![今年も9月がやってきて、あれからもう5年もの時間が流れようとしています。<br />でも、犠牲者やその家族の人たちは5年という時間が流れたのだろうか?<br />空を見上げた時に、ふと雲がその人のシルエットに見えたりして悲しみが戻り、そしてやり場のない怒りに苦しめられたりしてしまってないのだろうか...。<br />直接被害に遭っていないこの僕でさえ、ふと思い出し悲しくなるっていうのに...。<br /><br /><br />そんな思いからあの忌まわしい出来事を振り返ることで、全ての犠牲者へ哀悼の意を表したくこれを書くことにしました。<br />(写真は2003年12月・WTC跡にて)](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/08/82/650x_10088253.jpg?updated_at=1157124034)
2001/09/11 - 2001/09
41908位(同エリア49885件中)
たびっとさん
今年も9月がやってきて、あれからもう5年もの時間が流れようとしています。
でも、犠牲者やその家族の人たちは5年という時間が流れたのだろうか?
空を見上げた時に、ふと雲がその人のシルエットに見えたりして悲しみが戻り、そしてやり場のない怒りに苦しめられたりしてしまってないのだろうか...。
直接被害に遭っていないこの僕でさえ、ふと思い出し悲しくなるっていうのに...。
そんな思いからあの忌まわしい出来事を振り返ることで、全ての犠牲者へ哀悼の意を表したくこれを書くことにしました。
(写真は2003年12月・WTC跡にて)
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2001年9月11日、珍しく朝一番のUA1695便でバンクーバーからサンフランシスコへ。
離陸後、軽い朝食を終え片付けられ、少しうとうとしていた時機長からのアナウンスが流れたのです。「..... FAAより全機最寄りの空港に着陸するよう指示があり、本機もそれに従いポートランドに着陸します」と。
(写真は2003年12月・WTC跡にて) -
アナウンスが終わるやいなや、機体は旋回し降下を開始...よく聞いていなかったので、通路を挟んだ隣の白人女性に尋ねると彼女もよく聞いていなかったらしいけれど「ハイジャックがあったと言っていた」と。
乗っている機がハイジャックされた訳じゃないし、1時間もすれば解決しサンフランシスコに向かうだろうと思っていた。
(写真は周囲2003年12月、中央2006年4月・WTC跡にて) -
ポートランドに着陸すると機はしばらく駐機場のようなところで停まっていたが、再びエンジン音を大きくさせてゲートに向かっただけでなく、機長から「預かった荷物は全てここで返却します」と...。
ちょっと機内がざわめいたけれど、それでも普通にゲートから待合いエリアに出た。
ゲート周りのTVに人だかりができている。こんな朝から何が...建物から煙が出ている、でもまだ何のことかわからないでいるとTVを観ていた人が「ニューヨークのワールド・トレード・センターが攻撃されたんだ」と教えてくれた。
どのくらいそこにいたか覚えていない。ただ大変なことが起こってしまったことだけは感じていた。
(写真は2006年4月・WTC跡にて) -
ユナイテッドのカウンターに行くとそこはまだ混乱していた。
でも、カウンターには大きな花が置かれていたが、今思うと犠牲者への花だったのだろう。いつもあんなに大きな花をカウンターに置いていることなんて見たことないんだし...。
聞くと3日間は民間機の飛行を禁止されたから3日間のホテルを用意すると言ってくれ、すぐにチェックインするかどうかを尋ねられすぐにもチェックインすることにした。
(写真は2003年12月・ビレッジ近くの消防署にて) -
ホテルの名前は覚えていないけれど、UAや他の航空会社のクルーたちとシャトルに乗りチェックイン。
部屋に入りすぐにTVをつけた。どのチャンネルもテロに関する放送で「パール・ハーバー以来のアメリカへの攻撃」と当初は伝えられ、その後は盛んにオサマの名がテロップに流れた。
いつ日本に戻れるかわからないので、すぐにインターネットで仕事場にメールをし時間を見計らって電話をした。
(写真は2003年12月・WTC跡にて) -
その夜、何を食べたのか全く覚えていない。覚えているのは”Best Buy”なんかがある小さなショッピング・センターの前で数十人の女性が、手に手にローソクを持ち祈っていたこと、そして轟音に部屋の窓から見てみると戦闘機が2機オレンジ色の炎を吐きながら離陸していく姿だけで、それが終わると空港近くとは思えない静けさが戻った。
(写真は2003年12月・WTC前セント・ピーターズ教会にて) -
ユナイテッドから今後どうなるかわからないので毎日朝に電話するように言われていたので翌朝電話をするが、ずっと話し中で繋がらない。
部屋の窓から外を見ると、どんよりと曇った中に半旗が見える。
することもないし近いので空港に行くと、いつもは混雑しているハズのカーブサイトもロビーも人影は少ない。
UAのカウンターに行くと、やっぱり3日間は飛べないので14日のサンフランシスコ行のボーディング・パスをプリント・アウトしてくれ、サンフランシスコから日本へは運行がいつ再開されるか見込みがたっていないと聞かされた。
(写真は2001年9月12日・ポートランド=OR空港近くのホテルにて) -
することもなくホテルに戻ろうとしていると、ポートランドのダウンタウンへ繋がっているライト・レール=MAXの係が「とんだことになって大変だろう。でも仕方がないから、ダウンタウンにでも行きリラックスしてくればいい」と電車の切符をくれた。
(写真は2001年9月12日・ポートランド MAX=ライト・レール車内から) -
その言葉に甘え切符をもらい電車に乗ったが、乗っている人はまばら...。
いつだったか来て見覚えのあるコンベンション・センターを越え、パイオニア・スクェアで電車を降りたけれど殆どの店は「犠牲者への哀悼の意で休業する」と貼紙が貼られている。ビルには大きな星条旗が垂らされ、半旗が少しの風に揺れていたりするだけ。
(写真は2001年9月12日・ポートランド空港=PDX空港にて) -
UAが用意してくれたホテルを出ないといけない。そのままそのホテルに泊まろうと聞いてみるが満室だと言う。延泊できなくもないが慣れたホテルがいいと空港に近いホリディ・インに電話してみると泊まれると言うので、ホテルから空港、空港からホリディ・インへとシャトルを乗継いで部屋に。
何日目か覚えていないけれどUAに電話すると、サンフランシスコまでの席は確保できると...でも、日本への便はまだ運行されていないから、サンフランシスコよりここにいる方が負担が少ないと助言されここに留まることに。
僕はラッキーだったんだろう。混乱のためか3泊、4日間をUAがホテルを用意しその費用も負担してくれたし、これ以上言えないしUAにもその義務はない。
ホテルが変わることと電話番号を伝えてポートランドで待機するしかない。
(写真は2001年9月・ポートランド=ORパイオニア・スクェア近くにて) -
ポートランド、ダウンタウンの中心地パイオニア・スクェアへ行ってみると広場に白い紙が帯になって広がっている。そこにはテロに対する怒りや犠牲者へのメッセージが思い思いに書かれている。
いろんな人たちが、いろんな思いを込めて書いている。僕も日本語と英語で思いを書いた。
(写真は2001年9月・ポートランド=ORパイオニア・スクェアにて) -
広場にある階段状の落水盤には灯されたローソク跡とともに、メッセージが書かれた紙や花が置かれている。
一人の若者がそこで縦笛を吹いている、きっとそれは鎮魂歌なのだろう。
(写真は2001年9月・ポートランド=ORパイオニア・スクェアにて) -
今こうして「あの時」を思うと僕はずいぶんとラッキーだった。
もし、あの時東部にいればボストンからロサンゼルスへ向かう途中にハイジャックされ、WTC南棟へ突入したUA175便に乗っていたかも知れない。この朝早い便ではないけれど、いつだったか不明だけれど同じUAでボストンからロサンゼルスへ9月7日のUA897便で向かったことがメモに残っている。
そして、混乱のせいだったかも知れないが結局ポートランドを発つ18日まで経済的な打撃=被害は最小限に抑えることができたし、初めての街でなかったこともラッキーだった。
(写真は2001年9月・ポートランド・ORパイオニア・スクェアにて) -
このテロリズムへと走った憎むべき背景を一部で僕は理解できなくはない。でも、テロリズムはだからと言って断じて許されるものでもないし、僕は屈さない。
よく旅行関係のBBSに「警戒レベルが上がったので旅行は止した方がいいか?」などと僕から見れば「たわけたこと」を書いているのを見ることがある。そんな時、僕はそのBBSにRes.する。
テロリズムは、関係ない人たちを巻込んで殺傷するだけでなく、その恐怖を煽ったりすることで社会不安に陥れることも目的の一つだ。だからそれで旅行を止すことはテロリズムに屈することになってしまう。テロリストの思うがままに行動を制約されることなく、自由に行きたい時に行きたい場所へ行くべきである...と。
(写真は2001年9月・ポートランド=ORパイオニア・スクェアにて) -
これを読んで下さってありがとうございます。どうか『あなた』もテロに屈することなく、行きたい時に行きたい場所へ行くようにして下さい。卑劣極まりないテロリストの恫喝に怯えて奴等の思うままにならず、自由に行動してください。
Sep.11,2001 世界中を悲しみに落とし込んだあの日を忘れません、そしてこれからもテロリズムを許しません。
ポートランドのUA職員、MAX職員やここに住む人たちは、悲しみを抑えて僕たちを元気づけてくれました。その温かい心を僕は忘れません。ありがとうございます。
AA11, UA175, AA75, UA93の乗客・乗員の方々、World Trade Centerにいた方々、N.Y.F.DとN.Y.P.Dの方々、そして隣接する四つのビルの方々、更にワシントンD.C米・国防省の方々、全ての犠牲者の方が安らかに、そして犠牲者のご家族お友達がどうか安らいだ日々を過ごされることを祈ります。
(写真は2003年12月・WTC跡地にて)
2006年9月1日
たびっと・記
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