1998/04 - 1998/04
339位(同エリア408件中)
buchijoyceさん
- buchijoyceさんTOP
- 旅行記389冊
- クチコミ0件
- Q&A回答25件
- 346,266アクセス
- フォロワー11人
ガイドブックを持たない旅は何度かある。思いつきで、ふいに行ってしまったのだ。
これもそのひとつ。
パリでのこと、食事に入ったのか、ホテルだったか覚えていないが、エレヴェーターを降りると、目の前に大きなチュニジアのポスターが貼ってあった。
青い空、青い海、「いいね。行ってみようか」「そうだね」
そんな単純なことからチュニジアへ行ったのである。
チケットは街中の旅行社でエールフランスの往復航空券を買った。
パリのオルリー空港からチュニスへ4日ぐらいの予定で。
もちろん何の下調べもないし、ガイドブックもない。
ここはトーマス・クックは役に立たない。
チュニジアという国は、歴史としてポエニ戦争、ハンニバルの活躍したカルタゴ、そして、サハラ砂漠に続くベルベル人の国で、イスラムであることぐらいしか知らない。
飛行機はサルディニア島の上を飛んでいく。
チュニス近くなると、ラグーンというのだろうか、
湾になった浅瀬の色がさまざまに変化して実に美しかった。
空港で帰りのリコンファームをして、バスに乗って行った。
通りに面した3つ星(星がついていたような気がするけど記憶は定かでない)のホテルに入ると、フロントの女性が「どうしてリザヴェイションしないのですか?」ときいた。「思い立ってきたから、リザヴェイションできなかったのだ」と答えた。部屋はよく覚えていない。小さなホテルなので、ガイドマップもない。出たとこ勝負だ。
大通りの中央部は公園のように木が植えられ、緑陰をつくっている。その通りの先にメジナ(旧市街)があった。ここには2,3回通った。
迷路のような道を歩き回ったのだ。でも一度は迷って、子どもに案内してもらって元に戻った。その子がお駄賃をねだった。貨幣の単位がまだのみ込めないで。5なんとか、というので、5なんとかは多すぎると小銭を渡すと、それでもよろこんで行った。あとで、その小銭は彼の言った5なんとかより多かった。
女性の顔を革で作った壁掛けを何個か買った。顔がなかなか気に入らなくて、あれこれださしてもらった。いくらに負けるというので、そこでまとめて買ったのだが、大きなお金を出すとお釣りを渋った。私は隣のお菓子屋さんで、壁掛けのおつりで買うから待っていてね、と言ってお釣りを待っていた。なのにちっともよこさない。すると菓子屋の主人が早くお釣りを出せと言ってくれた。周りの男の人達も私達の加勢してくれた。しぶしぶと壁掛け屋の主人がお釣りを出した。それを持って隣で、お菓子をたくさん買い込んだ。ありがとうの気持ちも込めて。お菓子屋の主人はにこにこ。お菓子を包んでもらって、私もにこにこ。
モスクは入場料がいる。
私が「ラ イッラッハ イルアッラー ムハンムド ラスール アッラー」とよどみなく唱えると、チケット売り場の若い男性が
「ムスリムか」と聞いたので、調子に乗って「Yes.」と答えると
抱きつかんばかりにして、私の手を握り、「この人はムスリムだから無料で入れよう」と相棒に交渉している。さすがに気がひけて「あとで来るよ」と言ってその場を去ったが、おかげでモスクに入りそこなってしまった。純粋な人にウソをついてはいけない。
タクシーをひろってカルタゴ遺跡をまわった。ハンニバルの象部隊のアルプス越えや奇襲作戦、ローマの将軍スキピオの戦いぶりは覚えている。そんなことを話したくても、この運転手、アラビア語とフランス語だけで、英語はまったくしゃべれない。忘却の彼方から、フランス語を引っ張り出して、意志の疎通をはかっている。フランス語が通じるなら、フランス語表記があってもよさそうなのに、どこもアラビア語表記しかない。アラビア語はまったく読めない。地名が読めないのはかなり難儀だ。
でも、親切なドライバーで、カルタゴ遺跡をぜんぶ回ってくれ、
観光スポットにも連れて行ってくれた。そのうえ、まだ工事途中の博物館にも連れて行き、中を見せてくれた。なぜだかその未完成の博物館にはファラオの像もあった。
チュニジアも政府官庁の写真は撮ってはいけない。カルタゴ遺跡を撮っていて注意を受けた。道路沿いの遺跡は荒野のよう、どこに官庁があるのかと目を凝らすと、はるか彼方にチュニジア国旗が翻る建物があった。まったく!
タクシーのドライバーになんとか思い出したフランス語で、「ねぇ、美味しいチュニジア料理のお店を教えて」ときいた。すると彼はうなづいて、タクシーは私達が泊っているホテルの横で止まった。どうしてホテルに、と思ってよくよく見ると、ホテルの横は、ホテルが経営するレストランだった。これはラッキー。
お勧めのチュニジア料理を取ったけどいまいち口に合わなかった。クスクスは初めて食べたモロッコのタンジールのレストランの方が口にあった。
翌朝、タクシーを捕まえて「カイルアンに行ってくれないか」と聞くのだが、だれも手をふって行ってしまう。ホテルで聞くと、遠いから無理、と。あらまぁ、知らないというのは困ったもの。
翌日からはカルタゴ遺跡はもういいとして、電車を利用して町を見て回った。読めないから市電には、かたっぱ乗ってみた。あのラグーンを横切る電車があった。まるで天の橋立みたいだ。これには大喜び。番号を覚えておき、何度か乗った。
タクシーが連れて行ってくれた観光スポット、シティ・ブ・サイトにも行き着くことが出来た。ただし駅からかなり坂を上った様に覚えている。ここの町並みは実にきれいだった。家々の深い青と白のコンビネーションがあざやかな印象となって残っている。
地中海もきれいだった。
鉄道に乗った。もちろん地名はまったくわからない。スースまでチケットを買った。はじめに乗った列車はどこかの駅で終点となった。でそこでおり、街中を歩き回った。お店のおじさんが私達を見ると、「サムライ、ハラキリ」と声をかけた。「サムライなんてもういない。ハラキリもない」と怒ったようにいうと、びっくりしていた。たぶん、彼は挨拶のつもりで言ったのだろうが、私が怒ったので、驚いたようだった。言葉が分かればちゃんと説明できたのだが。
駅でスース行きの電車を待っていると、学校が終わったらしく生徒達が大勢やってきた。中の一人が紙くずを丸めるとぽいと地面に捨てた。思わず「拾いなさい!」と叫んだ。外国人のオバサンに言われて、男生徒は驚いたらしい。次に「この国では捨ててもいいんだ」という答えが返ってきた。「だから、あんなにゴミが散乱しているのよ。この国は素敵な国なんだから、一人一人がきれいにしなければダメでしょ!」というと素直に拾ってゴミ箱に入れた。近くにいた先生らしき男性がこっちを見ていた。
列車に乗り、ファーストクラスに行くと、席がない。前の方にもう一輌きれいな車輌がある。そこへ行くと、そこはカンファタブルだから追加料金が必要だといわれた。差額を払ってそこに乗った。列車は海岸にそって走っていく。
スースに着いた。ここはリゾート地だ。駅前のビルを写真に撮ろうとしたら、ドイツ人に「英語は出来るか」と聞かれ「あの建物は官庁だから、写真を撮ってはいけない」と教えてもらった。官庁なら官庁らしく旗でもあげてよ、なんて文句を言った。
スースは素敵なところだ。海辺のレストランで食事をしながら、ここで泊ればよかったなぁ、残念だけど日がないや。チュニスへ戻った。
3泊して、朝空港に向かった。チェックインのとき係りが「このフライトは明日ですよ。引き返してもう1泊したら」と言った。なんと4泊とってあったんだ。「だったらスースで泊ってもよかったなぁ。でももういいから、今日乗せてくれない?」というと今日の便に入れてくれた。やっぱり旅は下調べをしてきた方が無駄がない。
アフリカの地を踏んだのはこれで2回目。「アフリカの水を飲んだものは(アフリカの地を踏んだもの、という言い方もある)、アフリカに帰る」って諺があるけど、本当だ。また来るよ。
パリはオルリー空港に着いたので、様子が分からなくてぐるぐる歩いてしまった。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
チュニス(チュニジア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
チュニス(チュニジア) の人気ホテル
チュニジアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
チュニジア最安
709円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
4