1998/07/20 - 1998/07/24
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koiさん
私は、今回初めてインドに来てデリーからジャイプール・アグラのゴールデントライアングルという「5大世界遺産」フマユーン廟、クトゥブ・ミナール、ファテプール・シークリー、タージ・マハール、アグラ城をじっくり周遊観光するコースを巡った。それ以来数回にわたり日本の佛教がインドの何処にあるのかを探し求める旅に出てしまったのである。
古代インダス文明は今のパキスタンとインドの国境を流れるインダス川沿いで発展しました。この地域をシンド地方と呼んでいて「シンド」が「ヒンド」になり、そして「インド」という国名になったと言われています。
インドの首都デリーで見る物の全ては、今まで私が見てきた世界からかけ離れたものであった。幸いにも私は、今回もデリーの立派なホテルより少し下街の安いホテルを選んだのであった。
そうすると朝5時頃だろうかまだ薄暗いのに外がにぎやかなのである。何事があったのかと外に出てみると明かりが見えそこに人だかりあった。おそるおそる近づくと次々に信者が数名ずつやってきて怪しげな像や灯明の火を点けたり供物を供ええていた。どうやらここは、村の寺院だと直感した。寺院と言っても幅7メーター奥行き10メーター高さ2メーターの小さな1階建ての瀟洒な建物であった。
いままで私達が日本で見たお寺とは違い内部はカラフルな色で服を来た等身大の男女神などが硝子ケースの中に収められていた。お参りの信者は、中央に造ったリンガの祭壇に供え物をしたあと周囲に置かれている沢山の女神らに次々とお祈りをしていた。
後から判明したのであるが佛教ではなくヒンドゥー教の寺院だったのである。この時以来、私は、これらヒンドゥー教寺院に通うはめになってしまった。私が今まで見たバリ島の「バリヒンドゥー教」と似てはいるが、バリの場合これらの神は、人々に一切見せず日本と同じほこらに納め秘仏とされていた。バリ島のキンタマーニーという所で大がかりな祭りの準備をしていたところに出くわし扉が開いていたので中に入ったところ現地の人が走ってきてお叱りをうけたことがあった。しかしインドでは、堂々と人々の前にさらけだしていたのである。
信者の動きを入口で観察して1時間以上たったであろうか、この寺院の司祭者らしき人がやってきたので中に入って撮影しても良いかと尋ねるとOKと言うことになりそれぞれの神の名前をメモしながら撮影した。
この様な事がありインドにどっぷりはまってしまったのである。
今回のインド周遊5大世界遺産の訪問は、添乗員付きのツアーであったので気楽に旅行をすることが出来た。何れも世界遺産に指定されているだけあって見る物全てが驚く物ばかりであった。カレー味の食べ物とナンという食べ物にもあいてしまい目下チャイとマンゴジュースそれにパンなどの食べ物で飢えをしのいだ。
1日目 夕方 デリー着
2日目 デリー市内観光
【世界遺産】フマユーン廟・【世界遺産】クトゥブ・ミナール、インド門、大統領官邸など。午後 デリー発 専用車でアンベール城を象に乗って見学。ジャイプールへ 。
フマユーン廟【世界遺産】
デリーの市内観光は、フマユーン廟へ行きました。赤土と建物との一体感がある対物でタージマハ−ルと良く似た建物のはずです。タージマハ−ルをつくるのにフマユーン廟を参考にして造られたからです。
アンベール城【世界遺産】
アンベール城は、観光用の象に乗って城内まで登りました。ジャイプールに都が移るまでの約130年の間、ジャイプール国の首都として機能していた城で、丘の上にそびえるの城壁内部には、幾何学模様が美しいイスラム様式の庭園と建物がありました。
3日目午前 ジャイプール市内観光。(天文台、シティ・パレス、風の宮殿)。 午後 ジャイプール発【世界遺産】ファティプールシクリ見学 アグラへ
4日目午前 アグラ市内観光【世界遺産】タージ・マハール【世界遺産】アグラ城。午後 アグラ発 デリー着
5日目午前 デリー 空港から帰国へ
【警告】
油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。
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- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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タージマハ−ル
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イスラム教の寺院
【エピソード】
たしかジャイプール市内観光で「風の宮殿」を見学するのに、道路にマイクロバスを止めて中に入って見学した後、歩道に「蛇遣い」がいるのを発見し少しこわかったので遠めに見ていました。笛を吹き数匹のコブラを操りながらの路上パフォーマンスを繰り広げていました。添乗員がすばやく「見物料金」が入りますよ見たい人は、申し出て下さいと一言・・。しかし、誰も声を上げなかったのでゆっくりと歩きながら振り向いて見ていました。そして記念に写真を撮りたかったので遠くから塀にカメラを固定させて望遠レンズの高速度シャッターで狙っていたのです。しかし、さすがに商売人で私が、覗いているファインダー内にその蛇使いの視線がぴったり合い、コブラを手に持って立ち上がってこちらを指さし近づいて来たのです。私は、それに気づき走ってマイクロバスの中に逃げ込みました。添乗員も素早くドアーを閉めて走り去りました。 -
イスラム教の寺院
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五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺
日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。
五大明王の降三世明王と金剛夜叉明王は、平安時代中期の製作で檜材で作った等身大の物であった。平成九年度に寿宝寺の新築にあたり、地蔵堂の中でバラバラになっていたのを(財)美術院国宝修理所の小野寺久幸所長らにより修理した。その結果この像は、素地仕上げ古色で普通百年ごとに修理しているので現在までに三回修理していることが分かった。第一回は平安時代に、二回目は鎌倉時代頃に、第三回目は幕末か明治時代頃に修理していた。
目は「彫眼」 で、平安末期から鎌倉時代の玉眼でなく、平安時代中旬の作と言える。本来、五大明王(または五大尊・五忿怒)は、密教の中心的仏像で不動明王を中心に降三世明王(東)・金剛夜叉明王(北)・大威徳明王(西)・軍茶利明王(南)の五体からなっている。 これらの像は、中央の大日如来である不動明王以下の五仏が、衆生教化のため姿を忿怒形にかえたものである。つまりおろかな衆生は菩薩の慈悲に甘えるだけでは救われない場合があり、これらのしからねばならない衆生に対しては牙をあらわす憤怒相の三眼の姿で命令を持って教化している。 明王は如来の厳しい命令を実行する使者である。このため炎が上に燃え広がっているような髪で、沢山の手には悪をこらしめるための持仏を持った力強い姿をしていて腰等に薄い衣を巻き付けている。
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五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺
日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。足下にシバ神を踏みつけている。
寿宝寺で修理された降三世明王の特色は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王である。
三つの右手には金剛鈴・剣・矢を、三つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てている。 そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ男の大自在天(シヴァ)を、右足には女の妃の烏摩(ウマー)の異教神を踏み付けている。これは煩悩退治を象徴しているようである。 烏摩(ウマー)は、インドの神話シヴァの神妃の一人で優美さと穏和さを表している。彼女は「最も美しいヒマラヤの娘」と呼ばれして『ラーマーヤナ』においては、ラクシュミー、ガンガーと並んで崇拝されている。
もう一体の金剛夜叉明王は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、金剛杵(堅固)の威力で人間の障害を夜叉の力で取り除いてくれる明王である。六つの手には剣・矢・弓・宝輪・五鈷・金剛鈴などをもつ。特徴は中央の顔に五眼を持っている。 -
五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺
日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。
この部分は「京都観光ガイドメールマガジン」と藤井正浩氏の
「五大明王」から頂きました.
明王はもともとはインドの神々で、密教が仏教の世界にスカウトしたものです。
明王の「明」は、善法を守り悪法をさえぎる力を意味し、「王」は王様を意味しま
す。
明王は大日如来の真意を奉持し、霊的な力で悪を砕く役目を持っています。すな
わち、大日如来は温和にしてまともに法を説きますが、煩悩のとりこになって救い
がたいとされた者を教化する時は、明王に命じてその憤怒の相をもって正法に導く
とされています。 -
「十一面千手観音立像・聖徳太子像十六歳の立像」京都府京田辺市 寿宝寺
日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。実際に1000本の手がある。
本尊の十一面千手観音立像(十一面千手千眼観自在菩薩)は、等身大の素木造りで左右二十の大脇手の前に、小脇手を扇状に隙間もなく光背状に配して静的な平衡が保たれ、左右合わせて千の手には、目を印している。顔は温雅で浅い衣文の刀法に藤原中期の様式を示し平安時代に制作されたもので、大正二年四月国宝に、昭和二十五年八月二十五日に国の重要文化財に指定された。
この十一面千手観音立像は,大阪河内の「葛井寺」と奈良「東招提寺」の観音とともに,三大傑作の一つとして学者間に研究せられ,東招提寺の天平仏に見る手法であるが,しかし藤原期の穏やかなまとまりを見せていると言われている。
聖徳太子像十六歳の立像(中央)
鎌倉時代に作られたと伝える,聖徳太子像十六歳の立像は高さ一メ―トル余り,頭髪は耳でかくし,目にはガラス(玉眼)が入っており,顔は豊頬円満にして優雅な趣を持っている。又,境内の西側には慶長年間の石仏で,五輪の中に仏像のあるもの等がある。一方,東側の現在公園となっている所は,四年前まで大池があったところで一名「鶴沢の池」と称し,鶴が飛んで来ていたと申し伝えられている。
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