2006/07/13 - 2006/07/13
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night-train298さん
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2006「北の道」巡礼日記-1
今年の巡礼が終わって、二ヶ月以上経とうとしている。
今ようやく、この巡礼を振り返ることができるは、時間とその後も続いたミニ巡礼、そしてブリテン、アイルランドへの旅に癒され、あの巡礼の深さを、ようやく感じはじめたからかもしれない。
今回の巡礼が、肉体的に格別厳しい道だったというわけではない。
たしかに、連日のように目の前に立ちはだかる山を超え、海岸のある町まで一気に下って、また這い上がる・・・このくり返しであった今年の道は、距離の割には時間がかかるものだったし、誰もが肉体的に厳しい道だと言っていた。
しかし体力的にきつそうでも、歩き終えてシャワーを浴び、ビールでも飲めばその疲れは吹き飛んでしまう。
去年歩いた暑さと咽の乾きに喘いだ過酷な「銀の道」よりは、よっぽど楽だったのである。
一人で、誰にも会わないような山での歩きは、恐怖がなかったわけではないが、山あり海あり、そして緑の多さに心を奪われ、その景色の良さは今までの巡礼のなかでも格別なものだった。
道はIrunから始まり(どこから始めても良い)バスク、カンタブリア、アストゥリアス、ガリシアを通るコースであり、そのどれもが海に面し、雨の多い北部の沿岸である。すなわち、緑の多い、グリーン・スペインと言われる地域なのである。
この三度目の巡礼も、サンティアゴを目指すものであるが、過去の二回と全く違う「道」だった。
つまり、三つの道は、全く別の表情を持ち、別のメッセージをくれたのであった。
今回の道では、自分と深く向き合う旅だったと言えるだろう。
そこでは、一日中山道を、一人黙々と歩く時、大勢の仲間と歩く時、その双方の楽しさを満喫し、同時に普段味わうことのない孤独にも対峙することになる。
また、今回は大きな分かれ道があり、その選択に迷い、その下した決断が正しかったのか確信できないまま、サンティアゴに到着してしまうという、迷える道でもあった。
巡礼用語集:スペイン語でないと伝えにくい部分には、以下の用語を使用していますので、解説です。
オラ:スペイン語のカジュアルな挨拶。英語の「Hello」と同じ。
カミーノ:ここでは、巡礼路の意味に使う。(旧道、田舎道)
クレデンシャル:巡礼許可証。ここに、宿泊した宿のスタンプを押してもらうことで、歩いて巡礼したか後にチェックし、最終的な巡礼をした証明書をもらえる。これがないと、原則として、巡礼宿には泊まれない。
アルベルゲ:巡礼宿。山小屋などもそう呼ぶようで、今回は、ホームレスのアルベルゲという言葉も聞いた。平均5ユーロ程度。ベッドがあるだけなので、寝袋が必要。シャワー、トイレ、キッチンなどもある。(キッチンはないところもあり)
カルテラ:舗装された一般路。
bar:バルと発音する。スペインのbarは、場所によっては早朝から開いていることもあり、朝食から夕食まで食べられる。レストランよりはカジュアルな内容だが、小皿料理のタパスやピンチョス、サンドウィッチなど出してもらえる。食べ物がないbarもあり、そこではポテトチップやオリーブ、ピクルスなどがある。飲み物は、本格的なアルコール類が揃っており、ワインやビールが親しまれている。
ソフトドリンクもあり、フレッシュオレンジジュースのマシーンが用意されているbarも珍しくない。
コーヒーや紅茶、ハーブティー、ココアも必ず用意されている。
ここでは、[bar]と表記したが、視覚的にわかりやすいためである。
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Estellaの町
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犬を連れて巡礼をする
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サンドラとベレンがバス・ステーションまで送りに来てくれた
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7月13日(木)Irun
私はEstella の巡礼宿にいた。
Estellaの町はカミーノ・デ・サンティアゴの王道「フランスの道」の上にある。
この巡礼宿で10日ほど、ボランティア活動をしていたのだ。
巡礼宿でのボランティアと言っても、私が世話をしたのは巡礼者ではなく、その施設にやってくる障害者の世話が主な仕事であった。
その仕事も、彼らが行う巡礼者の受付作業を見守ったり、簡単な食事を作ったりするだけで、あとは彼らと仲良く話をするのが主な仕事であった。
実際は、障害者と言われる彼らがいかに純粋で、まっすぐな生き方をしていることを教えてもらったのだった。
最後のこの日は私の他に、英語が得意なバレンシアのサンドラと、前日から入ってきた引き継ぎのビルバオのローリー、そして障害を持っているベレンがいた。
この朝は早朝から目覚めることになる。
イタリア人二人、フランス人一人の三人グループが、小犬をつれて巡礼をしているからだ。
彼らは巡礼路上で、この小犬を拾い、段ボールの中に入れ、リュックの上にこの段ボールを乗せて歩いているのである。
かなりの重労働の上、犬が夜中に鳴き出す心配もあり、前途多難な旅をしていた。
その犬が、朝からぐずっていたのである。
私とローリーは早々に起きて、犬の面倒をみ、彼らが出ていくのを見送った。
さあ、今度は私が出て行く番である。
バスターミナルへは、ベレンとサンドラが見送りにきてくれた。
Estellaの町は手ごろな大きさで、毎週木曜には市場が立ち、商店の数も多く、教会や修道院など、みどころも多い町である。
滞在中は自由時間も多かったので、町中を歩いたものだった。
なのに、私はなんの未練もなくこの町を出るには、理由があった。
この日に、いよいよカミーノ・デ・サンティアゴの「北の道」(Camino del Norte)のスタート地点へ向かうのであった。
今回の道はフランス国境のIrunから始まり、サンティアゴまでは、約850kmの道のりと言われている。
何と言っても楽しみは、「海を見ながら歩く道」。まだ見ぬスペインを味わうことができるのではないかという期待が大きかった。
去年の「銀の道」で苦労した自分へのご褒美の「道」のように、途中の景色や歩くことを堪能できる、海あり、山ありの素敵な『道』に思えたのだ。
また、過去二回の巡礼と大きく違うのは、時間的な余裕があったこと・・・・・・・
しかし、計算が苦手の私がすぐに直面したのは、実は「時間がない」(あれ?)ということだった。
この巡礼の後には、また別の巡礼宿でのボランティアが控えていた。
ガイドブックを見ると、32日とあるので、単純に数えると、その通りに歩いてサンティアゴに一泊するだけで、いっぱいいっぱいなのである。
しかし、ふたたびよ〜くガイドブックをめくって見れば、一日40km以上歩く日も含まれているのである。
つまり、最初から気を引き締めて歩かなければ、約束の日に間に合わないということになっていたのである。
さて、巡礼の出発地点のIrun行きのバスはひたすら緑の中を走る。
これがバスクなのだ。
緑深い山の中に、うずまるようなたたずまいの一軒家が見える。
途中は霧に包まれながらも、バスは緑の中を、ひた走る。
Irunの町は、今年はすでに,二度ほど来ていた。
Estellaに行く前日も、この町の巡礼宿(以下:アルベルゲ)に一泊していた。
アヴィニョンから巡礼宿があったEstellaに行くまでに、一泊する必要があったからだ。
ここはスペインとフランスの国境であり、二国を結ぶ日に数本程度の列車か、短い区間だけを走る、ローカルな路線しかないため、いまだに接続が不便なのである。
すでにその時に作った巡礼証(以下:クレデンシャル)があり、押してある印によれば、10日前の7月4日に宿泊している私が、今日、再びここに滞在するのは、巡礼者として不自然でもあった。
しかし、ここの管理人フィリスおじさんは、実に柔軟に対応してくれ、明日の日付けである14日からということにするため、4の左となりに数字の1を書き足してくれたのであった。
これで私のクレデンシャルは、みごとに完成した。
お昼過ぎに着いた私は、barでビールを飲みながら、タパスをつまんでいた。
巡礼の一日目というのは、特別なものである。
いったいどんな旅になるのか・・・・。
そしてどんな出会いがあるのか・・・・・。
去年のように、誰にも会わなかったら淋しいだろうなぁ。
私があてがわれた4人部屋のアルベルゲの一室は、すでに先客が一人いるようだった。
置き去りにされた持ち物からすると、大柄な男性のようだ。
部屋に居ると、今到着したばかりの男性が入ってきた。
好青年のようである。
私は、去年の教訓を生かし、すぐに友達になることにし、早速携帯電話やメールアドレスを交換した。
その人は、名前をマティウスと言い、マヨルカ島からやってきた。
迷子になった時のためでもあり、朝、薄暗いうちから出発する場合の道案内として、彼をキープ(?)しよう。
そこに大声で、フィリスおじさんと話ながら部屋に入ってきたおじさんがいた。
思った通りの大男だった。
名前をアルベルトと言い、絵描きだと言っていた。
私たちは互いに自己紹介をし、barにくり出すことにした。
ちなみにフィリスおじさんにしても、マティウスにしても、このアルベルトにしても、スペイン語オンリーだった。
アルベルトは、相当な大酒飲みのようで、最初の一杯をごちそうしてくれた。
豪快に笑う彼は、巡礼というよりは、山で生活をするキコリのように見えた。
フィリスおじさんもやってきて、すっかりこの二人は意気投合しているようであった。
私はマティウスと別の席を取り、明朝の、一番最初の歩きだけ、お供させてもらうように頼んだ。
マティウスは、まじめそうな好青年で、人畜無害。歩きもしっかりと地図を見て、信頼できそうな気がしていた。
私が用意したガイドブックは、去年の巡礼後、サンティアゴの書店で購入したものである。
その本はスペイン語であるため、私は地図の部分だけをコピーしてもってきている。
彼らスペイン人は、文字の力も借りて、歩くことができるので、よっぽど私よりインフォメーションが多いのである。
とりあえず私には、この地図だけで充分なのであるが、朝、町を出る時には、説明書きがモノを言う。また、暗いうちの出発となると、地図だけでは心もとない。
つまり、早朝だけは、ガイドを持っているスペイン人にくっついて歩くのが、間違いのない方法なのである。
今回の巡礼路には、大きな分かれ道がある。
今までの道にもいくつかの小さい分かれ道があったけれど、今回のものは、全行程の約半分の地点(Gijonの手前)で、二手に分かれて、それぞれの道はサンティアゴの直前まで合流することはない。
どちらも最初は海沿いに歩いて行くのだが、「Camino de la Costa]というコースは、海岸沿いを長めに歩き、最後にサンティアゴに向けて下っていく。
もう一つの道は、その分かれ道から、海辺より遠ざかって、ぐんぐん山の中に入って行き、サンティアゴに向かう「Primitibo」というコースである。こちらはその名前の通り、一番古い、オリジナルな道なのである。
私が去年買ったガイドブックは、「Primitibo」のコースしか載っていなかった。
しかし日本を発つ前から、どうも道は二手に別れるということを知って、自分はどちらの道を歩くのだろうかと考えていた。
いずれはどちらかに決めないといけない課題であった。
その時点での気分や、情報によって決めればいいと思っていた。私の場合は、全くどちらにもこだわりがなかったので、良い仲間に出会ったら、彼らについていけばいいだろうと考えていた。
さっそくマティウスに聞いてみた。
彼は迷いもなく、la Costa(海沿い)だと言う。
そして、インターネットからでしか入手できないというガイドブックを見せてくれた。
私はそれを見た時から、すでに心はla Costaへ向いていた。
私は海が好きなのだ。
そのために今回は、水着と浮き輪までしっかり用意してある。
この本をなんとか入手したい。
そして、海で泳ぎまくりたい・・・・・・・。
宿に戻ると、マティウスは早速、マヨルカの家族に電話をし始めた。
飛行機で来たらしいが、まだ昨日別れたばかりの両親や姉と話をしているようである。
彼は病院の事務をしている36歳。オジサンぽくはないが、もう立派な大人である。
今日あったこと全てを報告しており、日本人と知り合いになったとも言っている。
その話しぶりも丁寧で、少々滑稽に見えなくもなかったが、とりあえずきちんとた印象を受けた。 -
降り立ったバス停です
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これはローカル列車のエツコ・トレンの入り口です。フランス側にも行けます
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まずは一杯!
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左手前がフェリスおじさんです。回りにいるのは地元の人たち
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これがIrunのアルベルゲの部屋です。
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