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20歳の旅から、20年が経った年(1999年)に、<br />バルセロナに行きました 。<br />当時、プール・温浴施設を造る仕事をしていて、1年に1回、<br />海外の展示会を見て廻っていました。その年はバルセロナの<br />展示会場でプールショウが開催され、仕事仲間と2人で行き、<br />1日目に展示会場を見て周り、2日目は、仲間2人がバスで<br />市内観光に行く事になり、私は観光にあまり興味がなく、<br />昼間は単独行動をする事にしました。<br />景色の良い所でのんびりしようと思い、チビダボという<br />遊園地に行きました。遊園地の裏側に教会があり、<br />階段を上りながら、教会の建物の荘厳さにすごく感激しました。<br />教会の頂上からバルセロナの街並みを見ていると、<br />20年前の旅の楽しかった事、苦しかった事、なにより多くの<br />友達の顔が浮かんできて自然と涙が出てきました。しかし、<br />バルセロナの街を見ても、20年前に歩いた道、<br />建物を思い出せませんでした。泊めてもらっていた家に<br />行けば、何か思い出すだろうと思いました。ホテルに戻り、<br />日本から持ってきていた、20年前に泊めてもらった彼女からの<br />手紙の住所に行くてみました。建物(5階建てのアパート)を<br />見ても、何も思い出せず、彼女の部屋(5階)に行こうと思いましたが、建物の入口がオートロック式になっており中に入れませんでした。夕方になり、喉が渇いたので通りの反対側のバーに入り、ビールを注文し、しばらく昔の事を思っていました。<br />ふとカウンターの中にいるおじさんと目が合いスペイン語の<br />単語だけで「何年ここで働いているのか」と聞くと<br />「二十五年」と答えました。日本から持ってきた写真を見せて<br />「あのアパートの五階で、二十年前に寝ていた」と言いました。突然、おじさんが「ありがとォ、ありがとォ」と大声で言い出し、写真を見て何か言い出しました。ほとんど理解できなくて、昔もこの様によくからかわれたと思っていると、<br />後ろで飲んでいたおじさんが、英語で、「この人は、<br />この写真の日本人から『ありがとう』を昔教わった」と<br />通訳してくれました。更に写真に写っている女性(エルミニア)は、まだ同じ所に住んでおり、病院で働いているとの事でした。三人とも興奮状態となり、バーのおじさん(ホセ・モリナ)は、彼女の病院に電話をかけてくれ、英語の話せるおじさん(ラモン)とは昔話をしていました。しかしエルミニアは見あたらなかった様で、ホセが言うには、6時になったので、再度、彼女の<br />アパートに行き、チャイムを押しました。今度は女性の声が<br />しました。変に話すと警戒させると思い「ウナ モメント」<br />(ちょっと待って)だけ言い、ホセを呼びに行き、ノリオ(私)が来ている事を言ってもらいました。すぐにエルミニアが出てきて、お互いに大変変わっていたので、しばらく分からなかったのですが、ホセが説明してくれて分かってきました。私は二十一才が四十一才になり、彼女は二十九才が五十才になっていました。部屋に行くと、彼女の妹(メルセデス)もいました。二人共独身で、エルミニアは病院で検査技師をしており、<br />メルセデスは看護婦をしているとの事でした。私にとっては、<br />三百六十五日分の六日ですが、彼女達には、日本人はめずらしく、すごく印象深かった様です。行ってすぐ、メルセデスが<br />ギターを持ってきて「前のように弾いて」と言って来たので、<br />誰かと間違っていると思い「ノー」だけで話題を変えました。<br />でも、メルセデスは間違ってなかった。<br />当時のチリ人との失恋、皆で飲みに行った事、カレーを<br />作った事を話しました。1時間程話しをし、私が<br />「妻と子供にお土産を買いたい」と言うと、エルミニアが<br />一緒に買い物を手伝ってくれる事になり街へ行きました。<br />途中、路上でオペラ・フラメンコを見、街中を案内して<br />もらい、夜九時の閉店間際に、デパートに駆け込み、<br />妻の希望通りのネックレスと娘に服・文具を買いました。<br />ホテルに寄り、カメラを取りエルミニアの家に戻りました。<br />それから英語・スペイン語の辞書を見ながら、二時間程、<br />話をし、もっと話したかったのですが、さすがに気持ちは<br />二十一才でも肉体は四十一才で勝てず、しぶしぶホテルに<br />戻りました。再会の次の朝、バルセロナを出発しました。<br />帰国後、20年前の旅行中に、毎日書いていた日記を読み<br />返しました。日記を読んでまず感じたのは、<br />内容の70〜80%は、女の子の事ばかりで、若かったなあと<br />思いました。そしてメルセデスがギターを弾いてくれと<br />言ったのは、人違いではなく、当時はギターを弾き、<br />「イエスタディ」を歌っていたと書いてありました。<br />バルセロナ最後の夜に書いたページには『アンナ、<br />君はなんて素晴らしいんだろう、君の優しさ、<br />思いやりは僕に光を与えてくれた。君の幸せを祈る。<br />そして別れを言おう。アディオス!エルミニア・<br />マニュエル・ロサ・・・・・ありがとう、<br />お互いの人生へ旅立とう、そしてすばらしい日々を送ろう。<br />2/4 12時』と書いてありました。そしてイタリアに行きました。 

20年後の「ありがとォ」 a little miracle after 20 years in Barcerona

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1999/10/21 - 1999/10/25

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ヒマジン

ヒマジンさん

20歳の旅から、20年が経った年(1999年)に、
バルセロナに行きました 。
当時、プール・温浴施設を造る仕事をしていて、1年に1回、
海外の展示会を見て廻っていました。その年はバルセロナの
展示会場でプールショウが開催され、仕事仲間と2人で行き、
1日目に展示会場を見て周り、2日目は、仲間2人がバスで
市内観光に行く事になり、私は観光にあまり興味がなく、
昼間は単独行動をする事にしました。
景色の良い所でのんびりしようと思い、チビダボという
遊園地に行きました。遊園地の裏側に教会があり、
階段を上りながら、教会の建物の荘厳さにすごく感激しました。
教会の頂上からバルセロナの街並みを見ていると、
20年前の旅の楽しかった事、苦しかった事、なにより多くの
友達の顔が浮かんできて自然と涙が出てきました。しかし、
バルセロナの街を見ても、20年前に歩いた道、
建物を思い出せませんでした。泊めてもらっていた家に
行けば、何か思い出すだろうと思いました。ホテルに戻り、
日本から持ってきていた、20年前に泊めてもらった彼女からの
手紙の住所に行くてみました。建物(5階建てのアパート)を
見ても、何も思い出せず、彼女の部屋(5階)に行こうと思いましたが、建物の入口がオートロック式になっており中に入れませんでした。夕方になり、喉が渇いたので通りの反対側のバーに入り、ビールを注文し、しばらく昔の事を思っていました。
ふとカウンターの中にいるおじさんと目が合いスペイン語の
単語だけで「何年ここで働いているのか」と聞くと
「二十五年」と答えました。日本から持ってきた写真を見せて
「あのアパートの五階で、二十年前に寝ていた」と言いました。突然、おじさんが「ありがとォ、ありがとォ」と大声で言い出し、写真を見て何か言い出しました。ほとんど理解できなくて、昔もこの様によくからかわれたと思っていると、
後ろで飲んでいたおじさんが、英語で、「この人は、
この写真の日本人から『ありがとう』を昔教わった」と
通訳してくれました。更に写真に写っている女性(エルミニア)は、まだ同じ所に住んでおり、病院で働いているとの事でした。三人とも興奮状態となり、バーのおじさん(ホセ・モリナ)は、彼女の病院に電話をかけてくれ、英語の話せるおじさん(ラモン)とは昔話をしていました。しかしエルミニアは見あたらなかった様で、ホセが言うには、6時になったので、再度、彼女の
アパートに行き、チャイムを押しました。今度は女性の声が
しました。変に話すと警戒させると思い「ウナ モメント」
(ちょっと待って)だけ言い、ホセを呼びに行き、ノリオ(私)が来ている事を言ってもらいました。すぐにエルミニアが出てきて、お互いに大変変わっていたので、しばらく分からなかったのですが、ホセが説明してくれて分かってきました。私は二十一才が四十一才になり、彼女は二十九才が五十才になっていました。部屋に行くと、彼女の妹(メルセデス)もいました。二人共独身で、エルミニアは病院で検査技師をしており、
メルセデスは看護婦をしているとの事でした。私にとっては、
三百六十五日分の六日ですが、彼女達には、日本人はめずらしく、すごく印象深かった様です。行ってすぐ、メルセデスが
ギターを持ってきて「前のように弾いて」と言って来たので、
誰かと間違っていると思い「ノー」だけで話題を変えました。
でも、メルセデスは間違ってなかった。
当時のチリ人との失恋、皆で飲みに行った事、カレーを
作った事を話しました。1時間程話しをし、私が
「妻と子供にお土産を買いたい」と言うと、エルミニアが
一緒に買い物を手伝ってくれる事になり街へ行きました。
途中、路上でオペラ・フラメンコを見、街中を案内して
もらい、夜九時の閉店間際に、デパートに駆け込み、
妻の希望通りのネックレスと娘に服・文具を買いました。
ホテルに寄り、カメラを取りエルミニアの家に戻りました。
それから英語・スペイン語の辞書を見ながら、二時間程、
話をし、もっと話したかったのですが、さすがに気持ちは
二十一才でも肉体は四十一才で勝てず、しぶしぶホテルに
戻りました。再会の次の朝、バルセロナを出発しました。
帰国後、20年前の旅行中に、毎日書いていた日記を読み
返しました。日記を読んでまず感じたのは、
内容の70〜80%は、女の子の事ばかりで、若かったなあと
思いました。そしてメルセデスがギターを弾いてくれと
言ったのは、人違いではなく、当時はギターを弾き、
「イエスタディ」を歌っていたと書いてありました。
バルセロナ最後の夜に書いたページには『アンナ、
君はなんて素晴らしいんだろう、君の優しさ、
思いやりは僕に光を与えてくれた。君の幸せを祈る。
そして別れを言おう。アディオス!エルミニア・
マニュエル・ロサ・・・・・ありがとう、
お互いの人生へ旅立とう、そしてすばらしい日々を送ろう。
2/4 12時』と書いてありました。そしてイタリアに行きました。 

同行者
友人
一人あたり費用
25万円 - 30万円
航空会社
KLMオランダ航空
  • 左の人が「ありがとォ」と叫んだホセ。右が英語が話せる、ラモンです。先月のバルセロナ旅行の時に写した写真です。Jose(bartender) let me meet my old friend in Barcerona.He bring to me my young life Graciac Jose.

    左の人が「ありがとォ」と叫んだホセ。右が英語が話せる、ラモンです。先月のバルセロナ旅行の時に写した写真です。Jose(bartender) let me meet my old friend in Barcerona.He bring to me my young life Graciac Jose.

  • 20歳の旅行中(1980年)に作ったカレーライスです。リンゴをウサギの耳の形にも切りました。左が、妹のメルセデス、中央がエルミニア、右がオーストリア人のマニュエルです。I cook cury rice for Ermenia in 1980.They are one of my best friend.

    20歳の旅行中(1980年)に作ったカレーライスです。リンゴをウサギの耳の形にも切りました。左が、妹のメルセデス、中央がエルミニア、右がオーストリア人のマニュエルです。I cook cury rice for Ermenia in 1980.They are one of my best friend.

  • 20年後(1999年)に、エルミニアに再会い、20年前に作ったカレーライスと同じように皿を並べ乾杯しました。カレーライスは作れませんでしたが・・・I could meet Erminia again in 1999.She work in the hospital of world heritage in Barserona.

    20年後(1999年)に、エルミニアに再会い、20年前に作ったカレーライスと同じように皿を並べ乾杯しました。カレーライスは作れませんでしたが・・・I could meet Erminia again in 1999.She work in the hospital of world heritage in Barserona.

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