2006/03/26 - 2006/03/26
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gentlyさん
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去る3月26日、改装が終ってすっかり綺麗になったFISCOに、数十台の国産レーシングカーが時空を超えて集結した。ネコ・パブリッシング主催で行なわれたこのイベント。以前から彼らが茂木で行なってきたヒストリックオートモビルフェスティバルは、ヒストリックカーのオーナーたちが愛車を全開で走らせタイムを競い合うというものだったのに対し、今回のイベントはどちらかと言えば主役は観客であり、メーカーが持込んだ栄光のマシンを当時のレーサーが当時さながらに走らせる姿を再現しようという試みで、したがってあくまでも競技ではないのが特徴だ。このイベントの見どころは、出走の出番を待つレーシングカーがずらりと並ぶパドックやガレージの中を観客が自由に出入りすることができるということ。したがって、マクラーレンの落雷のようなV8サウンドを思う存分聞くことができるし、Cカーの太いマフラーから噴出す排気ガスを胸いっぱいに吸い込むことも観客の自由だ。そして今回ゲストとして、日本のレース界で活躍したレーサーが数十人が集結。黒沢元治氏がR382に、高橋国光氏がアドヴァン・ポルシェ962Cに・・・あのレーサーたちが当時のままにマシンをドライブする姿を存分に見ることができました。しかもパドックで彼らにサインをお願いすると、どなたも快く引き受けていただけました。
第一回ということもあろうが、会場内はそれほど混んでなく、レストランやトイレのアクセスもまったく不便を感じなかった。早朝、会場に到着した際、パドックから随分と遠い駐車場にクルマを停めるはめになったが、後で聞いたところによると子供連れのクルマは優先的にパドックに近い駐車場に停めさせた、とのこと。折角物凄いクルマたちを見るのを楽しみに来た子供達が歩き疲れて「もうこんなイベント来たくない」なんて思ったら折角の思い出も台無しだ。主催者のこの対応は全面的に支持したい。国内でも様々なクルマのイベントを企画し、さらに海外のイベントを長年にわたって取材してきた主催者側だけに、来年、再来年も斬新な企画でモントレーヒストリックレース並の大規模なイベントになることを期待しよう。
- 交通手段
- レンタカー
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ここ富士に集結した70年代の富士グランチャンピオンレースシリーズ(通称グラチャン)のモンスターマシンたち。初期のグラチャンにはカンナムで活躍した画像のマクラーレンM6やシェブロンなどが参加し日本のレースファンを虜にした。なぜなら60年代後半のカンナムにおいて、チーム・マクラーレンのブルース・マクラーレンとデニス・ハルムのコンビは全戦全勝の圧倒的強さを誇りマクラーレンのワンマンショウと呼ばれたほどだったから、その名は日本のレースファンにも轟いていた。しかし70年、グッドウッドでテストドライブ中の事故でブルースは死亡。彼の夢はダン・ガーニーやピーター・ゲシン、ピーター・レブソンらよき理解者たちによって受け継がれる。
早朝、富士のガレージでM6のエンジンに火が入ると、落雷よりも凄まじい爆音とともにマフラーから炎が噴出し観衆の体をビリビリと震わせた。そしてエンジンを切ると一瞬の静寂。そして強張った観客の緊張の糸もスッと解れる。この感覚が病みつきになる。 -
由良拓也氏率いるムーンクラフトがデザインした紫電77のレプリカ。FJ1600ベースのレプリカとはいえ雰囲気は抜群
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マクランサは童夢の林みのる氏がつくった、S800のラダーフレームの上にFRP製ボディを載せたレーシングカーで、小排気量ながら60年代の富士のレースで大活躍した。このマクランサでの経験をもとに、林氏の友人で本田宗一郎の長男である博俊氏がつくったのがホンダ・カムイであった。
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チームヤマトの大場次雄氏によって国内耐久レースで活躍したポケットロケット、ヤマトシビックRS。この日も当時と同じく大場氏によってドライブ。小さな車体からは想像つかない爆音を響かせていた。
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当時のグループA、1600ccクラスで大活躍したワンダーシビック、ホンダ無限MOTUL CIVIC Si。中子修氏、岡田秀樹氏、中嶋悟氏、鈴木利男氏らのドライブで圧倒的強さを見せ付けた。この排気量、前輪駆動ながら225馬力をたたき出す。この日ステアリングを握ったのは、やはり中子修氏でした。
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90年に中子/岡田組のドライブでレース界で無敵を誇ったEF9グランドシビック、出光MOTION無限CIVIC。この日のドライブは岡田秀樹氏。ワンダーシビックとグランドシビックを、あの中子氏と岡田氏がドライブするというので大きな話題となりました。
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ヒストリックイベントでもなかなかお目にかかれないノバ532BMW・F2。星野一義氏、中嶋悟氏のコンビで国内外のF2レースで活躍した。デザインは由良拓也氏。
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76、77年のたった二年間のみ行なわれたF1日本グランプリ。その76年にコジマエンジニアリングがエントリーしたKE007。デザインはもちろん由良拓也氏で、開発にはトミーカイラの解良喜久雄氏も関わっている。予選でクラッシュし満身創痍で本戦に臨むが、フェラーリの「不死鳥」ニキ・ラウダ、マクラーレンの「壊し屋」ジェームス・ハント(この年ワールドチャンピオン)らには全く歯が立たなかった。
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ある意味感慨深いレイトンハウスカラーのマーチ87B。マーチは一時はラウダ、ピーターソン、ペスカロロらを抱えるF1の名門だったが次第に力を失いバブル期に日本のレイトンハウスに買収され、そのため日本人にはおなじみのマシンとなった。星野一義氏がF3000チャンピオンに輝いたのもこのマシン。
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もはや説明が要らないほど有名な、非レシプロエンジン、日本車唯一のルマン優勝マシン、レナウン・チャージマツダ787Bゼッケン55。91年のルマンは、大御所ザウバーが3台、ポルシェが13台、前年優勝のジャグワーが4台と強力な布陣を前に、最初ノーマークだったマツダは良燃費と軽量なボディ(ルールでロータリーエンジン車はレシプロエンジン車よりも最低重量が170キロも有利だった)を生かし快調に周回を重ね、スタート16時間後に首位で優勝候補のザウバーC11がリタイア。ついに首位にたった787Bはそのままチェッカーをうけた。ドライバーはフォルカー・ヴァイトラー、ジョニー・ハーバート、ベルトラン・ガショー。4ローターの甲高い排気音は遠くからでも聞き分けることができる独特のもので、ピットでエンジンに火が入ると一瞬で黒山の人だかりができるほどの人気だった
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ニッサン最後のグループCマシン、R92CP。ポルシェ956、ザウバー・メルセデスC9、ジャグワーXJR9など海外の強敵と戦い、敗北という苦い経験を積むたびに確実に進化していったニッサンのCカーは、ついにR91CPでついにデイトナ24時間レースを日本車初優勝という形で制することができた。翌年、グループC最後の年のJSPCで星野一義氏、鈴木利男氏のコンビで大活躍するこのR92CPはニッサンに最後の花道を作った。
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チーム・アドヴァンカラーのポルシェ962C。高橋国光氏、高橋健二氏の「ダブル高橋」のドライブで85、86年のJSPC2年連続優勝するなど無敵の強さを誇った。高橋健二氏は昨年残念ながら肝硬変でお亡くなりになりました。ポルシェ962は、対グループC用必殺マシン956を改良したIMSAレースGTPクラスマシンで、グループCではKKK製ターボを2基備えていたのに対し、こちらはシングルターボであるのと、前面の衝突安全性を考慮しペダル類をフロントアクスル後方に移動させてある。
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トヨタトムス87C。ルマンでは星野薫氏、関谷正徳氏らのドライブで、鈴鹿1000kmレースではアンドリュー・ジョーンズらのドライブで活躍したマシン。しかし大舞台で輝かしい結果を出すことはできなかった。
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1974年にロータリーエンジンのシグマでルマン出場して以来、20回以上を数えるおなじみミスター・ルマンこと寺田陽次郎氏。マツダ・ロータリーでの活躍が有名だがデモランではちいさなホンダS800をドライブする姿が印象的でした。
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95年のルマンで、悲願のルマン優勝を成し遂げた関谷正徳氏。優勝マシン、上野クリニック・マクラーレンF1はルマン初出場初優勝という驚異的強さを見せ付けた。この日関谷氏は、自身の手で92年に2位入賞したトヨタTS010を駆った。ファンのサイン攻めにも快く応じてくれた。
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