2006/08/29 - 2006/08/29
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4nobuさん
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ロマンモティエからヌシャテルへの帰りにイヴェルドンで下車して支線のパイェルヌの修道院付属のロマネスク様式教会を見に寄る。
スイスにはザンクトガレン、ロマンモティエ、それにここなどベネディクト派の修道院が多いが宗教改革後にその機能が停止して廃墟になったところが多いそうだ。近年建物は修復されるが修道院として存続するのはアインジーデルンぐらいか。(追記:また間違いです。たまたまある人のスイス旅の個人本を見て教えてもらったのですがエンゲルベルク修道院もベネディクト派修道院でまだ修道院として機能しているそうです)
このパイェルヌ修道院は10世紀に東ブルゴーニュのベルト女王(伝説の糸紡ぎの女王)によって創設された。別説ではその娘で神聖ローマ皇帝オットー大帝の妃アーデルハイト皇后が母の墓に詣でたときに寄進したとも。
この町には有名なこの修道院教会以外には取り立てて見るべきものはなさそう、暗くなってきたので教会見学後ヌシャテルに帰る。
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後陣(サヴェ)を外の駐車場から。後から追加したゴシック様式の塔が後にそびえる。身廊はクリュニー大修道院長聖オディローが、この後陣はその後継者聖ユーゴが1050年から建設を始める。
この写真で後陣のちょうど左端の所のグレーリ礼拝堂の壁に残されたラテン語の記述でこの地をPaternusと呼んでたことがわかり、それが現在の地名パイェルヌの語源であろうと市のパンフにある。 -
教会側面のトランセプト?。塔の位置から見て教会の正面ではないので。
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後陣。天井は半ドーム状。極端に装飾が少ないのはベネディクト戒律の清貧に関係する?
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"復活の礼拝堂"のボールトに天女の絵が。
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この楽器を抱く天女は13世紀の作と見られる
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身廊。装飾がなく、それがかえって荘重な雰囲気をかもし出し、日本の神社と共感してロマネスク建築が日本人に好まれるのだろう。
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身廊とトランセプトの交差部。ここだけ出なく全部の柱が黄色い石灰岩と灰色の砂岩を交互に積んでる美しさもロマネスク建築でよく使われる特徴。
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もう一つの装飾が柱頭の彫刻。これによって建造の年代の推定が可能とか
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サン・ミッシェル礼拝堂(ナルテックスホール)の天井の13世紀のフレスコ画
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かって鐘楼のトップにあった木製の飾り。ナルテックスホールに展示してある
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修道院との中庭の噴水
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なにか由緒ありげな噴水
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