1988/09/14 - 1988/09/20
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ももんがあまんさん
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トルコ編、シリーズ?です、?にも書いたけれど、トルコという国の印象は、西洋近代とイスラム中世の、今まさに激突している処と言う感じです、そして、その思いは、東へ行けば行くほど、強くなります。
写真は、今回のヨーロッパ旅行で、最も興味を魅かれた人物 (故人ですけれど)、トルコ共和国、初代大統領、ケマル・パシャ・アタチュルクの騎馬像です。
「坊主は、政治に口を出すな!」と、イスラム法学者達を一喝し、コーランを床に叩きつけたとの、逸話が伝えられている軍人政治家です、最も成功した、あるいは、最も愛された独裁者とも呼ばれる人物 (坊主には憎まれたでしょうね ?) で、ヨーロッパに於いては、かなりの有名人でもあります (コベンのマダム・タッソーにも、蝋人形があります、本シリーズのデンマーク編をご覧下さい)、勿論、これと同種の騎馬像は、トルコ中のあちこちで見る事が出来ます、因みに、この写真の像は、カイセリのものです。
その業績をざっと並べても・・・ ?カリフ制の廃止 ?メドレセ(神学校)の廃止 ?シャーリーア(イスラム法)の廃止と政教分離の実現 ?アラビア文字の廃止とアルファベットの採用 ?女性のプルカ(ヴェール着用)の禁止 ?男性のトルコ帽の禁止 ?男女同権・男女共学の実施 ?民法・商法・刑法の採用(非宗教的法体系の確立) ?苗字(姓)の採用 等々・・・・
マア、いちいち書いても、限が無いのであります・・・ 要するに、明治維新を一人でやったような人ですね、しかも「和魂洋才」などという、ケチ臭い事を言わず、文化であろうと伝統あろうと、ろくでもないものは、これを切り捨てるに躊躇しない人でもありました、多分、西洋の「精神」をこそ学ぶべきと考えたのでしょうね・・・ 、勿論、イスラムの、精神への影響は、相当に根の深いもので、一朝一夕に、どうなるものでも無いけれど、故にこそ「政教分離」を国是とする必要を痛感したのでしょう、その理由は、良く理解できる気がします。
因みに、ケマルとは彼の名、パシャとは「将軍」、アタチュルクとは「トルコの父」と言う、議会によって送られた「尊称」であります。
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カイセリの風景 (中部アナトリア)
カイセリの町の語源は、「カエセレア=皇帝の町」から来ているとか、ローマ時代からの由緒のある町だそうで、エルジェス山(トルコ富士)の麓の、美しい街です。 -
カイセリ
ドネル・キュンベット
セルジューク・トルコ時代の霊廟だそうです、誰のものかは知りませんけれど、色も形も素朴でよろしいです、壁面のレリーフもまた、なかなかですけれど、こうしたレリーフは、この地方のキリスト教教会の影響かも知れませんね、この後、ヴァン湖に於いて、もっと見事な、10世紀頃のレリーフが見れますので、お楽しみに・・・ -
カイセリの街並&エルジェス山
城壁の向こうに、カイセリの街並が見えます、多分この城壁の向こうが旧市街なのですけれど、この辺り(アナトリア)の町としては、建物も立派でス、マアその分、エキゾチシズムにはイマイチ・・・ -
カイセリ
モスクのある街並
このモスクは多分、ウル・ジャミィだと思いますけれど、あまり良く覚えていません、イスタンブールやエディルネに比すれば、スケールも何もかも、かなり落ちます、マア、ああいう建物自体、そうあるものじゃないでしょうし、この程度のモスクが、トルコの普通の町の普通のモスクと言う処でしょうか、その分、実際の庶民の信仰の場としてのリアリティはありますけれど、ヨーロッパの田舎の、何処にでもある巨大な教会の事を考えるとやはり全体として、経済力の差と言うものを感じますですね。 -
東部アナトリア
ネムルート山への道
カイセリ〜マラテヤの町へはバスで、そこから、ツアーバスに乗り込んで、コンゲマネ帝国(BC1世紀)は、アンティオコス1世の墳墓へと向います。
この道は、多分この後、何台かの観光バスが、崖下へ落下した、その道だと思います・・・ 無事で良かった・・・ (汗) -
ネムルート山への道
ぶどう売りの親子
1日にどれくらいの車が通るのでしょうか ?? -
ネムルート山への道
途中に在る、村の風景です。 -
ネムルート山への道
村の少女
♪山の娘ロザリア いつも歌を歌うよ
♪青い牧場日暮れて 星も出る頃
♪帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
♪涙流し別れた 君の姿よ
「山のロザリア/スリー・グレイセス」
(ロシア民謡)
可愛い娘でした、ピントが後のガキンチョ (親爺づらだなあ・・) に合ってしまったのが残念。 -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
ずっと昔「太古史の謎」(角川書店)とか言う文庫本を読んだ時に(確か?)載っていました「地中から生えている首?」と、もっともらしく紹介されていたけれど、マアホント、トンデモ本でしたねえ (大嘘!)、ホントのところは、墳墓のテラスに並べられた石像から、転げ落ちただけの首であります、マアしかし、好奇心を刺激された事は確かです、そんな嘘は承知の上で、わざわざ此処まで来るのですから・・・・
因みに、この首の主は、ヘラクレス(ギリシャ神話)だそうです。 -
ネムルト山
アンティオコス一世の墳墓
「ヘラクレス」の手前には、「鷲」の神様の首が転がっております、鷲と言うのは、確か?、ゼウス(ギリシャ神話の最高神)の象徴でもあったような??
この墳墓をつくった国家は「コンゲマネ帝国」と言って、アレクサンドロス大王の死後、三つに分かれた国家のうちの一つ「セレウコス朝」(シリア)のそのまた分枝であるとか、だとすれば、ギリシャの神々のいるのも、当然ではあります。 -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
こちらがその、墳墓のテラスに並ぶ、神々の坐像であります、一応アンティオコス一世自身も、並んでいたようではありますけれど、どれがどれやら・・・ 良く解からんです・・・ ? -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
因みに、こちらは、「アポロン」だそうです、勿論、テラスに並んでいた、六体の像のうちの一つ(その首)です。
夕暮なので、光の当たり具合で、丘も石も、まるで色合いが変ってしまいます -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
ライオンもいました、ギリシャ神話にライオンの神様なんて、あったか知らん?? -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
1988年当時は、神々の首は、こんな感じで転がっておりました、最近は、ちょっと整頓されて順序良く並べられている様でありますけれど、なんとなくこちらの、ほったらかしの方が、「廃墟」と言う感じで、好みであります。 -
ネムルート山の風景
墳墓の丘からの風景です、一木一草もない、トルコ中央部(アナトリア地方)の、山岳風景です。 -
ネムルート山の風景
刻々と影が増して行きます。
アナトリア地方というのも、今はこんな風景が多いのですけれど、一昔前(数千年以前)には、木もあり、草も生えていた緑の大地だったと、花粉の調査(地質調査)等から解かっているそうです、本当でしょうか? ちょっと信じがたい気もします、特にこうした、山岳部の姿からは、とても想像出来ませんね。 -
ネムルート山の夕暮
アンティオコス一世の墳墓
ほぼ墳墓の全体が、薄暮の海に沈んで行きます。 -
ネムルート山
アンティオコス一世の墳墓
墳墓のテラスに向って、狛犬さんが見守っております、どう見ても「狛犬」さんですね。 石像の右肩の上に月が出ています、解かりますかね? -
ネムルート山の夕暮
落陽です。
♪このままで帰ろうか 振り向こうか
♪あなたなら一人でも 生きてゆける
歌 伊東ゆかり 「誰も知らない」
故郷を離れて、はや半年、だいぶくたびれて参りました、頭の中で、こんな歌謡曲が響きます・・・ けれど、元気を奮い起こして、いま少し、旅を続けることと致します。 -
東部アナトリアの風景
マラテヤの町からディヤバクルへ向う途中、バスの中から見つけた、東部アナトリアの町です、崖の淵に、しがみついている様な町です、美しくもあり、スラムのようでもあります。 -
ディヤバクル (東部アナトリア)
城壁に囲まれた旧市街の在る町です、かなり残っている城壁は、ボロボロさ加減がリアルで、いかにも中世の町と言う感じであります。 -
ディヤバクル (東部アナトリア)
城壁のある風景
城壁の外側の風景です、殆ど整備されてもいない道路が、いかにもリアルな、中世の風景?ですね。
トルコもこの辺りまで来ると、かなり頭巾をかぶった女性(おばさん?)の姿が目に付きます、公的には、禁止されているとは言え、此処までくれば、因習の方が、影響力が強いのですね。 -
ディヤバクルの街並
これも、城壁の外側の家並だったと思います。 -
ディヤバクル
城壁のある風景
城壁は、その上を歩く事は出来ますが。所々、崩れているので、かなり危険です(他に、登っている暇人は、誰もいませんでした)、観光地として、最近、脚光を浴びているトルコですけれど、この頃(1988年)の、この辺りの町は、まだまだ生活臭の強い地域で、城壁も、観光資源としては、あまり意識されていないようでありました、むしろ、生活の為には、邪魔物と言う感じでしょうか? -
ディヤバクル
城壁からの眺望
城壁の上から眺めた町の風景です、外側だったか?内側だったか?忘れてしまいました、多分、外側だったと思います、これでも一応、新市街?なのでしょうね・・・ -
ディヤバクル
ウル・ジャミィの回廊
これは、城壁の内側、旧市街の中に在る、イスラムの寺院です。
639年の建造という事なので、かなり古いです、殆ど、イスラムの勃興時代のものですね、ムハンマドが啓示を受けたとされるのが610年で、メッカの占領が630年、それから僅か9年で、此処まで来たのですね、マア、宗教の勢いと言うものは、すさまじいものです、マア、宗教と言うものは、理屈も証明も要りませんからね、思い込みだけで充分なのですから、手間隙はかからないのですね、便利なものです・・・ 宗教ファンの方、ごめんなさい。 -
ディヤバクル
ウル・ジャミィ
建物の形式は、かなり古いもので、いわゆる、ドーム形式のイスラム寺院の、イメージとは、だいぶ違うものです、ドーム型イスラム寺院の原型は、コンスタンチノープルのハギァ・ソフィア寺院(537年)らしいので、スタイルとしては、かなり古くからあったものですけれど、それが、イスラム建築に取り入れられたのは、1453年(コンスタンティノープルの陥落)以降という事になるのでしょうか?、良く解かりませんけれど・・・ 手前の八角形の建物は、清めの為の洗い場です。 -
ディヤバクル
旧市街の路地裏
ディヤバクルの町を歩いていると、到る所で、子供達に追いかけられる事となります、画面には、写しておりませんが、ぞろぞろと、だいたい10人から15人程度の子供達が、大騒ぎをしながら、僕の後ろをついて参ります、まるで、金魚の糞ですね・・・、仕方がないので、これを引きずりながら、町を見物しております、ヒマなのですね、学校には行っているのでしょうか?。
正直なところ、相手にしていると、きりがありません。 -
ディヤバクル
旧市街の路地裏
いかにも旧市街と言う感じの、細い路地です、全身黒ずくめの女性も歩いておられます。
けれど、正直な感想は、暑苦しいのですね、マア、いろいろ理屈はあるようですけれど、こうした習俗の根本には、女性に対する「賎視」と言うものがあるのは、否定できないのですし、女性自身が、その事に、屈辱を感じ、目覚めない限り、男尊女卑の現実は続くのですね。 -
ディヤバクル旧市街
路地裏のキリスト教会
これは、子供達の一人に連れられていった所にあった、キリスト教会です、イスラム時代を生き延びてきた、キリスト教会(アルメニア教会系)のようであります、でも、寄付を求められますので、ご用心ですね・・・でも、あの子供と、寄付係のおばさんは、とてもキリスト教徒には見えなかったけれど・・・ -
ディヤバクルの子供達
男のガキどもは、五月蝿いけれど、女の子達は、やはり可愛いですね、服装はチョットなんですが、まあ、これは、彼女達の責任ではないので、仕方ありません。
なんとなく、女の子の写真が多い傾向もありますが、ロリコンではありませんので、誤解無きよう・・・ 念のため・・・ え?、ますます怪しい・・・ ?
それにしても、後の悪ガキが、五月蝿いですね。 -
ディヤバクル 風景
壊れた城壁の間から、町の近くを流れる川のほとりまで、行きます、何故か?此処までは、子供達も、ついて参りませんでした。
ひょっとしたら、僕は、彼等の世界へ入ってきた「闖入者」と言うところで、彼等によって見張られていたのかも知れませんね、だから、町の外へ出たときには、もう、その必要(見張り)が、無くなったと言う、そういう事かも知れません。 -
ディヤバクル チグリス川
城壁の町の下を流れていた川は、「チグリス川」です、ユーフラテス川と並ぶ、メソポタミア文明揺籃の川です、でも、「大河」をイメージしていた僕としては、少し・・・ -
ディヤバクル チグリス川
多分、上流には、ダムがあるのでしょう? エジプトのナイル川もまた、そうなのだけれど、ダムが出来ると、川の様相は変ってしまいますし・・・ 元の姿は、想像する以外にありません。 -
ディヤバクル
城壁のある風景
チグリス川のほうから眺めた「城壁の町」の姿です、かなり騒然とした、埃っぽい町でしたけれど、とても印象に残る、「中世の町」でありました。
こうして見ると、なかなかに美しいですね、イタリアのトスカーナ辺りの町にも、劣りませんです、勿論、「中世の町」としては、より「リアル」でありますけれど・・・ -
ディヤバクル チグリス川
こちらは、城壁の上から眺めた「チグリス川」の姿です、「チグリス川・百景」その?ですね、感慨深いです、川を前面に配置して、町を撮れば、もっと印象に残る風景が撮れたかも・・・? -
ヴァン近郊(東部アナトリア)
ホシャップ・フォートレス(要塞)
オスマン朝時代の、1643年、この地域を支配していたクルド人の領主によって立てられた城塞であるらしい、ヴァンの近郊約60?の辺りにあります。
周囲は殆ど一木一草もない、アナトリアの大地が広がっています、マア、簡単に滅びたのも理解できる気はしますですね、こんなところを支配しても、たいして儲からなかったでしょうしね・・・
けれど、なかなか絵になる景色です、まるで、ドラキュラの城のような・・・ 雰囲気満点です。 -
ホシャップ・フォートレス(要塞)
要塞の下には、か細い感じの川が流れています、この要塞は、この川(水)の支配の為に建てられたもののようですね、それにしても、今にも枯れそうな、弱弱しい流れでありました。
この地域には他にも、かって、クルド人が建てたと言われる、モスクや宮殿が点在しています、同じイスラム教徒同士ですけれど、民族・部族の争いは、昔も今も変らないのですね。 -
ヴァン近郊
チャウシュテペ城、城跡
こちらは、時代をかなり遡って、紀元前8世紀頃、この地(ヴァン)を首都として栄えた「ウラルトゥ王国」の、王都(トゥシュパ)の遺跡であるそうです、最盛期には、イランのアッシリア王国と覇を競ったと言われるほどの王国ですけれど、今は、ヴァンの町とホシャップ要塞の間に、城壁の跡だけが残る、謎の多い古代の遺跡です、BC585年頃、スキタイ人の進入により滅びたそうです。 -
チャウシュテベ城 (ヴァン近郊)
「ウラルトゥ王国」 宮殿跡
赤茶けた土砂漠の丘に、城壁の跡だけが、くっきりと、今も残っています、かなり大きな宮殿であったようです、ヴァンの町の博物館には、この地で発掘されたものが多く展示されているそうです。 -
ヴァン湖
アクダマル島の船着場
ヴァン湖は、トルコ最大の湖ですけれど、残念ながら「塩湖」で、飲料にはならないようです、場所によっては「濃度」が、かなり高く、イスラエルの「死海」に比される事もあるようです、けれど、僕の感じたところ、それほどでも無いような・・・ 「場所」に拠るのかも知れませんけれど。 -
アクダマル島(ヴァン湖)
アルメニア教会
この島の最大の見所は、これ、10世紀(915〜921年)の建造であるそうです、良くぞ、壊されもせず、モスクに改造されもせず、残ったものです。 -
アクダマル島(ヴァン湖)
アルメニア教会
建築自体は、それほど大きくは無いですし、東方アルメニア教会のスタイル(ロマネスク以前)で、たいしたことは無いですけれど、壁面に施されたレリーフ「聖書物語」が、とても美しく、風雪に耐えて、良く残されています、これは間違いなく「値打ちモノ」と見ました。
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アクダマル島(ヴァン湖)
アルメニア教会
永の年月、ほつたらかしにされてきたし、今も、特に手入れされている様子は無いし、建物の傷みはかなり激しいですけれど、建てられた当時は、相当に美しかったのではないかと、想像されます。
多分、湖の中の離れ小島と言う地理的条件が、イスラム教徒により、壊されもせず、改造されもしなかった、最大の要因だったのでしょうね、でも、このままほうっておけば、遠からず・・・ -
アクダマル島(ヴァン湖)
ヴァン湖には、トルコ版「ネッシー」と言う怪獣が住んでいるとか・・・ いないとか・・・ けれど、僕の見たところは、住んでいそうにありませんね、大体が、かなり濃い「塩湖」だそうですし、魚自体、少なそうですし、「ネッシー」が生きて行けるとも思えないのですね。 -
アクダマル島 (ヴァン湖)
マア、この辺りの地方は、旅行者にとっても、まだまだ「秘境?」の様なので、何かと不思議感覚を刺激するのでしょうけれど、「怪獣」などいなくとも、なかなかに興味深い土地であります。 -
ドゥバヤズット近郊(東部アナトリア)
イサク・パシャモスク (宮殿)
荒涼とした風景の中に建てられた、モスク兼宮殿です、この土地を支配していたクルド人の首長により建てられた(17〜18世紀)建物だそうです。 -
ドゥバヤズット近郊
イサク・パシャモスク
縦方向に見れば、この土地の雰囲気が、より良く解かるでしょうか?
このような土地に、良く建てたものだと思います、それだけに、首長の権力の強さを感じもします、今は全くの廃墟ですけれど、廃墟である事こそが相応しい・・・ そんな風景の一部を構成しています。 -
イサク・パシャモスク
モスクと言う名前は付いていますけれど、宮殿としても使用されていたようです、建物の中には、数多くの部屋があり、姿・形もなかなかに魅力的です。 -
イサク・パシャモスク (入口)
宮殿の入口です、不思議な紋様のレリーフが、とても印象的です。 -
イサク・パシャモスク
こちらは宮殿の内部です、ハーレム等もあったそうですけれど、何処がそれやら、良くは解かりませんでした、この部屋は、元々こうだったのでしょうか? それとも、屋根はあったのか? パティオのようにも見えますね・・・ ?
もう少し、注意深く見ておくべきでした。 -
イサク・パシャモスク (宮殿)
それほど巨大な宮殿と言う印象は無かったですけれど、この周囲の、搾取しようも無い土地を見る限り、不釣合いな建物と言う感じです、短時日の間に滅びたと言うのも、当然でしょうか? -
ドゥバヤズット近郊
イサク・パシャ要塞 (廃墟)
イサク・パシャ・モスク(宮殿)の傍にある、要塞の跡です、小さなモスク(霊廟かも?)と、城壁が残っています。
この遺跡の主(イサク将軍)はクルド人の首長であったとの事ですけれど、いったいどうして滅びてしまったのでしょう、今も、この地域は、クルドのゲリラが出没する地域だと、ガイド本には書いてあったけれど、彼等と、この遺跡の関係は、あるのでしょうか? 良く解かりません。 -
イサク・パシャ要塞 (廃墟)
彼等(クルド人)も、イスラム教徒であったことは、確かなようです、けれど、この要塞を見る限り、部族間の争いは絶えなかったようです。
イスラムの暴力性について批判される時、イスラム教徒たちは良く「イスラムは平和の宗教」と語るけれど、そのイスラムの歴史の示すところ、それはあまり、あてにはならないようです。
マア、その点は、キリスト教もご同様ですけれど、つまるところ、坊主達の「祈り」はあまり、平和の役には立たないと言う事でしょうか? むしろ多くの場合、害となるのかもしれません・・・ 。
最近のアメリカの宗教右派のありようを見ても、平和にとっては、最も危険な集団のようですし、良く良く考えれば、わが日本に於いても、自民党の手助けをして、戦後初めて自衛隊の海外派兵を行ったのは、「平和」をお題目に掲げる某宗教政党でありますし、マア、宗教者の語る言葉というものは、常に眉唾か二枚舌かご都合主義と、心得たほうが、間違いは無いでしょうねえ・・・ 。 -
ドゥバヤズット近郊
アララット山の見える風景
ノアの箱舟が漂着したと言われる神話の山ですけれど、山自体は、神話に関係なく存在しております、最近は、箱舟が発見されたとかの噂も、かまびすしいですけれど、トンデモ話でありますね、箱舟と言われる「岩」の写真を見たこともありますけれど、「化石」になるには、年月が短すぎるような??
僕自身、神話に興味は持っているけれど、それは、人類の進化の一段階と、歴史の一部としての興味なのですね、神話それ自体のロマンに憧れているわけでは、あまり無いようです、マア、あまり信仰心は無い人間なので、これより東には行きませんでした・・・ この後は、黒海沿岸の町、トラブゾンを目指し北上します。
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