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 ポーランド南西部、シレジア地方の中心都市ヴロツワフ。ワルシャワからクラクフにかけてのポーランドの黄金観光ラインから全くかけ離れた位置にあるこの都市は、未だ日本では馴染みが無い。<br /> その郊外に建つ巨大な鉄筋コンクリート製による複合施設、ハラ・ルドヴァ。異様な存在感を放つドイツの置き土産。

世界遺産旅行記【8】ヴロツワフの百周年記念会館

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2004/01 - 2004/01

145位(同エリア149件中)

2

5

漣

漣さん

 ポーランド南西部、シレジア地方の中心都市ヴロツワフ。ワルシャワからクラクフにかけてのポーランドの黄金観光ラインから全くかけ離れた位置にあるこの都市は、未だ日本では馴染みが無い。
 その郊外に建つ巨大な鉄筋コンクリート製による複合施設、ハラ・ルドヴァ。異様な存在感を放つドイツの置き土産。

交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー
航空会社
アエロフロート・ロシア航空

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  •  クラクフから列車で数時間。淡々と続く平原に飽き始めた頃、目の前に開けた久し振りの大都市の風景。<br /> 事前にガイドブックで調べたが一切所在位置の知れなかった百周年記念会館、通称ハラ・ルドヴァ。<br /> 仕方ないのでタクシーで向ってもらうことに。

     クラクフから列車で数時間。淡々と続く平原に飽き始めた頃、目の前に開けた久し振りの大都市の風景。
     事前にガイドブックで調べたが一切所在位置の知れなかった百周年記念会館、通称ハラ・ルドヴァ。
     仕方ないのでタクシーで向ってもらうことに。

  •  タクシーで4、5分。目の前に突如として現れた巨大な姿。待っててもらい、見学へ。<br /> ハラ・ルドヴァとは直訳すると市民会館あるいは人民会館。ドイツ連合軍のナポレオン軍に対する勝利の百周年を記念してドイツ支配時代に建てられた。<br /> 日本の建築雑誌では全く取り上げられないこの建築。某書店で見つけた専門書でひとコマだけ載っているのを確認したのみ。

     タクシーで4、5分。目の前に突如として現れた巨大な姿。待っててもらい、見学へ。
     ハラ・ルドヴァとは直訳すると市民会館あるいは人民会館。ドイツ連合軍のナポレオン軍に対する勝利の百周年を記念してドイツ支配時代に建てられた。
     日本の建築雑誌では全く取り上げられないこの建築。某書店で見つけた専門書でひとコマだけ載っているのを確認したのみ。

  •  この建築、現在では国際的な行事も執り行われているとのこと。<br /> イスタンブールのアヤ・ソフィアをモデルにしたと言う、当時では極めて珍しい形。<br /> 近代のモスクは現在では宗教を問わず多くの人々が訪れ続けている。

     この建築、現在では国際的な行事も執り行われているとのこと。
     イスタンブールのアヤ・ソフィアをモデルにしたと言う、当時では極めて珍しい形。
     近代のモスクは現在では宗教を問わず多くの人々が訪れ続けている。

  •  2006年登録の世界遺産の中でもヴィスカヤ橋と並んで、特にその価値が分かりにくい物件。<br /> ヴロツワフの百周年記念会館は以下の基準で世界遺産に登録されている。<br /><br /> ()ヴロツワフの百周年記念会館は巨大な鉄筋コンクリート建造物の建設技術の発展における創造的で革新的な一例である。<br />   百周年記念会館は建築の補強方法の発展において重要な位置を占め、構造強化における金属の使用の歴史の最終段階に位置するものの1つとなっている。<br /><br /> ()百周年記念会館は20世紀初期の重要な価値の交流を示す近代技術・近代建築の先駆的作品の1つであり、後の鉄筋コンクリートの建造物の発展において重要な参考資料とされた。<br /><br /> ()ヴロツワフの展示会場の一部として百周年記念会館は会議・展示会・演奏会・舞台・歌劇といった多彩な目的に合わせた近代の多目的建築の顕著な例である。<br /><br />※ユネスコに記載されているものの私訳です。

     2006年登録の世界遺産の中でもヴィスカヤ橋と並んで、特にその価値が分かりにくい物件。
     ヴロツワフの百周年記念会館は以下の基準で世界遺産に登録されている。

     ()ヴロツワフの百周年記念会館は巨大な鉄筋コンクリート建造物の建設技術の発展における創造的で革新的な一例である。
       百周年記念会館は建築の補強方法の発展において重要な位置を占め、構造強化における金属の使用の歴史の最終段階に位置するものの1つとなっている。

     ()百周年記念会館は20世紀初期の重要な価値の交流を示す近代技術・近代建築の先駆的作品の1つであり、後の鉄筋コンクリートの建造物の発展において重要な参考資料とされた。

     ()ヴロツワフの展示会場の一部として百周年記念会館は会議・展示会・演奏会・舞台・歌劇といった多彩な目的に合わせた近代の多目的建築の顕著な例である。

    ※ユネスコに記載されているものの私訳です。

  •  かつてポーランドを蹂躙したナポレオン。彼の支配を拒み、勝利したドイツや周辺諸国の連合軍。<br /> 彼らの偉業を称えたヴロツワフのハラ・ルドヴァ。古の戦いが如何に壮絶なものだったかを思い浮かべる。<br /> ん、何か忘れてるような・・・!!タクシー!!ダッシュで戻り、急ぎ駅へ。おいくらですか、え、そんなもん?千円もしないんだけど。<br /> この国のタクシーへの株が飛躍した瞬間。<br /> <br /> 

     かつてポーランドを蹂躙したナポレオン。彼の支配を拒み、勝利したドイツや周辺諸国の連合軍。
     彼らの偉業を称えたヴロツワフのハラ・ルドヴァ。古の戦いが如何に壮絶なものだったかを思い浮かべる。
     ん、何か忘れてるような・・・!!タクシー!!ダッシュで戻り、急ぎ駅へ。おいくらですか、え、そんなもん?千円もしないんだけど。
     この国のタクシーへの株が飛躍した瞬間。
     
     

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この旅行記へのコメント (2)

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  • shinesuniさん 2007/02/26 15:55:39
    ハラ・ルドヴァ
    ハラ・ルドヴァは90年と91年に行っております。
    当時はまだ世界遺産ではなかったのですが、
    現地購入の地図のイラストが豪快で、しかも
    すぐ後ろにある日本庭園なるものの存在も気になり
    立ち寄りました^^
    91年にブロツワフで現地に住む
    日本人教授家族の家にステイした時、
    その教授からナチス施設だったものだと
    聞いていたので、てっきりその頃に
    建設されたと思っていましたww

    今は無きウロツワフの『金閣寺』
    http://4travel.jp/traveler/shinesuni/album/10028921/
    これはハラ・ルドヴァのすぐそば、日本庭園内にあります。
    こっちが91年当時のものです^^
    http://4travel.jp/traveler/shinesuni/album/10033956/

    漣

    漣さん からの返信 2007/02/26 21:48:09
    RE: ハラ・ルドヴァ
     建設されたのは1911〜13年の間で建築様式的にもどちらかというと表現主義の範疇に掛かるもののようですが、ハラ・ルドヴァがナチスの施設だったという話は聞いたことがあります。第二次大戦時までヴロツワフはドイツの支配下だったのでおそらく何らかの形でナチスに転用されていたんじゃないでしょうか。ユネスコのHP上の文書にもそのことは一切出てこないので詳細は分かりませんが・・・。

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