2006/05/04 - 2006/05/04
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kyon2 and ku-さん
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→金合利鋼刃(本店)
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八二三戦史館
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朝鮮戦争が終結して兵站に余裕が出た共産軍は、金門島封鎖・進攻を目指し、1958年8月23日:18時30分、金門島を包囲するように配置した砲兵陣地から一斉砲撃を開始。「八二三砲戦」と呼ばれる戦闘の始まりでした。
最初の44日間でおよそ本土側から47万4千発が打ち込まれたという砲撃戦の他、空では制空権を巡る空戦が國府軍のF-86Fと共産軍のMig-17との間で交わされました。
制空権争いに破れ、海上でも優位に立てず、共産軍は上陸侵攻を断念しましたが、砲撃戦はこの後も続き、終結宣言がだされたのは20年後の1978年12月。最終段階は奇妙な形で継続。相互に1日おきに固定目標地点に発砲、砲弾も火薬に換えて宣伝ビラを詰めたものが多く使用されたそうです。
この間、金門島には砲兵部隊が増強され、大陸との砲戦を戦いぬける陣地や海上からの補給用の水路が固い花崗岩をくりぬいて造営されました。 -
当時の國府軍の主力兵器
が展示されていました。
F-86F戦闘機
155mm榴弾砲 -
駐車場で見かけた
電話BOX
所々で見かける
迷彩塗装が施された
トーチカと対照的 -
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金門ならではの製造業
金合利鋼刀 本社工場
http://shop322.hipermall.hinet.net/ShopStyle/PStyle15/Profile.asp -
MAESTRO WU こと
総監 呉増棟 老師
八二三砲戦では、47万9544発の砲弾が大陸側から金門諸島に打ち込まれたと記録されています。
この砲弾片や不発弾を材料に、ナイフと包丁を鍛えて製造販売しているのが、金城鎮の「金合利鋼刀」。
「もともとわが家は廈門出身で、打鉄師を生業としてきました。1937年の創業です。父の代になって金門に移り住むことになりましたが、やはり打鉄師を続けました。最初は鎌や鍬といった農機具から始めたのですが、1963年に包丁生産に進出しました。」
「父は、60年代初頭から全島で打ち込まれた砲弾を大量に買い求めました。それを使ってナイフを作ることを思いついたのです。砲弾の鉄はとてもいい鉄なので評判が良く、今では60近い種類のナイフと包丁を作っています」 -
不発弾は大きさからして、旧ソ連の107mm野砲・122mm榴弾砲クラスの榴弾のようでしたが、外筒・内筒が組み合わせられた宣伝ビラ用のものもあるそうです。
「材料切割」
まず、砲弾を酸素アセチレンバーナーで焼き切り、包丁に必要な大きさの鉄片を切り取ります。 -
「加熱鍛錬」
それをコークス炉の火で真っ赤に熱します。 -
「鋼刀鍛造」
動力ハンマーと金槌を使って、ガンガンと鍛き伸ばします。 -
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「研磨抛光」
そして、それを研磨して大きさと厚を整え、刃を付けていきます。 -
この間、約15分ほど見学させていただきました。
実際の生産工程では、焼き入れ・焼き戻しなどの処理が行われますのでもっと時間がかかるようです。 -
皮肉なことに、小三通によって訪れるようになった大陸からの観光客にも、包丁のお土産は大人気とのことです。まるで原料を輸入(?)して製品を販売する加工貿易のようですね。転んでもただでは起きないとは、このことでしょうか。
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