鈴鹿旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2006年の日本グランプリをもって鈴鹿インターナショナルレーシングコース(鈴鹿サーキット)でのF1が20年間の歴史に一旦幕を閉じました。<br />来年からは静岡県の富士スピードウェイでの約30年ぶりの開催が決まっています。<br /><br />私の家族は、母がアイルトン・セナ、妹がゲルハルト・ベルガー、私はエディー・アーバインのファン(父は特に興味はないようだが家族一緒にF1のTV放送を見ている)という変な一家で、母と妹は91年から鈴鹿に観戦に行っていました。<br />私は87年のTV放送開始以来TV観戦派を貫いていましたが、94年イタリア・イモラでのサンマリノGPでのセナの事故死から少し考えが変わり、やはり実際に生のF1ドライバーを見てみたいと思うようになりました。<br />結局鈴鹿へは94年から98年の間の日本GPに足を運びました、以下にその年毎の思い出をつづってみたいと思います。<br /><br /><1994年><br />春に行われたイタリア・イモラのサンマリノGPでセナ、ローランド・ラッツェンバーガーが事故死、ルーベンス・バリチェロが大事故、続くモナコGPではカール・ベンドリンガーも大事故を起こし死線を彷徨う。<br />そんな悲劇的なスタートを切った94年のF1はベネトン・フォードのミハエル・シューマッハーの一人勝ちのなると思われたが、中盤以降ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが急激にポイント差をつめて日本GPを迎えた。<br />この年は私は土曜の公式予選2日目のみの観戦、席はB1、シケインから最終コーナーの立ち上がり辺りの席。<br />当日は生憎の雨だった。当時のレギュレーションでは土曜が雨の場合は金曜の予選1回目のタイムを上回ることが難しく、土曜の予選はレインセッティングの確認だけを行うドライバーが多かった。<br />印象に残ったのは、マクラーレン・プジョーのミカ・ハッキネンの最終コーナーのラインが他のドライバーと全然違った事と、セナの代役でウィリアムズに乗った元王者ナイジェル・マンセルの存在感・・・彼が出てくるだけでサーキットがどよめく。<br />あとは雨のなか最後の最後まで走っていたラルース・フォードのエリック・コマスの姿。<br />それにしてもやっぱりF1は音が素晴らしい、これはTVでは絶対に味わえない。<br /><br /><1995年><br />ベネトン・ルノーのM・シューマッハーがシーズンを席巻した95年は当初鈴鹿には行かないつもりでした、というのも春に行われる予定であったTIサーキット英田(岡山県)でのパシフィックGPが阪神大震災の影響で順延、鈴鹿の日本GPの1週間前に行われることになり、そちらを観戦するつもりだったからです。<br />しかしF1を2週連続生で見れる機会などそうそう無いと思い直し英田、鈴鹿共に観戦することにしました、ただし出遅れが響き観戦席はバックストレートのK席となった。<br />この年も雨模様、目の前にオーロラビジョンがあったがレース展開はあまりよく分からなかった。<br />印象に残っているのは、スプーンカーブでグラベルにコースアウトして砂を拾ったウィリアムズ・ルノーのデイビット・クルサードがバックストレートエンドの130Rへのブレーキングで自分で撒いた砂にのりコースアウトしクラッシュしたシーン、当時の彼は時々そういうポカをしていた。<br />レースは終始シューマッハーがリードしそのまま優勝、3位に苦労人ジョニー・ハーバート、4位にアーバインが入ったのが嬉しかった。また昨年のモナコGPでの大事故で死線を彷徨ったベンドリンガーがザウバー・フォードから出走したがやはりかつての輝きは戻らなかった、F1に戻れただけでも奇跡に近いがやはりかつての速さを知っているだけに残念で仕方ない。<br /><br /><1996年><br />この年はシューマッハーが戦闘力の劣るフェラーリに移籍、ウィリアムズ・ルノーに乗るヒルがシーズンを通して安定した速さをみせたが、終盤同じウィリアムズの新人ジャック・ビルヌーブ(伝説のフェラーリドライバー ジル・ビルヌーブの息子でアメリカのインディカーチャンピオン)に徐々に追い上げられ鈴鹿決戦を迎えた。<br />この年は2コーナーのF席で観戦した。2コーナーは追い越しはまず無理でスタンドからコースまでも距離があり迫力という点ではいまいちだけどF1マシンの運動性能を見るには最適、やはりいいマシンはびっくりするほどのコーナリングスピードで曲がっていく。<br />レースはヒルが終始リードを保つ、ビルヌーブがリタイヤした段階でヒルの年間王者が確定、その後も手綱をゆるめずに優勝した。彼の父グラハム・ヒルも元王者なのでF1史上初の親子王者の誕生となる。<br />2位にはシューマッハー、3位にはハッキネン、4位にベルがーが入り実力者が上位を占めた。<br /><br /><1997年><br />前年王者のヒルが戦力がかなり劣るアロウズ・ヤマハへ移籍(しかしヒルはハンガリーGPでラスト1周にマシンが壊れるまで1位を走り、その実力を見せ付けた)し、この年はウィリアムズ・ルノーのビルヌーブとフェラーリのM・シューマッハーとの一騎打ちとなり日本GPを迎えた。<br />シーズン途中にベルがーが来期の休養を発表、その年齢から事実上の引退に等しく、80年代の華やかなF1の匂いを残す最後のドライバーに注目が集まった。<br />ベルガー最後の日本GPなので彼の大ファンの妹と母と私の3人でメインスタンドのS2で観戦した。家族と並んで観戦するのは初めてだった(これまでは同じ鈴鹿にいながら違うゾーンで観戦していた)。<br />レースはポールポジションから出たビルヌーブが5位に沈み(レース後に練習走行時の違反行為で失格になる)、M・シューマッハーが優勝した、私が生で初めて見るフェラーリの優勝だった、やっぱりあのチームは人の心を揺らす何かがある。<br />2位にウィリアムズ・ルノーのハインツ・ハラルト・フレンツェン、3位にフェラーリのアーバインが入った、この2人は全日本F3000出身で鈴鹿には馴染みがあり嬉しかった。<br />レース終了後、今年で引退が決まっているベルガー(決勝8位)と片山右京(ミナルディ・ハート 決勝リタイヤ)がコンクリートウォールまで出てきて観客に手を振る、みんなで「ゲーハートー」「ウキョー」と必死で声援を送った。<br /><br /><1998年><br />この年はマクラーレン・メルセデスのマシンが開幕以来圧倒的なポテンシャルを見せて他のチームを引き離す展開、信頼性はともかく、ここまで速さで際立つのは92年のウィリアムズ・ルノー以来かと思う。一方フェラーリのM・シューマッハーもこつこつとポイントを重ね、最終戦鈴鹿までタイトル争いを引き伸ばしてきた。<br />去年のベルガーの引退で私の母と妹はTV観戦派に鞍替え、私は友人と2コーナーのF席で観戦する。<br />タイトル争いももちろん気になるが、ティレル・フォードの高木虎之介も気になる、マシンがマシンなので上位は望むべくもないがやはり全日本F3000で見せてくれたあのレイトブレーキングは見ものだった。<br />決勝レースは最初から大波乱だった、1回目のスタート直前プロスト・プジョーのヤルノ・トゥルーリがエンジンストールしスタートやり直し、2回目のスタート直前にはタイトル争いしているM・シューマッハーがクラッチトラブルでエンジンストール!!サーキット全体が凍りつく、声にもならない悲鳴が聞こえる。更にスタートやり直し、M・シューマッハーは規定で最後尾からのスタートとなる。<br />レーススタート、コーナーを1つ抜け2コーナーに入ってくるマシンたち、うわっ!!M・シューマッハーがもう中段にいる!!<br />1週後には10台以上抜いてM・シューマッハーが帰ってきた、鬼気迫る走り、マシン自体からなにかすごいオーラが出ている。<br />高木虎之介がミナルディ・フォードのエスティバン・トゥエロとシケインで接触、やはりトゥエロは経験が浅く高木の鬼のようなブレーキングが想像できなかったようだ・・・マシンの破片が散らばる・・・M・シューマッハーがシケインを越えてストレートを立ち上がってくる・・・おかしい、タイヤがちぎれ飛ぶ!!破片を拾ったようだ。ゆるゆると1コーナーを回り私の視界の中でマインをとめる、コンクリートウォールに座る悔しそうなM・シューマッハーは暫く微動にしなかった。<br />ハッキネンが優勝で見事年間王者を獲得する、82年以来のフィンランド人チャンピオンの誕生、みんな惜しみない拍手を送る。<br />2位にはアーバインが入る嬉しい。<br /><br />98年の鈴鹿のF1は終わった・・・かの様だが、実は続きがあるのです。<br />実は決勝レースの翌日から鈴鹿で最初で多分最後のF1合同テストが行われたのです。これは翌年からワンメイク供給になるブリジストンタイヤのテストで特に今年他社のタイヤを使っていたチームからの要望で行われたもの。ほとんどのチーム、ドライバーが鈴鹿に残りテストを行った。<br />テストなので遊園地の入園券さえ買えば観戦?は無料、私も11月3日の祝日に見に行った。<br />決勝ではなかなか見れない、1コーナーの突込みや、コーナリングを堪能した、のんびりとしたムード漂うなかで見るF1マシン達は素晴らしかった。<br /><br /><br />この98年を最後に私もTV観戦派に戻り、以後F1では鈴鹿に行っていません。来年の富士もきっとTV観戦だと思います。<br />でもいつか鈴鹿にF1が戻ってきたら、もう一度レースを見に行きたいと思います。<br /><br /><完><br />

鈴鹿F1の思い出

32いいね!

1994/11/05 - 1998/11/03

79位(同エリア600件中)

3

9

jillluca

jilllucaさん

2006年の日本グランプリをもって鈴鹿インターナショナルレーシングコース(鈴鹿サーキット)でのF1が20年間の歴史に一旦幕を閉じました。
来年からは静岡県の富士スピードウェイでの約30年ぶりの開催が決まっています。

私の家族は、母がアイルトン・セナ、妹がゲルハルト・ベルガー、私はエディー・アーバインのファン(父は特に興味はないようだが家族一緒にF1のTV放送を見ている)という変な一家で、母と妹は91年から鈴鹿に観戦に行っていました。
私は87年のTV放送開始以来TV観戦派を貫いていましたが、94年イタリア・イモラでのサンマリノGPでのセナの事故死から少し考えが変わり、やはり実際に生のF1ドライバーを見てみたいと思うようになりました。
結局鈴鹿へは94年から98年の間の日本GPに足を運びました、以下にその年毎の思い出をつづってみたいと思います。

<1994年>
春に行われたイタリア・イモラのサンマリノGPでセナ、ローランド・ラッツェンバーガーが事故死、ルーベンス・バリチェロが大事故、続くモナコGPではカール・ベンドリンガーも大事故を起こし死線を彷徨う。
そんな悲劇的なスタートを切った94年のF1はベネトン・フォードのミハエル・シューマッハーの一人勝ちのなると思われたが、中盤以降ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが急激にポイント差をつめて日本GPを迎えた。
この年は私は土曜の公式予選2日目のみの観戦、席はB1、シケインから最終コーナーの立ち上がり辺りの席。
当日は生憎の雨だった。当時のレギュレーションでは土曜が雨の場合は金曜の予選1回目のタイムを上回ることが難しく、土曜の予選はレインセッティングの確認だけを行うドライバーが多かった。
印象に残ったのは、マクラーレン・プジョーのミカ・ハッキネンの最終コーナーのラインが他のドライバーと全然違った事と、セナの代役でウィリアムズに乗った元王者ナイジェル・マンセルの存在感・・・彼が出てくるだけでサーキットがどよめく。
あとは雨のなか最後の最後まで走っていたラルース・フォードのエリック・コマスの姿。
それにしてもやっぱりF1は音が素晴らしい、これはTVでは絶対に味わえない。

<1995年>
ベネトン・ルノーのM・シューマッハーがシーズンを席巻した95年は当初鈴鹿には行かないつもりでした、というのも春に行われる予定であったTIサーキット英田(岡山県)でのパシフィックGPが阪神大震災の影響で順延、鈴鹿の日本GPの1週間前に行われることになり、そちらを観戦するつもりだったからです。
しかしF1を2週連続生で見れる機会などそうそう無いと思い直し英田、鈴鹿共に観戦することにしました、ただし出遅れが響き観戦席はバックストレートのK席となった。
この年も雨模様、目の前にオーロラビジョンがあったがレース展開はあまりよく分からなかった。
印象に残っているのは、スプーンカーブでグラベルにコースアウトして砂を拾ったウィリアムズ・ルノーのデイビット・クルサードがバックストレートエンドの130Rへのブレーキングで自分で撒いた砂にのりコースアウトしクラッシュしたシーン、当時の彼は時々そういうポカをしていた。
レースは終始シューマッハーがリードしそのまま優勝、3位に苦労人ジョニー・ハーバート、4位にアーバインが入ったのが嬉しかった。また昨年のモナコGPでの大事故で死線を彷徨ったベンドリンガーがザウバー・フォードから出走したがやはりかつての輝きは戻らなかった、F1に戻れただけでも奇跡に近いがやはりかつての速さを知っているだけに残念で仕方ない。

<1996年>
この年はシューマッハーが戦闘力の劣るフェラーリに移籍、ウィリアムズ・ルノーに乗るヒルがシーズンを通して安定した速さをみせたが、終盤同じウィリアムズの新人ジャック・ビルヌーブ(伝説のフェラーリドライバー ジル・ビルヌーブの息子でアメリカのインディカーチャンピオン)に徐々に追い上げられ鈴鹿決戦を迎えた。
この年は2コーナーのF席で観戦した。2コーナーは追い越しはまず無理でスタンドからコースまでも距離があり迫力という点ではいまいちだけどF1マシンの運動性能を見るには最適、やはりいいマシンはびっくりするほどのコーナリングスピードで曲がっていく。
レースはヒルが終始リードを保つ、ビルヌーブがリタイヤした段階でヒルの年間王者が確定、その後も手綱をゆるめずに優勝した。彼の父グラハム・ヒルも元王者なのでF1史上初の親子王者の誕生となる。
2位にはシューマッハー、3位にはハッキネン、4位にベルがーが入り実力者が上位を占めた。

<1997年>
前年王者のヒルが戦力がかなり劣るアロウズ・ヤマハへ移籍(しかしヒルはハンガリーGPでラスト1周にマシンが壊れるまで1位を走り、その実力を見せ付けた)し、この年はウィリアムズ・ルノーのビルヌーブとフェラーリのM・シューマッハーとの一騎打ちとなり日本GPを迎えた。
シーズン途中にベルがーが来期の休養を発表、その年齢から事実上の引退に等しく、80年代の華やかなF1の匂いを残す最後のドライバーに注目が集まった。
ベルガー最後の日本GPなので彼の大ファンの妹と母と私の3人でメインスタンドのS2で観戦した。家族と並んで観戦するのは初めてだった(これまでは同じ鈴鹿にいながら違うゾーンで観戦していた)。
レースはポールポジションから出たビルヌーブが5位に沈み(レース後に練習走行時の違反行為で失格になる)、M・シューマッハーが優勝した、私が生で初めて見るフェラーリの優勝だった、やっぱりあのチームは人の心を揺らす何かがある。
2位にウィリアムズ・ルノーのハインツ・ハラルト・フレンツェン、3位にフェラーリのアーバインが入った、この2人は全日本F3000出身で鈴鹿には馴染みがあり嬉しかった。
レース終了後、今年で引退が決まっているベルガー(決勝8位)と片山右京(ミナルディ・ハート 決勝リタイヤ)がコンクリートウォールまで出てきて観客に手を振る、みんなで「ゲーハートー」「ウキョー」と必死で声援を送った。

<1998年>
この年はマクラーレン・メルセデスのマシンが開幕以来圧倒的なポテンシャルを見せて他のチームを引き離す展開、信頼性はともかく、ここまで速さで際立つのは92年のウィリアムズ・ルノー以来かと思う。一方フェラーリのM・シューマッハーもこつこつとポイントを重ね、最終戦鈴鹿までタイトル争いを引き伸ばしてきた。
去年のベルガーの引退で私の母と妹はTV観戦派に鞍替え、私は友人と2コーナーのF席で観戦する。
タイトル争いももちろん気になるが、ティレル・フォードの高木虎之介も気になる、マシンがマシンなので上位は望むべくもないがやはり全日本F3000で見せてくれたあのレイトブレーキングは見ものだった。
決勝レースは最初から大波乱だった、1回目のスタート直前プロスト・プジョーのヤルノ・トゥルーリがエンジンストールしスタートやり直し、2回目のスタート直前にはタイトル争いしているM・シューマッハーがクラッチトラブルでエンジンストール!!サーキット全体が凍りつく、声にもならない悲鳴が聞こえる。更にスタートやり直し、M・シューマッハーは規定で最後尾からのスタートとなる。
レーススタート、コーナーを1つ抜け2コーナーに入ってくるマシンたち、うわっ!!M・シューマッハーがもう中段にいる!!
1週後には10台以上抜いてM・シューマッハーが帰ってきた、鬼気迫る走り、マシン自体からなにかすごいオーラが出ている。
高木虎之介がミナルディ・フォードのエスティバン・トゥエロとシケインで接触、やはりトゥエロは経験が浅く高木の鬼のようなブレーキングが想像できなかったようだ・・・マシンの破片が散らばる・・・M・シューマッハーがシケインを越えてストレートを立ち上がってくる・・・おかしい、タイヤがちぎれ飛ぶ!!破片を拾ったようだ。ゆるゆると1コーナーを回り私の視界の中でマインをとめる、コンクリートウォールに座る悔しそうなM・シューマッハーは暫く微動にしなかった。
ハッキネンが優勝で見事年間王者を獲得する、82年以来のフィンランド人チャンピオンの誕生、みんな惜しみない拍手を送る。
2位にはアーバインが入る嬉しい。

98年の鈴鹿のF1は終わった・・・かの様だが、実は続きがあるのです。
実は決勝レースの翌日から鈴鹿で最初で多分最後のF1合同テストが行われたのです。これは翌年からワンメイク供給になるブリジストンタイヤのテストで特に今年他社のタイヤを使っていたチームからの要望で行われたもの。ほとんどのチーム、ドライバーが鈴鹿に残りテストを行った。
テストなので遊園地の入園券さえ買えば観戦?は無料、私も11月3日の祝日に見に行った。
決勝ではなかなか見れない、1コーナーの突込みや、コーナリングを堪能した、のんびりとしたムード漂うなかで見るF1マシン達は素晴らしかった。


この98年を最後に私もTV観戦派に戻り、以後F1では鈴鹿に行っていません。来年の富士もきっとTV観戦だと思います。
でもいつか鈴鹿にF1が戻ってきたら、もう一度レースを見に行きたいと思います。

<完>

  • 皆様ご存知皇帝ミハエル・シューマッハー<br />優勝        91(出走249)<br />獲得ポイント  1364<br />表彰台獲得    154<br />ポールポジション  68<br />ファステストラップ 75<br />等あまりに圧倒的な戦績。<br />今はあまり実感がないけど何十年か後彼の走りを見れたことを自慢に思うときが来ると思う。<br /><br />

    皆様ご存知皇帝ミハエル・シューマッハー
    優勝        91(出走249)
    獲得ポイント  1364
    表彰台獲得    154
    ポールポジション  68
    ファステストラップ 75
    等あまりに圧倒的な戦績。
    今はあまり実感がないけど何十年か後彼の走りを見れたことを自慢に思うときが来ると思う。

  • こちらはフライング・フィン  ミカ・ハッキネン<br />ミハエル・シューマッハーとのすさまじいバトルは忘れることができません、ナチュラルスピードはセナやシューマッハーをしのいでいたかもしれないと思う。<br />優勝        20(出走161)<br />獲得ポイント   420<br />表彰台       51<br />ポールポジション  26<br />ファステストラップ 25<br /><br /><br /><br /><br />

    こちらはフライング・フィン  ミカ・ハッキネン
    ミハエル・シューマッハーとのすさまじいバトルは忘れることができません、ナチュラルスピードはセナやシューマッハーをしのいでいたかもしれないと思う。
    優勝        20(出走161)
    獲得ポイント   420
    表彰台       51
    ポールポジション  26
    ファステストラップ 25




  • ゲルハルト・ベルガー<br />記録より記憶に残るドライバー。彼の10回の優勝の多くは「○○チーム初〜」「フェラーリ○年ぶりの〜」「奇跡の〜」「復活の〜」といった飾り言葉が付くものばかり。<br />80年代の香りを残す最後のドライバーだったと思う。<br />優勝        10(出走210)<br />獲得ポイント    386<br />表彰台       48<br />ポールポジション  12<br />ファステストラップ 21

    ゲルハルト・ベルガー
    記録より記憶に残るドライバー。彼の10回の優勝の多くは「○○チーム初〜」「フェラーリ○年ぶりの〜」「奇跡の〜」「復活の〜」といった飾り言葉が付くものばかり。
    80年代の香りを残す最後のドライバーだったと思う。
    優勝        10(出走210)
    獲得ポイント    386
    表彰台       48
    ポールポジション  12
    ファステストラップ 21

  • エディー・アーバイン<br />彼も記録より記憶に残るドライバーの一人。<br />F1参戦当初は危険なドライバーのレッテルを貼られていたが96年のフェラーリ移籍以降はシューマッハーの援護役を担いベストセカンドドライバーと呼ばれました。99年、様々な運命のいたずらにより年間チャンピオンまであと一歩のところに迫ったが、やはりかなわなかった。<br />優勝        4(出走146)<br />獲得ポイント    191<br />表彰台       26<br />ポールポジション  0<br />ファステストラップ 1<br />

    エディー・アーバイン
    彼も記録より記憶に残るドライバーの一人。
    F1参戦当初は危険なドライバーのレッテルを貼られていたが96年のフェラーリ移籍以降はシューマッハーの援護役を担いベストセカンドドライバーと呼ばれました。99年、様々な運命のいたずらにより年間チャンピオンまであと一歩のところに迫ったが、やはりかなわなかった。
    優勝        4(出走146)
    獲得ポイント    191
    表彰台       26
    ポールポジション  0
    ファステストラップ 1

  • 94年観戦券とB1指定席券<br /><br />この年の観戦券の写真は並走するシューマッハーとハッキネン

    94年観戦券とB1指定席券

    この年の観戦券の写真は並走するシューマッハーとハッキネン

  • 95年の観戦券とK指定席券<br /><br />この券の写真はハッキネンとベルガー<br />K席の指定席券はJR東海ツアーズで買ったのでJRの<br />切符に印刷された不思議なF1のチケット

    95年の観戦券とK指定席券

    この券の写真はハッキネンとベルガー
    K席の指定席券はJR東海ツアーズで買ったのでJRの
    切符に印刷された不思議なF1のチケット

  • 96年の観戦券とF指定席券<br /><br />この年の写真はヒルとシューマッハー

    96年の観戦券とF指定席券

    この年の写真はヒルとシューマッハー

  • 97年の観戦券とS2指定席券<br /><br />この年の写真はビルヌーブとシューマッハーそして<br />ベルガー

    97年の観戦券とS2指定席券

    この年の写真はビルヌーブとシューマッハーそして
    ベルガー

  • 98年この年から観戦券と指定席券が一枚に。<br /><br />この年の写真は高木虎之介

    98年この年から観戦券と指定席券が一枚に。

    この年の写真は高木虎之介

この旅行記のタグ

32いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (3)

開く

閉じる

  • 豚のしっぽさん 2012/01/01 23:49:11
    F1の。。。
       あのBGMを聞くだけで

         テンションあがりますなぁ〜!!!!!


    1990年半ば頃まで・・・

    確か日曜の深夜だったかな?放送は・・・
    寝不足になってましたね〜

    ジルルカさんのこちらの旅行記見て思い出した(#^.^#)
    いつ頃から 見なくなったんだろう???

    お母様はセナのファン♪
    ん〜納得納得!
    女性には圧倒的な人気でしたもんね

    ミカ・ハッキネン 名前のゴロが好きでした(変な所からF1に入門(笑))

    シューマッハも好きでしたね

    BGMにのって、アナウンサーが○○と○○ 
     今回もワンツーフィニィッシュ〜〜〜!!!って叫ぶ所が好きでした


    アハハ 変なF1ファンでしょ(^_^;)


           しっぽ

    jillluca

    jilllucaさん からの返信 2012/01/02 20:25:00
    RE: F1の。。。
    しっぽさん

    こんばんは。

    >あのBGMを聞くだけでテンションあがりますなぁ〜!!!!!
    > 1990年半ば頃まで・・・

    同感同感!!
    僕の場合は2000年代半ばまでですけど、最近は結果は気になるけど、リアルタイムではなかなか見なくなりましたね。

    > お母様はセナのファン♪
    > ん〜納得納得!
    > 女性には圧倒的な人気でしたもんね

    セナが亡くなった時の母の落ち込み様ったらなかったですね。
    今でも家にはセナグッズがたくさんありますよ。

    > ミカ・ハッキネン 名前のゴロが好きでした(変な所からF1に入門(笑))
    > シューマッハも好きでしたね

    ミカはやはりゴールデンレトリバーと一緒に出ていたCMが忘れられないですね〜(笑)もちろんスピードも超一流でしたけど。
    ミハエルはやっぱ稀代の名ドライバーでしたね、彼を実際に見れたのは本当に幸せな事だったと思います。

    他にもプロスト、マンセル、パトレーゼ、ベルガ―、アレジ・・・

    ここで一句、
       ジャン・アレジ
          兄ジョセ・アレジ
             父おやじ

    あの頃のF1はほんと面白かったですね〜。

    いつかモナコあたりでF1みたいなぁ〜。

    jillluca

    豚のしっぽ

    豚のしっぽさん からの返信 2012/01/06 13:24:30
    RE: F1の。。。

     ここで一句、
       ジャン・アレジ
          兄ジョセ・アレジ
             父おやじ




     あははははははははは!!!!!!!!!!


     新春だから いつもより多めに笑っておきましょう〜ヽ(^o^)丿

jilllucaさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP