2006/09/12 - 2006/09/12
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研博さん
今年初の京都。まだ行ったことのない、大原、鞍馬、八瀬、比叡山、神護寺、などと考えていた所、何故か今まで魅力を感じなかった、宇治へ行く事に。
源氏物語(勿論鎌倉幕府の源氏とは関係ない)と平家物語にかかわりの深い宇治へ。
平等院・宇治神社・宇治上神社・県神社。
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
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東京駅から新幹線で京都駅へ。在来線に乗り換え宇治駅へ。乗車券を自動改札へ投入したところ、乗り越しの表示が。当たり前の話だが「宇治市」は京都市外でした!
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源氏物語のまち宇治。
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でかい茶壷。
『♪ずいずいずっころばし ゴマ味噌ずい 茶壺に追われてトッピンシャン 抜けたらドンドコショ 俵のネズミが米くってチュウ チュウチュウチュウ お父さんが呼んでも お母さんが呼んでも 行きっこなあしよ 井戸のまわりでお茶碗欠いたのだあれ』
江戸時代、茶葉を将軍に献上するため、大名の参勤交代のように、宇治から江戸へお茶壷行列が行われた。
この行列が将軍の威光をかりて沿道の人々に負担をかけるので、その行列がくるとみんな戸をピシャンと閉めて家にこもってしまった、という意味とする説がある。 -
平等院鳳凰堂。正式には阿弥陀堂。堂内の阿弥陀如来坐像は、当時の最高の仏師・定朝の作。
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藤原道長が手に入れた地に、子の頼通が平等院を創建。藤原氏が栄華を極めた時代であったが、飢饉や疫病が流行り、沢山の名もなき庶民が苦しみ・死んでいった時代でもあった。
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鳳凰像。
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鳳凰像と青鷺(?)
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創建当初は、金堂、講堂、五重塔、三重塔、五大塔、鳳凰堂などなど、巨伽藍を形成していたが、度重なる戦火で焼け、鳳凰堂と阿字池を残すのみとなった。
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十円玉のモデルらしい。
壮麗ではあるけど、あまり好みではない感じ。 -
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以下引用
平等院を見て一僧侶が「この堂を造ったために地獄に堕ちるのは気の毒」
頼通いわく「平等院を造ってどんな徳があるのか」後見人いわく「餓鬼道の業などであろう」
飢えや病に苦しみ、造営中、石や樹の下敷きとなって死んでいった下層庶民たちを顧みることなく、貴族は、ひたすら自らの極楽往生を祈ったに違いない。
近年、阿弥陀堂内の修復中、工事を担当した人々の落書きが多数見つかった。大通りを泣き叫びながら跣で走る庶民の姿、苦痛にあえぐ貧民の顔。かっつて極彩色にいろどられていたこの建物の豪華さとは正反対の描写である。
以上、「京都 格別な寺」宮元健次著・光文社新書より -
外からでも、阿弥陀如来のお顔を拝むことができます。
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いち早く平家打倒の兵を挙げた、摂津源氏の棟梁・源頼政。平家に挙兵計画がばれ、準備が整なわないうちに、宇治平等院に陣を張り、平家の大大軍を迎え撃つも、敗れる。
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源頼政の墓。
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