2004/05/17 - 2004/05/28
140位(同エリア262件中)
明石DSさん
■三峡を下り、愚かな巨大な壁を見に行く
堰き止められた長江が眼前にあった。
まず私たちの乗ったバスはダムの下流側に停車し、ダムを見上げて左手に長江を見ながら大きな巨大な壁を眼前にした。
コンクリートの壁の何箇所かの放水口から水煙を上げながらゴーと言う音と共に水は吐き出されてゆく。
こっち側サイドのダムは完成しているようで工事の形跡はなく、対岸の方が水煙で見えないが完成を目指してライトを煌々と照らしながら昼夜の工事が行われているようだ。
ダム湖の水位と下流側の水位の高低差は175メートルにもなるらしいが。
資料によると
『5段で海抜67.8?、第4段で105?、第3段で125.6?、第2段で135?にまで達した。完成後は第1段で175メートルまで上がるが、いまの段階では第2段で水面が同じになり、通過できる。』
・・・今でも5.4.3.2と4階建てのドックに入り水位を合わせて船は階段を上り下りしなければならない。
要する時間は2時間半と言われているが、これは最短で待ち時間があれば当然加算される。
半日掛りという状況もあるらしい。
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重慶行きの飛行機・・・上海浦東空港車窓
飛行機は2時間遅れで出発した。小型の飛行機の座席はほぼ満杯、いざ重慶へ。飲み物が一杯出ただけで・・・両側の座席が2列づつ、計4席, 真中が通路である。
着いたのは9時過半頃だった。さすがの日本人はこの飛行機内にもいた。前の座席の二人のビジネスマンがそうだった。
話はしなかったが、彼らが日本語で話をしていた。とりあえず到着後どこに行って良いのか分からないので、二人の後をついて歩いて空港外に出たのだが、二人は急に進路を変えてしまった。
私は仕方なくそのまま前進。タクシーの運転手たちがてぐすね引いて待っているタクシー乗り場のような場所に向かった。 -
重慶賓館に宿泊する
一泊285元(3990円)、
押し金(ヤージン)800元を渡し
■朝の散歩中、重慶賓館の傍でバスの事故に遭遇
そこらを一周回って賓館に戻ったら、ホテルのすぐ前の交差点にバスが突っ込んでいた。
出掛ける時は何もなかったのに、20数分後の出来事で人がたかり警察官が来ていた。 -
もうちょっと時間差があれば、事故現場に遭遇し、その後の顛末を見学できたのに・・・と少し残念だった。
こんな時、出勤を急ぐバスの乗客はどんな態度だったのだろう?運転手は?私が見たときは、もう、レッカー車も来ていた。 -
重慶の歩行者天国:何処に行っても人は多い
■旅行社、劉波さんへ電話
それから部屋に戻りメールでやり取りしていた重慶長江游船国際旅行社 日本部担当の劉波さんに電話を掛けた。
彼は「もうこちらに着きましたか?あなたが来なければ、予約は完了しているのでキャンセル料金を払わなければなりませんでしたよ。 -
今日の5時頃又電話を下さい。そちらの重慶賓館に友達と一緒に参ります。夕食を一緒に食べましょう・・・」と流暢な日本語で言うので、私は「5時頃電話しますよ、良いですね、一緒にご飯を食べましょう。
我清客(私がおごります)」と言って電話を切った。これで一安心・・・と思ったのだが、これからが災難の始まりだった。 -
朝天門公園
長江(揚子江)
■劉容との出会い
さあ、重慶を観光しようと思い、まず三峡観光船の船着場でもあり公園でもある朝天門(チャオティエンメン)の方向を教えてもらい歩いて向かった。
途中、歩行者天国の広い道路を抜けた所で、ちょうど客を降ろしていた女性のタクシー運転手の車が止まったので、それに乗り込んで早速交渉をした -
「包5个小時多少銭?=5時間貸切でいくら?」
と聞くと「200元=2800円」と言うので、
値切ろうかと思ったが、昨日重慶空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手にも聞いていた値段と同じなので・・・
まあ良いかと値切らずに乗った。去年もそうだったが、今のところ、これが一番の私の観光方法である。 -
左側:二つの大河、嘉陵江と長江(揚子江)がここ重慶で合流し、更なる大河、長江として流れ行く
嘉陵江と長江(揚子江)がちょうど合流する場所である。少し高台から見下ろす景色は見たことのない、ちょっと息を呑む景色だった。
それぞれの大河に船着場があり、何艘もの大きな船が停泊している。こんな街中に大きな河、当たり前だが淀川よりでかい、共に広いところは川幅1キロも有ると言う。 -
嘉陵江
水量も多い。水の色は長江は黄土色だった。嘉陵江の水の色は違っていた濃い緑というか青黒っぽいというか・・やや感じは違う。
それがこの場で合流し、一本の大河となって上海まで続く。
公園には沢山の人たちが居た。退職後の老人ばかりではないようだが・・・やはり、中国はどこにいっても、人、人、人・・
遊んでいるのか?
仕事がないのか?
ちなみに重慶のタクシー初乗り料金は5元(70円)だ。 -
劉容(リュウロン)のタクシー
劉容(リュウロン)44歳の女性だ。
主人も運転手、子供は22歳の娘が一人、大学2年で法律を学んでいる。学校の宿舎で普段は生活し、たまに週末に帰宅する・・・
これが大学生の一般的な現状のようだ。自分は、タクシーの運転手と言っても社員ではなく、アルバイト(打工=ダーゴン)で一日おきに仕事で明日は休みと言うことだった。
その彼女と私の重慶の旅は始まった。今日の5時間の貸切は午前9:30〜午後2:30までである。
まず、100元を先に渡した。残りの100元は終わりに払うから・・・と言って。彼女が請求した分けではないが、ちょっとは安心するだろう。 -
タクシーの運転手、劉容
旅行社にガイドを頼めばガイド料だけで200元はする。
地元のタクシー運転手にあちこち連れて行ってもらい、尚且つ中国語の練習にもなる。
そして、昼飯もおいしい所を紹介してくれる。野郎はうっとしい奴もいるが、女性だから楽しい。
しかし、厳しい職場、過酷な交通状況の中で男と一緒に体を張って稼いでいる女性たちである。そんな甘ちゃんはいない。
ちょっと緊張感を持っての出会いは楽しい。それに、国籍を問わず誠意は通じるのだ。 -
人民大礼堂
旧跡の観光地なんてほとんど興味がない。その逸話も何も勉強していないし、でも、せっかく来たのだから・・と。
とりあえずの観光地巡りである。人民大礼堂に行った。馬鹿でかい円形の劇場であった。1954年に竣工とあった。
劉容は入場券5元がもったいないから・・と言って入らず外で待っていた。 -
鵝嶺公園から重慶の町を望む
次は重慶が眼下に見渡せる景色の良い高台の公園、鵝嶺公園(オーリンゴンユエン)に連れて行ってくれた。
霧が掛かった重慶市内が眼下に一望できる。 -
ああ〜今、俺は中国の内陸、蒋介石が南京を日本軍に追われ、かの地重慶に都を移した。
その地に来ているのか・・・昨日の朝まで日本の自宅に居たのに・・・と
そんな不思議な感慨にふけりながら気の済むまでゆっくりと重慶の四方を眺めていた。
ビルが乱立する大都会では有るが、空気も汚く、そばで見る住居も汚いし、ここは確かに日本とは違うのである。 -
■磁器口へ
劉容は、去年に出会った女性運転手たちと比べれば、一番、物静かな女性だった。
それでも、時には並走する車に怒鳴り?
窓から平気で、つばも吐く。
趣味はマージャン。歌も好きでカラオケにも時々行くそうだ。娘も歌が好きだと言っていた。
次は、町外れで車で片道40分くらいの磁器口(ツーチコウ)と言う老街に行った。44歳の重慶人の彼女も初めて行くと言う事だった。 -
磁器口・・・重慶
古い町並みを残した、土産物売り場が並ぶ街だった。
ぶらぶらと左右に並ぶ店を見ながら歩いていたが、ツアー客と違うので客引きもなく・・である。
そして、間口オープンの音楽喫茶のようなものが有ったので二人で入った。 -
舞台の上には、三人の男性が中国楽器、二胡とチェロと何かで音楽を奏でていた。
外で聞くのは無料だが、中に入ればお茶を頼まなければならない。
一杯6元(84円)くらいのお茶を頼んでしばし聞き入っていた。
客は三組くらいで少なく、私が日本人だと分かって、早速、頼みもしないのに「北国の春」「四季の歌」「ソーラン節」を続けて演奏してくれた。
千昌雄の北国の春は中国では、結構みんな知っているようだ。彼女も中国語で口ずさんでいた。 -
その店を出た後、磁器口の外れで嘉陵江の側に並んでいる食堂街の一軒の小奇麗な店に昼食を食べに入った。
-
劉容は遠慮してか?
日本人とこうやって話すのは初めてだと言っていたし、メニューが来ても注文もなかなか出来ない。
私が「見ても分からないから適当に自分の食べたい物を頼んで」と言っても、結構時間が掛かった。
私は焼き飯だけは分かるのでそれも注文した。腹一杯になった。 -
あまったが中国では必ずあまる。
それでも二人で食べて70元(980円)にもならなかったと思う。 -
帰り道、途中燃料がなくなってガソリンスタンドで給油した。
でもタクシーはガソリン車ではなくガス車だった。 -
もう時間もなくなり重慶賓館に戻ったが、彼女もそうだが、重慶の多くの人は、目の前にある大河は毎日に目にしているが大海(ダーハイ)は、まだ見たことがない人が多いようだ。
劉容も武漢が行った中では一番遠い場所なのだ。海を見ないで死ぬ中国人は沢山居ると思う。
劉容は朝会ったときは、この仕事はアルバイトで一日交代でやっているので明日は休みと言っていたので・・・
「明日はあなたは仕事休みでしょう」・・・と聞くと。「明日も仕事するよ・・」と言うので、「じゃあ、又明日同じ条件で5時間頼む・・」と言うと「いいよ分かった、ここに電話して・・」と携帯の電話番号を書いてくれた。 -
重慶賓館の近く・・・使い捨てカメラで写す
■迷走の始まり
旅行社に5時になり電話を掛けたのだが・・・。呼び出し音だけで誰も出ない。この瞬間から今回の旅の迷走は始まった。
一度目は何の疑いもせず、どこかに席を外しているのだろうと思っていた。
時間を置きながら二度、三度、四度、五度・・6時になり、7時になっても電話の先の劉波は出なかった。 -
一体、今朝の愛想の良さは何だったのか?
不安を抱きながらも・・・まだ、連絡はあるだろうとその時点では思っていたが。
しかし、明日の船に乗る予定なので、一応、別の旅行社を探しておこうとガイドブックを見たら、重慶賓館の側に中国旅行社と言うのが有ったので、夜の9時を過ぎていたが電話をした。
用件を言うと、「明日の朝、事務所に私を訪ねて来て下さい・・」と言われ、劉波から連絡がなければ朝一番に行こうと思った。
結局、劉波からは一切の連絡もなく。電話も通じず、すべては一から仕切り直しだなあと覚悟した。 -
その後のスケジュールも最後の上海のホテルの予約だけで、すっかり何もなくなってしまったので、明日の船に乗れなければ明後日でも良いだろうと考えていた。
メールのやり取りだけで、まだ、見ぬ彼と飯でも食いながら今後の旅先の話を聞こうと思っていたのに・・・。
まあ、これが旅の面白さの一つでもあるんだろう。意外なことが起こる。
この日は、電話を掛けたりの時間待ちで結局、夜遅く近くの小さな店で、何かを食った。忘れたが・・・
最後に疲れた。
重慶での一日
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重慶賓館の食堂
■波乱の幕開け
昨日は結局、劉波から連絡もなく、朝食のあと昨日電話をしておいた旅行社に向かった。
劉容にも彼女の予定があるだろうから7時頃、電話をして、今日は10時から3時までの5時間と言うことで頼んだ。
賓館から徒歩10分くらいのところに旅行社はあり、行って見ると広い部屋に多くの若手のスタッフも揃い、朝から数組の客も居たようだった。
昨日の電話相手の女性「張可=Zhang Ke」20代前半も見つかり、話はすぐに伝わり早かった。
船も「一人住一個房間」一等船室二人部屋を一人で借りて、三泊三日の船旅の料金も1450元(20,300円)と150元(2100円)も安く予約できた。
お金を支払い、「今日の午後8時に出航だから、5時〜5時半の間にもう一度この事務所まで来て下さい」と言われ一件落着とホッとして旅行社を出た。 -
「周公館」 重慶
約束どおり、定刻に劉容は迎えに来てくれた。
たった5時間とは言え、中国で知り合いは今の所、彼女一人、何故か?ホッとする。
まず周恩来の記念館「周公館」に行く。入場料1元(14円)は、一番安かった。 -
「周公館」 重慶
彼女もここに入るのは小学校の遠足以来だと言うことだった。
日中戦争時代の中国共産党中央南方局と八路軍事務所の職員住居跡。
周恩来が事務所を構えた為に周公館と呼ばれているらしい。 -
「周公館」 重慶
1945年8月国民党との会談の為に訪れた毛沢東がここで国内外の記者に対して会見を行った場所であるらしい。
粗末なベッド、粗末な事務所だった。 -
「周公館」から遠景を眺める(重慶)
ほとんど観光客もなく、のんびりと外の景色も見ていた。 -
紅岩革命記念館
次は、紅岩革命記念館と言う大それた記念館
・・・でかい。
入場料も18元(252円)だった。
彼女は入らず外で待っていると言うので一人で行く。
入場料が高いと気を使っているようだ。 -
紅岩革命記念館
遠足で来ている?地元の子供
まあ彼女の気持ちに任している・・・
それに中味を見ても面白くもないだろうから。
中華人民共和国成立までの歴史記念館なのだろう。 -
紅岩革命記念館
要職にあった人間の多くが、日本に留学し、その成績優秀なる証明書を展示しているのも面白かった。
当時は今と全然違った日中関係があったのだ。
当時の中国人は日本留学がエリートへの道でもあったろう。
日清、日露戦争に勝利し、欧米列強とアジアで唯一伍して競っていた当時の日本は、アジア諸国の人々から複雑だったかもしれないが羨望の思いで見られていたのだと思う。
そこには強い日本が存在していた・・・だから敬意を持ってくれていたのだ。
-
■重慶の火鍋
次は又景色の良い高台の公園を目指した。今度は重慶長江大橋を渡り、朝天門を対岸から見る景色になる。
車で長江沿いをドライブしながら、今日の昼飯は、せっかくの重慶だから、私が「火鍋を食べよう」・・と提案し、途中のまあまあ大きな火鍋専門店に入った。
良く流行っている店のようで、お客もそこそこおり、丸テーブルを囲んで真っ赤にグラグラ煮えたぎっている火鍋を囲んで、食ったり飲んだりしている。 -
私たちが案内されたテーブルの横では男5人くらいが警備員の制服のまま食っていた。
ここでも又、劉容は注文を悩んでいたが、私に「何がいい?」と聞かれてもさっぱり分からないので、あんまり硬いのは嫌だと言う注文だけは言った。
ホントに柔らかい物ばかり注文してくれたようだった。魚でも肉でも骨付きで、何でも骨付きでしゃぶり、小骨を吐き出すという食い方のようだが、慣れていないので食べにくい。
唐辛子だらけの出し汁の中に、入れて煮て食う。辛いのが火鍋なので仕方がないが、ティッシュを片手に鼻水を拭きながら涙を拭きながら食う。
何が何か?よう分からない。説明してくれても、魚の姿ならわかるが・・・分からない食い物も結構ある。 -
火鍋専門店・・激辛だ。
私も去年に続き中国の激辛料理を食う術が少し身に付いたのか、今回もほとんど下痢もせず順調だった。
ただ激辛を食べたあとは、肛門から直接唐辛子が出てくる感じはいつもある。
胃腸もびっくりだろう。しかし無理して沢山食べないので大丈夫だ。食事代はやはり昨日の昼食と変わらず70元(980円)しなかったと思う
・・・とにかく安く感じる。 -
■劉容との別れ
対岸に朝天門方向を見ながら重慶南山植物園がある南山風景区に登った。やはり高台で風も少しあり涼しかった。ここから嘉陵江や重慶の街並みを一望できる。
その後、今日の最後は朝天門前で降ろしてもらうことにした。なんと言ってもこの大河が合流する・・この場所が見飽きないからだ。
どうせ夜には又ここに来て、今度は実際に船に乗るのだが、この場所が一番気に入った。
二日間、計10時間付き合ってくれた劉容に、一言のお礼の言葉と100元のチップを挟んだ重慶賓館の便箋を手渡し別れた。
不思議な縁だが・・これが旅の楽しさでもある。もう二度と重慶に旅することもないだろうし、再度、出会うことはないだろう一期一会の繰り返しがなんとも言えず私に旅を感じさせてくれる。
約束のお金以上一切要求せず、入場料が高いと思えば外で待つ・・・44歳の今も海を見たことのない、麻雀では、いつも負けていると言っていた・・そんな重慶の女性だった。 -
■朝天門広場
その日の重慶は熱かった。長江の川べりまで降りていった。
時折汽笛を鳴らしながら大きな船が行き交っている・・・こんな大陸の内陸部まで、この河は確かに、この辺で暮らす人たちの無くてはならない交通の要なのである。
1920年この重慶からフランスに働きながら学ぶために85人の青年が旅たち、その一団の中に後の小平がいたそうだ。
歩き疲れ、暑く湿度も高くて、たまらず近くの喫茶店らしき店に入る。リンゴジュース20元(280円)を飲みながら窓側の席でうたた寝をしていた。 -
■中国の旅行社の仕組み
喫茶店で休憩していたら旅行社に行く時間が近づいたのでタクシーに乗った。
午後5時過ぎに旅行社に着いたら、すぐに船着場に向かうとのことである。乗船までの段取りがあるようで、一人のスタッフが同行して私の荷物をとりに重慶賓館に歩いて向かった。
そして、預けていた荷物を受け取り、そこで三峡旅遊の簡単な説明をしてくれた。
そうしている内に、どこからか別の若い女性がやって来て、彼女がここから貴方を送るからと言って、先のスタッフは帰っていった。
何が何だか良くわからないが、言われるままに女性に付いてタクシーに乗り、朝天門に向かった。
そして着いた先は、船着場近くの別の小さな旅行社だった。事務所に入ると大きなカウンター越しに4〜5人の男が並んでいた。
私をここまで連れてきた彼女が男が並ぶ向こう側の席に座り、私の三峡旅遊下船後のスケジュールを聞き、手配をするからと言って来た。
それで、ここに連れて来た目的が分かった。宜昌でのホテル。宜昌〜武漢までの長途汽車(バス)の切符、そして武漢での二日間のホテルの手配、そして武昌〜上海までの寝台汽車の切符の手配等など、こっちの要求通りの金額で手際よく手配をしてくれた。
彼女はホントに頭の回転も早く、つたない中国語しか出来ない私の要望を的確に察知し、客の思うような段取りをしてくれたのである(見事!)。
旅行前からのトラブル続きが、ここで一挙に解消され、いい方向に向かっていることを、この時点では何も疑ってはいなかった。
そして旅の契約の締めは、さっきまで横で眠たそうに私たちのやり取りを聞いていた上司風の男が契約事項をノロノロ書き込んでいた。 -
■一挙に上海までの予定が決まってしまった
宜昌でのホテル代:金利源酒店{三星}24日25日220元×2=440元
宜昌の一日旅遊:150元
宜昌〜武漢:大巴車(長途汽車)=100元
武漢でのホテル代:
中業大酒店24、25日:220元×2=440元
武昌〜上海までの寝台車:
429元+手数料30元=459元
440+150+100+440+459=1589元
前渡金:950元
武漢での支払い:639元
これが契約の内容である。これで上海までの予定や宿も確定し、昨日の災難が嘘のように思えたのは船にのってから一日くらいの間だけだった。
だんだんと中国の旅行社の恐ろしさ??が分かって来るのである。 -
船の食事・・・超まずくかった。
船までの案内は、その上司風の男が付き添ってくれた。私が乗る船は日本人や外国人がツアー等で使う豪華客船ではなく、中国の国内旅行者が使う船の一等船室である。
船に入って行ったが、下の階は一部屋に6人くらいの所もあるようだ。二段ベッドが片側に二つづつ(4人)、そして片側に又二段ベッド一つ(2人)・・・計6人、これが一部屋である。
こういう普通の日でもあるはずが、旅行者は一杯だ。船の便数を客数によって調整するので、一隻の船の乗船率はほぼ満席に近いようだ。
案内のその男と船の中央の階段を上り一番上の階に上がっていった。 -
私が一人で借り切った二人部屋の一等船室
そこには、又この船での世話役をしてくれる小姐が来て紹介された。
そして、「宜昌での下船時には船着場に旅行社の者が貴方の名前を書いた紙を掲げて出迎えているから・・・」と言い残し男は去っていった。
まあ、どこでも良く見る出迎えの風景なので、私は「そうなのか・・」と思っただけで、まだこの時点では何の不信も感じなかった。
二人部屋の一等船室を独り占めにしているのは私だけのようだった。
中国人国内ツアー客の他には、白人たちの5〜6人の男女のグループが一組いたが、日本人は一人もいなかった。これが私の三峡旅遊の始まりである。 -
三峡下り:2004・平成16年5月20日(木)
船での朝食・・5元(70円)
■三峡旅遊へ出航する
部屋で一休みし、外に出てデッキに出ようとしたら、出口に人が座っており、金を要求された。
この旅の間を通して、デッキに出るのに25元(350円)の切符を買わなければならない。
笑ってしまったが・・・これが中国だ。財布にしまっておいて、時折、監視人が変わると確認される。
船は4階構造になっており、一階が4等、2階が3等、3階が2等、そして4階が一等船室である。
4等3等船室の者は上には上がって来れないようだった。3階に食堂がある。そして2階の後部に方便面(インスタントラーメン)に入れたりする開水(湯)が常時使用できるようになっている。 -
■鬼城へ上陸
5:30起床と言っていたはずだが、5時にドンドンとドアを叩いて起こしに来た。
あっちでもこっちでもそれぞれのツアーの添乗員が、自分の客を起こしに回っている。
私が同行するツアーは30人程度で、私以外は3等か4等船室だそうだ。
胸に旅行社のバッチを付けて、みんなとはぐれないように付いて行かなければならない。
まず、起きて朝飯を食いに行った。朝飯は5元(70円)でおかゆとマントウがあるのでこっちの方が晩飯よりうまい。 -
私が乗ってきた船
早朝からの観光地めぐり
重慶虹橋旅行社有限公司と書いてある青いバッジを胸に付け、同じバッチを付けた集団を探して付いて行く。
最初の観光地、豊都・・別名「鬼城」と呼ばれる街に下りた。鬼の故郷だそうである。 -
豊都・・別名「鬼城」
山の上に顔のモニュメントが作られており、それが鬼の顔ということで象徴的だった。
しかし、もっと象徴的なのは廃墟になっているビル群である。三峡ダムによって移民した人たちの街の残骸が至る所にあった。
そして、それをボチボチ解体している。ボチボチというのは、人の手で大きなハンマーを振り降ろし、ビルを解体している光景を見ていると、途方も無い時間が掛かりそうだからだ。 -
建設重機を使えばあっという間に更地になってしまいそうだが・・・。
もう、去年の長江せき止めで、水位は100メートル以上も上がり、私が見ている三峡は以前の姿と違うらしいが、以前を知らない私には、今の姿しか分からない。
そして、2009年完成の暁には、このあたりの水位はどれくらい上がるのか知らないが、周辺の建物は廃墟になっている。最高は水位177メートルくらい上がるらしいが・・。 -
豊都・・別名「鬼城」
私たちは土産物屋が並ぶ間を通りながら、名山公園になっており道教の寺もある山に向かって歩いた。
すごい人の行列である。こんなに朝早くから、何隻の船が鬼城に止ったのか知らないが、観光シーズン真っ只中でもないのに山に登るリフトはすごい行列であった。 -
中国全土から三峡旅遊に来ているのだろう。
この場所はこの場所で、私たち30名くらいの団体専属の旗を持ったガイドに、付いて行くのだが説明なんぞまったく分からないので、適当に歩いてはぐれないようにだけしていた。 -
豊都・・別名「鬼城」
山の上の寺院の広場で、踊りのパフォーマンスがあったのが一番良かったのに、ほとんど見損なった。
みんな美人のダンサーだった。史跡はみんな同じようなものばかりで、建て替えられた建築物ばかりのように思う。
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