2006/10/09 - 2006/10/09
206位(同エリア266件中)
義臣さん
「楠 正成」は、
湊川で討ち死 都で首を晒されましたが、
かっての盟友の「足利 尊氏」
は後に生まれ故郷のお寺へ送り。
観心寺へ葬られ首塚があります。
弘法大師が、高野山へ通う中継地点でもあり、
この寺より早朝、出立その日の内に高野山へ。
南朝が破れ 北朝の世は寺運も衰退しましたが
豊臣 秀頼の寄進で修復、
明治になって「有栖川宮家」の祈祷所にやや復興しました。
昭和になってから南朝の歴史が大いに盛んになって、
今日に至っています。
金岡 秀友著 「古寺名刹辞典」
住職さんのお話他を参照、要約。
私の意見も若干。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線
-
本尊「如意輪観世音菩薩」のご挨拶を済ませて。
星塚めぐり。
石段を少し下がってから、左から金堂裏へ。
石段を上がってくる
地元の人? -
足元の危ない細道を金堂裏山を一周。
-
-
最終地点に、阿弥陀堂。
読経の声が聞こえてきます。 -
97代天皇、後村上天皇桧尾稜へ
-
後醍醐天皇の皇子、幼名 義良親王
母 阿野 廉子、
のお墓は下の開山堂付近に有ります。 -
南朝 忠臣 楠 正成の首塚
-
開山堂
-
先ほどの読経の声は
法事があったようでした。
終わって帰る縁戚の皆さん。 -
法事も終わって、御影堂の住職さん、
先ほど私達の色々のお話をしてくださった方です。 -
建掛塔から、国宝「本堂」
室町初期に建立。
秀頼の時代、
江戸中期
明治初期
昭和初期と度々の修理
昭和五十九年には昭和の大修理の落慶法要も行われました。 -
楠 正成が湊川出陣前に
三重塔を建立の予定が
延元元年(1336)
神戸の湊川で討ち死に。
建立も立て掛けて中止。
建掛塔として残りました。 -
住職さんと金堂。
-
神戸大震災前の
「湊川神社」の春 -
建掛塔、屋根
木組みも塔を作る木組みです。
完成を見ずに亡くなるとは残念でした。 -
大阪府最古の国宝建造物。
行在所も、沢山の塔頭寺院もあった時代もありました。
見事な両界曼荼羅は現在も有ります。 -
緩やかな石段を降りて、、
-
中院
楠木家の菩提寺。
正成 八歳から十五歳までの学問所 -
学問所
正成の首送り届けられ、
正行が切腹をしようとして止められた話も此処です。 -
納経所
-
「後村上天皇行在所旧跡」の咲く花たち
-
-
-
行在所跡にふさわしい花達。
-
-
門外へ、振り返りながら。
もう来る事は無いでしょう。
紅葉はまだまだでした(当然)。
来たいと思っていた観心寺へ拝観
ホットした気持ちになりました。 -
先ほどの不思議な建物へ。
-
古風な食事所でした。
過去の観心寺の繁栄が見えるようです。 -
バス停へ。
-
バス、、行ちゃた、、
付近の小川で遊ぶ子供達。
見えますか? -
-
完
次週「富田林寺内町」を
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 三輪さん 2006/11/01 17:21:22
- ぼくが訪れたときは
- 紅葉の盛りで、御影堂の辺りは黄紅葉に包まれて、
その中でお坊様の勤行の光景は、古い時代の物語の光景のようでした。
そのときに¥5000の私鉄のプリペイドカードを境内で落としたようなんですが、見当たりませんでしたか?
- 義臣さん からの返信 2006/11/02 09:04:12
- RE: ぼくが訪れたときは
- 笑い、、、
私も紅葉の頃に行きたかった。
カード頂きます、ニコニコ。
-
- いっちゃんさん 2006/10/26 11:22:43
- 重鎮さを感じる木組み
- 建掛塔のいわれがよく解りました。
また、木組みが素晴しく、重みを感じました。
- 義臣さん からの返信 2006/10/26 16:18:11
- RE: 重鎮さを感じる木組み
- 理由を聞いてからの木組みがズシッと気持ちに来ました。
知らなければ、この家にこの木組みと不思議に思っただけでしょうね。
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