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ガイドブックを持たない旅は何度かある。思いつきで、ふいに行ってしまったのだ。<br /><br />これもそのひとつ。<br />パリでのこと、食事に入ったのか、ホテルだったか覚えていないが、エレヴェーターを降りると、目の前に大きなチュニジアのポスターが貼ってあった。<br />青い空、青い海、「いいね。行ってみようか」「そうだね」<br />そんな単純なことからチュニジアへ行ったのである。<br />チケットは街中の旅行社でエールフランスの往復航空券を買った。<br /><br />パリのオルリー空港からチュニスへ4日ぐらいの予定で。<br />もちろん何の下調べもないし、ガイドブックもない。<br />ここはトーマス・クックは役に立たない。<br />チュニジアという国は、歴史としてポエニ戦争、ハンニバルの活躍したカルタゴ、そして、サハラ砂漠に続くベルベル人の国で、イスラムであることぐらいしか知らない。<br /><br />飛行機はサルディニア島の上を飛んでいく。<br />チュニス近くなると、ラグーンというのだろうか、<br />湾になった浅瀬の色がさまざまに変化して実に美しかった。<br /><br />空港で帰りのリコンファームをして、バスに乗って行った。<br />通りに面した3つ星(星がついていたような気がするけど記憶は定かでない)のホテルに入ると、フロントの女性が「どうしてリザヴェイションしないのですか?」ときいた。「思い立ってきたから、リザヴェイションできなかったのだ」と答えた。部屋はよく覚えていない。小さなホテルなので、ガイドマップもない。出たとこ勝負だ。<br /><br />大通りの中央部は公園のように木が植えられ、緑陰をつくっている。その通りの先にメジナ(旧市街)があった。ここには2,3回通った。<br /><br />迷路のような道を歩き回ったのだ。でも一度は迷って、子どもに案内してもらって元に戻った。その子がお駄賃をねだった。貨幣の単位がまだのみ込めないで。5なんとか、というので、5なんとかは多すぎると小銭を渡すと、それでもよろこんで行った。あとで、その小銭は彼の言った5なんとかより多かった。<br /><br />女性の顔を革で作った壁掛けを何個か買った。顔がなかなか気に入らなくて、あれこれださしてもらった。いくらに負けるというので、そこでまとめて買ったのだが、大きなお金を出すとお釣りを渋った。私は隣のお菓子屋さんで、壁掛けのおつりで買うから待っていてね、と言ってお釣りを待っていた。なのにちっともよこさない。すると菓子屋の主人が早くお釣りを出せと言ってくれた。周りの男の人達も私達の加勢してくれた。しぶしぶと壁掛け屋の主人がお釣りを出した。それを持って隣で、お菓子をたくさん買い込んだ。ありがとうの気持ちも込めて。お菓子屋の主人はにこにこ。お菓子を包んでもらって、私もにこにこ。<br /><br />モスクは入場料がいる。<br />私が「ラ イッラッハ イルアッラー ムハンムド ラスール アッラー」とよどみなく唱えると、チケット売り場の若い男性が<br />「ムスリムか」と聞いたので、調子に乗って「Yes.」と答えると<br />抱きつかんばかりにして、私の手を握り、「この人はムスリムだから無料で入れよう」と相棒に交渉している。さすがに気がひけて「あとで来るよ」と言ってその場を去ったが、おかげでモスクに入りそこなってしまった。純粋な人にウソをついてはいけない。<br /><br />タクシーをひろってカルタゴ遺跡をまわった。ハンニバルの象部隊のアルプス越えや奇襲作戦、ローマの将軍スキピオの戦いぶりは覚えている。そんなことを話したくても、この運転手、アラビア語とフランス語だけで、英語はまったくしゃべれない。忘却の彼方から、フランス語を引っ張り出して、意志の疎通をはかっている。フランス語が通じるなら、フランス語表記があってもよさそうなのに、どこもアラビア語表記しかない。アラビア語はまったく読めない。地名が読めないのはかなり難儀だ。<br /><br />でも、親切なドライバーで、カルタゴ遺跡をぜんぶ回ってくれ、<br />観光スポットにも連れて行ってくれた。そのうえ、まだ工事途中の博物館にも連れて行き、中を見せてくれた。なぜだかその未完成の博物館にはファラオの像もあった。<br /><br />チュニジアも政府官庁の写真は撮ってはいけない。カルタゴ遺跡を撮っていて注意を受けた。道路沿いの遺跡は荒野のよう、どこに官庁があるのかと目を凝らすと、はるか彼方にチュニジア国旗が翻る建物があった。まったく!<br /><br />タクシーのドライバーになんとか思い出したフランス語で、「ねぇ、美味しいチュニジア料理のお店を教えて」ときいた。すると彼はうなづいて、タクシーは私達が泊っているホテルの横で止まった。どうしてホテルに、と思ってよくよく見ると、ホテルの横は、ホテルが経営するレストランだった。これはラッキー。<br />お勧めのチュニジア料理を取ったけどいまいち口に合わなかった。クスクスは初めて食べたモロッコのタンジールのレストランの方が口にあった。<br /><br />翌朝、タクシーを捕まえて「カイルアンに行ってくれないか」と聞くのだが、だれも手をふって行ってしまう。ホテルで聞くと、遠いから無理、と。あらまぁ、知らないというのは困ったもの。<br /><br />翌日からはカルタゴ遺跡はもういいとして、電車を利用して町を見て回った。読めないから市電には、かたっぱ乗ってみた。あのラグーンを横切る電車があった。まるで天の橋立みたいだ。これには大喜び。番号を覚えておき、何度か乗った。<br /><br />タクシーが連れて行ってくれた観光スポット、シティ・ブ・サイトにも行き着くことが出来た。ただし駅からかなり坂を上った様に覚えている。ここの町並みは実にきれいだった。家々の深い青と白のコンビネーションがあざやかな印象となって残っている。<br />地中海もきれいだった。<br /><br />鉄道に乗った。もちろん地名はまったくわからない。スースまでチケットを買った。はじめに乗った列車はどこかの駅で終点となった。でそこでおり、街中を歩き回った。お店のおじさんが私達を見ると、「サムライ、ハラキリ」と声をかけた。「サムライなんてもういない。ハラキリもない」と怒ったようにいうと、びっくりしていた。たぶん、彼は挨拶のつもりで言ったのだろうが、私が怒ったので、驚いたようだった。言葉が分かればちゃんと説明できたのだが。<br /><br />駅でスース行きの電車を待っていると、学校が終わったらしく生徒達が大勢やってきた。中の一人が紙くずを丸めるとぽいと地面に捨てた。思わず「拾いなさい!」と叫んだ。外国人のオバサンに言われて、男生徒は驚いたらしい。次に「この国では捨ててもいいんだ」という答えが返ってきた。「だから、あんなにゴミが散乱しているのよ。この国は素敵な国なんだから、一人一人がきれいにしなければダメでしょ!」というと素直に拾ってゴミ箱に入れた。近くにいた先生らしき男性がこっちを見ていた。<br /><br />列車に乗り、ファーストクラスに行くと、席がない。前の方にもう一輌きれいな車輌がある。そこへ行くと、そこはカンファタブルだから追加料金が必要だといわれた。差額を払ってそこに乗った。列車は海岸にそって走っていく。<br /><br />スースに着いた。ここはリゾート地だ。駅前のビルを写真に撮ろうとしたら、ドイツ人に「英語は出来るか」と聞かれ「あの建物は官庁だから、写真を撮ってはいけない」と教えてもらった。官庁なら官庁らしく旗でもあげてよ、なんて文句を言った。<br />スースは素敵なところだ。海辺のレストランで食事をしながら、ここで泊ればよかったなぁ、残念だけど日がないや。チュニスへ戻った。<br /><br />3泊して、朝空港に向かった。チェックインのとき係りが「このフライトは明日ですよ。引き返してもう1泊したら」と言った。なんと4泊とってあったんだ。「だったらスースで泊ってもよかったなぁ。でももういいから、今日乗せてくれない?」というと今日の便に入れてくれた。やっぱり旅は下調べをしてきた方が無駄がない。<br /><br />アフリカの地を踏んだのはこれで2回目。「アフリカの水を飲んだものは(アフリカの地を踏んだもの、という言い方もある)、アフリカに帰る」って諺があるけど、本当だ。また来るよ。<br /><br />パリはオルリー空港に着いたので、様子が分からなくてぐるぐる歩いてしまった。<br /><br /><br />

ガイドブックを持たないで

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1998/04 - 1998/04

339位(同エリア408件中)

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4

buchijoyce

buchijoyceさん

ガイドブックを持たない旅は何度かある。思いつきで、ふいに行ってしまったのだ。

これもそのひとつ。
パリでのこと、食事に入ったのか、ホテルだったか覚えていないが、エレヴェーターを降りると、目の前に大きなチュニジアのポスターが貼ってあった。
青い空、青い海、「いいね。行ってみようか」「そうだね」
そんな単純なことからチュニジアへ行ったのである。
チケットは街中の旅行社でエールフランスの往復航空券を買った。

パリのオルリー空港からチュニスへ4日ぐらいの予定で。
もちろん何の下調べもないし、ガイドブックもない。
ここはトーマス・クックは役に立たない。
チュニジアという国は、歴史としてポエニ戦争、ハンニバルの活躍したカルタゴ、そして、サハラ砂漠に続くベルベル人の国で、イスラムであることぐらいしか知らない。

飛行機はサルディニア島の上を飛んでいく。
チュニス近くなると、ラグーンというのだろうか、
湾になった浅瀬の色がさまざまに変化して実に美しかった。

空港で帰りのリコンファームをして、バスに乗って行った。
通りに面した3つ星(星がついていたような気がするけど記憶は定かでない)のホテルに入ると、フロントの女性が「どうしてリザヴェイションしないのですか?」ときいた。「思い立ってきたから、リザヴェイションできなかったのだ」と答えた。部屋はよく覚えていない。小さなホテルなので、ガイドマップもない。出たとこ勝負だ。

大通りの中央部は公園のように木が植えられ、緑陰をつくっている。その通りの先にメジナ(旧市街)があった。ここには2,3回通った。

迷路のような道を歩き回ったのだ。でも一度は迷って、子どもに案内してもらって元に戻った。その子がお駄賃をねだった。貨幣の単位がまだのみ込めないで。5なんとか、というので、5なんとかは多すぎると小銭を渡すと、それでもよろこんで行った。あとで、その小銭は彼の言った5なんとかより多かった。

女性の顔を革で作った壁掛けを何個か買った。顔がなかなか気に入らなくて、あれこれださしてもらった。いくらに負けるというので、そこでまとめて買ったのだが、大きなお金を出すとお釣りを渋った。私は隣のお菓子屋さんで、壁掛けのおつりで買うから待っていてね、と言ってお釣りを待っていた。なのにちっともよこさない。すると菓子屋の主人が早くお釣りを出せと言ってくれた。周りの男の人達も私達の加勢してくれた。しぶしぶと壁掛け屋の主人がお釣りを出した。それを持って隣で、お菓子をたくさん買い込んだ。ありがとうの気持ちも込めて。お菓子屋の主人はにこにこ。お菓子を包んでもらって、私もにこにこ。

モスクは入場料がいる。
私が「ラ イッラッハ イルアッラー ムハンムド ラスール アッラー」とよどみなく唱えると、チケット売り場の若い男性が
「ムスリムか」と聞いたので、調子に乗って「Yes.」と答えると
抱きつかんばかりにして、私の手を握り、「この人はムスリムだから無料で入れよう」と相棒に交渉している。さすがに気がひけて「あとで来るよ」と言ってその場を去ったが、おかげでモスクに入りそこなってしまった。純粋な人にウソをついてはいけない。

タクシーをひろってカルタゴ遺跡をまわった。ハンニバルの象部隊のアルプス越えや奇襲作戦、ローマの将軍スキピオの戦いぶりは覚えている。そんなことを話したくても、この運転手、アラビア語とフランス語だけで、英語はまったくしゃべれない。忘却の彼方から、フランス語を引っ張り出して、意志の疎通をはかっている。フランス語が通じるなら、フランス語表記があってもよさそうなのに、どこもアラビア語表記しかない。アラビア語はまったく読めない。地名が読めないのはかなり難儀だ。

でも、親切なドライバーで、カルタゴ遺跡をぜんぶ回ってくれ、
観光スポットにも連れて行ってくれた。そのうえ、まだ工事途中の博物館にも連れて行き、中を見せてくれた。なぜだかその未完成の博物館にはファラオの像もあった。

チュニジアも政府官庁の写真は撮ってはいけない。カルタゴ遺跡を撮っていて注意を受けた。道路沿いの遺跡は荒野のよう、どこに官庁があるのかと目を凝らすと、はるか彼方にチュニジア国旗が翻る建物があった。まったく!

タクシーのドライバーになんとか思い出したフランス語で、「ねぇ、美味しいチュニジア料理のお店を教えて」ときいた。すると彼はうなづいて、タクシーは私達が泊っているホテルの横で止まった。どうしてホテルに、と思ってよくよく見ると、ホテルの横は、ホテルが経営するレストランだった。これはラッキー。
お勧めのチュニジア料理を取ったけどいまいち口に合わなかった。クスクスは初めて食べたモロッコのタンジールのレストランの方が口にあった。

翌朝、タクシーを捕まえて「カイルアンに行ってくれないか」と聞くのだが、だれも手をふって行ってしまう。ホテルで聞くと、遠いから無理、と。あらまぁ、知らないというのは困ったもの。

翌日からはカルタゴ遺跡はもういいとして、電車を利用して町を見て回った。読めないから市電には、かたっぱ乗ってみた。あのラグーンを横切る電車があった。まるで天の橋立みたいだ。これには大喜び。番号を覚えておき、何度か乗った。

タクシーが連れて行ってくれた観光スポット、シティ・ブ・サイトにも行き着くことが出来た。ただし駅からかなり坂を上った様に覚えている。ここの町並みは実にきれいだった。家々の深い青と白のコンビネーションがあざやかな印象となって残っている。
地中海もきれいだった。

鉄道に乗った。もちろん地名はまったくわからない。スースまでチケットを買った。はじめに乗った列車はどこかの駅で終点となった。でそこでおり、街中を歩き回った。お店のおじさんが私達を見ると、「サムライ、ハラキリ」と声をかけた。「サムライなんてもういない。ハラキリもない」と怒ったようにいうと、びっくりしていた。たぶん、彼は挨拶のつもりで言ったのだろうが、私が怒ったので、驚いたようだった。言葉が分かればちゃんと説明できたのだが。

駅でスース行きの電車を待っていると、学校が終わったらしく生徒達が大勢やってきた。中の一人が紙くずを丸めるとぽいと地面に捨てた。思わず「拾いなさい!」と叫んだ。外国人のオバサンに言われて、男生徒は驚いたらしい。次に「この国では捨ててもいいんだ」という答えが返ってきた。「だから、あんなにゴミが散乱しているのよ。この国は素敵な国なんだから、一人一人がきれいにしなければダメでしょ!」というと素直に拾ってゴミ箱に入れた。近くにいた先生らしき男性がこっちを見ていた。

列車に乗り、ファーストクラスに行くと、席がない。前の方にもう一輌きれいな車輌がある。そこへ行くと、そこはカンファタブルだから追加料金が必要だといわれた。差額を払ってそこに乗った。列車は海岸にそって走っていく。

スースに着いた。ここはリゾート地だ。駅前のビルを写真に撮ろうとしたら、ドイツ人に「英語は出来るか」と聞かれ「あの建物は官庁だから、写真を撮ってはいけない」と教えてもらった。官庁なら官庁らしく旗でもあげてよ、なんて文句を言った。
スースは素敵なところだ。海辺のレストランで食事をしながら、ここで泊ればよかったなぁ、残念だけど日がないや。チュニスへ戻った。

3泊して、朝空港に向かった。チェックインのとき係りが「このフライトは明日ですよ。引き返してもう1泊したら」と言った。なんと4泊とってあったんだ。「だったらスースで泊ってもよかったなぁ。でももういいから、今日乗せてくれない?」というと今日の便に入れてくれた。やっぱり旅は下調べをしてきた方が無駄がない。

アフリカの地を踏んだのはこれで2回目。「アフリカの水を飲んだものは(アフリカの地を踏んだもの、という言い方もある)、アフリカに帰る」って諺があるけど、本当だ。また来るよ。

パリはオルリー空港に着いたので、様子が分からなくてぐるぐる歩いてしまった。


  • シティ ブ サイト

    シティ ブ サイト

  • メジナで

    メジナで

  • スース駅<br />さすが観光地。ローマ字表記

    スース駅
    さすが観光地。ローマ字表記

  • スース駅前

    スース駅前

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