2007/01/26 - 2007/01/29
9327位(同エリア11995件中)
悠太郎さん
初海外で香港経由の一月半の中国旅行から、19年。発展著しい
上海へ。いつも行きたい目的地の上位にありながらも、今まで再
訪できないでいた大都会。今回はHISの初夢フェアという参加人数
限定の現地自由滞在型AIR+HOTELの格安ツアーに参加しました。
飛行機はJALで、ホテルはザ・リージェント・シャンハイ。
ホテルは05年11月に出来た5つ星のホテル。中国の5つ星というこ
とで、割り引いて考えていましたが、実際にはかなり良かったで
す。ただタクシー・ドライバーには少し分かりにくい番地だったら
しく、一度も最短距離ではホテルに到着しなかったです(料金は
初乗り料金だったので、問題はなかったですが)。
3泊4日の旅でしたが、現代上海を充分堪能できました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
格安ツアーのため夕方遅く上海に着き、ホテルへチ
ェックイン。このようなツアーは初めてなので、チェ
ックインまで、現地係員がやってくれるなんて、初体
験。初日はホテルでゆっくりとしました。二日目(実
質的初日)は取りあえず4トラベルで教えていただい
た番号のバスで終点(人民広場)まで行きました。そ
こには博物館がありました(短期日程なので中には入
りませんでした。)。これがその博物館の外観です。 -
人民広場にて太極拳をする人たち。朝の8時少し過ぎ
だったので、この光景が見れました。 -
上海市役所。ここから数名の国家主席が誕生してい
るのですねぇ。いわゆる上海閥。。。 -
とりあえず、昔も見た和平飯店。今も目だっています。
-
外灘の建物。
-
外灘からの風景。昔はこんなに高いビルはありませ
んでした。 -
光り輝く黄浦江。クルーズの船にて。
-
上海大廈。19年前はこれがとても大きな建物に感じました。
-
外灘の遊歩道。
-
昔は無かった車専用車道。
-
クルーズ船にて。
-
有名な金茂飯店。かなり目立っています。
-
金茂飯店のバーcloud9からの風景。
-
金茂飯店の隣に建設中の高いビル。金茂飯店より高
い建物になるような感じ。 -
金茂飯店から東方明珠塔を見下すと。。。
-
東方明珠塔を正面から。江沢民氏の書になる記念碑が。
-
上海では、日本旅行案内の旅行会社があったりする。
岡山旅行とは日本人でもした人は少ないのでは(住んでいらっしゃる方、申し訳ありません。)? -
夕方の南京東路。何だか旅愁を感じます。
-
同じく、南京東路。
-
同じく、南京東路。
-
豫園近く。
-
豫園近く。
-
豫園近く。
-
豫園。
-
有名な南翔饅頭店。
-
南翔饅頭店の一階テイクアウト・コーナーでのパフォーマンス。
-
小龍包。
-
豫園入り口の記念碑。
-
ここにも江沢民氏の書の篆刻が。。。
-
3つ爪の龍が。普通は5つ爪のはずが、皇帝に気を使って。
-
豫園内の有名な建物。接着剤やセメントの無い時代
に、もち米を使って接着をしたとの事。 -
地面に掘られた開運のレリーフ。
-
壁に透かし彫りされたレリーフ。
-
金翔鳥あるいはガルーダの屋根飾り。
-
夜の豫園商城。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- こまちゃんさん 2008/02/25 02:53:51
- 歴史探訪
- 88年から07年へ。
前にも見せて戴きましたが、再度改めて拝見させて戴きました。
過去から現在へ移り変わろうとしている瞬間、それを誰もが知らずにいる。
って感じですね。
中国は急激に色々発展し、それも一つの過程なんでしょうけど、文物だけは
手つかずで残して欲しいですよね。
官僚が訪れると、こう言う事もするから厭ですね。
どういう事かというと、この犬…いえ、江○民の書が残された石の場所、
元々は、豫園由来が書かれたモダンなパネルが置かれていたんです。
英語と併記でしたし、歴史探訪旅行者には、かなり便利なモニュメントでした。
中国では、官僚がやって来て「書を残す」と言うと、残された側はどこかに掲げなければなりません。必要ないと思う人よりも、大きい人で有ればある程、誰しも受けた側も掲げたがるんですね…。
江○民は、残したがる人間で有名で、他人の迷惑省みず書いて残して行きます(と言うか、そうする事で誰かが困ると言う事に気付いてない。こう言う人間が一国を仕切っていたと思うと冷や汗です)。
名勝地で、有名書家に大枚叩いて描いて貰った書画を格好良く掲げ、全て準備OKで開業した所、やって来ました江○民。案の定「書を残す」となりまして、管理側は困ってしまいました。そう、既に掛けた看板を、変更せざるを得なくなるからです。
サブで良いじゃないか・・・と思うかも知れませんが、彼は失脚していません。今も幅を利かせて居る人物ですから、臍を曲げられては大変です。
…と言う事で、先に掛けたタイトルは下げられ、上手くもない彼の字を掛けなければなりません。こう言う話し、ホント少なく無いんです。
裏で担当者達が嘆いています。
ハードの発展の割りには、官僚達の頭は60年代。新しい事をするには、古株人間が消えなければ出来ないと言うのが実状です。
温家宝と胡錦涛は、本当に大変だと思います。17大会で、江の息が掛かった連中を隠居させられなかったですからね。
あ、ちょっと泥臭い書き込みで済みませんでした。(^^ゞ
お口直し:
豫園の地面にあるレリーフですが、当時の古くなった瓦や割れた食器などを埋め、模様にして出来ています。内院の入り口付近には、食器ばかりで出来た鳥類などのレリーフがありますが、450年位の歴史があるので価値があるかと考えますけど、惜しげもなくみんなに踏まれております。(^^;
こま
- 悠太郎さん からの返信 2008/02/27 21:06:19
- RE: 歴史探訪
- こまちゃん、
豫園と東方明珠塔で、でかでかと掲げてありました。なんでって思ったも
のです。上海閥だから、記念に位に思っていたのですが、そんな背景がある
のですね。古い人達が去らなければ、改革できないなんて。。。
昔の中国の写真、どこかにまだ沢山あるはずなんですけど、今のところ発
見されていません。。。
僕も久しぶりに見ました。旅していた当時の息吹は、今でも胸の奥にあり
ます。色あせないですね。自分の経験は。
-
- こまちゃんさん 2007/02/04 16:27:31
- おかえりなさい
- 画像、凄い角度からのショットですね。
馬頭の辺りかもうチョイ先か。
全然違っているでしょう。
こまが初めて訪れたのは14年前。それでも全く別物になりましたから。
浦東なんてテレビ塔もなかったし、碧くてガラズ張りのビルだけでした。
今、上海のタクシー、ビルの名前や広場(plaza)の名前だけでは、
全然判らないと言っております。
必ず「何々路-何々路」と、交差点を告げなくてはいけなかったりします。
あと、新参の運転手は、殆ど外地人らしく、道もろくに覚えていないって
言う人もいます。(~~;
他の画像もお待ちしております!(催促じゃないですよ〜)
こま
- 悠太郎さん からの返信 2007/03/16 18:56:58
- かなり遅くなってしまいましたが、アルバム作成してみます。
- 19年ぶりの上海はとても変っていて、好奇心をそそられました。
しばらくは、お金と暇があれば、上海及び江南地方を訪れてみようかな、
なんて気分がしています。
他にソウルが好きなんですが、しばらく置いておいて上海周辺を見て
廻りたいです。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
35