1976/02/21 - 1976/02/23
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koiさん
「友好の翼・京都府民友好訪中団」? 上海 1976.2.21〜2.23
上海は、唐代には華亭県の一部だったが、宋代に上海鎮が形成され上海県となった。1842年の南京条約により上海は条約港として開港し、以降英国、フランス等の租界が形成された。その後上海は極東最大の都市として発展しアジアの金融の中心となった。中華民国の下で1927年に上海特別市となり、1930年5月上海直轄市が成立している。
1932年上海事変、1937年第二次上海事変が起こり、上海は日本軍機の爆撃を受け、1937年に勃発した日華事変で日本軍が占領する。1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収、1950年代から1960年代にかけ中国の工業都市として発展した。
2/21午前
1・4班 竜華医院
2班 楊浦区鳳城新村
3班 大華医院
4班 楊浦区控口新村
5班 楊浦区長白新村
6班 楊浦区四平新村
7班 虹口区大連新村
午後
1・4・6班 虹口区青少年業余学校
2班 静安区少年宮
3班 虹口区海門路少年の家
5・7班 戸港区長楽路第三小学校
夜 上海市革命委員会代表と会見(団役員・班長)
歓迎レセブション、於 和平飯店
2/22午前 上海工業展覧会
午後 魯迅の墓
1〜4班 魯迅記念館→旧居
5・7班 上海光学計器メーター工場
6班 上海第九化学繊維工場
夜 上海曲技観劇、上海雑枝場
2/23 1班 宝山県彰浦人民公社
2班 嘉定県長征人民公社
3班 上海県虹橋人民公社
4班 上海県竜華人民公社
5班 嘉定県江橋人民公社
6班 上海県新没人民公社
7班 上海県華庄人民公社
全員 上海市第一百貨店買物
夜 映画「春苗」観劇 於 ホテル
※その模様は、京都新聞の記事として、またKBS京都テレビでは帰国後数回に分けて訪問団の代表がスタジオ出演し取材してきた16ミリのフィルムの映像を見ながら説明し放映されました。
当時は、まだNHKでも取材が許されていなくて画期的な放送でした。取材陣も大変苦労されたようで零下20度という悪条件のためカメラを耐寒処理して取材されたようです。当時はまだフィルムの時代でしたので室内はASA400という好感度フィルムを使用しDRというカメラで撮影し、屋外はASA100というフィルムを使用してアリフレックスというズームレンズ付きの16ミリムービーカメラで取材されました。
【日本との友好交流】
横浜市、大阪市、大阪府などと友好都市。
■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「友好の翼・京都府民友好訪中団」(団長に依田義賢・117名)は、1976年2月13日から2週間にわたり北京、西安、上海、杭州、蘇州の各地を友好訪問。
上海市革命委員会代表と会見(団役員・班長)
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
1976年当時の上海の外灘(バンド)
現在の上海の景色は、背の高いテレビ塔などが映されていますが、その場所が外灘外灘(バンド)です。黄浦江東岸の浦東地区を対岸から眺めると、近代的な上海の風景に驚かされますが、私達が友好訪問した時は、対岸の工事が始まっていた時でした。
しかし、反対側を振り向いた欧米様式の石造建築物は、当時と何ら変わらない建物が隙間なく建てられていました。当時は、朝(6時〜7時くらい)に訪れると、そこでは太極拳が盛んでしたが、現在では社交ダンスの姿があちらこちらで見られるようです。現在の外灘は、夜になると照明が施され素晴らしい欧米様式の石造建築物の夜景を眺めることができます。 -
1976年当時の上海の外灘(バンド)
写真の右上方が当時の外灘です。現在は、夜になると照明が施され素晴らしい欧米様式の石造建築物の夜景を眺めることができますが、当時はまだ照明などありませんでした。 -
1976年当時の上海の外灘(バンド)
現在の外灘は、夜になると照明が施され素晴らしい欧米様式の石造建築物の夜景を眺めることができます。 -
魯迅記念館
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派遣目的は、「1日も早く日中友好平和条約の締結をかちとり、中国人民との相互理解・友好・連帯を深め、帰国後の活動を通じて京都における日中友好を飛躍的に発展させ、子々孫々にわたる日中友好関係の強固な基礎をうちかためる」を結成されました。
訪問地では、熱烈な歓迎を受け、日中両国人民の友好と理解を深めました。主な訪問先は、工場や人民公社、病院や学校それに史跡文物などで通訳を通じて参観交流しました。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
「友好の翼・京都府民友好訪中団」
団員は、京都府の北から南まで府民で労働者・農民・教師・宗教家・医療関係者・芸術家・中小企業・俯市町会議員・青年・婦人というあらゆる階層でした。このため現地では、7班に分かれてマイクロバスで移動し百カ所を越す参観や表敬訪問、観劇など精力的に中国人民と交流しました。
※その模様は、京都新聞の記事として、またKBS京都テレビでは帰国後数回に分けて訪問団の代表がスタジオ出演し取材してきた16ミリのフィルムの映像を見ながら説明し放映されました。
当時は、まだNHKでも取材が許されていなくて画期的な放送でした。取材陣も大変苦労されたようで零下20度という悪条件のためカメラを耐寒処理して取材されたようです。当時はまだフィルムの時代でしたので室内はASA400という好感度フィルムを使用しDRというカメラで撮影し、屋外はASA100というフィルムを使用してアリフレックスというズームレンズ付きの16ミリムービーカメラで取材されました。
※私は、この訪中をきっかけに2000年前後から現在にかけて数度にわたり中国の各地を継続訪問しています。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影)
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