2006/06 - 2006/06
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pottieさん
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新婚旅行で行って参りました。
当方海外旅行5年ぶり。相方初海外。
不安もありましたがとても楽しい旅行になりました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
-
日本→グアムでのコンチ飯。
あめ〜りか〜んな気もするけど
なんだかオリジナリティがなくてちょっと残念。
エコノミーなんてこんなもんか〜。
すっかり「チキンオアビーフ?」って
聞かれると思って「チキンプリーズ」
って練習してたら
「チキンオアラザ〜ニャ?」って
おい、約束がちが〜う(涙)
しかもラザニアのほうが美味しかった・・・。 -
日本→グアムで見かけた雲。
「りゅ〜のすだ〜〜〜」
ラピュタの
ドーラになった気分です。 -
PPRのオーシャンビューの部屋。
床が石造りでひんやり。
ベッドも広々。
一人で寝るのが心細いくらい。
いい夢みさせてもらいました。
がんばってグレード上げてよかった。
掃除毎にまくらに置いてくれる
コイン型のチョコを集めるのが楽しかった。
味は・・・・・・・うん、アメリカン。 -
PPRの夜。
明かりが少ないので星も綺麗に見えます。
あまりに星が多いので
どれが南十字星か分からなかったほど。
喧騒から離れ、波の音だけがする
静かな夜でした。 -
PPRの池にて。
亀にコバンザメがつっくいているという
不思議な光景。
係りの人に聞いてみたら
「他にくっつくのがいなかったからじゃないかな?」
とのこと。
これ、ひっくり返ってるんです、コバンザメ。
ツライだろうに・・・・。 -
PPRから見た夕日。
絶景。
波の音と夕日だけが辺りを包む瞬間。
訳もなく涙が出てきました。 -
PPR内にある「SPLASH」のシーカヤックツアー。
マングローブの森。
狭い場所もカヤックで行きます。
初心者にも扱いやすいカヤックでした。 -
カヤック続き。
マングローブの作る日陰は天国。
体感温度が違います。
とても涼しい。
そのくらいパラオの日差しは強い。
紫外線7倍とか。 -
カヤック続き。
人食いワニが出たという洞窟にも行きました。
背筋がゾォォォォォォォっとなったのは
言うまでもありません。 -
カヤック続き。
シュノーケルもします。
水がとっても綺麗で感動です。
イカの子供の集団もいました。
パラオ人も日本人もそれをみて
「うまそう」
考えることは一緒。 -
カヤック続き。
防水カメラは必需品。 -
カヤック続き。
ドラゴン亭のランチ。
かぼちゃの煮物にほっと一息。
ちょっと女性には多めだけど
動いた後だったので
ペロリと美味しく頂きました。 -
ペリリュー島。
旧日本軍の建物。
大きな穴が開いても倒れない代物。
今は博物館になっています。 -
ペリリュー島。
旧日本軍の戦車。
とても小さくてびっくり。
機動性に優れていたそうです。 -
ペリリュー島。
オレンジビーチ。
ここで日米が激しい戦闘を繰り広げたとは
思えないほど穏やかなビーチでした。
鎮魂の意を込め、祈りを捧げました。 -
ペリリュー島。
行き帰りに見える「おじさん島」
寝ているおじさんに見える・・・? -
ペリリュー島。
台風の子供。
こういう雲が北に進み
いずれ台風になるそうです。
暴れん坊もかわいらしい時があるのね。 -
ペリリュー島。
この海の青さに無言になってしまいました。
この海がこの先ずっと
守られていきますように・・・。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- arfaさん 2007/04/03 07:48:34
- pottieさんおはようございます。
- ぺリリュー島の旅行記写真が美しいですね。この島は書かれてる通り日本軍玉砕の島です。武器、弾薬、食料の補給もなく戦わねばならなかった日本兵のバンザイ突撃の気持ちはよく分かります。一旦撃退しても制空権、制海権を握られてる限り相手は何度も勝つまで来れるわけです。こちらは補給は一切なしで水場を押さえられたらもう死んだほうがよほど楽になれますものね。
さておき日本軍の戦車の小ささにビックリされたようですがこの戦車は通常豆戦車と呼ばれている九七式軽装甲車か九五式軽戦車でしょうね。これは騎兵が馬の代わりに乗っていたもので結構重宝されたようです。
- pottieさん からの返信 2007/04/03 19:06:37
- arfaさん、こんばんは。
- 書き込みありがとうございます。
ペリリュー島巡りは私たち夫婦にとってメインのイベントでした。
パラオを知ったのも、WW2の激戦地だったということからだったのです。
旧日本兵の方が自害された場所を訪れたり、
写真にもありますが、
日米合せて何万人という人が亡くなったビーチに行ったりと
とてもとても「楽しい」ものではありませんでした。
泣いてばかりいた気がします。
辛かったですが、それでも行って良かったと思います。
今の自分たちがあるのは、彼らがいたから。
今まで以上に感謝の気持ちを持つことができました。
救われた、と思えたのは
現地の人たちの優しさです。
旧日本兵の慰霊碑に今でも掃除をし花を添えてくれる現地の人たち。
本当にありがたいと思いました。
遺族はなかなか会いにこれないけど、
現地の人たちに見守られて、彼らはきっと安らかに眠っている
そう思えました。
日本の戦車だけでなく、アメリカの戦車も残されていて
その大きさの違いに驚きました。
名前も日本軍のは「豆戦車」というのですね〜。
まさに「豆」がふさわしい・・・。
馬代わりに戦車というのもすごい話ですが、
確かに小回りはききそうで
「日本人らしいな〜」と思いました。
arfaさんは海外旅行の経験が豊富でいらっしゃるのですね。
旅行記など、じっくりこれから拝見させていただきます。
読みがいがありそうですね・・・・・。
- arfaさん からの返信 2007/04/03 23:38:09
- RE: pottieさんおはようございます。
- 樺太あたりもそうなんですが見ず知らずの親戚でもない人のお墓の面倒を見ていただけるということは本当に現地に住んでる方々には頭が下がる思いです。
私の伯父に当たる人もブーゲンビル島で戦病死しています。日時は昭和19年9月20日だったと思います。米軍によるブーゲンビル島制圧は昭和18年6月。1年以上ジャングルで隠れる生活だったのでしょうね、きっと。
一昨日地震、津波の被害にあわれたソロモン諸島も第二次大戦の大激戦地です。首都はあのガダルカナル島にあります。ここでの消耗戦に日本は敗れて生産力の差で補給が続かずに敗戦への道を辿ります。
サイパン、テニアン、グアム等の南の楽園は第二次大戦当時の地獄の島です。
最近、話題になった硫黄島の栗林忠道大将も最後の電文に書かれてるように「我に補給さえあれば」の世界になります。
豆戦車は日本軍の戦車のことではなく世界標準の言葉ですよ。重戦車(ドイツのタイガー?、?型やロシアのスターリンなどが有名です)、中戦車(同じくパンサーや?型、?型にアメリカのM4シャーマン=多分見られた米軍戦車はこれでしょう=、ロシアのT34などが有名)、軽戦車、豆戦車となります。
第一次大戦後、世界では騎兵部隊の時代は終わりを告げましたが人員はいるわけなので軽戦車や豆戦車が騎兵部隊の足となりました。
- pottieさん からの返信 2007/04/13 20:38:31
- arfaさん、こんばんは。
- 再度お返事ありがとうございます。
南洋では激戦地が多いですね。
今は観光地であっても、かつては・・・というところが。
過去は過去のこととして、気にせず
そういった島々で遊ぶこともいいのだと思いますが、
できれば自分としてはそこは見逃したくないと思っています。
多少の日本とのかかわりや歴史は勉強して行ったり、
慰霊碑にお祈りするくらいはしたいなあと。
戦車ですが、無知をさらけ出してしまいました(笑)
米軍の戦車でさえ中なのですね。
日本軍のサイズが「豆」なのは納得できます。
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