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スペインには5月半ばから6月すぎまで滞在していた。スペイン語は学生時代すこしはかじったものの、すっかり忘れてしまっている。知らないといった方がいいだろう。<br /><br />マドリッドでの目的はピカソの「ゲルニカ」に会うこと。<br />私とピカソの出会い、というよりピカソが好きになったのは<br />このゲルニカだったからである。20代のことだ。<br /><br />ゲルニカ展が東京上野の西洋美術館で開かれていた。展覧会に行ったのは雨の降る日だった。時間が遅かったせいか、観客は少なかった。だからゆっくりと作品を見ることが出来た。それまではピカソなんて分からない絵を描く人だぐらいにしか思っていなかった。それがゴブラン織りのゲルニカに何かを感じたのである。当時は「ゲルニカ」の壁画はニューヨークにあった。さらに「哭く女」のシリーズ、あの涙が線の先にぶる下がった、一見マンガチックな女の顔に慟哭の果てに、悲しみに疲れ果てた、そんな虚ろな姿を見たのだった。すごい!<br /><br />ゲルニカがフランコに加担したナチスの空爆にあったのは1937年4月26日。私の生まれた年だ。1937年7月には盧溝橋事件。ここからから始まる日中戦争、12月には南京大虐殺が起こっている。ゲルニカ空爆を怒ってピカソが描いたのがこのゲルニカだ。<br /><br />それ以後すっかりピカソ・ファンになって、ピカソの展覧会が行われる度に見に行くようになった。「ラス メニナス」も近代美術館に来た。ベラスケスの原画よりはるかにいきいきとしていて気に入った。だからゲルニカに会うのは夢であったのだ。<br /><br />ゲルニカはソフィア女王アートセンターにある。<br />マドリッドにいる間に、数回通った。ここも日曜日は無料になる。初めての時は絵の前に警備二人がこっちを向いて立っているのにびっくりした。レンブラントの夜警の前にも警備がいたことはいたが一人だった。<br /><br />腹が立ったのはツアーの1団。絵を前にしてツアコンさんが長々と説明している。このときはドイツ人の1団だった。ツアー客たちは、絵を見ずにツアコンを見て説明を聞いている。展示室は細長いので、人が立つと前面がさえぎられてしまう。でも、ツアコンに「説明はあっちでしてくれ」と言うと、素直に動いてくれた。<br /><br />もうひとつは、プラド美術館を訪ねることであった。プラドには朝、早めに行った。途中デモの行列に会った。何のデモかわからないけど、両手で手を振ると、向こうも両手で手を振ってかえした。陽気なデモだ。<br /><br />イスタンブールでもデモに出会った。でも軍楽隊の華やかな演奏の割には続く人々はしめやかだった。これは先生たちのデモだった。写真は撮ったが、手を振る雰囲気ではなかった。アテネでもデモに出会った。こちらはちょっとカメラを向けるのが怖かった。でもちゃんと撮ってきた。<br /><br />プラドの説明はいいだろう。もちろんここのお目当てはゴヤである。幸いにもこのときのプラドの特別企画はごやであった。さすがプラド、素晴らしかった。<br /><br />マドリッドの通りにある教会に入った。<br />私のおまじない、マリアさまにお天気をお願いためだ。<br />べつにクリスチャンではないのだけど、ヨーロッパに来ると、<br />クリスチャンもどきになって、ちゃんと教会へ行く。<br /><br />と壁面にかかっている絵に目が行った。<br />「グレコみたい」というと連れ合いも「そうだ」という。<br />絵を眺めていると、神父さんが出てきて、<br />「それはグレコの絵だ」と言った。<br />なにか説明もしてくれたが、スペイン語だったので、それ以上は<br />理解できなかった。<br /><br />これも何かも縁だ。あしたはグレコに会いにトレドへ行こう。<br />

マドリッド

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1996/05 - 1996/05

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buchijoyce

buchijoyceさん

スペインには5月半ばから6月すぎまで滞在していた。スペイン語は学生時代すこしはかじったものの、すっかり忘れてしまっている。知らないといった方がいいだろう。

マドリッドでの目的はピカソの「ゲルニカ」に会うこと。
私とピカソの出会い、というよりピカソが好きになったのは
このゲルニカだったからである。20代のことだ。

ゲルニカ展が東京上野の西洋美術館で開かれていた。展覧会に行ったのは雨の降る日だった。時間が遅かったせいか、観客は少なかった。だからゆっくりと作品を見ることが出来た。それまではピカソなんて分からない絵を描く人だぐらいにしか思っていなかった。それがゴブラン織りのゲルニカに何かを感じたのである。当時は「ゲルニカ」の壁画はニューヨークにあった。さらに「哭く女」のシリーズ、あの涙が線の先にぶる下がった、一見マンガチックな女の顔に慟哭の果てに、悲しみに疲れ果てた、そんな虚ろな姿を見たのだった。すごい!

ゲルニカがフランコに加担したナチスの空爆にあったのは1937年4月26日。私の生まれた年だ。1937年7月には盧溝橋事件。ここからから始まる日中戦争、12月には南京大虐殺が起こっている。ゲルニカ空爆を怒ってピカソが描いたのがこのゲルニカだ。

それ以後すっかりピカソ・ファンになって、ピカソの展覧会が行われる度に見に行くようになった。「ラス メニナス」も近代美術館に来た。ベラスケスの原画よりはるかにいきいきとしていて気に入った。だからゲルニカに会うのは夢であったのだ。

ゲルニカはソフィア女王アートセンターにある。
マドリッドにいる間に、数回通った。ここも日曜日は無料になる。初めての時は絵の前に警備二人がこっちを向いて立っているのにびっくりした。レンブラントの夜警の前にも警備がいたことはいたが一人だった。

腹が立ったのはツアーの1団。絵を前にしてツアコンさんが長々と説明している。このときはドイツ人の1団だった。ツアー客たちは、絵を見ずにツアコンを見て説明を聞いている。展示室は細長いので、人が立つと前面がさえぎられてしまう。でも、ツアコンに「説明はあっちでしてくれ」と言うと、素直に動いてくれた。

もうひとつは、プラド美術館を訪ねることであった。プラドには朝、早めに行った。途中デモの行列に会った。何のデモかわからないけど、両手で手を振ると、向こうも両手で手を振ってかえした。陽気なデモだ。

イスタンブールでもデモに出会った。でも軍楽隊の華やかな演奏の割には続く人々はしめやかだった。これは先生たちのデモだった。写真は撮ったが、手を振る雰囲気ではなかった。アテネでもデモに出会った。こちらはちょっとカメラを向けるのが怖かった。でもちゃんと撮ってきた。

プラドの説明はいいだろう。もちろんここのお目当てはゴヤである。幸いにもこのときのプラドの特別企画はごやであった。さすがプラド、素晴らしかった。

マドリッドの通りにある教会に入った。
私のおまじない、マリアさまにお天気をお願いためだ。
べつにクリスチャンではないのだけど、ヨーロッパに来ると、
クリスチャンもどきになって、ちゃんと教会へ行く。

と壁面にかかっている絵に目が行った。
「グレコみたい」というと連れ合いも「そうだ」という。
絵を眺めていると、神父さんが出てきて、
「それはグレコの絵だ」と言った。
なにか説明もしてくれたが、スペイン語だったので、それ以上は
理解できなかった。

これも何かも縁だ。あしたはグレコに会いにトレドへ行こう。

同行者
カップル・夫婦
航空会社
イベリア航空

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