ドイツ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
フランス編に比べて、ドイツ編・イギリス編はロクな写真が残っていなかったので、詳細な旅程と多少のエピソードを列挙することでごまかそうと思います(笑)。<br /><br />アップしている写真は現像されたフィルム写真をデジカメ撮影したものですが、元の写真が不鮮明なので、かなりお見苦しいのはご容赦くださいませ。<br />下記の詳細な旅程のうち、■印はデジカメ撮影した写真がある日です。<br />今回は、ドイツ編です。<br />でも、実はたったの2枚しかありません(泣)。<br /><br />なので、表紙の写真はコレにしました。<br />詳細な旅程の他、持ち物リストや出費一覧が記録されてある当時のメモ帳です。<br />それに、ドイツで買った小物などを添えました。ただし、買ったのは1989年当時ではなく、その後のドイツ旅行(2001年と2002年)のときです。<br /><br />現在は、旅先で書くことがもっと多くなってしまったので(特に日記が詳しい@)、A5版のルーズリーフノートを持ち歩いています。<br /><br />【出国編】<br />□2/04(土)成田泊(モスクワ泊)<br /><br />※私はよく覚えていないのですが、モスクワでトランジットで利用したホテルは友人には不評でした。部屋にはゴキブリがいましたっけ。<br />私がかすかに覚えているのは、ホテルという名のわりには、食堂などがユースホステルのようだなぁと思ったことくらいです。<br /><br />【フランス編】※写真は、その1に掲載。<br />&#9744;2/05(日)パリ着&観光(パリ泊)<br /> ・北駅周辺でホテルを探す<br /> ・サクレクール寺院&ドームからパリの眺望を楽しむ<br /> ・シテ島散策<br /> ・ノートルダム寺院&オルガン演奏を聴く<br /> ・シテ島からチュイルリー宮殿までマラソンした(←なぜ??)<br /><br />■2/06(月)パリ観光(パリ泊)<br /> ・ギュスターブ・モロー美術館<br /> ・サントシャペルでステンドグラスを楽しむ<br /> ・ルーブル美術館<br /> ・リヴォリ通りでウィンドウショッピング<br /> ・パリ・ビジョン社の夜の市内観光バスツアーでパリのイルミネーションを楽しむ<br /><br />※当時はフランス革命200周年記念の年でした。エッフェル塔のイルミネーションも200年周年を祝うものだったことを覚えています。<br /><br />■2/07(火)シャルトル日帰り(ルーアン泊)<br /> ・パリのホテルをチェックアウトした後、鉄道駅のロッカーにスーツケースを預ける<br /> ・シャルトルへ鉄道で移動<br /> ・シャルトル大聖堂でステンドグラス&塔から町の眺望を楽しむ<br /> ・町の散策<br /> ・夕方、パリに戻り、ルーアンへ移動する<br /><br />■2/08(水)ルーアン観光(パリ泊)<br /> ・旧市街広場&マーケットでショッピング(山羊のチーズを買った)<br /> ・ジャンヌダルク教会<br /> ・ジャンヌダルク博物館<br /> ・ジャンヌダルク橋を渡る<br /> ・市内散策で裁判所と大時計を見る(外から)<br /> ・ノートルダム大聖堂&回廊の柱<br /> ・サン・トゥアン教会(中に入れず)<br /> ・ルーアン美術館<br /> ・ジャンヌダルクの塔<br /> ・夕方、パリへ戻り、明日のツアーと土曜のマルセイユ行クシェットを予約する<br /><br />■2/09(木)ロワール城めぐりの現地ツアー(ランス泊)<br /> ・ホテルをチェックアウト後、スーツケースをパリのリヨン駅のコインロッカーに預ける<br /> ・パリ・ビジョン社のロワール城めぐりツアーに参加<br />(4つの様式が混在したブロア城、今でも貴族が住むシュベルニ城、門の外から眺めただけのシャンボール城、しっかり中も見学したシュノンソー城)<br /> ・パリへ戻った後、ランスへ移動(スーツケースはそのまま)<br /><br />■2/10(金)ランス観光(ランス泊)<br /> ・ランス大聖堂<br /> ・サン・ドニ修道院アートギャラリー<br /> ・サン・ジャック教会、ステンドグラスだけとても近代的<br /> ・フジタ礼拝堂(入れず)<br /> ・市内散策で、マルス門、市庁舎、王宮広場などを見学<br /><br />■2/11(土)パリに戻り、アミアンへ移動&観光<br />(マルセイユ行きクシェット(簡易寝台)泊)<br /> ・パリに戻り、アミアンへ移動<br /> ・オテル・ド・ベルニー美術館<br /> ・アミアン大聖堂<br /> ・ピカルディ美術館<br /> ・夕方、パリに戻り、スーツケースをロッカーから取り出してマルセイユ行クシェットに乗る<br /><br />■2/12(日)マルセイユ観光(ローマ行き夜行列車泊)<br /> ・ノートルダム・ド・ラ・ギャール大聖堂&町の眺望を楽しむ<br /> ・旧港散策<br /> ・イフ島行きの遊覧船に乗る(が、イフ島には下りずにそのままマルセイユに戻る)<br /> ・夜、ローマ行夜行列車に乗る<br /><br />※本当は簡易寝台であるクシェットに乗りたかったのですが、予約を取るのが少し遅すぎて取れませんでした。<br />クシェットなら、車両を出入りするのは、基本的にベッドに寝る4人に限定されますし、車掌が回って来るというので、治安面でまだ安心できたのですが、取れなかったものは仕方がありません。<br />行き先は治安に不安のあるイタリアなので、友人と私は、交代で寝ずの番をして、荷物を見張ることにしました。<br />ところが2人とも旅疲れがたまっていたため、ぐっすり眠ってしまいました。<br />というか、最初に起きているはずの私が、友人と一緒になってぐーすか寝てしまったのです。<br />途中で目を覚ました友人は、私が寝ているのを見てギョッとしたそうですが、結局、起きていられなかったようです。<br />幸い、2人して眠りこけたからといって、何も問題は起きませんでした。2人とも、スーツケースは頭上の棚においてあったにせよ、貴重品は、しっかり抱き込むようにして寝ていましたしね。<br /><br />【イタリア編】<br />※ろくな写真がないため、この当時の写真のデジカメ撮影はしていません。<br /><br />□2/13(月)ローマ着&観光(ローマ泊)<br /> ・バチカン美術館<br /> ・サンピエトロ寺院<br /> ・コロッセオ<br /> ・コンスタンチヌスの凱旋門<br /> ・フォロロマーノ<br /><br />※コロッセオとフォロロマーノ。私も友人もぜひローマでは外せないと思いました。なぜなら、2人とも車田正美さん原作のアニメ「聖闘人聖矢」にハマっていたからです(笑)。<br />だからこの2つにこだわる理由は……知る人ぞ知る!?<br />今はよくわかりませんが、当時はあのアニメに夢中になった婦女子はたくさんいるはずです。<br />バチカンのシスティーナ礼拝堂は、この当時でも混んでいたような気がします。また、ミケランジェロの壁画が美しく修復されるのはこの後です。当時はまだ修復中でした。<br />たしか、壁画も一部、修復のための幕に覆われていましたっけ。<br />当時買ったシスティーナ礼拝堂のポストカードや本も、壁画の写真はだいぶ黒ずんでいました。<br />数年後、修復が終わった後の色の鮮やかさにびっくりしたものです。<br /><br />□2/14(火)フィレンツェへ移動&観光(フィレンツェ泊)<br /> ・サンタ・マリア・ノベェッラ教会<br /> ・花の聖母教会ドゥーモ<br /> ・ジオットの鐘楼<br /> ・シニョーリア広場からヴェッキオ宮殿まで散策<br /> ・ウフッツィ美術館<br /> ・サン・ロレンツォ教会脇のマーケットでショッピング(初めて革手袋を買う)<br /> ・ヴェッキオ橋&橋の上の金細工店のウィンドウショッピング<br /> ・ピッティ宮と中庭まで散策<br /><br />※ウフッツィ美術館でボッティチェリの「ビーナスの誕生」や「春」の実物を目の前で見たときの感動は忘れられません。<br />ちなみに、当時のウフッツィ美術館は、まだそう混雑していなかった気がします。入場制限されたり、入口の前にずらっと人が並んでいた記憶はありません。あの頃はよかったなぁ。<br /><br />□2/15(水)ヴェネツィアへ移動&観光(ミュンヘン行き夜行列車泊)<br /> ・アカデミア橋からサン・スティファーノ広場<br /> ・水上バスでサン・マルコ広場へ<br /> ・サン・マルコ教会<br /> ・サン・マルコ運河沿いを散策<br /> ・リアルト橋までウィンドウショッピングをしながら更に散策<br /> ・サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会<br /> ・ローマ広場<br /> ・スカルツィ橋<br /> ・サン・ジュレミア広場までウィンドウショッピングをしながら散策を終える<br /><br />※いまふりかえると、だいぶ安上がりの行程ですねぇ。水上バス(ヴァポレット)以外、料金が必要なところってないですよね?<br />でも、ヴェネツィアは街自体が生きた美術館のような街だったので、散策でも十分楽しめた覚えはあります。<br />ただ、運河が縦横に走る街って散策しづらかったのも覚えています。まっすぐ進みたくても運河に阻まれてしまったら、ちょっと先の橋まで寄り道しなければならないのですから。<br />同じ不便は、1993年にヴェネツィアを再訪したときも感じました。当たり前ですが。<br /><br />【ドイツ編】<br />■2/16(木)レーゲンスブルクへ移動&観光(レーゲンスブルク泊)<br /> ・市立博物館<br /> ・市内散策<br /> ・ドナウ川遊覧船でヴァルハラ神殿へ<br /><br />□2/17(金)アウグスブルクへ移動&観光(アウグスブルク泊)<br /> ・ミュンヘン経由でアウグスブルクへ行く予定が、ミュンヘン行の列車で友人とはぐれる!<br />(アウグスブルク駅で無事、再会)<br /> ・市立美術館<br /> ・モーツアルトの父レオポルドの家<br /> ・劇場で明日のオペラのチケットをとる<br /> ・夜間、駅のコインロッカーまでスーツケースを取りに行く(夜間の市内散策を兼ねて!?)<br /><br />※ミュンヘン行の列車を待っているとき、私は席の確保で先に乗り込み、友人が2人分のスーツケースを引きずって後から乗り込むことになっていました。<br />2人で必ずペアになって使うユーレイル・セーバーパスは、1等席のパスしかありませんでした。私たちは、せっかくなら、ということで、なるべく1等席に座ろうとしたのです。<br />ところが、1等席の車両は列車の先頭にあることが多く、要するにホームをかなり歩かなければなりません。<br />無事に席を確保して友人を待っていたら、友人が来る前に発車してしまって唖然。<br />仕方がないので、ミュンヘンで列車を乗り換え、先にアウグスブルクまで行って駅で友人を待ちました。本日の観光と宿をアウグスブルクに決めていたので、きっと待っていれば追いかけてくるだろうと思ったのです。<br />友人はスーツケースを引きずりながら、発車ベルに慌てて、反対行きの列車に飛び乗ってしまったそうです。<br />友人の慌てぶりを見て、車掌さんたちは、彼女が列車を間違えたことはひと目でわかりましたので(発車してしまった列車の扉を叩いていたので、笑われてしまったそうです@)、車掌さんに次の駅で降りて乗り換え方法など親切に教えてもらえたそうです。セイバーパスなのに1人で乗っていることは、もちろん咎められませんでした。<br />私の方は、アウグスブルクに着くまで検札に会わずにすみましたが、セイバーパスなのに1人で乗っていることを指摘されたらどうしようとビクビクでした。<br />そしてアウグスブルク駅でも、日本に帰るまでこのまま二度と友人と会えなかったらどうしよう、と不安でした。<br />でも、待つしか私にはできることがなかったので、友人に会えたら、早速、アウグスブルク観光を始められるよう、駅の観光案内所でパンフレットをあさっていました。<br />友人と再会できることを心の奥では信じていたわけです。というか、単に図太いだけ?<br />今ではなつかしくも楽しい思い出です@<br /><br />□2/18(土)ウルム日帰り(アウグスブルク泊)<br /> ・ウルム大聖堂&塔から街の眺望を楽しむ<br /> ・市内散策<br /> ・市庁舎内ウルム博物館<br /> ・アウグスブルクに戻り、市立オペラ座で初オペラ体験。チャイコフスキーのオペラ「Die Pantoeffelchen der Zarin oder Die Nacht vor Weihnachten(女帝のスリッパ、またはクリスマス前夜)」<br /><br />※せっかくの初オペラですが、観光疲れで眠くて眠くて大変でした。<br />また、友人はワーグナーのオペラには関心が高かったとはいえ、私も友人も基本的にはオペラにそう詳しいわけではありませんでした。なので、このオペラは知りません。2人とも、市民がアフターファイブに気軽に観劇に出かける土壌のあるヨーロッパで、オペラ体験をしたかったというのが一番の理由です。<br />前日にチケット売り場で公演予定を聞いたとき、少なくともチャイコフスキーのオペラなら、きっと有名に違いない、あとでどんなオペラか、調べることは可能だ、と思って飛びついたわけですが……実はいまだに、ネット検索しても、このオペラについて調べることができないでいます。<br />内容は、オペラというより、オペレッタくらいでしょうね。コメディでしたから。ロシアの女帝エカテリーナを風刺していたような気がします。歌詞は全く聴き取れませんでしたが、それっぽい登場人物がどこかコミカルに扱われていました。<br /><br />□2/19(日)ノイシュヴァンシュタイン城へ日帰り<br />(ケルン行きクシェット(簡易寝台)泊)<br /> ・フュッセン経由でノイシュヴァンシュタイン城へ(登山30分)<br /><br />※フュッセンはこの時、経由しただけで、街の散策はしていません。でも列車の車窓からチラッと街の様子が見ることができました。パステルカラー調の可愛い街並みに、私などいっそ、ノイシュヴァンシュタイン城よりフュッセンを観光したいと思ったくらいでした。<br />その思いは、約10年後の2001年度のドイツ旅行のときに実現させることができました@<br />ちなみにノイシュヴァンシュタイン城に行くことに熱心だったのはむしろ友人の方でした。当時、私は、ルードヴッヒ2世のことはほとんど知らなかったのです。ついでにいうと、従姉妹のエリザベート皇妃のことも。<br />その後、ルードヴッヒ2世にちょっとハマって本を読んだりするようになったきっかけは、根底には、やはりこの旅行があったと思います。<br />もっとも、直接のきっかけは、コミックでしたけど@<br />そしてコミックゆえ、死の直前までルードヴィッヒ2世が美化されていたので、実際に晩年の40才くらいのときの彼の写真を見て、ショックを受けましたね。20代の青年時代は、実物もそれはそれは美青年だったのにぃ〜〜。<br /><br />□2/20(月)ケルン観光(西ベルリン行き夜行列車泊)<br /> ・大聖堂<br /> ・ライン河畔の散策。ホーレンツォレン橋からドイツァー橋まで<br /> ・市庁舎<br /> ・音楽学校(外観のみ)<br /> ・聖ウルスラ教会&オルガン演奏を聴く<br /> ・聖クニベルト教会(?)<br /> ・再びライン河畔の散策<br /> ・夜、夜行列車で西ベルリンへ<br /><br />□2/21(火)西東ベルリン・バスツアー(西ベルリン泊)<br /> ・午前、西ベルリン・バスツアー(車窓から建物を見学)<br />(カイザーヴィルヘルム記念教会、技術大学、シャルロッテンブルク宮殿、オリンピック・スタジアム、ラジオタワー、国際会議センター、市庁舎、検閲所(Kontrollatsgebaeude)、アクセル・スプリンガー出版社、チェックポイント・チャーリー、ベルリンフィルハーモニー、国立図書館、ナショナルギャラリー、ポツダム広場、ブランデンブルク門、国会議事堂、ベルヴュー城(Schloss Bellevue)(官邸)、会議ホール、ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔))<br /><br /> ・午後、東ベルリン・バスツアー(原則、車窓から建物を見学)<br />(シャリテー(大学病院)、ドイツ劇場、フリードリッヒシュタッツパラスト(ヨーロッパ最大のレビュー劇場)、ベルリン会議場(Berliner Ensemble)、ウンターデンリンデン通り、ブランデンブルク門、フンベルト大学、国立オペラ座、聖ヘドヴック教会(Hedwigskathedrale)、ドイツ歴史博物館(旧兵器庫(Zeughaus))、共和国宮殿、アカデミー広場(ニコライ地区)、アレクサンダー広場、カールマルクス通り、トレップタワー公園、テレビ塔、ベルリン市庁舎、大聖堂、博物館島(※ペルガモン博物館は中に入って見学))<br /><br />※ツアーで回った経路をふりかえると、東ベルリン側に観光ハイライトが集中しているのがよくわかります。<br />西ベルリンの方は、バスで回るにはめぼしいハイライトが少ないので、苦し紛れに加えたようなポイントがあるように思えてなりません。<br />いやいや、ベルリンの歴史や事情などをきちんと踏まえている人にとっては、たとえばアクセル・スプリンガー出版社など、新聞やマスコミの発達などの関連で重要な存在にちがいなく、興味深かったろうと思います。<br />でも、ふつうのお気楽観光客の場合はねぇ……。<br /><br />□2/22(水)西ベルリン観光2日目(西ベルリン泊)<br /> ・オイローパーセンターと観光案内所<br /> ・ナショナルギャラリー(グーゲンハイム美術館展開催中)<br /> ・ポツダム広場(というより、ほとんどただの空地)<br /> ・楽器博物館<br /> ・ショッピング<br /><br />※そういえば当時は、ニューヨークに拠点を持つ現代美術館であるグーゲンハイム美術館の名前を知りませんでした。ただ、余分に料金が取られるにせよ、せっかく開催されていたために、ついでに見学しました。<br />その前に、たとえばオイローパーセンターやツォー駅などの寂れた様子、観光案内所でもあまり観光情報が得られなかったため、特別展でも見学しながらナショナルギャラリーでゆっくりしていてもいいや、という気分に、私も友人もなっていたのです。<br /><br />□2/23(木)西ベルリン観光3日目(西ベルリン泊)<br /> ・アムステルダム行の国際バスを予約(大陸を渡るのはフェリー)<br /> ・シャルロッテンブルク宮殿<br /> ・エジプト博物館<br /> ・古代博物館<br /><br />■2/24(金)西ベルリン観光4日目(西ベルリン泊)<br /> ・ダーレム博物館<br /><br />※ダーレム博物館はやや郊外にあるので、西ベルリンからのちょっとしたエクスカーション気分でした。それに、びっくりするほど巨大な博物館でした。<br />中身は、東南アジアだのインドだの原始アメリカだのオセアニアだのアフリカだの、といったヨーロッパ以外の民族博物館でした。東アジア部門として、中国や韓国や日本の展示もあった気がします。<br />知っていて訪れたはずでしたが、当時の私は、内心、わざわざヨーロッパに来てまで、なぜアジアやアフリカの展示を見学しなければならないんだ、と思っていました。<br />逆なのですよね。植民地時代にヨーロッパが植民地先から重要で興味深い品々をヨーロッパに持ち帰ってしまったため、むしろヨーロッパの方がこういうコレクションが豊富なのですよね。<br />それにヨーロッパの方が早くから博物誌が発達したため、コレクションの展示や分類が整備されていました。<br />でも、そういうことがわかったのは、ずっと後のことです。<br />ただし、このときそこまで意識しなくても、ダーレム博物館のコレクションの豊富さには、見て回るうちに次第に感激した覚えがあります。<br /><br />詳細旅程、その3に続く。

1989年春のヨーロッパ周遊旅行30日間その2:ドイツ編(+詳細旅程の前半)

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1989/02/16 - 1989/02/24

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2

2

まみ

まみさん

フランス編に比べて、ドイツ編・イギリス編はロクな写真が残っていなかったので、詳細な旅程と多少のエピソードを列挙することでごまかそうと思います(笑)。

アップしている写真は現像されたフィルム写真をデジカメ撮影したものですが、元の写真が不鮮明なので、かなりお見苦しいのはご容赦くださいませ。
下記の詳細な旅程のうち、■印はデジカメ撮影した写真がある日です。
今回は、ドイツ編です。
でも、実はたったの2枚しかありません(泣)。

なので、表紙の写真はコレにしました。
詳細な旅程の他、持ち物リストや出費一覧が記録されてある当時のメモ帳です。
それに、ドイツで買った小物などを添えました。ただし、買ったのは1989年当時ではなく、その後のドイツ旅行(2001年と2002年)のときです。

現在は、旅先で書くことがもっと多くなってしまったので(特に日記が詳しい@)、A5版のルーズリーフノートを持ち歩いています。

【出国編】
□2/04(土)成田泊(モスクワ泊)

※私はよく覚えていないのですが、モスクワでトランジットで利用したホテルは友人には不評でした。部屋にはゴキブリがいましたっけ。
私がかすかに覚えているのは、ホテルという名のわりには、食堂などがユースホステルのようだなぁと思ったことくらいです。

【フランス編】※写真は、その1に掲載。
☐2/05(日)パリ着&観光(パリ泊)
 ・北駅周辺でホテルを探す
 ・サクレクール寺院&ドームからパリの眺望を楽しむ
 ・シテ島散策
 ・ノートルダム寺院&オルガン演奏を聴く
 ・シテ島からチュイルリー宮殿までマラソンした(←なぜ??)

■2/06(月)パリ観光(パリ泊)
 ・ギュスターブ・モロー美術館
 ・サントシャペルでステンドグラスを楽しむ
 ・ルーブル美術館
 ・リヴォリ通りでウィンドウショッピング
 ・パリ・ビジョン社の夜の市内観光バスツアーでパリのイルミネーションを楽しむ

※当時はフランス革命200周年記念の年でした。エッフェル塔のイルミネーションも200年周年を祝うものだったことを覚えています。

■2/07(火)シャルトル日帰り(ルーアン泊)
 ・パリのホテルをチェックアウトした後、鉄道駅のロッカーにスーツケースを預ける
 ・シャルトルへ鉄道で移動
 ・シャルトル大聖堂でステンドグラス&塔から町の眺望を楽しむ
 ・町の散策
 ・夕方、パリに戻り、ルーアンへ移動する

■2/08(水)ルーアン観光(パリ泊)
 ・旧市街広場&マーケットでショッピング(山羊のチーズを買った)
 ・ジャンヌダルク教会
 ・ジャンヌダルク博物館
 ・ジャンヌダルク橋を渡る
 ・市内散策で裁判所と大時計を見る(外から)
 ・ノートルダム大聖堂&回廊の柱
 ・サン・トゥアン教会(中に入れず)
 ・ルーアン美術館
 ・ジャンヌダルクの塔
 ・夕方、パリへ戻り、明日のツアーと土曜のマルセイユ行クシェットを予約する

■2/09(木)ロワール城めぐりの現地ツアー(ランス泊)
 ・ホテルをチェックアウト後、スーツケースをパリのリヨン駅のコインロッカーに預ける
 ・パリ・ビジョン社のロワール城めぐりツアーに参加
(4つの様式が混在したブロア城、今でも貴族が住むシュベルニ城、門の外から眺めただけのシャンボール城、しっかり中も見学したシュノンソー城)
 ・パリへ戻った後、ランスへ移動(スーツケースはそのまま)

■2/10(金)ランス観光(ランス泊)
 ・ランス大聖堂
 ・サン・ドニ修道院アートギャラリー
 ・サン・ジャック教会、ステンドグラスだけとても近代的
 ・フジタ礼拝堂(入れず)
 ・市内散策で、マルス門、市庁舎、王宮広場などを見学

■2/11(土)パリに戻り、アミアンへ移動&観光
(マルセイユ行きクシェット(簡易寝台)泊)
 ・パリに戻り、アミアンへ移動
 ・オテル・ド・ベルニー美術館
 ・アミアン大聖堂
 ・ピカルディ美術館
 ・夕方、パリに戻り、スーツケースをロッカーから取り出してマルセイユ行クシェットに乗る

■2/12(日)マルセイユ観光(ローマ行き夜行列車泊)
 ・ノートルダム・ド・ラ・ギャール大聖堂&町の眺望を楽しむ
 ・旧港散策
 ・イフ島行きの遊覧船に乗る(が、イフ島には下りずにそのままマルセイユに戻る)
 ・夜、ローマ行夜行列車に乗る

※本当は簡易寝台であるクシェットに乗りたかったのですが、予約を取るのが少し遅すぎて取れませんでした。
クシェットなら、車両を出入りするのは、基本的にベッドに寝る4人に限定されますし、車掌が回って来るというので、治安面でまだ安心できたのですが、取れなかったものは仕方がありません。
行き先は治安に不安のあるイタリアなので、友人と私は、交代で寝ずの番をして、荷物を見張ることにしました。
ところが2人とも旅疲れがたまっていたため、ぐっすり眠ってしまいました。
というか、最初に起きているはずの私が、友人と一緒になってぐーすか寝てしまったのです。
途中で目を覚ました友人は、私が寝ているのを見てギョッとしたそうですが、結局、起きていられなかったようです。
幸い、2人して眠りこけたからといって、何も問題は起きませんでした。2人とも、スーツケースは頭上の棚においてあったにせよ、貴重品は、しっかり抱き込むようにして寝ていましたしね。

【イタリア編】
※ろくな写真がないため、この当時の写真のデジカメ撮影はしていません。

□2/13(月)ローマ着&観光(ローマ泊)
 ・バチカン美術館
 ・サンピエトロ寺院
 ・コロッセオ
 ・コンスタンチヌスの凱旋門
 ・フォロロマーノ

※コロッセオとフォロロマーノ。私も友人もぜひローマでは外せないと思いました。なぜなら、2人とも車田正美さん原作のアニメ「聖闘人聖矢」にハマっていたからです(笑)。
だからこの2つにこだわる理由は……知る人ぞ知る!?
今はよくわかりませんが、当時はあのアニメに夢中になった婦女子はたくさんいるはずです。
バチカンのシスティーナ礼拝堂は、この当時でも混んでいたような気がします。また、ミケランジェロの壁画が美しく修復されるのはこの後です。当時はまだ修復中でした。
たしか、壁画も一部、修復のための幕に覆われていましたっけ。
当時買ったシスティーナ礼拝堂のポストカードや本も、壁画の写真はだいぶ黒ずんでいました。
数年後、修復が終わった後の色の鮮やかさにびっくりしたものです。

□2/14(火)フィレンツェへ移動&観光(フィレンツェ泊)
 ・サンタ・マリア・ノベェッラ教会
 ・花の聖母教会ドゥーモ
 ・ジオットの鐘楼
 ・シニョーリア広場からヴェッキオ宮殿まで散策
 ・ウフッツィ美術館
 ・サン・ロレンツォ教会脇のマーケットでショッピング(初めて革手袋を買う)
 ・ヴェッキオ橋&橋の上の金細工店のウィンドウショッピング
 ・ピッティ宮と中庭まで散策

※ウフッツィ美術館でボッティチェリの「ビーナスの誕生」や「春」の実物を目の前で見たときの感動は忘れられません。
ちなみに、当時のウフッツィ美術館は、まだそう混雑していなかった気がします。入場制限されたり、入口の前にずらっと人が並んでいた記憶はありません。あの頃はよかったなぁ。

□2/15(水)ヴェネツィアへ移動&観光(ミュンヘン行き夜行列車泊)
 ・アカデミア橋からサン・スティファーノ広場
 ・水上バスでサン・マルコ広場へ
 ・サン・マルコ教会
 ・サン・マルコ運河沿いを散策
 ・リアルト橋までウィンドウショッピングをしながら更に散策
 ・サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会
 ・ローマ広場
 ・スカルツィ橋
 ・サン・ジュレミア広場までウィンドウショッピングをしながら散策を終える

※いまふりかえると、だいぶ安上がりの行程ですねぇ。水上バス(ヴァポレット)以外、料金が必要なところってないですよね?
でも、ヴェネツィアは街自体が生きた美術館のような街だったので、散策でも十分楽しめた覚えはあります。
ただ、運河が縦横に走る街って散策しづらかったのも覚えています。まっすぐ進みたくても運河に阻まれてしまったら、ちょっと先の橋まで寄り道しなければならないのですから。
同じ不便は、1993年にヴェネツィアを再訪したときも感じました。当たり前ですが。

【ドイツ編】
■2/16(木)レーゲンスブルクへ移動&観光(レーゲンスブルク泊)
 ・市立博物館
 ・市内散策
 ・ドナウ川遊覧船でヴァルハラ神殿へ

□2/17(金)アウグスブルクへ移動&観光(アウグスブルク泊)
 ・ミュンヘン経由でアウグスブルクへ行く予定が、ミュンヘン行の列車で友人とはぐれる!
(アウグスブルク駅で無事、再会)
 ・市立美術館
 ・モーツアルトの父レオポルドの家
 ・劇場で明日のオペラのチケットをとる
 ・夜間、駅のコインロッカーまでスーツケースを取りに行く(夜間の市内散策を兼ねて!?)

※ミュンヘン行の列車を待っているとき、私は席の確保で先に乗り込み、友人が2人分のスーツケースを引きずって後から乗り込むことになっていました。
2人で必ずペアになって使うユーレイル・セーバーパスは、1等席のパスしかありませんでした。私たちは、せっかくなら、ということで、なるべく1等席に座ろうとしたのです。
ところが、1等席の車両は列車の先頭にあることが多く、要するにホームをかなり歩かなければなりません。
無事に席を確保して友人を待っていたら、友人が来る前に発車してしまって唖然。
仕方がないので、ミュンヘンで列車を乗り換え、先にアウグスブルクまで行って駅で友人を待ちました。本日の観光と宿をアウグスブルクに決めていたので、きっと待っていれば追いかけてくるだろうと思ったのです。
友人はスーツケースを引きずりながら、発車ベルに慌てて、反対行きの列車に飛び乗ってしまったそうです。
友人の慌てぶりを見て、車掌さんたちは、彼女が列車を間違えたことはひと目でわかりましたので(発車してしまった列車の扉を叩いていたので、笑われてしまったそうです@)、車掌さんに次の駅で降りて乗り換え方法など親切に教えてもらえたそうです。セイバーパスなのに1人で乗っていることは、もちろん咎められませんでした。
私の方は、アウグスブルクに着くまで検札に会わずにすみましたが、セイバーパスなのに1人で乗っていることを指摘されたらどうしようとビクビクでした。
そしてアウグスブルク駅でも、日本に帰るまでこのまま二度と友人と会えなかったらどうしよう、と不安でした。
でも、待つしか私にはできることがなかったので、友人に会えたら、早速、アウグスブルク観光を始められるよう、駅の観光案内所でパンフレットをあさっていました。
友人と再会できることを心の奥では信じていたわけです。というか、単に図太いだけ?
今ではなつかしくも楽しい思い出です@

□2/18(土)ウルム日帰り(アウグスブルク泊)
 ・ウルム大聖堂&塔から街の眺望を楽しむ
 ・市内散策
 ・市庁舎内ウルム博物館
 ・アウグスブルクに戻り、市立オペラ座で初オペラ体験。チャイコフスキーのオペラ「Die Pantoeffelchen der Zarin oder Die Nacht vor Weihnachten(女帝のスリッパ、またはクリスマス前夜)」

※せっかくの初オペラですが、観光疲れで眠くて眠くて大変でした。
また、友人はワーグナーのオペラには関心が高かったとはいえ、私も友人も基本的にはオペラにそう詳しいわけではありませんでした。なので、このオペラは知りません。2人とも、市民がアフターファイブに気軽に観劇に出かける土壌のあるヨーロッパで、オペラ体験をしたかったというのが一番の理由です。
前日にチケット売り場で公演予定を聞いたとき、少なくともチャイコフスキーのオペラなら、きっと有名に違いない、あとでどんなオペラか、調べることは可能だ、と思って飛びついたわけですが……実はいまだに、ネット検索しても、このオペラについて調べることができないでいます。
内容は、オペラというより、オペレッタくらいでしょうね。コメディでしたから。ロシアの女帝エカテリーナを風刺していたような気がします。歌詞は全く聴き取れませんでしたが、それっぽい登場人物がどこかコミカルに扱われていました。

□2/19(日)ノイシュヴァンシュタイン城へ日帰り
(ケルン行きクシェット(簡易寝台)泊)
 ・フュッセン経由でノイシュヴァンシュタイン城へ(登山30分)

※フュッセンはこの時、経由しただけで、街の散策はしていません。でも列車の車窓からチラッと街の様子が見ることができました。パステルカラー調の可愛い街並みに、私などいっそ、ノイシュヴァンシュタイン城よりフュッセンを観光したいと思ったくらいでした。
その思いは、約10年後の2001年度のドイツ旅行のときに実現させることができました@
ちなみにノイシュヴァンシュタイン城に行くことに熱心だったのはむしろ友人の方でした。当時、私は、ルードヴッヒ2世のことはほとんど知らなかったのです。ついでにいうと、従姉妹のエリザベート皇妃のことも。
その後、ルードヴッヒ2世にちょっとハマって本を読んだりするようになったきっかけは、根底には、やはりこの旅行があったと思います。
もっとも、直接のきっかけは、コミックでしたけど@
そしてコミックゆえ、死の直前までルードヴィッヒ2世が美化されていたので、実際に晩年の40才くらいのときの彼の写真を見て、ショックを受けましたね。20代の青年時代は、実物もそれはそれは美青年だったのにぃ〜〜。

□2/20(月)ケルン観光(西ベルリン行き夜行列車泊)
 ・大聖堂
 ・ライン河畔の散策。ホーレンツォレン橋からドイツァー橋まで
 ・市庁舎
 ・音楽学校(外観のみ)
 ・聖ウルスラ教会&オルガン演奏を聴く
 ・聖クニベルト教会(?)
 ・再びライン河畔の散策
 ・夜、夜行列車で西ベルリンへ

□2/21(火)西東ベルリン・バスツアー(西ベルリン泊)
 ・午前、西ベルリン・バスツアー(車窓から建物を見学)
(カイザーヴィルヘルム記念教会、技術大学、シャルロッテンブルク宮殿、オリンピック・スタジアム、ラジオタワー、国際会議センター、市庁舎、検閲所(Kontrollatsgebaeude)、アクセル・スプリンガー出版社、チェックポイント・チャーリー、ベルリンフィルハーモニー、国立図書館、ナショナルギャラリー、ポツダム広場、ブランデンブルク門、国会議事堂、ベルヴュー城(Schloss Bellevue)(官邸)、会議ホール、ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔))

 ・午後、東ベルリン・バスツアー(原則、車窓から建物を見学)
(シャリテー(大学病院)、ドイツ劇場、フリードリッヒシュタッツパラスト(ヨーロッパ最大のレビュー劇場)、ベルリン会議場(Berliner Ensemble)、ウンターデンリンデン通り、ブランデンブルク門、フンベルト大学、国立オペラ座、聖ヘドヴック教会(Hedwigskathedrale)、ドイツ歴史博物館(旧兵器庫(Zeughaus))、共和国宮殿、アカデミー広場(ニコライ地区)、アレクサンダー広場、カールマルクス通り、トレップタワー公園、テレビ塔、ベルリン市庁舎、大聖堂、博物館島(※ペルガモン博物館は中に入って見学))

※ツアーで回った経路をふりかえると、東ベルリン側に観光ハイライトが集中しているのがよくわかります。
西ベルリンの方は、バスで回るにはめぼしいハイライトが少ないので、苦し紛れに加えたようなポイントがあるように思えてなりません。
いやいや、ベルリンの歴史や事情などをきちんと踏まえている人にとっては、たとえばアクセル・スプリンガー出版社など、新聞やマスコミの発達などの関連で重要な存在にちがいなく、興味深かったろうと思います。
でも、ふつうのお気楽観光客の場合はねぇ……。

□2/22(水)西ベルリン観光2日目(西ベルリン泊)
 ・オイローパーセンターと観光案内所
 ・ナショナルギャラリー(グーゲンハイム美術館展開催中)
 ・ポツダム広場(というより、ほとんどただの空地)
 ・楽器博物館
 ・ショッピング

※そういえば当時は、ニューヨークに拠点を持つ現代美術館であるグーゲンハイム美術館の名前を知りませんでした。ただ、余分に料金が取られるにせよ、せっかく開催されていたために、ついでに見学しました。
その前に、たとえばオイローパーセンターやツォー駅などの寂れた様子、観光案内所でもあまり観光情報が得られなかったため、特別展でも見学しながらナショナルギャラリーでゆっくりしていてもいいや、という気分に、私も友人もなっていたのです。

□2/23(木)西ベルリン観光3日目(西ベルリン泊)
 ・アムステルダム行の国際バスを予約(大陸を渡るのはフェリー)
 ・シャルロッテンブルク宮殿
 ・エジプト博物館
 ・古代博物館

■2/24(金)西ベルリン観光4日目(西ベルリン泊)
 ・ダーレム博物館

※ダーレム博物館はやや郊外にあるので、西ベルリンからのちょっとしたエクスカーション気分でした。それに、びっくりするほど巨大な博物館でした。
中身は、東南アジアだのインドだの原始アメリカだのオセアニアだのアフリカだの、といったヨーロッパ以外の民族博物館でした。東アジア部門として、中国や韓国や日本の展示もあった気がします。
知っていて訪れたはずでしたが、当時の私は、内心、わざわざヨーロッパに来てまで、なぜアジアやアフリカの展示を見学しなければならないんだ、と思っていました。
逆なのですよね。植民地時代にヨーロッパが植民地先から重要で興味深い品々をヨーロッパに持ち帰ってしまったため、むしろヨーロッパの方がこういうコレクションが豊富なのですよね。
それにヨーロッパの方が早くから博物誌が発達したため、コレクションの展示や分類が整備されていました。
でも、そういうことがわかったのは、ずっと後のことです。
ただし、このときそこまで意識しなくても、ダーレム博物館のコレクションの豊富さには、見て回るうちに次第に感激した覚えがあります。

詳細旅程、その3に続く。

同行者
友人
交通手段
鉄道
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
  • レーゲンスブルク<br />インフォメーションのある建物の目の前の時計塔<br />1989/2/16(木)撮影<br /><br />「ベルサイユのバラ」の作者として有名な池田理代子さんの代表作に「オルフェウスの窓」というコミックがあります。<br />「ベルバラ」もいいですが、私はむしろ、こちらの方に夢中でしたっけ。<br />舞台に合わせ、レーゲンスブルク編、ウィーン編、ロシア編、そしてレーゲンスブルク編と展開します。<br />「オルフェウス」のファンだったのは、友人も同じです。<br />ドイツを日程に組み入れたとき、2人とも真っ先にレーゲンスブルクを挙げました@<br /><br />レーゲンスブルクでは、市内散策をした後、船でドナウ川くだりをしてヴァルハラ神殿に行きました。<br />ルードヴッヒ2世がドイツの偉人を讃えて建てたという建物で、直接ワーグナーに捧げられたというわけではないのですが、ワーグナー好きの友人がとても楽しみにしていたものです。<br />ただ、ちょっと行って帰ってくるだけのつもりが、ドナウ川の水はゆったりゆったり流れ、思ったより時間がかかったことを覚えています。<br />それに、ヴァルハラ神殿は、アテネのパルテノン神殿によく似た白亜の建物が高台にそびえ、川から見上げたときは感動したものですが……周辺にはそれしかなく、拍子抜けしました。<br />景観の美化には役に立っていますが、それだけの建物───ロマンチストで名高いルードヴッヒ2世ならではです。<br />一番の収穫は、ヴァルハラ神殿そのものよりも、ゆったりとしたドナウ川下りと周りの雰囲気を楽しんだことといえるでしょう。<br />市内へ戻るときは、さすがにバスか列車か、とにかく陸路を利用しました。

    レーゲンスブルク
    インフォメーションのある建物の目の前の時計塔
    1989/2/16(木)撮影

    「ベルサイユのバラ」の作者として有名な池田理代子さんの代表作に「オルフェウスの窓」というコミックがあります。
    「ベルバラ」もいいですが、私はむしろ、こちらの方に夢中でしたっけ。
    舞台に合わせ、レーゲンスブルク編、ウィーン編、ロシア編、そしてレーゲンスブルク編と展開します。
    「オルフェウス」のファンだったのは、友人も同じです。
    ドイツを日程に組み入れたとき、2人とも真っ先にレーゲンスブルクを挙げました@

    レーゲンスブルクでは、市内散策をした後、船でドナウ川くだりをしてヴァルハラ神殿に行きました。
    ルードヴッヒ2世がドイツの偉人を讃えて建てたという建物で、直接ワーグナーに捧げられたというわけではないのですが、ワーグナー好きの友人がとても楽しみにしていたものです。
    ただ、ちょっと行って帰ってくるだけのつもりが、ドナウ川の水はゆったりゆったり流れ、思ったより時間がかかったことを覚えています。
    それに、ヴァルハラ神殿は、アテネのパルテノン神殿によく似た白亜の建物が高台にそびえ、川から見上げたときは感動したものですが……周辺にはそれしかなく、拍子抜けしました。
    景観の美化には役に立っていますが、それだけの建物───ロマンチストで名高いルードヴッヒ2世ならではです。
    一番の収穫は、ヴァルハラ神殿そのものよりも、ゆったりとしたドナウ川下りと周りの雰囲気を楽しんだことといえるでしょう。
    市内へ戻るときは、さすがにバスか列車か、とにかく陸路を利用しました。

  • 西ベルリンU-Bahn(地下鉄)のダーレムドルフ駅<br />1989/2/24(金)撮影。<br /><br />当時、博物館島は東ベルリンでした。<br />東ベルリン・バスツアーの際に、ベルガモン博物館にあるベルガモン遺跡のゼウスの大祭壇と古代バビロニアのイシュタル門は見学した覚えがあります。その巨大さ、そのまんまを復元して展示できるヨーロッパの博物館の許容量に、あらためて驚いたものです。<br />でも、博物館島にある他の博物館はゆっくり見学することはできませんでした。<br />東ベルリンも、もしかしたら、当時はすでに、きちんとビザなど手続きを踏めば、個人でも観光できたかもしれません。<br />でも、私も友人もツアーに参加して様子を見ることができただけで満足でした。そこまで東ベルリンにこだわるよりも、まだまだ西に、行っていない魅力的な街がたくさんありました。<br /><br />代わりにベルリンで絶対外したくないと思った博物館の1つが、ダーレム博物館です。<br />その他は、かの有名なネフェルティティの頭像があるエジプト博物館くらいでしたかしら。<br /><br />私が次にドイツを再訪した2001年では、ダーレム博物館は、民族学博物館と名前を変えていました。<br />東西ベルリンが統合された後、博物館のコレクションの統合も行われたようですので、私たち訪れた1989年のダーレム博物館と今の民族学博物館とでは、展示内容もだいぶ変わっているかもしれません。<br /><br />ヨーロッパの都市は、郊外を除き、観光客を魅了するセントラルはそうそう顔を変えず、数年後に訪れてもなつかしい思いをするものだと私の中にインプットされていますが、ご存じ、ベルリンは、そんな私の思い込みを覆すように大激変している都市です。<br />1989年に初めてベルリンを訪れた後、私は2001年と2002年の秋のドイツ旅行のときそれぞれ2日間と4日間、ベルリンを観光していますので、1989年当時の記憶はだいぶ今のベルリンに塗り替えられてしまいました。それでも、1989年のベルリンの印象を、まだうっすら思い出すことができます。<br />ベルリンは東ドイツ圏の孤島だったとはいえ、当時はれっきとした西側都市だったのですが、それまで訪れてきた西側の都市に比べると、寂れたかんじは否めませんでした。<br />戦禍の跡、まだ何も再建されていない空地が目立っていたからでしょう。<br />西ベルリンの観光の拠点となるツォー駅付近も、当時はもっと寂しいものでした。シーズンオフということもあったでしょうが、観光の拠点にしては、観光客はほとんど見かけませんでした。<br />ポツダム広場の付近の激変には、2001年度の再訪時、下調べの段階で知っていたとはいえ、やはり驚きました。<br />私が覚えている初めて見た1989年のポツダム広場付近は、ベルリンフィルと楽器博物館があった以外は、だだっ広い空地が開けていただけでした。<br />もちろん、西ベルリン以上に激変に驚いたのは、東ベルリンです。<br />観光客を惹きつけるハイライトのほとんどは、東ベルリン側にありました。<br />いまではなんの意識もせずに歩き回れるベルリンの観光ハイライトも、当時は壁の向こうにありました。<br />検問を越えて西から東へ足を踏み入れたとき、人通りも車もぐっと減りました。車も、私はあまり詳しくないのですが、どこか古くさいタイプばかりだなぁと思いました。<br />ブランデンブルク門かベルリン大聖堂付近でティータイムがあったため、ツアーバスを下りて少し周りを歩いたのですが、ウンターリンデン通りは、メインストリートというより、何もない寂れた広場のように感じられました。<br />道路のど真ん中を歩きながら、これが東ベルリンかぁ、と周りを見回していても、私たちが乗っていたツアーバス以外は人も車もほとんどいませんでしたから、交通の邪魔にならなかったのです。<br />2001年度にウンターリンデン通りを再訪したときは、あまりの賑わいと混雑と資本主義ナイズされた雰囲気に、やっぱり驚きました。<br />1989年にもっとたくさん街の写真を撮っていればよかったです。そうしたら、昔と今のベルリンを比べることができて、もっと興味深かったでしょう。<br />当時は、ベルリンはあまりに寂れ、活気がなく、建物も修復されないままできれいとはいえず、街の雰囲気はどんよりしていたので、とてもカメラを構える気にはなれませんでした。

    西ベルリンU-Bahn(地下鉄)のダーレムドルフ駅
    1989/2/24(金)撮影。

    当時、博物館島は東ベルリンでした。
    東ベルリン・バスツアーの際に、ベルガモン博物館にあるベルガモン遺跡のゼウスの大祭壇と古代バビロニアのイシュタル門は見学した覚えがあります。その巨大さ、そのまんまを復元して展示できるヨーロッパの博物館の許容量に、あらためて驚いたものです。
    でも、博物館島にある他の博物館はゆっくり見学することはできませんでした。
    東ベルリンも、もしかしたら、当時はすでに、きちんとビザなど手続きを踏めば、個人でも観光できたかもしれません。
    でも、私も友人もツアーに参加して様子を見ることができただけで満足でした。そこまで東ベルリンにこだわるよりも、まだまだ西に、行っていない魅力的な街がたくさんありました。

    代わりにベルリンで絶対外したくないと思った博物館の1つが、ダーレム博物館です。
    その他は、かの有名なネフェルティティの頭像があるエジプト博物館くらいでしたかしら。

    私が次にドイツを再訪した2001年では、ダーレム博物館は、民族学博物館と名前を変えていました。
    東西ベルリンが統合された後、博物館のコレクションの統合も行われたようですので、私たち訪れた1989年のダーレム博物館と今の民族学博物館とでは、展示内容もだいぶ変わっているかもしれません。

    ヨーロッパの都市は、郊外を除き、観光客を魅了するセントラルはそうそう顔を変えず、数年後に訪れてもなつかしい思いをするものだと私の中にインプットされていますが、ご存じ、ベルリンは、そんな私の思い込みを覆すように大激変している都市です。
    1989年に初めてベルリンを訪れた後、私は2001年と2002年の秋のドイツ旅行のときそれぞれ2日間と4日間、ベルリンを観光していますので、1989年当時の記憶はだいぶ今のベルリンに塗り替えられてしまいました。それでも、1989年のベルリンの印象を、まだうっすら思い出すことができます。
    ベルリンは東ドイツ圏の孤島だったとはいえ、当時はれっきとした西側都市だったのですが、それまで訪れてきた西側の都市に比べると、寂れたかんじは否めませんでした。
    戦禍の跡、まだ何も再建されていない空地が目立っていたからでしょう。
    西ベルリンの観光の拠点となるツォー駅付近も、当時はもっと寂しいものでした。シーズンオフということもあったでしょうが、観光の拠点にしては、観光客はほとんど見かけませんでした。
    ポツダム広場の付近の激変には、2001年度の再訪時、下調べの段階で知っていたとはいえ、やはり驚きました。
    私が覚えている初めて見た1989年のポツダム広場付近は、ベルリンフィルと楽器博物館があった以外は、だだっ広い空地が開けていただけでした。
    もちろん、西ベルリン以上に激変に驚いたのは、東ベルリンです。
    観光客を惹きつけるハイライトのほとんどは、東ベルリン側にありました。
    いまではなんの意識もせずに歩き回れるベルリンの観光ハイライトも、当時は壁の向こうにありました。
    検問を越えて西から東へ足を踏み入れたとき、人通りも車もぐっと減りました。車も、私はあまり詳しくないのですが、どこか古くさいタイプばかりだなぁと思いました。
    ブランデンブルク門かベルリン大聖堂付近でティータイムがあったため、ツアーバスを下りて少し周りを歩いたのですが、ウンターリンデン通りは、メインストリートというより、何もない寂れた広場のように感じられました。
    道路のど真ん中を歩きながら、これが東ベルリンかぁ、と周りを見回していても、私たちが乗っていたツアーバス以外は人も車もほとんどいませんでしたから、交通の邪魔にならなかったのです。
    2001年度にウンターリンデン通りを再訪したときは、あまりの賑わいと混雑と資本主義ナイズされた雰囲気に、やっぱり驚きました。
    1989年にもっとたくさん街の写真を撮っていればよかったです。そうしたら、昔と今のベルリンを比べることができて、もっと興味深かったでしょう。
    当時は、ベルリンはあまりに寂れ、活気がなく、建物も修復されないままできれいとはいえず、街の雰囲気はどんよりしていたので、とてもカメラを構える気にはなれませんでした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • SUR SHANGHAIさん 2006/05/30 21:33:59
    私がドイツを初めて訪れたのは
    崩壊直後。あの頃はまだ東と西の違いが歴然。
    東側では、それまで流通していなかったバナナの屋台が目に付きました。

    それから何度か訪れていますが、次第にあの当時の面影が消えてきています。
    ベルリン辺りではまだ旧東ドイツ製のトラバンドが走っていたり、壁があったことを示すモニュメントなどが残っていますが。
    あとはアウトバーンが旧東側では修復中の所が多い、かな。

    東側の人たちが西側に流れてきて、訪問販売で「東から来たばかりで…。」の口上をよく聞かされた思い出があります。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/05/30 23:40:14
    RE: 私がドイツを初めて訪れたのは
    SUR SHANGHAIさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    そういえばSUR SHANGHAIさんの旅行記に最初に注目したのはベルリンの写真だったような気がします。
    1989年2月の後は、1991年、そして飛んで2001年、2002年とベルリンを訪れてました。
    壁の痕跡はまだありますね。
    しかし、2001年度の激変にはほんと、びっくりしました。
    2002年は、2001年に行かなかったところを中心に回ったので変化はいまひとつ印象は薄いですが、でも、ポツダム広場のあたりは、1年でもかなり変わっていたのを覚えています。

    どんどん東西の差がなくなっていくのは、ドイツより東、私がここのところ旅行ターゲットに狙っている東欧諸国もそうですよね。
    ただ、個人旅行をする者としては、西の状況に近付く方が旅行しやすいので助かるのはたしかです。

    ところで話は変わりますが、SUR SHANGHAIさんはいつも写真は何万画素で撮ってらっしゃいますか?

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