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カンボジアを訪れたのは1996年2月。<br />自衛隊がタケオ県へ出かけたあと、まだポルポトが生きていた時代である。<br /><br /> 目的はポルポト政権のせいで、中間層が殺され、技術の伝承ができないまま、消えていきそうなカンボジアの織物、特にカンボジアかすりの紋様を、いままだ技術を持っている年寄りが生き残っているうちになんとか次の世代へ受け継がせようというプロジェクトを支援するためにである。<br /><br /><br /> カンボジアの首都プノンペン。大通りをたくさんのバイクが行き交う。二人乗りは当然、3人、4人乗りは普通、6人、まぁこんなに、と思わず目を見張る。喧噪と活気にあふれた町だ。<br /><br /> カンボジアは、日本の半分ほどの国土に1千万人弱の人口、もともと農業国である。戦乱で国土が荒れ(まだ戦乱の火種は残っている)、産業もなく、さらに経済成長めざましいタイとベトナムにはさまれ、カンボジアの前途は多難だ。<br /> 商売を牛耳っているのは華人が多い。国家予算は4百億円だとNGOの人から聞いた。日本の小さな市ほどの予算だ。あげくここも発展途上国につきものの公務員の汚職が多いそうだ。<br /><br /> プノンペンをちょっとはずれると水田が広がる。ところどころにサトウヤシが聳える。今は乾期、稲を刈り取った田んぼには牛や鶏や豚がのんびりと遊ぶ。稲穂だけ刈り取るので藁は家畜達の餌、そして家畜の糞が肥料になる。<br /> 私はアジアの田舎が好きだ。温もりのある人々の暮らし、どことなく懐かしさを覚える。<br /><br />タイで染色をしている森本さんという知人がいる。朝日新聞夕刊の一面で大きく紹介されたから、お読みになった方もいられるかと思う。森本さんはタイの東北部で絹織物を奨励し、その絹を使って草木染めをしている。彼はユネスコから依頼されてカンボジアの絹織物の調査をした。<br /> <br /> カンボジアには伝統的な絣模様の絹織物がある。その織物は20年以上もの長い戦乱で担い手になるべき次の世代を失い、途絶えかけている。2百以上もある伝統的な模様は、母から娘へと伝承されてきたものなので、パターンが残っているわけではない。まだ優れた技術を持っている年寄りがいるうちに、複雑なパターンを記録し、次の織り手を育てなければならない。<br /> いくつかの村には絹を織れる年寄りはいるが養蚕は途絶えてしまった。内乱で養蚕などしたくともできなかっただろう。絹織物はベトナムから運ばれてくる生糸で、細々と織られていた。<br /> もともと織物は自分たちのために織っていたものだ。織りためた布は祝い事の引き出物として配られていたようだ。<br /><br />蚕は大別して家蚕と野蚕に分けられる。家蚕は桑の葉を食べる。野蚕は桑以外の葉を食べる。天蚕や山繭は野蚕。日本や中国の蚕は白くて大きい繭をつくるが、南洋種の繭は黄金色で小さい。繭玉が小さいのは歩留まりが悪いが、黄金色の生糸は張りがあってきれいだ。この黄金色は自然に退色するそうだ。<br /><br />養蚕の経験のある村を選び、桑を育て、養蚕し、伝統の絹織物を蘇らせようと森本さんは奔走する。タイから蚕の卵を運び、途中で孵化してしまい失敗したこともある。<br /> 雨期には桑も育つから蚕をたくさん飼えるが、乾期には種を残すためにごく少し飼う。<br />やっと生糸ができた。草木染めを教え、織物に生かして、復活第一歩を踏み出したところだ。<br /><br /> 村を支援する一方、クメール伝統織物研究所を設立し、技術の保存や育成、伝統的織物の調査や復興を、ここを拠点に図ろうとしている。また村で生産した絹を、日本で買ってもらうことで、この伝統技術の復活と村おこしをなんとか支援できないものかと森本さんは考え、日本の知人達に協力を依頼した。<br /> 私は着るものには無頓着なので、絹織物云々ではないが、カンボジアの文化と村おこしに役立つならと協力することにした。今回のカンボジア訪問はその村おこしの現場を自分の目で見ることであった。<br /><br /> 伝統文化研究所の予定地は、プノンペン郊外にある元文化大臣チェン・ポンさんのクメール文化・瞑想センターの敷地内にある。川の近くで自然環境に恵まれたセンターは舞台付きの会場も、瞑想の場もある研修施設だ。<br /> ヨーロッパにしてもアジアにしても、寺や教会には、喧噪の外から一歩中にはいると、祈るための静かな空間がある。この空間は、いつでも、だれにでも開放されている。日本の寺にはだれもが自由に瞑想できる空間はあるのだろうか。<br /> 睡蓮の花咲く池の辺に立つ会場の舞台で、カンボジアの伝統楽器の演奏と舞踊を見せてもらった。元文化大臣のチェン・ポンさんは精神的なすてきな人物。カンボジアの文化と心の復興を、カンボジア人の誇りを取り戻すよすがにしたいと考えているようだ。いつかゆっくり話し合いたい人だ。<br /><br /> タコー村はプノンペンから四輪駆動車で3時間あまり、まだ観光が禁止されているカンポット県にある。舗装された国道を1時間半ばかり突っ走り、途中の村で迎えを待つ。<br /> 入れ替わり立ち替わり物売りが来る。ココナッツ、青いマンゴ、オレンジ、ココナッツミルクの入ったちまき、焼き鳥。売り手はほとんどが女性だが、子どもも多い。<br /><br /> 迎えに来てくれたのは、なんと元文化大臣と小銃を手にした数人の警官。小銃を抱えたまま、いきなり私たちの車の助手席に乗ってきたときは驚いた。さらに私たちの車の前後を護衛して走る。<br /><br /> 国道を離れると土の道だ。乾期のラテライトの道を、車はもうもうと土煙を上げて走る。すれちがう人や、畑で働いているひとにはえらい迷惑だ。でも、人々は怒りもせずクローマという布で顔を覆うだけ。このクローマはチェック模様が多い。色彩や模様で、各村には村独自の模様がある。クローマは手ぬぐいにも日除けにも子どもをおぶう時にもと多様に使われている。<br /> 日差しが強いので、冷房をきかせていても車内は暑く汗が流れる。<br /><br /> ようやくタコー村に着く。<br />村人が全員着飾って、にこやかに私たちを迎えてくれた。今日は収穫祭。テントが張られ、テーブルと椅子がおかれ、マイクも用意されている。別棟の仏様を祀ったところで、僧侶がお経をあげ、その後テントの席に案内され、ご馳走がふるまわれた。どれも美味しかった。私は日本にいると偏食で、食べ物にはやたらとうるさいのだが、ふしぎと外地に行くと、そこの食べ物に順応できる。<br /> 私たちが食べるのを村人みんなが見守っている。先ず客をもてす習慣は、今でこそなくなってしまったが、昔は日本でもあった。食後、子ども達にあやとりや折り紙を教える。<br /> <br />養蚕の実体を見せてもらうために高床式の家に入れてもらう。床は木や竹が組んである。下が透けて見える。しかし、これは風土にあった合理的な家だ。<br /> <br /> 天井から吊した竹で編んだ大きなザルには蚕の卵が産み付けられている。このザルを何段も吊し養蚕を行う。糸車もある。床下は家畜が寝ころび、織機もここにある。<br /><br /> タコー村には、まだ学校も、寺も、井戸もない。村への感謝の気持ちとして井戸堀の費用を贈った。井戸ができたら、またこの村を訪れたいと思う。<br /> 私の得意技、ポラロイド写真。どこでも村人に大喜びされる。<br /><br /> 翌日は、自衛隊がいたタケオ県のガンチャン村へ。ここも観光はまだ認められていない。<br />この村は染めと織りをしている。染めを実演してくれた。草木を煮出し、括った絹糸を鍋に入れて煮、引き出してたたきつけるように振り回して水を切り、また染め液に入れて煮る。これを繰り返す。草木染めは手間がかかる。<br /> <br /> ラックは古代から赤の染料になる貝殻虫の分秘物。タイで見たラックよりカンボジアのラックの方が大きい。ウサギの餅つきのような杵と臼でラックを突き、熱湯を入れて溶かす。これを繰り返して染液をとる。溶けないゴム状のものは乾かして接着剤として使う。ラッカーの語源だそうだ。<br /><br /> 台所をのぞかせてもらう。タイもそうだが、家の外には大きなカメがおいてある。これは水瓶。以前は土器か陶器であったのだろうが、今は型でつくったモルタル製だ。暑いところで水入れに素焼きを使うのは、しみだした水分が気化するとき熱が奪われ、中の水が冷たく保てる生活の知恵だが、モルタルのかめの水はどうなのだろうか。<br /> <br /> ガンジャン村でも私たちをもてなしてくれた。日本では手に入りにくいシャモ鶏のスープに、インスタントラーメンを入れて出してくれた。日本人だからわざわざ買って出してくれたのだろう。その心遣いに感謝して美味しくいただいた。<br /><br /> 二頭立ての牛車が通る。気がついたのが遅かったので車は通り過ぎ残念。悔しがっていると、通りの向こうのおじさんが大声でなにやら叫んでいる。すると牛車が向きを変えて戻ってきた。どうやら私が残念がっているのを見て、おじさんが戻ってきてやれ、と言ってくれたようだ。よろこんで写真を撮らせてもらう。お礼にポラロイドで撮った写真を渡した。<br /><br /> タコー村にしてもガンチャン村にしても、40代、50代がいない。内戦の傷跡は如実に見て取れる。カンボジアの人口の半分は子どもだと聞いた。子ども達はちょっとはにかみ屋だが、人なつっこくて可愛い。この子たちの未来が平和であることを願うのみ。でも現実には、カンボジアには人口の数倍もの地雷が埋められたまま。未だに地雷に触れて死傷する人々が絶えない。物乞いする人々も戦禍のせいか手足のない人々が多い。<br /><br /> アンコールワットの入り口で、手足のない女の子がひとりでひっそりと座っていた姿が瞼に焼き付いている。地雷による身障者の工芸訓練施設にも行った。NGOの支援で木彫り、織物、ミシンなどの作業をし、その製品を売っていた。だが、ここで訓練を受けられる人はごく僅か。現状では、あの女の子は物乞いをする以外ないだろう。<br /><br /> 学校も足りない、病院も足りない、ハードのものだけでなく、知識人が殺されてしまっているので人材の育成も必要だ。現在3百人の日本人がプノンペンにいるそうだ。<br /><br /> 私は発展途上国へ旅行するとき、現地のNGOへ荷物を届ける役目をかって出る。確実に届くからだ。また現地で働いている人と知り合うのもたのしい。今回はJOCSの荷物を預かった。JOCSは古切手でお馴染みの団体である。毎度のことながら、アジアの一角でNGOの若い人たちが一生懸命働いているのをみるとうれしい。日本の未来も捨てたものではないと心強く、出来るかぎり側面援助をしていきたいと思う。<br /><br />

心に残るカンボジア

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1996/02 - 1996/02

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buchijoyce

buchijoyceさん

カンボジアを訪れたのは1996年2月。
自衛隊がタケオ県へ出かけたあと、まだポルポトが生きていた時代である。

 目的はポルポト政権のせいで、中間層が殺され、技術の伝承ができないまま、消えていきそうなカンボジアの織物、特にカンボジアかすりの紋様を、いままだ技術を持っている年寄りが生き残っているうちになんとか次の世代へ受け継がせようというプロジェクトを支援するためにである。


 カンボジアの首都プノンペン。大通りをたくさんのバイクが行き交う。二人乗りは当然、3人、4人乗りは普通、6人、まぁこんなに、と思わず目を見張る。喧噪と活気にあふれた町だ。

 カンボジアは、日本の半分ほどの国土に1千万人弱の人口、もともと農業国である。戦乱で国土が荒れ(まだ戦乱の火種は残っている)、産業もなく、さらに経済成長めざましいタイとベトナムにはさまれ、カンボジアの前途は多難だ。
 商売を牛耳っているのは華人が多い。国家予算は4百億円だとNGOの人から聞いた。日本の小さな市ほどの予算だ。あげくここも発展途上国につきものの公務員の汚職が多いそうだ。

 プノンペンをちょっとはずれると水田が広がる。ところどころにサトウヤシが聳える。今は乾期、稲を刈り取った田んぼには牛や鶏や豚がのんびりと遊ぶ。稲穂だけ刈り取るので藁は家畜達の餌、そして家畜の糞が肥料になる。
 私はアジアの田舎が好きだ。温もりのある人々の暮らし、どことなく懐かしさを覚える。

タイで染色をしている森本さんという知人がいる。朝日新聞夕刊の一面で大きく紹介されたから、お読みになった方もいられるかと思う。森本さんはタイの東北部で絹織物を奨励し、その絹を使って草木染めをしている。彼はユネスコから依頼されてカンボジアの絹織物の調査をした。
 
 カンボジアには伝統的な絣模様の絹織物がある。その織物は20年以上もの長い戦乱で担い手になるべき次の世代を失い、途絶えかけている。2百以上もある伝統的な模様は、母から娘へと伝承されてきたものなので、パターンが残っているわけではない。まだ優れた技術を持っている年寄りがいるうちに、複雑なパターンを記録し、次の織り手を育てなければならない。
 いくつかの村には絹を織れる年寄りはいるが養蚕は途絶えてしまった。内乱で養蚕などしたくともできなかっただろう。絹織物はベトナムから運ばれてくる生糸で、細々と織られていた。
 もともと織物は自分たちのために織っていたものだ。織りためた布は祝い事の引き出物として配られていたようだ。

蚕は大別して家蚕と野蚕に分けられる。家蚕は桑の葉を食べる。野蚕は桑以外の葉を食べる。天蚕や山繭は野蚕。日本や中国の蚕は白くて大きい繭をつくるが、南洋種の繭は黄金色で小さい。繭玉が小さいのは歩留まりが悪いが、黄金色の生糸は張りがあってきれいだ。この黄金色は自然に退色するそうだ。

養蚕の経験のある村を選び、桑を育て、養蚕し、伝統の絹織物を蘇らせようと森本さんは奔走する。タイから蚕の卵を運び、途中で孵化してしまい失敗したこともある。
 雨期には桑も育つから蚕をたくさん飼えるが、乾期には種を残すためにごく少し飼う。
やっと生糸ができた。草木染めを教え、織物に生かして、復活第一歩を踏み出したところだ。

 村を支援する一方、クメール伝統織物研究所を設立し、技術の保存や育成、伝統的織物の調査や復興を、ここを拠点に図ろうとしている。また村で生産した絹を、日本で買ってもらうことで、この伝統技術の復活と村おこしをなんとか支援できないものかと森本さんは考え、日本の知人達に協力を依頼した。
 私は着るものには無頓着なので、絹織物云々ではないが、カンボジアの文化と村おこしに役立つならと協力することにした。今回のカンボジア訪問はその村おこしの現場を自分の目で見ることであった。

 伝統文化研究所の予定地は、プノンペン郊外にある元文化大臣チェン・ポンさんのクメール文化・瞑想センターの敷地内にある。川の近くで自然環境に恵まれたセンターは舞台付きの会場も、瞑想の場もある研修施設だ。
 ヨーロッパにしてもアジアにしても、寺や教会には、喧噪の外から一歩中にはいると、祈るための静かな空間がある。この空間は、いつでも、だれにでも開放されている。日本の寺にはだれもが自由に瞑想できる空間はあるのだろうか。
 睡蓮の花咲く池の辺に立つ会場の舞台で、カンボジアの伝統楽器の演奏と舞踊を見せてもらった。元文化大臣のチェン・ポンさんは精神的なすてきな人物。カンボジアの文化と心の復興を、カンボジア人の誇りを取り戻すよすがにしたいと考えているようだ。いつかゆっくり話し合いたい人だ。

 タコー村はプノンペンから四輪駆動車で3時間あまり、まだ観光が禁止されているカンポット県にある。舗装された国道を1時間半ばかり突っ走り、途中の村で迎えを待つ。
 入れ替わり立ち替わり物売りが来る。ココナッツ、青いマンゴ、オレンジ、ココナッツミルクの入ったちまき、焼き鳥。売り手はほとんどが女性だが、子どもも多い。

 迎えに来てくれたのは、なんと元文化大臣と小銃を手にした数人の警官。小銃を抱えたまま、いきなり私たちの車の助手席に乗ってきたときは驚いた。さらに私たちの車の前後を護衛して走る。

 国道を離れると土の道だ。乾期のラテライトの道を、車はもうもうと土煙を上げて走る。すれちがう人や、畑で働いているひとにはえらい迷惑だ。でも、人々は怒りもせずクローマという布で顔を覆うだけ。このクローマはチェック模様が多い。色彩や模様で、各村には村独自の模様がある。クローマは手ぬぐいにも日除けにも子どもをおぶう時にもと多様に使われている。
 日差しが強いので、冷房をきかせていても車内は暑く汗が流れる。

 ようやくタコー村に着く。
村人が全員着飾って、にこやかに私たちを迎えてくれた。今日は収穫祭。テントが張られ、テーブルと椅子がおかれ、マイクも用意されている。別棟の仏様を祀ったところで、僧侶がお経をあげ、その後テントの席に案内され、ご馳走がふるまわれた。どれも美味しかった。私は日本にいると偏食で、食べ物にはやたらとうるさいのだが、ふしぎと外地に行くと、そこの食べ物に順応できる。
 私たちが食べるのを村人みんなが見守っている。先ず客をもてす習慣は、今でこそなくなってしまったが、昔は日本でもあった。食後、子ども達にあやとりや折り紙を教える。
 
養蚕の実体を見せてもらうために高床式の家に入れてもらう。床は木や竹が組んである。下が透けて見える。しかし、これは風土にあった合理的な家だ。
 
 天井から吊した竹で編んだ大きなザルには蚕の卵が産み付けられている。このザルを何段も吊し養蚕を行う。糸車もある。床下は家畜が寝ころび、織機もここにある。

 タコー村には、まだ学校も、寺も、井戸もない。村への感謝の気持ちとして井戸堀の費用を贈った。井戸ができたら、またこの村を訪れたいと思う。
 私の得意技、ポラロイド写真。どこでも村人に大喜びされる。

 翌日は、自衛隊がいたタケオ県のガンチャン村へ。ここも観光はまだ認められていない。
この村は染めと織りをしている。染めを実演してくれた。草木を煮出し、括った絹糸を鍋に入れて煮、引き出してたたきつけるように振り回して水を切り、また染め液に入れて煮る。これを繰り返す。草木染めは手間がかかる。
 
 ラックは古代から赤の染料になる貝殻虫の分秘物。タイで見たラックよりカンボジアのラックの方が大きい。ウサギの餅つきのような杵と臼でラックを突き、熱湯を入れて溶かす。これを繰り返して染液をとる。溶けないゴム状のものは乾かして接着剤として使う。ラッカーの語源だそうだ。

 台所をのぞかせてもらう。タイもそうだが、家の外には大きなカメがおいてある。これは水瓶。以前は土器か陶器であったのだろうが、今は型でつくったモルタル製だ。暑いところで水入れに素焼きを使うのは、しみだした水分が気化するとき熱が奪われ、中の水が冷たく保てる生活の知恵だが、モルタルのかめの水はどうなのだろうか。
 
 ガンジャン村でも私たちをもてなしてくれた。日本では手に入りにくいシャモ鶏のスープに、インスタントラーメンを入れて出してくれた。日本人だからわざわざ買って出してくれたのだろう。その心遣いに感謝して美味しくいただいた。

 二頭立ての牛車が通る。気がついたのが遅かったので車は通り過ぎ残念。悔しがっていると、通りの向こうのおじさんが大声でなにやら叫んでいる。すると牛車が向きを変えて戻ってきた。どうやら私が残念がっているのを見て、おじさんが戻ってきてやれ、と言ってくれたようだ。よろこんで写真を撮らせてもらう。お礼にポラロイドで撮った写真を渡した。

 タコー村にしてもガンチャン村にしても、40代、50代がいない。内戦の傷跡は如実に見て取れる。カンボジアの人口の半分は子どもだと聞いた。子ども達はちょっとはにかみ屋だが、人なつっこくて可愛い。この子たちの未来が平和であることを願うのみ。でも現実には、カンボジアには人口の数倍もの地雷が埋められたまま。未だに地雷に触れて死傷する人々が絶えない。物乞いする人々も戦禍のせいか手足のない人々が多い。

 アンコールワットの入り口で、手足のない女の子がひとりでひっそりと座っていた姿が瞼に焼き付いている。地雷による身障者の工芸訓練施設にも行った。NGOの支援で木彫り、織物、ミシンなどの作業をし、その製品を売っていた。だが、ここで訓練を受けられる人はごく僅か。現状では、あの女の子は物乞いをする以外ないだろう。

 学校も足りない、病院も足りない、ハードのものだけでなく、知識人が殺されてしまっているので人材の育成も必要だ。現在3百人の日本人がプノンペンにいるそうだ。

 私は発展途上国へ旅行するとき、現地のNGOへ荷物を届ける役目をかって出る。確実に届くからだ。また現地で働いている人と知り合うのもたのしい。今回はJOCSの荷物を預かった。JOCSは古切手でお馴染みの団体である。毎度のことながら、アジアの一角でNGOの若い人たちが一生懸命働いているのをみるとうれしい。日本の未来も捨てたものではないと心強く、出来るかぎり側面援助をしていきたいと思う。

  • クロマをかぶる<br />タコー村で

    クロマをかぶる
    タコー村で

  • 南洋種の生糸。<br />黄金に輝いているが、やがて自然に脱色してしまうそうだ。

    南洋種の生糸。
    黄金に輝いているが、やがて自然に脱色してしまうそうだ。

  • 今日は収穫祭。<br />みなそれぞれに着飾っている。

    今日は収穫祭。
    みなそれぞれに着飾っている。

  • タコー村。収穫祭<br />後に立っているのが私達を護衛してきた小銃を持った警官。

    タコー村。収穫祭
    後に立っているのが私達を護衛してきた小銃を持った警官。

  • このようにしてカイコを飼う。<br />今は乾季、桑が育たないので、<br />種を残すためにだけ少しカイコを飼っている。

    このようにしてカイコを飼う。
    今は乾季、桑が育たないので、
    種を残すためにだけ少しカイコを飼っている。

  • タコー村<br />糸をつむぐ

    タコー村
    糸をつむぐ

  • ガンチャン村

    ガンチャン村

  • マーケット

    マーケット

  • しぼり

    しぼり

  • 子ども達

    子ども達

  • 機を織る

    機を織る

  • 機を織る

    機を織る

  • こぼれんばかりの笑顔。<br />笑顔はいい。<br />思わずつられてこちらも微笑んでしまう。

    こぼれんばかりの笑顔。
    笑顔はいい。
    思わずつられてこちらも微笑んでしまう。

  • バイヤン

    バイヤン

  • アンコールワットが見える

    アンコールワットが見える

  • アンコールワット<br />回廊

    アンコールワット
    回廊

  • 侵食する木<br />もっともこの木たちのおかげで、遺跡は保護されてきたのだと、最近発表されている。

    侵食する木
    もっともこの木たちのおかげで、遺跡は保護されてきたのだと、最近発表されている。

  • まさに生き物

    まさに生き物

  • トムであった少女

    トムであった少女

  • トムの入口

    トムの入口

  • アンコールワットの上から見た夕日

    アンコールワットの上から見た夕日

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