1988/09/26 - 1988/09/30
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ももんがあまんさん
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トルコ旅行記、パート?です、トルコは、これでおしまいですけれど、いろいろと思うところの多い国でありました、是非今一度訪れて、この国の変化(あるいは無変化)を見てみたいと、そんな気にさせる国であります。
アタチュルクの夢は果たして、実るのでありましょうか? あるいは、マホメットの呪文(教説)が・・・ 再び、人々を支配するのでしょうか・・・ そしてその時、世界はどのように変っているのでしょうか???
写真は、エーゲ海沿岸の町エフェソス、この地域最大の遺跡の町で、かのクレオパトラも歩いたと伝えられる、アルカディアン・ウェイであります (表紙の写真としては、ちょっと平凡すぎるかなあ・・・) 。
けれど、この地域を歩いて、つくづく思う事は、ギリシャ・ローマの遺跡の多さです、もはや、1500年近くも経過して、全ては荒廃に瀕しているけれど、それでもまた、観光資源として復活している、その偉大さですね。
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ベルガマ
ペルガモン遺跡への道
遺跡の町は、ベルガマの村の裏、小高い丘の上にあります。 -
ベルガマ
ペルガモン(王国)遺跡、劇場跡
ペルガモン王国(BC263-133)と言うのは、アレキサンダーの死後に分裂した王国の一つ、シリアのセレウコス朝(BC312-63)から更に分裂して、独立に到ります。
その後は、アッタロス1世の時代に、ローマと同盟関係を結び(BC208)、アッタロス朝に子孫が耐えると共に、合法的(遺言により)に、ローマに寄贈され、ローマ属州となります(BC133)。
その後この地は、周辺地域のローマ化への橋頭堡となった事もあり、寄贈については、諸説(ローマの陰謀説も)あるようです、真相は藪の中かも知れないですけれど、この地がその後(寄贈後)も繁栄した事は確かなようです。 -
ペルガモン遺跡
ゼウス神殿の跡だそうです、そういわれても、何処がどうなのか? 良く解からないのが残念であります・・・ -
ペルガモン遺跡、アテナ神殿
ギリシャ(マケドニア)起源の町ですから、ギリシャの神々がいるのは、当然であります。
ただいま修復中ですけれど、ちょっと見え見えですね。 -
ペルガモン遺跡
上のアゴラへの道
アゴラとは、市民の生活の場だそうです、市場とかもあるようですけれど、議論好きの、暇人の、ギリシャ市民たちが、政治談議をする場所と言うイメージが、僕には強いのですね。 -
ペルガモン遺跡 上のアゴラ
ギムナジウムの跡だそうです、ギムナジウムと言うのは、「屋内の運動場」と言う事で、今で言う、体育館のような物だそうで、ボクシングの「ジム」の語源とか、でも、体だけでなく、本来は頭も鍛えたとか、アテネのソクラテスさんも、こういうところで議論を吹っかけたのでしょうか・・・? でも、何処がどうなっていたのか、想像力を働かせるのは、難しい。 -
ペルガモン神殿
遺跡の発掘中
遺跡は丘全体に広がっていて、かなり大きな町だったようです、今も活発に発掘中です。 -
ベルガマの村
遺跡の丘の麓にあるベルガマの村です、ペルガモンの町の繁栄は長く続き、アレキサンドリアと並ぶ、文化都市として有名であつたと言います、けれど、この村を見る限り、もはや面影もありません。 -
ベルガマの村
ペルガモンの町は、8世紀にアラブ、14世紀には、オスマントルコによって破壊されたと記録されています、そして、丘の上の町は、放棄されてしまったのでしょう、けれど、丘の町は、現在のベルガマの村よりも、遥かに文化的であったことは、確かなようです。
過ってのペルガモンの繁栄の影を、下の村に求める事は出来ないのでしょうか・・・ 小さな村には不似合いな気のする石畳は、何時の時代に作られたものなのでしょうか・・・? -
ベルガマの村
のどかな田舎の風景です、女性が頭巾を被っていないのは、良い感じです。
ローマはギリシャの町を征服しても、決して破壊したりはしなかったのですけれど(一部を除いて)、イスラムは違ったようです、この地に死屍累々と残る、ギリシャ・ローマの遺跡群は、その事を示しているような、そんな気がします。
イスラムとはいったい何なのでしょうか? 他の文明からは、何一つ学ぶ事の無い、唯我独尊の文化なのでしょうか? 正直なところ、モスク以外に何も無い文化と、そんなふうに見えて仕方ないのですね。
過って、11〜12世紀まで、イスラムは、西欧社会よりも先んじた文明だったと言われているけれど、僕が思うに、それは殆ど全てが、ギリシャ・ローマ、あるいはペルシャの遺産だったのだと、そんな気がします、事実、当時イスラムに支配されていたスペイン等から、中世のヨーロッパに伝えられたものは、殆どが、アリストテレスなどの、ギリシャ・ローマ文献の「翻訳」だったし、そしてそれさえも、イスラムの下では、決して、進化・発展することなく、消えうせる運命だったのですね・・・
ベルガマの上の町と下の村を見る時に、正直に言って、そんな考えが、頭をよぎるのですね。 -
ベルガマの村
何時頃に架けられた橋なのでしょうか、今にも崩れそうな橋です・・・ 風情は悪く無いですけれど・・・
イスラムを、「世界に、何一つ貢献した事もない文明」と、テレビで発言して、罷免された、ちょっと正直すぎる、イギリスの大臣もいたけれど、そう言いたくなる気持ちも、解からないではないです。
20世紀、独立後のイスラム国家は、その殆どが、近代化への道を目指したけれど、それが簡単に達成出来ないと知ると、反作用として、原理主義が台頭する事となった、正直言って、努力も辛抱も足りな過ぎるような気もするけれど、これもまた、イスラムの宗教世界が育んだ精神的傾向なのでしょうか・・・ それと、宗教以外に、誇るべきものが、何も無いという、文化的不毛、そのコンプレックスが、より宗教への傾倒を生むような・・・ そんな気がします。
もしこの、トルコの近代化が、挫折するとすれば、イスラム世界の未来は、更に暗いものになるような、そんな気もします、あるいは、反動としての、宗教的狂信は、ハルマゲドンへと進む事も、ありうるかも? 古代ユダヤ王国とか、大日本帝国とか、昔も今も、宗教的狂信は、国家であろうが国民であろうが、犠牲に供する事に、何ら躊躇するものでは無いのだから・・・ 考えすぎでしょうかね・・・ だと良いのですけれど。 -
エフェソスの遺跡
アルカディアンウェイ
クレオパトラが歩いたと伝えられる道です、ホントでしょうかね? この手の、お釈迦様やら、弘法大師が、どうしたこうしたという類いの話には、常に眉にツバですけれど・・・ -
エフェソスの遺跡
クレティアストリート
現在残る街並 (とは言っても廃墟です) は、殆ど、ローマ支配時代以降のものですけれど、それ以前には、ペルガモン王リシマコスが、それ以前には、ギリシャ系イオニア人が、BC11世紀頃から建設した港湾都市だそうです。
港湾は、度重なる土砂の堆積で、徐々に遠ざかったけれど、町は、東ローマ帝国の版図となった後も、アジア属州の州都として、繁栄を続けたようです (エフェソス公会議の場としても有名です)。
町が、アラブ(イスラム)の攻撃・略奪を受けたのは、7〜8世紀、その後、町は放棄され、港は、完全に土砂に埋もれ、港湾都市としての役目も、終わりとなった。 -
エフェソスの遺跡
円形競技場
5万人が収容できるそうです、野外劇場であると共に、市民の集会場としての機能も持っていたそうです。
アルテミス信仰によって食べていたお土産屋さんたちが、聖パウロへの、反対集会を開いた場所であるとか。 -
エフェソスの遺跡
セルシウス図書館
12万冊の蔵書を誇ったと言われます、アレキサンドリア、ベルガマと並ぶ、当時最大の図書館の一つですけれど、これら三都市は全て、アラブ・イスラムにより破壊され、蔵書の殆どは、消失してしまったのですね・・・
ホントに勿体無い話です、これら三つの図書館の一つでも残っていれば、現在、謎とされている、様々な不思議に、回答が得られたかも知れないと思うと、ホント、人類と文明に対する犯罪でしょうね・・・ -
エフェソスの遺跡
セルシウス図書館
この地の総督であつた、セルシウスと言う人の息子が、父の偉業を讃えて建てたと言われています(AC135)、古代ローマでは、「公共事業」というものは、基本的に、お金持ち(成功者)が、「私財を投げ打ってやるもの」、と言うのが、通り相場であったとか、またそうしなければ、尊敬もされなかったのだそうです (ただの、お金持ちと言うだけでは、「吝嗇=ケチ」と言われて、軽蔑されたのだそうです)、税金=公共事業から、お金を掠め取ろうと言う人の多すぎる、現在の日本からは、考えられない、逆さまの歴史でありますね。 -
エフェソスの遺跡
アルカディアンウェイの先を、旧港に向って、ブラブラと歩いてみました、昔の港は、ほぼ完全に、土砂に埋もれているようで、海の姿さえ見えませんでしたけれど、葦やらなにやら、背の高い草ぼうぼうの茂みの中に、柱やらなにやら、遺跡がゴロゴロと転がっております。
現在の町は、ペルガモン王・リシマコスの建てた町の位置にあるとの事なので、土砂に埋もれた旧港の遺跡は、それ以前、ギリシャ・イオニア人の町の跡なのでしょうか・・? 良くは解かりませんけれど、まだまだ未発掘のものが、たくさんありそうです。 -
エフェソスの遺跡
草むらの中に残された「牛頭彫刻」です、神殿か何かの飾りでしょうか、牛(雄牛)は、ギリシャ神話には、良く登場する生き物ですけれど、何の建物の残骸なのでしょうか? いくらでも転がっていますので、一つくらい頂いて帰りたかったです、でも、カバンに入れるには、重いし、大きいし・・・ 残念・・・・ -
エフェソスの遺跡
クレティアストリートを登って行くと、両側には、神殿やら何やらの建物が続きます、かなり、スケールの大きな遺跡であることが解かります、廃墟ではありますけれど、かなり、リアルに、往時が偲ばれる、そんな感じの遺跡の町です。 -
エフェソスの遺跡
トラヤヌスの泉
五賢帝時代(AC96-180)の、二代目の皇帝(AC98-117)を記念した建物です、此処からは、いろいろな神々の神像が、発見されているそうです、ローマの「トレヴィの泉」などを、少し重ね合わせれば、元は、どんな建物であったか、少しは想像できるでしょうか・・・? -
エフェソスの遺跡
ハドリアヌスの神殿
ローマ五賢帝時代(AC98-180)の三代目ですね、確か、殆どローマにおらず、帝国中を駆けずり回った皇帝として、有名だそうです (ブリタニアにあるハドリアヌスの長城等で有名)。
この皇帝もそうですが、二代目トラヤヌスも、ホモ・セクシャルとして有名だそうです、真偽は知りませんけれど、おかげで子がおらず、この人も、そして、四代目アントニヌス・ピウス(これはヘテロですけど)も、五代目マルクス・アウレリウス(AC161-182 哲人皇帝)も養子です。
逆に、帝国最悪の皇帝と言われるコンモドゥス(AC180-192)は、マルクスの息子で、史上に悪名高い、カリギュラやらネロと言った皇帝は、いずれも血縁に基ずく「世襲皇帝」で、やはり、権力の世襲と言うのは、ろくでもないもののようです、日本の政治家に、ろくな代物がいないのも、頷ける話であります。
最近、アメリカで、「プレスリーのモノマネ芸人」として有名になった、あの某国のソーリも、三代目ですからねえ・・・ しょうも無い、恥さらしですなあ・・・ 。 -
エフェソス、マリア教会跡
元々は、商取引の場としてのバジリカを、教会として改造したものとか、AC431と449年の「エフェソス公会議」(ネストリウス派との異端問答で有名)が、此処で開かれたそうです。 -
セルチュク城(東ローマの城砦)
エフェソスの遺跡とセルチュクの町の間にある、東ローマ時代の城砦の遺構です、セルチュクの町から歩いて行くと、右側に見えます(周辺にはモスクもあります)。 -
セルチュク城(東ローマの城砦)
城砦の中には、殆ど何も残ってはいませんけれど、眺めはなかなか良いところです、何時頃の建物なのか? エフェスの町とは、どんな関係なのか? そこのところは良く解かりません。 -
セルチュク城 (城内)
城砦の中に立っている、イスラムのモスクです、周りにも、何かはあったのでしょうけれど、全ては失われ、モスクだけが、淋しく建っています、まるで、トルコの大地における、文化・文明としてのイスラムを象徴するような、そんな風景に見えます。
全てを破壊し、何物も学ぶことの無い、唯我独尊の、寂しい文明ですね・・・世界に、貧しさだけをもたらすような・・・ と言えば、少し、言い過ぎか・・・ ? -
セルチュク
アルテミス神殿跡
一本の柱だけです、何処から掘り出されたのか・・・
この地で言うアルテミスとは、ギリシャ神話で言うアルテミス(月の女神)とは、まるで違うもののようです、むしろ、デメーテル(豊穣の女神≒地母神)に近いように思います。
この神殿は、「古代世界の七不思議」の内のひとつに数えられるほどの、巨大な建物であったそうです・・・ と言われてもなあ、ホンマかいな・・・ 今に残る「古代の七不思議」は勿論、ギザのピラミッドのみであります。 -
セルチュク
エフェス考古学博物館
アルテミスの神像
良く解かりませんよね、あいにく暗かったもので、フラッシュを使わなかったし、脚立も無かったので・・・ オッパイのお化けのような、なかなかに、美しい神像でありました。 -
ボドルムの港
元々は、ハリカルナッソスという、ギリシャ・イオニア文化圏を起源とする町であるとか、歴史家ヘロドトスが生まれたところ(BC485-425頃)、現在は、トルコ共和国でイチニを争うリゾート地、港には、楽しげなレストランやら、ヨットが並んでいました。 -
ボドルム城と港
港の傍らには、これを見張るように、要塞が鎮座しています、十字軍(聖ヨハネ騎士団)の築いたもの(1402)で、その後、オスマントルコの手に渡り、刑務所などとして、利用されたとか。 -
ボドルムの港
ボドルム城からの、港の風景です、トルコではありますけれど、エーゲ海の港らしい、明るく、開放的な雰囲気も充分にあります、町には安宿も多く、ドイツやスウェーデンなどと言った、ヨーロッパからの、リゾート客で溢れているし、内陸部の町の雰囲気とは、かなり違います (地元のトルコ人達も、ちょっと観光ズレしてるかも?)。
ヨーロッパよりは、物価も安いし(それでも他のトルコの町よりは、かなり高めの観光地レート)、ヨーロッパの中級クラス、あるいは、お金の足りないヤングゼネレーションにとっては、ちょうど良いリゾートなのだと思います、穴場ですね(もう18年前ですから、最近はどうか解かりませんけれど)。 -
ボドルム城の眺望
エーゲ海の眺めです。
埃だらけのトルコ内陸部に比べて、雰囲気はまるで違います、イスラム特有の、むさ苦しいの男達も、あまり目立たないし・・・ え、お前の方が、よっぽどむさ苦しいって・・・ 確かに、だいぶ、草臥れておりまス。
けれど、マア、とにかく、確かに、ヨーロッパに戻ってきたような、そんな町であります、何処の店でも、ビールの飲めるのが、嬉しいですし、多少物価は高くとも、マア、許せる気はしますね。 -
ボドルム城
港の裏の、丘に登って、港を眺望できる所を探してみました。 なかなか美しい眺めです。 -
ボドルム城
元々、この地には、「マウソロスの霊廟」と言う、古代の「世界七不思議」の一つがあったとか、古代の七不思議は、全て巨大な建造物であるけれど、ピラミッド以外は全て、その存在は、確認できておりません。
この「霊廟」も、その確認できない建物の一つですけれど、ちょうどこの、港を眺望するこの場所辺りに、あったそうで、港の要塞は、当時残っていた、この建造物の、残骸を使って建てられたとか・・・ けれど、ちょっと信じられないほどに、今は、何も残っていません。 -
ボトルの城の夜景
西欧風に、ライトアップです、もう少し工夫が欲しい気もしますけれど、良い感じです。
この写真は、宿泊した安宿からですけれど、港から見たほうが、良かったかも・・・ -
マルマリスの港
この町も、リゾートの港町です、ボドルムよりは、少し寂しい、ヨーロッパからの若者が、安宿に屯しているという、そんな感じの町です、この頃(1988)は、まだまだ質素な感じの、小さな港町でした。
心は、次の国、ギリシャに向ってしまっていたので、殆ど観光はせず、通過しただけの町でしたけれど、「歩き方」を読むと、いろいろとあったようです、ちょっと勿体無かったかも・・・ -
マルマリスの港
トルコは、いろいろと考えされられる国だったけれど、「イスラムの桎梏」を克服する為には、第二・第三の、ケマル・アタチュルクが、社会の様々な面で、もっとたくさん、必要なのかもしれないと言う気はします(例えば、サルマン・ラシュディのような、イスラム社会の内からの、勇気ある告発者が)。
少しばかり気に入らない事があるからと言って、何かと言えば「死刑宣告」と言う「脅迫」を、公然と繰り返し、国民を煽る、ヒステリーのような坊主の支配する国も、この近くにはありますけれど、そんな国に比べれば、「政教分離」を国是としているこの国は、遥かにまともで、イスラム世界の中では、未来のある国家のように思えます。
喫茶店のテレビで、演説している男の映像を見て、「彼は、何をしているのか」と、隣の男に尋ねたら、「デモクラティック」との答えが帰って来ました、宗教世界と言うものの一番の特徴は、常に、ドグマを愛し、変化を嫌う事で、それが社会の永遠の停滞を生むのだけれど、今この国は、確かに、変化しつつあるように見えます。
マルマリスからは、ギリシャのロードス島への連絡船が出ています、両国は仲が悪いので、ちょっと手間はかかりましたけれど、無事にギリシャへ向います。
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