2002/04/27 - 2002/05/03
256位(同エリア376件中)
早島 潮さん
サウジ王族らが「地下の秘密パーティー」禁制の酒、麻薬、売春婦も、150人以上が…
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/101209/mds1012091106000-n1.htm
リヤド、ディライヤー、ワディラム、タブーク、アルウラー、ジェッダ
定刻通り始動して15時19分に離陸した飛行機は関西国際空港を飛び立った。
チャーター便なので乗客全員がサウジアラビアへ行く筈だが、同じ旅程の人は10名であることが判っているだけで顔ぶれは未だ判らない。隣の座席に座った根本さんという老人は同じCコースだということである。
洗面所へ行ってみて驚いた。祈りの間が飛行機の中に設置されているのである。前方のスクリーンには飛行機の絵が映し出され中心から矢印が西の方を向いている。どうやらメッカがどの方向にあたるのかを常時判るようにしてあるらしい。戒律の厳しいサウジアラビアの航空機ならではの設備である。
スチュワーデスは全て外人労働者である。サウジアラビアの人口2000万人の中、その25%は外人労働者であるというから、傭兵に依存した末期ローマ帝国の現代版のような感じがしないでもない。国の将来を暗示しているようだ。
時差6時間だから一日が30時間で、そのうち実飛行時間が12時間余という長いフライトは,20時45分にリャドのキング・ハーリド空港へ着陸することで終了した。観光客の扱いになれていないのか入国審査ももたもたしてなかなか進まない。
現地ガイドはサレーさんというサウジアラビア人の男性ガイドである。顔貌が相撲取りの曙に似ている人である。特に目のあたりが曙そっくりである。聞くところによれば、サレー氏の実父は農業をベースに多角的な分野で活躍する、サウジアラビアでも屈指の資産家らしい。サレー氏自身も三つも邸宅を所有しているという。アメリカへ留学したこともあるらしく英語に堪能である。航空機会社のエンジニアでもある。本来であれば、ガイドをしなくても済む境遇なのだが、本人が将来旅行関連会社を経営したいとの気持ちがあるので、政府が観光客招致に力をいれだしたのを機にガイドを買ってでたものらしい。またサウジアラビア航空でも、身元のしっかりした人を探したいということで、その条件にあったサレー氏が我々のガイドに配置されたということらしい。今回のガイドに当たっては本人はかなり自腹を切って対応したようである。
リヤドは世界の首都の中でも飛躍的に発展を遂げた都市の一つに数えられる。都市周辺にはワジと呼ばれる涸川が沢山あり、地下水資源が豊富で緑に囲まれた都市である。
急発展の状況を都市面積と人口の推移の数字で追ってみると次のようになる。
都市面積 人口
1,918年 19,000人
1,939年 8.5km2
1,950年 85.0km2
1,960年 160,000人
1,968年 110.0km2
1,977年 690,000人
1,982年 1,500,000人
1,985年 2,000,000人
1,996年 3,100,000人
2,000年 1,600.0km2 4,000,000人
市内を通り抜けながら観察していてもクレーンが林立し工事がいたるところで行われている光景がこの数字の推移を裏付けている。
道路の両サイドに建ち並ぶ高層の近代的なオフィスビルやマンション群は壁面や窓格子に施された幾何学的なアラビック模様と相まって都市の持つ機能美を一際引き立てている。
世界各国の大使館、領事館は市の中心地から8kmの高台地帯の一カ所に纏められており、世界でも類を見ない緑豊かな外国公館地区を形成している。
日本大使館を外観だけ見学した。建物の中へは入れなかったが庭内から写真を撮影することは許可された。予め撮影の許可はとってあったのだが、守衛にまで通達が流れておらず、カメラの放列を敷くと守衛が飛び出してきて制止されてしまった。暫くガイドのサレー氏と押し問答が繰り広げられたが、電話で確認がとれたらしく、撮影がやっと許されるというハプニングがあった。
ディライヤーはリヤド郊外に位置するサウド家発祥の地でサウジアラビア建国の父アブドル・アジスが1446年に都を作った場所である。18世紀後期にオスマントルコに侵略されて廃墟と化したが、当時の城壁の一部と日干し煉瓦造りの居城跡(サハド・ビン・サウド王宮)や市街地跡、井戸等が残されていた。政府観光局が観光客誘致のために建物を修復している個所があり、昔ながらの手法で日干し煉瓦を手作業で作っている現場を目撃することもできた。
建物の梁や天井にはなつめ椰子の木や葉が用いられていて、壁には風通しのための穴が幾つも開けてあるのが印象に残った。
当時のモスクは修復されて現在この地区の住民のお祈りの場として使用されているが異教徒の我々には内部の見学は許されなかった。
リヤド市内に戻り7万5千人収容できるキングマハメッドスタジアムを見学した。このスタジアムはサッカー場として1988年に完成したものであるが、そのテント張りの屋根に特徴があり、珍しいデザインの競技場である。
競技場の観覧席に設置されたテレビモニターに訪れた観光客を映し出すというサービスを行っており、国を上げて観光客を誘致しようという姿勢だけは窺えた。競技場内には選手のための更衣入浴施設、医療施設や運動施設が設けられており、普段は垣間見ることのできないサッカー競技場の内幕を見学できた。
駱駝市を見学した。駱駝の効用を1)砂漠の旅の荷役用 2)農耕用 3)食用 4)レース用と考えると道路網が完備し自動車や農業用機械が普及した現在では1)と2)に関しては殆どその役割を終えたと思われるのだが、それにもかかわらず駱駝市が盛況であることはちょっとした驚きであった。
食用としては肉もミルクもスーパーなどでは市販されていないということである。どうも現在では駱駝はレース用として有産階級の投機の対象物或いは富を誇示する物差しとなっているようである。そして強壮飲料としてそのミルクが有産階級に愛用されているらしい。砂漠の民でない我々には理解し難い駱駝市の盛況振りであった。
国立博物館では2.75tの隕石が印象に残っている。そして附属の土産物屋で梟の置物があったので値段札を確認しようとしたところ台座に固定されておらず梟が転がり落ちて壊れてしまった。値段を安くして貰って百ドルを弁償するはめになってしまった。 それにしても保険会社の自分勝手な手口には腹が立つ。
マスマック砦の見学を終えてスークを散策していると警察官に呼び止められて我々一行は足止めを喰ってしまった。どうやら黒い衣服を纏った異国の婦人達がカメラをかざして町中を闊歩する様子がこの警察官にはよく理解できない生まれて初めての体験だったらしい。ご注進ご注進とばかり、まずは足止めをしておいてあちこち関係機関へ照会したらしい。やがて事なきを得て解放されたが、閉ざされた国の外人観光客の扱いに不慣れな末端官公署の戸惑い振りを垣間見た思いのするハプニングであった この後都会地で各所の観光をしていると必ずと言っていいくらい何時のまにかポリスのパトカーが駆けつけてきて我々の行動を監視している局面が続出した。宗教警察というのがあり、風俗を中心に取り締まっているらしいが、見張られている方は気持ちのよいものではない。全身を顔まで黒いアバヤで覆った現地の婦人は格好のカメラの素材なのであるが、警察に摘発される虞があるのでついぞ撮影するチャンスを見付けることができなかった。
ペトラ遺跡の観光を終えて再びサウジアラビアへ入国するためヨルダンとサウジアラビアの国境へたどりついた。
この間、我々を出迎えるためにリャドから飛行機で駆けつけ待機していたガイドのサレー氏ともども入出国管理事務所長の部屋へ案内され、所長同席のもとに茶菓の接待を受けた。
口上は遠国の日本から来られた皆さんに書類審査をする間くつろいで戴きたいということであったが、真相はバスの中に置いてある携行荷物の中身を検査するために我々を格好つけて所長室へ誘導し茶菓を振る舞ったということである。このことはバスに戻ってから荷物の中身が全員等しく荒らされていたことで判明した。多分、アルコール類、麻薬、裸体の女性の写真等を持ち込んでいないかどうかをチェックしたためと思われる。ことほど左様にこの国ではアルコール類、女性の裸体画の流入を恐れ、神経質なまでに警戒しているのである。
神権絶対主義政権の権力基盤維持のために張りめぐらされた秘密警察組織の恐ろしいところである。
やっと解放されて再び砂漠の中のドライブが続いたが、道中ベトウィン族の野営のテントをそちこちに見ることができたし、砂漠の緑化事業を推進している個所も数カ所目撃することができた。明らかにオアシスだと一見して判る夏目椰子の畑などもみることができた。緑化した畑で注目すべきものはその大がかりな散水設備である。パイプで作られた巨大な梯子状の散水設備が畑に置いてあり下には移動用の車輪がついているのである。
途中テーマ村でナバティア人が紀元前1世紀頃掘ったと言われる大きな井戸を見学した。巨大な井戸は現在も地域の住民の使用に耐えており、ナバティア人の土木技術の優秀性を証明する遺跡である。
ここでもいつのまにか現れた警察の車がバスの横に駐車して我々の動向を観察していた。
単調な砂漠の道路を長時間駆け抜けて居眠りから目覚めてみると、漸くアルウラーの近郊までやってきたようである。がらりと周囲の様子が変わっているのである。窓外には砂岩でできた丘や山が至る所に出没して奇怪な光景を作り出している。見ようによっては広大な岩塊砂漠の中に岩山が
散らばっているようにさえ見える。オーストラリア西海岸の景勝地ピナクルの奇岩群と似通った趣である。
そして岩塊や岩山が次第に大きくなってあたかもカルデラの中を走っているような風景が展開しはじめて、岩の形も奇岩が多くなってきたところがアルウラーである。 アルウラーのホテルで小休止の後、夏目椰子畑の横を通り抜けてアル・クレイバの遺跡、エレファント・ロックを見学した。この地方には紀元前7世紀頃から人が住み着き始めたと考えられており、古代ナバティア人の遺跡が数多く残されているのである。
アル・クレイバー遺跡には保護柵が設置されていて近くで観察できなかったが、望遠鏡で岩に彫り込まれた彫刻を眺めてみるとライオンの像が彫られているのを微かに認めることができた。
エレファントロックは永年の風雨に晒されて巨大な岩塊の一部が風化崩落して岩塊に穴があき象の鼻のように見える岩である。時期によってはこの岩の穴の部分にサンセットを眺めることもできるという。もしそれが本当であればさぞかし絶景であろうと思った。
日暮れも近いのでこの周辺で奇岩群の上に沈むサンセットを写真に収めようと相談していたら、もっとよい場所があるとのガイドの説明でアル・ハッラーの丘(燃える岩)の頂上まで日没を見に行くことになった。
石ころがごろごろしている勾配のきつい坂道を四輪駆動のトラックでヘヤーピンカーブをいくつも曲がって高度1300mの頂上へ到達した。驚いたことに頂上はフラットで広大な平地になっている。サッカー場が何十面もとれそうな広さである。下方を俯瞰するとアルウラーの旧市街、新市街、夏目椰子畑、宿泊予定のホテルまで見えている。砂岩で出来た奇形の岩山の頂上がこのような平地であることは大きな驚きであった。
やがて日没となりこのサレー氏は他の現地人運転手達10人程のモスリムとともに日没前の礼拝を始めた。彼等の礼拝の様子をカメラに収めていると丁度日没の時間を迎えた。残念ながら広大な平地なので日没の模様は単純で写真としては面白くないものになってしまった。どこかの砂漠で写したのと変わらない画像となってしまうのである。奇岩の上に沈む太陽を撮影したいのが我々の希望であった。
全て自慢の景勝を披露したいというガイド氏の善意と芸術的な写真を撮影したいという観光客の我が儘な気持ちがすれ違った意思疎通の齟齬であった。
ナバティア人の北の都はペトラであり、南の都はマダイン・サーレハであるといわれている。本日は今回の旅行の終局のハイライト、マダイン・サーレハの観光である 砂漠と奇岩の広がる地域を暫く走行してマダインサーレハの遺跡群地区へ到達した 遠くには駱駝伝説の残る駱駝山が遠望できて、岩肌が切り立っている様子が見える 伝説とはサーレハという予言者がこの地へ大きな駱駝を連れてきて水は駱駝に飲ませるから人間は飲んではいけないと申し渡したにもかかわらず、愚かな人間が彼のいうことをきかず水を飲み尽くしてしまったために駱駝が死んでしまったという。そこで怒った神が暴風雨を引き起し水を飲んだ人間を殺してしまった。爾来この地には悪い水しかでなくなったという話である。
ここではカサール・アル・ファリドの墓、アル・ビントの墓、44番目の墓とタイプの異なる三種類の墓を選んで、内部にまで踏み込んで重点的に見学した。いずれも完成半ばで中断した墓であるが、作成段階の相違によって墓の形が異なっているのが比較できて面白かった。
似たような墓が大小取り混ぜて無数にあったのでなにがなんだか判らなくなってしまったが、何れも岩の中に彫り込んだ窟になっており、その中には柩を収める長方形の穴が幾つも或いは縦型に或いは横型に穿たれていた。そして正面には入り口が設けられ、概ね二本の柱が刻みこまれており、屋根の上には天国へ赴くための階段が彫られていた。そして壺や夾竹桃の花模様が柱の上部に刻まれているのである。
ペトラ遺跡にも墓は沢山あったが、ここはそれ以上に墓が多く、まさに遺跡は墓ばかり、岩のあるところ墓ありという趣であった。当時の井戸も残されていた。
この時代の宗教はペトラ同様多神教であったと考えられている。
マダイン・サーレハの遺跡を跡にしてヒジアス鉄道の駅舎の跡や、トルコの官僚が居住していたという日干し煉瓦造りの砦、ヒジアス鉄道を走っていたというドイツ製の蒸気機関車等も見学した。これらの文化遺産はサウジアラビアの観光局が観光資源保存の重要性に漸く目覚め保存のための動きを開始したばかりという程度の保存状態であった。
昼食後暫しの休憩の後、アル・ウラーの旧市街を見学した。トルコの侵略により廃墟となった旧市街地の土造りの建物は荒れ果てて見る影もないが、建物の配置の状況から交通の要衝を占めて隊商達の往来で活気に満ちていた盛時を偲ぶことができる。 新市街に足を伸ばし暫し町中を徘徊したが、この街に留学している女子大学の学生達が買い物のために頭から黒いアバヤを纏い、顔まで黒い布で隠して歩いているのを多数目撃した。彼女達も異邦人達が群れて徘徊している様子が物珍しいようで視線を投げかけているようであったが、悲しいかな表情を読み取ることができなかった。
衣服店を覗いてみると彩り鮮やかな洋服や下着類が品数豊富に陳列されていたが、このような衣服を彼女達は何時どこで着用するのだろうかと疑問だけが残った。家族の前だけで着るのであろうか。それとも夫の前だけで着るのであろうか。謎は深まるばかりである。
気がつくとここでもパトカーがいつのまにかバスの側に駐車していた。
この夜は入り日をエレファントロックを背景に撮影することになり、時間をみはからってバスで赴いたが、砂地の上を車で走行する危険性の見積もりをあやまり、日没時間に遅れそうになってしまった。慌てた運転手がうっかり、処女地の砂地へ乗り入れたものだから車輪が埋もれてしまい動かなくなってしまった。乗客一同車を乗り捨て砂地に足をとられながら落日を追って走り回るというハプニングがあった。待望のエレファントロックを背景に日没の景色を撮影することは時期的に無理だったようで希望を果たすことはできなかったが、なんとか奇岩を背景とした入り日の撮影をすることはできた。バスはトラックを呼んで引っ張って貰うことにした。我々は道路まで出てヒッチハイクの要領宜しく通行中の自動車にピックアップして貰ってホテルまで帰ることにした。
道路にでて手を上げると2台程車が止まり、その中の一台がピストン運転でホテルまで送ってくれるという。聞けばエジプトから出稼ぎにきているエンジニアで奥さんと一緒に外出した帰りに我々の姿を認めて一役買って出てくれたというのである。彼は困っている人がいる時には助けるのがモスリムとしては当然の行為であるとなんの気負いもてらいもなくさらりと言った。
ホテルに帰って夕食後、民族舞踊を見せるというのでテントに行くと10人程の男達が普段の白装束の衣装にスカーフを頭に被った姿で屯ししきりに楽器の音合わせをしている。
何時始まるのかと待っていると刀を振りかざした緩慢な動きの踊りらしきものが何時とはなしにだらだらと始まった。音楽は打楽器である。前口上もなければ演じている音楽や舞踊についての説明もない。メリハリがなくしまりのない民族舞踊であったしかも、男達だけであるから演技に華がない。観光客に民族舞踊をみせるというならもっときめ細やかな心遣いとメリハリが欲しいところである。ショーとしては落第である。中座して寝ることにした。
朝早く起き出してホテルを出発しメディナの空港へ赴いた。聖地に異邦人が足を踏み入れることは許されていない。メディナからジェッダへ飛んでいよいよ帰国である。
ジェッダでフライトまでの間を利用して市内観光をした。紅海の海上公園レストランで海鮮料理を食べ、魚市場、旧市街、ナシーフ家の旧邸宅を見学してから海岸通りで巨大な噴水と入り日を眺めて空港へ向かった。
今回の旅行で最も印象に残ったことは、神権独裁政治の恐ろしさである。
ところで国民生活の裕福度を推測するために資料を探してみた。
サウジアラビアとヨルダンの国民所得を中近東諸国と比較してみると次ぎのようになる。
日本 一人当たり GNP 3万8160$(1997年)
サウジアラビア 一人当たり GNP 7150$(1997年)
ヨルダン 一人当たり GNP 1520$(1997年)
イスラエル 一人当たり GNP 1万5870$(1997年)
パレスチナ 一人当たり GNP 1600$(1997年)
レバノン 一人当たり GNP 2970$(1997年)
シリア 一人当たり GNP 1120$(1997年)
数字で見る限りイスラム国家としては中近東ではずば抜けて裕福な国であるが、まだまだ日本とは比較にならない程の差がある。サウジアラビアと聞けば世界でも裕福な国との印象があるが意外にそうではないことを数字が物語っている。
メッカとメディナというイスラム教の聖地の管理国家として神権独裁政治形態を維持していけるのも石油資源が枯渇するまでの短い期間に過ぎないであろうという印象である。石油資源に陰りが見え始めた時が女性の人権が解放される時であるのかもしれない。或いは情報化社会の成熟時にある日突然、女性人権確立運動が契機になって神権独裁政権が崩壊するかもしれない。その日のあることを意識して秘密警察が幅を効かせているというのが私の感想である。
ジェッダでサウジアラビア航空に乗り込み、帰国の途についた。現地時間は20時30分であるが時差6時間を加算すると既に真夜中である。
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