2006/09/13 - 2006/09/18
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りょーこ♪(りょん/LYON)さん
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阪急交通社のトラピックスのツアー『スペシャル九寨溝・黄龍・重慶・大足6日間』で中国に行ってきました。
今回のメインは黄龍と九寨溝です。同行者は以前から気になっていたそうですが、私は旅行会社から毎月のように送られてくる旅行冊子に載っている黄龍が、以前行って気に入っていたトルコのパムッカレを彷彿させる事から、気になりはじめました。最近、CMで黄龍の美しい姿が流れ、ますます注目度が上がっている中、同行者の誘いがあり、参加する事になりました。
本当は、九寨溝を2日見学するツアーに行きたかったのですが満員。その他のツアーも満員&取消ばかりで、あえなく旅程があまり良くないので気が進まなかった、このツアーに参加する事になりました。
<<ツアー全旅程>>
1日目:成田空港発→上海浦東国際空港着→逸和龍柏飯店泊
2日目:ホテル→上海外灘→上海浦東国際空港発→重慶江北国際空港着→大足宝頂山石刻→海徳大酒店泊
3日目:ホテル→重慶江北国際空港発→九寨黄龍空港着→宝石店→黄龍(迎賓彩池・盆景池・明鏡倒影池・争艶彩池・映月彩池・五彩池)→新九寨賓館泊
4日目:ホテル→九寨溝(諾日朗瀑布・鏡海・箭竹海・五花海・樹正瀑布・長海・五彩池・老虎海・九寨溝民族文化村・樹正樹海・臥龍海・火花海・盆景灘)→新九寨賓館泊
5日目:ホテル→九寨黄龍空港発→重慶江北国際空港着→三峡博物館→鵝嶺公園→総合土産物店→重慶江北国際空港発→上海浦東国際空港着→逸和龍柏飯店泊
6日目:ホテル→上海浦東国際空港発→成田空港着
本来は九寨溝で「百楽来渡暇飯店」に泊まる筈だったのですが、ホテル改装でシャワー室しか完成して無い為、「新九寨溝賓館」に変更になりました。更に、5日目は重慶から北京に行き、6日目に北京から日本に帰ってくるツアーだったのですが、飛行機がとれず上海から帰国する事になりました。この変更による変更補償金が出発時に約¥5,000/人返金されました(^^)v しかし、原油高で燃油サーチャージが国際線分+¥6,000/人、更に中国国内分の燃油サージャージが当初の倍近くになりと空港税と合わせ合計520元/人となり、結局はマイナスです。原油価格が落ち着いて欲しいものです(ーー;)
さて、今回のツアーですが、一言で言い表すと「良かったけど、本当に疲れた!」です。ちなみに良かったのは観光です。疲れたのは日程です。企画・承認した人のセンスを疑うような強行スケジュールに、机上の計算だけで実際に行った事は無いんだろうなと思いました。すごい丈夫ってわけではないけれど、決して体は弱くない私達が、正直、かなり疲れました。このツアーに参加される方、健康管理には充分御留意下さい。
加えて、今回のツアーの添乗員さんは、これまで見た事がない程のダメ子さん。経験が無い上に、努力する姿勢もない、最悪の添乗員さんのおかげでカルシウム消費が激しく、ほとほと疲れました。阪急交通社さん、「添乗員が自慢です」と謳ってらっしゃいますが、あれが御社御自慢の添乗員ですか???聞いて厭きれます。一生懸命頑張っている他の添乗員さん達が到底かわいそうです。現地係員だけのツアーのほうがマシです。。いいかげんにして下さい!!!金返せ(--〆)キィー!!!
それでは、出発です\(^o^)/
ツアー1日目の旅程は『成田空港発→上海浦東国際空港着→逸和龍柏飯店泊』、つづいて2日目『ホテル→上海外灘→上海浦東国際空港発→重慶江北国際空港着→大足宝頂山石刻→海徳大酒店泊』です。
*今回はガイドブックを購入しなかった為、主にネットをからの情報収集で作成しております。情報の間違いも多少はあると思いますので御容赦下さいます様お願い致します。
<<参照・関連サイト>>
阪急交通社:http://www.hankyu-travel.com/
---大足石刻宝頂山の参考にさせて頂きました---
iwahashi.3322.net from suzhou, china: http://www.globetown.net/~iwahashi/sichuan.html
『人民中国』: http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200407/yichan.htm
アジアネットさんの『中国ネット』: http://www.asia-network.com.cn/Chongqing/contents-I1.htm
桂林中国国際旅行社さんの『AraChina.com』: http://www.arachina.com/attrations/chongqing.htm
3日目の旅行記:http://4travel.jp/traveler/first-step/album/10093817/
4日目の旅行記:http://4travel.jp/traveler/first-step/album/10094432/
5~6日目の旅行記:http://4travel.jp/traveler/first-step/album/10092622/
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
成田空港で同行者と合流し、阪急交通社の集合場所へ。
チケットをもらい、中国国際航空のカウンターでチェックイン。
CA920便、20:20発の飛行機で上海へ向かいます。
それでは、強行スケジュールの旅のはじまり、はじまり〜! -
上海へのフライトは3時間20分。
今日の夕食は機内食。凹む。。。(^_^;)
22:40頃上海浦東国際空港へ到着。
小さい飛行機だったので、ターミナルに横付けされず、バスでターミナルに向かいます。
飛行機を降りる時、フライト・アテンダントの方が黄色いビニール袋みたいなのを配っていたのですが、なんだかわからずに貰わずに降りたら、小雨が降っていました。どうやら簡易雨合羽だったようです。結構、重宝しそうなので、もらっておけば良かったと後悔(T_T)。
入国手続きを済ませ荷物を取って、ゲートをでます。中国の空港はポーターさんがいないそうで、荷物は自分で運びます。ゲートの外で現地ガイドさんと合流。
空港からバスに乗り込み、ホテルへ向かいます。
バスにスーツケースを積みこむ時、添乗員さん「自分の荷物が積み込まれるのを各自確認してください!」だって。
なんか、現地係員のみの個人パッケージツアーに参加してるみたいね^_^;トホホ -
逸和龍柏飯店
ホテルに向かうバスの中で現地ガイドさんが両替をしてくれました。今回は¥10,000が650元というレートでした。
高速で約一時間走り今日のホテルである逸和龍柏飯店に12時過ぎに到着。時間が遅いので、少しでも早くと自分で荷物を運び、部屋に。お風呂に入って、明日も朝から移動なので荷物の整理をして、2時前にやっと就寝。
翌朝は6:50モーニングコール。
ホテルのレストランで朝食です。バイキング式で、和食も豊富、品数も多く、なかなか美味しかったです。日本からの観光客だけでなく、ビジネスマンが多く滞在している模様。日本人だらけでした(笑)たまたま同じテーブルだった現地工場に赴任している方とお話しました。タクシーで10分くらいの所にカルフールがあって、お土産とかはホテルで買うより全然安いっていう話でした。
思ったより長く食事をしていたので、荷物の時間(7:30)に間に合わず、自分で荷物を降ろす羽目に(T_T)部屋から荷物を持っております。 -
8:20に逸和龍柏飯店ホテルを出発。
バスに乗り込み、上海の市内観光です。外灘観光(約20分)の後、重慶に向かう飛行に乗る為、又、空港に向かいます。
添乗員さん、今日も「自分の荷物が積み込まれるのを各自確認してください!」だって。
添乗員付きツアーでこんな事言われるの初めてです。
中国だからなのかなぁ(?_?)
バスに乗りこむと、添乗員さん「それでは上海市内観光です。外灘に行ってから、空港に向かいます。」
その直後、現地ガイドさん「それではこのまま空港に向かいます。」んっ?!(?_?) しかし、添乗員さんとガイドさんで特に調整の会話は無く、訂正もされないので、単に勘違いだろうと流してみます。日程表に書いてあるわけだし、外灘観光に行くのだろうと思った物の、いきなり上海浦東国際空港に到着(ーー;) 現地ガイドのミスか、ダメ添乗員さんと現地ガイドさんの間のコミュニケーションミスかは、不明だけど、何の説明も無いまま外灘観光は省かれました。
あせった添乗員さん、急遽ガイドさんと話をしはじめる。「渋滞で時間が無いから5日目の夜上海に戻ってきた時に繰り越す」と、とってつけたように皆に説明。確かに渋滞してたけど、そんな事はいつもの事なんじゃないのかな? この添乗員さん、本当に大丈夫なの???カルシウムが足りなくなりそう。。。(ーー;)
さて、中国東方航空MU-5421便で重慶に向かいます。上海浦東国際空港11:20発、約2時間35分のフライトです。昼食は、又、機内食(^_^;)
14:00頃、重慶江北国際空港に到着。重慶江北国際空港はかなり広く感じました。荷物を取り、ゲートを出て、四川地方での現地ガイドさんと合流。空港を出発したのは、14:30頃だったと思います。
早速、大足石刻に向かいます。 -
大足宝頂山入口へのシャトルバス
大足石刻のの宝頂山の入場は17:00までという事で、バスは田舎道をすごいスピードで飛ばしていきました。周りの風景は、かなり土色。ちょっとしたカルチャーショックな風景でした。
大足は重慶から約120キロ、成都からは約290キロ離れたところにあります。大足とは池の底に釈迦が残した足跡から来たとか、この地方の女性は纏足(てんそく)をはかなかったから大きな足だったからとか、この辺りは昔から裕福な土地で人々が大満足だったからとか諸説あるようです。
この大足県周辺にある全ての石窟仏像を総称して『大足石刻』と呼ぶそうです。すぐれた芸術性と彫刻技術で創造的な発展を遂げ、大足石刻は中国古代仏教石刻芸術晩期の代表作とされています。又、保存状態が良く、中国の石刻の中で最も良い状態で残されています。殆どが唐代から南宋時代までにできた仏教関係の石刻ですが、儒教、道教の像も刻まれています。又、当時の生活や風習が織り込まれているのも特徴の一つです。石刻は宝頂山・北山・南山・石門山・石篆山に集中していて約10万体もの石刻が発見されています。
ぎりぎりセーフで16:40頃、駐車場に到着。駐車場から少し商店が並んでいる道を通り、シャトルバスや自転車版人力車で宝頂山の入り口に向かいます。入り口までのなだらかな上り坂を3台のシャトルバスに分乗して進みます。この写真は宝張山の入り口側に到着してから撮影しました。
ちなみに、このシャトルバスに乗ろうとしたら、人数が足らない。何人かがトイレに行ったのだけど、添乗員さんは人数を把握してないらしい。その人たちを置きざりに、彼女は私達と一緒に来てしまっている(^_^;)
どうやら彼女は人数を数えない人のようだ。空港で数えてるそぶりしてないのに出発したから、「すごい早いなぁっ、流石っ!」って思ったけど、本当は数えてなかったんだね(^_^;) -
宝頂山の入り口
シャトルバスを降りて石細工を売る屋台が並ぶ道を通り階段を下りると宝頂山の入り口があります。右に下っていく階段を降りてゆくと宝頂山の大仏湾です。
南宋の名僧・趙智鳳が紀元1174年〜1252年の70年間程にわたり、大仏湾、小仏湾を中心にして周囲2kmの山々に摩崖像を彫り、広大な密教道場をつくったのが大足石刻です。その中でも宝頂山と北山の石刻群が、最も規模が大きく、それぞれ1万体の仏像があるそうです。1999年の12月に宝頂山と北山の仏像石刻が世界文化遺産に登録され、有名な観光地となっています。
宝頂山は大足から約15km離れた場所にあります。大仏湾といわれるU字型の岩壁に31組の石刻が約500メートルに渡り並んでいます。石刻は一連のテーマに沿って彫られていて、絵物語のようなのも特徴です。華厳三聖像、千手観音像、釈迦様涅槃像、十大明王像が有名です。中でも圓覚洞は一番芸術性が高いと言われています。大仏湾を全部見るには平均約1時間半ぐらい掛かかるそうです。近くに聖寿寺や小仏湾も有名なようですが、今回は行けませんでした。
四川盆地は古くから「天府の国」(天然資源の豊かな地)と呼ばれ、大足や安岳辺りは当時の四川省の政治、経済、文化の中心地でした。唐代の「安史の乱」(755〜763年)により、多くの文化人、職人、高僧が戦乱を逃れて、この地域に移り住んだことにより、中国仏教文化の二大中心地の一つ(もう一つは浙江省・杭州)となりました。こうした歴史的・経済的背景から仏教石窟の造営が大流行し、中国史上、代表的な石窟造像を誇る土地となったそうです。 -
道子像?
階段を下っていくと、右正面に最初の石刻が現れます。
画面左側の2体ならんだ石像の右側(真ん中)が1915年ごろ彫られた「道子」の像と言っていた気がしますが、どうだったかな???もう忘れちゃいました(^^ゞ
写真の左側の石像の奥に大きく「宝頂山」と彫られた壁面があります。順路は「宝頂山」の壁面の角を右側に曲がっていきます。「宝頂山」の壁面を正面に見た時の、背面側(左側の石像の正面)に下りの階段があり、順路どおりに行くと帰りはその階段を登ってもどってくる形になります。 -
世界遺産登録銘板
写真の左側がそうです。「宝頂山」の壁面の角を順路に沿って曲がった所に、この世界遺産登録銘板があります。
世界遺産に登録されている名所だとは知らなかった私達。たまたまツアーに入っていたので訪れる事になったのですが、なかなか良かったです。 -
つづいて菩薩様(?)です。柳本尊正覚像っていうのかな???820年前に彫られたそうです。優しい感じのお顔です。
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満ち足りた感じのお顔で、見ていると安らかな気持ちになります。
今まで見た菩薩のお顔の中で一番好きなお顔かも(^^) -
石獅子
つづいて石獅子です。この左に第29号圓覚洞があります。圓覚洞は正面に三体の仏像があり、「三身仏」(左・阿弥陀仏、中・毘盧舎那仏、右・釈迦牟尼仏)というようです。その前に、一体の菩薩が向かい合わせに座っています。左右の壁面には、各六体の菩薩が彫られています。石獅子はここを警備するように彫られているそうです。第29号圓覚洞は撮影禁止だったので写真はありません。石窟の中は、天気が曇りだった上、時間的にも遅かったので、暗くて見えづらかったのが残念です。 -
第30号牧牛図
次は第30号牧牛図です。これは、仏教が落ち着いていく様子を描いたんだそうです。よくわかんないけど(笑)
禅宗仏教では牛を心に、牧人を修行者に例えるんだそうで、修行し、心を整理し、悟りを開くという内容を表す経変図(仏教説話図)なんだとか。長さ30メートルの壁面描かれていて「牧牛道場」とも呼ばれるそうです。 -
第2号護法神像
牧牛図の次は第2号護法神像です。仏法を守る神の像みたいです。道場の規律をまもり、違法者には厳しく懲罰するという意があるとか。動物十二支の干支も彫られており、、昼夜、道場を守護しているそうです。 -
一番右に移っている丸いのが第3号六道輪回図、中央が大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経(?)、左が第5号華厳三聖像です。
第3号六道輪回図は無常の大鬼が六趣の輪をかかえているんだそうです。輪の中は仏教で言うところの「因果応報」、「輪廻継承」、「十二因縁」、「善悪殊報」をあらわしているらしい。 -
大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経???
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第5号華厳三聖像
続いて第5号華厳三聖像です。7.2mの大きさで、前傾に彫られています。左から、文殊菩薩、阿弥陀菩薩(毘盧遮那仏という説も)、普賢菩薩です。 -
中央の阿弥陀菩薩(毘盧遮那仏という説も)。左が文殊菩薩。文殊菩薩が手にもっている石塔がすばらしいんだそうです。500kgとか、どこかで読んだ気がしますが、確かではありません。右側から撮影
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背面は彩色が綺麗に残っています。
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第5号華厳三聖像の普賢菩薩右側の手の届く辺りの壁面です。
砂岩ぽい感じで、指でさわると結構柔らかい感じがします。 -
左側から撮影です。
この左手前に千手観音像のある建物があります。 -
華厳三聖像の次は第8号千手観音像です。
千手観音像は高さ3m、周りに1007の手が彫られているそうです。法物を持ち、ひとつひとつに眼があるそうです。世界大一級との事です。一面に金色の手が彫られていました。
この千手観音像を保存する為に、建物がたてられたそうですが、曇りの上に、日が暮れる頃で薄暗かったので、暗くて見えずらかったです。 -
つぎは第11号釈迦涅槃聖跡図です。1174年〜1252年。高7×32x5Mの壁に37像の石刻がなされています
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釈迦牟尼像は頭部を北、脚を南、顔は西を向いて、背が東側に横たわっているそうです。眼を瞑っているようですが、少し開いているのかもしれません。長さは31メートルの上半身のみ刻されていて、下半身は岩際の中、右側に臥した右肩は地表の下になります。訪れた人の想像の中にあるという考えで、「意到筆不到」(筆は足りぬが、意は足りる)という芸術技法なんだそうです。
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第14号_田比戸洞
釈迦牟尼像の次は第14号_田比戸洞です。
建物に覆われていて、写真禁止でした。
あまり良く見えなかったのですが、高さ6.9x8x5Mの窟内287像の石刻があるようです。
左壁面の石刻は崩れているとの事です。 -
第15号父母恩重経変相
続いて第15号父母恩重経変相です。1174年〜1252年。高7×14.5x2.5mの壁一杯に44像の石刻がなされています。父母子供に関する世俗的な家庭生活を表しているとか。 -
父母が子どもを養育する過程をテーマとしているそうです。
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続いて、第17号大方便仏報恩経変図です。
1174年〜1252年。
高7.3×幅15.6×深1.82mの壁一杯に68体の石刻群が描かれています。 -
画面上中央のどがった場所に描かれている石刻に特徴があるようでなんか説明を受けたのですが、忘れました(^_^;)
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中央に釈迦牟尼の半身巨像(大方便仏)だそうです。
高さ3.1mだとか。 -
写真中央が笛吹き女、左下が仏陀の行為を中傷した六人の異教徒のようです。
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釈迦牟尼像は左手で托鉢、右手で説法印を結んでいるんだとか。写真には写っていませんが、この周りには釈迦の今生と前世の重要な12の物語が描かれているようです。
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つづいて第18号観無量寿仏経変相です。
1174年〜1252年。
高8x幅21.6x深3mの壁一杯に169体の石刻群が描かれています。 -
第18号観無量寿仏経変相。1174年〜1252年。高8x21.6x3mの壁一杯に169体の石刻群が描かれています。
上部の像は阿弥陀仏のようです。 -
第20号地獄変相。
1174年〜1252年。
高12.68×幅19.95×深2.44mの壁一杯に133体石刻群が描かれています。 -
部の中央には高さ2.73mの地蔵菩薩座像があり、その左右上段には10尊の仏像、写真には写っていませんが、下段には18の地獄の様子が描かれている。
-
18の地獄の一つ、油鍋地獄。
閻魔様みたいな感じなんだそうだ。 -
つづいて第21号柳本尊行化事跡図です。
1174年〜1252年。
高12.57m×幅25.4m×深7.5mの壁一杯に67体石刻群が描かれています。 -
中央の主像が、柳本尊像で、高さ5.2mだそうです。
唐末、楽山の僧であった柳は修行を積み、苦しむ民衆を救った為、民衆の尊敬を集め「柳本尊」と呼ばれるようになったそうです。彼がここ宝頂山に道場を開きました。その後、柳の遺志を受け継いだ宋代の高僧趙智鳳が刻み続けたのがこの宝頂山石刻のようです。 -
柳本尊像の下の石刻
このように途中で終わっている石刻がいくつかあります。
これより左は清の時代になってから彫ったとか。
写真左の方向に順路は進んでいます。
この先に、お土産屋さんとトイレの建物に向かう道があります。お土産屋さんには主に石細工や石の置物がありました。トイレは和式タイプで、トイレットペーパーは無く、使ったペーパーは脇のゴミ箱に捨て、脇においてある水桶から水を汲んで流すタイプでした。トイレの部屋がいくつかあり、その部屋の扉はあるのですが、個々のトイレの扉はありませんでした。三人分ある部屋に3人で入って、全員終わってから、皆で出るみたいな形で入りました。「お尻合いになっちゃったねぇ〜(笑)」といいながら、皆で入りました。なかなかいい経験でした(^^ゞ
更に道なりに進んでいくと、階段があります。
階段を登っていくと、入り口直ぐの道子の像のところに出てきます。18:00過ぎに、宝張山を出発し、一路重慶へ向かいました。 -
再びバスを走らせ重慶市内に戻ります。
重慶市内の有名な火鍋レストランに20時過ぎに到着。
夕食です。
火鍋はしゃぶしゃぶみたいな感じの鍋料理です。
鍋が写真のように2重構造になっていて、外側は普通のダシ(ただのお湯かも?!)、中側は辛いダシです。甘めのゴマダレをつけて頂きました。私にとってはこのタレとの相性がいまいちでした。内臓系の食材が苦手なのと、前日からの疲れで眠かったのも加わって私は食が進みませんでしたが、同席の皆さんの多くには「美味しい!」と好評でした。ビールが飲み放題だったので、皆さんかなり飲んでましたね(笑)。 -
海徳大酒店
夕食のレストランを出て今日のホテル海徳大酒店へ向かいます。22:00過ぎにホテル到着。添乗員さんは、又、荷物を自分で運んでもらおうと思っていたらしいけど、コミュニケーションミスでポーターさんがもう持っていった後。初めて、荷物をポーターさんに運んでもらいmした。
部屋に入って少ししてから、荷物が届きました。お風呂に入って、荷物の整理をして、少しおしゃべりしたらもう時計は0:00をまわってました(-_-;)ガーン
明日は6:50発のフライトで黄龍に向かうので4:30起きです。寝る時間無いぃ。。。(T_T)
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