道最初の測量地」碑
全国を徒歩で測量し、正確な日本地図を作成した伊能忠敬。尊敬する人物の一人です。 -
碧血碑
箱館戦争の際、官軍と戦った新撰組の土方歳三ら旧幕府軍の戦死者約800人の霊が祭られています。
碑の題字は、当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書だといわれています。 -
「北海道第一歩の地」碑
北海道の地を踏むものがその第一歩を印した地です。
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