1988/09/20 - 1988/09/25
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ももんがあまんさん
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トルコの旅、パート?です、北東部エルズルムの町から、黒海沿岸のトラブゾンへ、それからアンカラまでを収録します、トラブゾンからは、断崖絶壁のスメラ修道院へ、アンカラからは、ヒッタイトの遺跡を訪れます。
写真は、トラブゾンの町で見かけた、普通のトルコ人のお墓、ブルサの町のお墓と同様に、此処も草生して、殺風景であります、ヨーロッパに見られるような、花で飾られた墓も、木陰もありません、何々家先祖代々の、と言うような墓も、無さそうです? トルコではアタチュルクの改革以前は、苗字(姓)も無かったという事なので、家系より部族、という事なのだと思いますし、詳しくは解からないのですけれど、イスラムの社会やら、死生観の顕れだと、理解しております・・・ でも、ターバンの墓石はユニークで面白い。
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エルズルム
ヤクティエ・メドレセ (神学校)
エルズルムは、イランからトルコへ入国した際の、最初の中継点、ソコソコ大きな、町らしい町で、メドレセは、1310年の設立であるとか。 -
エルズルム
ヤクティエ・メドレセ(神学校)
メドレセには、塔(ミナレット)が、一本だけ残っています、「縄目模様の美しい塔」とガイド本にはありますけれど、上のほうは削られておりますし、神学校も閉鎖されているからか、あまり大事にはされていないようです。 -
エルズルム
チフテ・ミナレレル (神学校) ?
ヤクティエ・メドレセの写真だとばかり思っていたけれど、どうやら違うようです、もしかしたら、チフテ・ミナレレルと言われるセルジューク時代の建物かも知れません?、これも同じく「神学校」の建物であったらしい。
イスラムの神学校というものが、どういうものなのかは、映画「アフガン零年」や「カンダハール」でしか知らないけれど、マア確かに、あんなものなら、廃止されて当然だとは思いますね、僕も故あって、ガキの頃に、某宗教学校で、宗教教育を受けた経験があるのですけれど、正直申し上げて、根拠の不確かな事を、検証する事もなく、教え込まれることについて、釈然としない数年間を過ごしたことがあるのですね、僕は日本に住んでいたので、他の世界を選択出来たけれど、選択肢の無い世界だとすれば、こうした教育は、人間を嘘つきにするか、無気力にするか、マア、ろくなことは無いような気がします。 -
エルズルム、街並
なんとなくトルコらしい建物だったので撮った一枚です。
エルズルムは東部アナトリアとしては、最大の町だけれど、正直なところ、あまり撮りたくなる風景の無い町でもあります、チャイハネを渡り歩いてのんびりと、飲んだり食べたり、テレビでオリンピック中継(ソウル)を楽しんだりの一日でした。 -
トラブゾン、黒海の見える風景
紀元前7世紀頃からの、古い歴史を持つ街であるらしい、確か、アルゴ探検隊(ギリシャ神話)が、金の羊毛を求めて目指してた国(コルキス)とは、この辺りにあった国らしい。 -
トラブゾン、黒海の見える街並
コルキスは王女メディア(魔女)の国ですね、なんとなく暗い海の色が、彼女の悲惨な運命を予感させるような・・・ ロマンやなあ・・・ (勿論、勝手な思い込みであります、トラブゾンが、ギリシャ神話のコルキスであるとは証明されておりませんので、念のため) -
トラブゾン、街並
トルコ人の、日常的な商店街の風景です、この辺りは衣料品のお店が多かったです、観光地のバザールのように、華やかではないですけれど、本物の生活が見れるような気がする町です。
右側の店にいくつもぶら下がっているセーラー服は、女子学生のものです (セーラー服フェチの方、お一ついかが?) 。 -
トラブゾン、アヤ・ソフィア寺院
ビザンチン帝国時代、13世紀の教会であるそうです、それほど大きくはありませんけれど、いかにもビザンチンと言う感じの典型的な形の建物で、素朴な感じが、とても魅力的です。
海(黒海)を見渡せる丘の上にあります。 -
トラブゾン、城壁のある風景
これもビザンチン帝国時代に築かれた城壁です、あちこち壊れたり崩れたりで、あまり綺麗に残ってもいませんけれど、壁がそのまま、新しい住宅建築の一部に利用されているのも、リアルな感じですね。 -
トラブゾンの街並
建物は決して綺麗とは言え無いけれど、高低差があって、見晴らしも良い、美しい町です、坂もたくさんあるので、散歩もなかなか、歩き応えがあります。 -
トラブゾンの美少年
あちこちと付いてきて、町の案内をしてくれた少年です、好奇心なのでしょうかね、彼が何を求めていたのか?、言葉がわからないので正直、良く解かりませんでしたけれど・・・
この少年と一緒にチャイハネでアイスクリームを食べていたら、隣のトルコ人がチャイを奢ってくれた、なかなかに、トルコ人は義理堅いです。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院(廃墟)
トラブゾンの南、約50?、日本で言えば、北海道の層雲峡のような、深山幽谷、断崖絶壁に作られた、キリスト教徒の修道院、イスラム勢に追われて、隠れ住んだ、14世紀の建物(遺跡)であるそうです。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
断崖は山の頂まで、緑の木々で覆われています、トルコにもこんなところがあるのだなあと思わせる所、埃だらけのアナトリア地方から来ると、実に新鮮な気がします。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
バスとタクシーを乗り継いで、あとは細い上り坂を歩きます、谷川のせせらぎを聞きながら、ふと日本の山道を歩いているような、そんな錯覚にも陥るような・・・ そんな所です、ハイキングには最適と言う感じですね。
トラブゾンからは、直行のドルムシュも出ているそうです。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
でも足元には気をつけて、ご覧のように、ほぼ垂直の断崖ですので、滑り落ちると、かなりやばいですよ!。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
下から見ても、良くマアこんな狭いところにと言った感じですけれど、現場に来てみても、「狭いなあ」と言う感じです、昔、子供の頃、二段ベッドの上のほうに初めて寝た時に、落ちるんじゃないかと一晩中、気が気でなかったけれど、ちょうど、そんな感じですね、高所恐怖症の人だと、おちおち寝てもいられない、そんな感じです。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
柱やら、窓枠やらが、僧院の骸骨のように、残っています、でも、あまり近付かないようにしましょう、足を踏み外すと、一巻の終わりですので・・・ -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
いったい、どれくらいの間、この土地で彼等は暮らしたのでしょう??
イスラムの迫害に耐え、この地で暮らす事に、どんな喜びがあったのか・・・ かなりの意地っ張りか、一種のマゾヒズムに見えない事も無いですけれど・・・ どうなんでしょうねえ、僕なら、さっさとイスラムに改宗したふりをしてしまいますけれど・・・ どうせ、統治者(政治家)だって、人民の本心なんて、どうでも良いのでしょうしね・・・ マア、いやな世界である事は、確かですけれど・・・ -
スメラ修道院 (廃墟)
なかなかに、立派なつくりの部屋(僧房)もあります。
けれど、考えてみれば、こうして山の中に逃れて、これだけのものを建てて暮らせたという事ですから、それほど弾圧が厳しかったという事も、無かったのかもしれない・・・ とも思えます、マア本当のところは、解からないけれど、日本の昭和の、「大日本帝国」よりは、ましだったのかも・・・ 天皇を拝むのががいやだと言っても、逃げられない世界でしたしね・・・ 同じような「宗教国家」でも、未だ、のどかな(中世)世界だったと言えない事も・・・ と、考えたり致します。 -
トラブゾン近郊
スメラ修道院 (廃墟)
遺跡には、落書きが、多々あります。
まったく、不埒者は、何処にでもいるものであります。 -
アンカラ近郊の街並
首都の風景としては、少しイメージが狂ってしまうような、そんな風景ですね、平屋の家屋は良いとしても、緑も少ないですし、スラムのようにも見えます。
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アンカラ城
首都のアンカラは、1923年の共和国発足時は、小さな地方都市であったようですけれど、町としては古いようです、一応、中世の城砦もありますし、基礎部分は、ローマ時代のものだそうです。 -
アンカラ城、城内
お城見物のつもりで入りましたけれど、中は普通の住宅で埋め尽くされておりました。 -
アンカラ城内の風景
城は、権力者の城というのでなく、城塞都市であったようです、今も、普通の住人の生活の場であります、全く、観光化はされていないし、住人にも、そんな気は、まるで無いようです。
昼間のせいか、住人は、女性・老人・子供しか居りません、その辺りは、カッパドキアのネヴィシュヒールを歩いた時と同じですけれど、こちらは観光客に馴れていないせいか、殆ど、愛想はありません、何処からか、石までも飛んでくるし・・・ 子供達にも、要注意です。 -
アンカラ 新市街 (官庁街)
ケマル・パシャ・アタチュルクの騎馬像
アタチュルクの改革は、明治維新と比肩し得るほどの大改革だと思うけれど、両者には決定的な違いがあります、一方は、改革により、千年に及ぶ「宗教国家」から「世俗国家」への道を歩み始めたのだけれど、明治維新は、せっかくの「世俗国家」を、「宗教国家」へと変質させてしまった事、つまり、両者は、まるで逆のベクトルを歩んだのですね。
日本の近代化に際しての最大の武器は、伝統的な「世俗主義」で、明治の成功は、ひとえにこの、宗教的「ドグマ」に囚われない、国民の「リアリズム」だったのだけれど、「天皇と神道」を政治利用し、「教育勅語」やら「軍人勅諭」を「コーラン」の如く唱えるうちに、維新後の2世・3世達は、「皇国」の「石頭」になってしまったようです・・・ 昭和の「自爆」とも言える戦争の、より根本的な背景には、この、維新政府(薩長藩閥)が選んだ「宗教国家」と言う、誤った「国造り」にあったのだと、僕は考えております。
アタチュルクの改革が、遅々として進まないのも、仕方ないかもしれません、この国は千年もの間、宗教的「ドグマ」の支配する世界だったのですから、その間に培われた精神傾向は、簡単には変りませんし、近代化にとって最も必要な、良い意味での個人主義も、簡単には育たないでしょう、僅か80年の「宗教国家」を経験した日本社会でさえ、未だ、東京の九段辺りでは、その亡霊が蠢いているのですから・・・ -
アンカラのローマ遺跡
AC3世紀に、カラカラ帝が作ったと言われる、ローマ遺跡の跡だそうです、「浴場跡」なので、それほど派手なものでもありません。
ちょっと街外れではありますけれど、広々とした土地で、遺跡も遺跡ですけれど、他に利用しても良いのではと、思いますね、もったいないです。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ(ライオン門)
BC12世紀に最盛期を向え、エジプトのラムセス2世とも、たびたび戦いを交わしたと言われる、古代ヒッタイトの都の跡であります。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ(ライオン門)
3,000年以上昔の遺跡ですので、かなり磨り減っていますけれど、ナデナデ出来るのが、嬉しい遺跡であります。
元々はもう少し、威厳のあったライオンかもしれませんけれど、風雪と年月に削られて、だいぶ丸くなって、愛嬌のある顔に変質しているような、そんな気がします。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ(王の門)
「王の門」と名前は付いていますけれど、ホントはただの「兵士」だそうです、確かに王としては貧弱ですね、誰がこんな名を付けたのでしょう? -
ボァズカレ
ハットゥシャシュ(突撃門)
此処から、兵士が出撃したと言われる「突撃門」、ホンマかいな?
あまり栄養状態も良くない古代の話ですし、人間の身長も低かったのでしょうけれど・・・ どんなものでしょうか? マア、想像するのは自由でありますし、行った人それぞれが、自分の好みの名をつけてみるのも良いかも? -
ボァズカレ
ハットゥシャシュ(城壁)
うーん、年月を経ているせいかも知れませんけれど、石積みとしては、かなり素朴な感じです、ギリシャのミノアやミケーネの方が、技術的には上ですね、勿論、エジプトも、ずっと上。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ
ヒッタイトと言えば、人類史上、最初に「鉄」を使用した文明として知られています、建築などはパッとしなくとも、エジプトと覇を競ったのは、これ(鉄器=武器)故でしょうか?
けれど、鉄って、錆びて、年月が経てば、消えてしまいますからね・・・ 嘘ではないんでしょうけれど、博物館でも、実物は無かったと思うし・・・ どんなものを作っていたのでしょう? -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ
ヒッタイト人が、どのような鉄器をどのような規模で生産していたか、良くは知らないのですけれど、鉄を作るのには、青銅等よりも、更に高温が必要ですし、この遺跡の周囲(アナトリア)の風景は、文明の盛衰について考えさせられるものがあります。 -
ハットゥシャシュ (ヒッタイト遺跡)
多分、この遺跡の周囲の山々には、今よりもずっと、緑が多く、木々が密生していたのだと、想像できます、鉄の生産のためには、木炭が必要なのですから。 -
ハットゥシャシュ (ヒッタイト遺跡)
つまり、森林(資源)によって「鉄」の文明としてのヒッタイトが栄え、森林の消滅と共に、彼等の文明は、消えていったのですね、この地に立つと、資源と文明の関係が、とてもリアルに理解できるような、そんな気がします。
現在、ヨーロッパと呼ばれる土地も、石油や石炭が無ければ、こうなっていたのでしょうね、スペインやイギリスの土地を見れば、そんな気がします、石油や石炭にも、勿論、大きな問題(温暖化)が今、問われているのですけれど・・・ -
ハットゥシャシュ(ヒッタイト遺跡)
遺跡は、隣のボァズカレの村よりも、遥かに広大で、遥かに立派です、けれど、今やこの土地は、隣の小さな村を養う程度の力しかないと言う事なのですね。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ
神殿やら、城砦やら、遺跡の専門家が見れば、いろいろと興味深いものもあるようですけれど、門外漢としては、そういうものについては、まるで良く解かりませんでした。
けれど、過ってのこの都市には、お隣の村よりも、遥かに多くの人々が、文化的と呼べる生活をしていたことは、良く解かります。 -
ボァズカレ (ヒッタイト遺跡)
ハットゥシャシュ
けれど、文化や文明の、マイナスの面ばかりを見ても仕方ないのですね、それは、人間である事の宿命のようなものですし、避けられるものでもないのですから。
ひょっとすれば、アメリカのアーミッシュ達や、映画「ヴィレッジ」の住人のように、近代文明や進歩に背を向けて生きるのも、それはそれなりに尊敬に値するかもしれないけれど、いずれ来るものは、斬新的な死と退屈でありましょうか? あるいは、より強いものの餌食となるのみか?
文化や文明のマイナスは計り知れないけれど、それを克服するものもまた、それ以外に方法は無いと、そう思うのですね、とりあえず、このアナトリアの地には、植林が必要なような、そんな気がしました。 -
ボァズカレ
ヤズルカヤ(岩のギャラリー)
ハットゥシャシュの遺跡から、約2k離れた所にある、ヒッタイト時代の遺跡です、垂直に切り立った岩の回廊は、天然の造形であるそうで、その岩に、神々の姿の掘られた、神殿の谷とか。
詳しくは解かりませんけれど、太陽神を中心とした、自然神で、メソポタミア系の影響が強いとか・・・ かなり磨り減っているのも多くて、なんだろなあというのも、かなりですけれど・・・ -
ボァズカレ
ヤズルカヤ (岩のギャラリー)
これも、何でしょうねえ・・・ ? 昔の写真なので尚の事・・・ 忘れてしまいました。
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