1997/05/05 - 1997/06
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buchijoyceさん
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ボン・ケルン
ICでボンへ。
車窓からライン川の流れが見える。ローレライの岩もよく見える。なんのことはない、単なる崖。
頂上には旗が立って、下にはLORELEYの文字が見える。
しかし、連れ合いは待望のローレライに感激している。
9時にはボンに着く。日曜日の朝だ。静かな町だ。
ベートーベンハウスに向かう途中、ミュンスター教会の礼拝に出席していく。ボンもローマ時代までさかのぼれる歴史のある町だが、旧市街は爆撃でほぼ壊滅している。かなり念入りに古いものを復元しているとは聞いているが。
途中、広場には大きなベートーベンの銅像がある。
ボンのような小都市が、旧西ドイツの首都であったのは、あくまでも暫定という意味があったときいている。
首都がフランクフルトのような大都市になったら、いつか東西統一したとき、ベルリンに首都が戻らなくなると言う恐れがあったのだという。
ベートーベンハウスに着くと、鍵が故障しているとかで、入れない。気短な私は帰ろうというが、ぜひ見たいと連れ合いが言うので待っている。結局1時間も待たされた。
ベートーベンもまたバッハ同様大好きな作曲家である。
まぁ、ベートーベンに敬意を表して我慢しよう。
ベートーベンは1770年ここで生まれた。自筆の楽譜、ピアノ、オルガン、大きな補聴器、デスマスクなど遺品が展示されている。興味を引いたのは愛用していた最後のピアノ。象牙の鍵盤がすりへっている。しかも引っ掻いたような後すら見える。
これを見たときは胸が痛くなった。
練習もさることながら、難聴のために、ピアノを引っ掻くようにして弾いたのだろうか。
ボンからケルンへ。
駅前にでんとそびえる大聖堂。聞きしに勝る大聖堂だ。
右上部の修復が行われていた。600年かけて建設されたときいているが、確かにそれだけの値打ちはある。
しかし毎年の保守も大変なようだ。忘れてしまったが、風化と酸性雨の年間の修復費だけでも、かなりの額だった。
ちょうど礼拝の始まるところだったが、あまりにも観光客が多いので、教会内部ががたがたしていたので、早々に出て、聖堂近くの中華飯店から大聖堂を眺めていた。
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