2002/04/29 - 2002/05/01
1715位(同エリア1790件中)
早島 潮さん
平成14年4月29日(月)
朝9時にホテルを出発してリャド空港11時15分発のサウジアラビア航空で2時間15分のフライトの後アンマン空港へ到着した。途中機上から眼下に円形農場を沢山目撃した。ロスアンジェルス近郊や南アフリカで目撃したものと同じ形態である。どうやら円形農場は円の中心に散水設備を設けてある砂漠地帯特有の農場形態であるらしい。永年疑問に思っていたことが氷解する思いであった。
今までのサウジアラビアと違って、アンマン市内は緑が土地によく溶けあっている感じのする街並である。
アンマンでは市街を一望できるシタデルへ行った。
アンマンは海抜800m〜1000mの高地にある起伏の多い古い都市である。石器時代から人が住んでいたといわれ鉄器時代にアンモン王国の首都が置かれていたと伝承されている。
ビザンチン時代に教会が沢山建てられて発展した。1923年にトランスヨルダン王国が発足し首都が置かれ、1946年にイギリスの支配から独立してからも首都として機能し現在に至っている。人口は150万人である。
シタデルの丘の高い所に2世紀にローマ帝国のマルクスアウレリュウス帝の時建てられたというヘラクレス神殿の石柱が一際高く聳えており、そこから下方に目を転ずるとローマ時代の円形劇場も残っている。ビザンチン時代の教会がそこここにあるのも見渡せる。街全体が石灰岩の石組みの建物で構成されており、白っぽい感じのする街並である。永年に渡る人間の営為の積み重ねが作り上げた古い歴史を持つ街であることが感じ取れた。ヘラクレスの大きな手が玄関に飾られている小さな博物館がひっそりとした感じで建っていたのも印象に残る佇まいであった。
久し振りにビールにありつけた昼食の後、アンマンの街を後にして一路230kmの道程をナバティア人の隊商都市ペトラ遺跡へ向けてバスのドライブである。アンマンの市街地をはずれるにつれ、果てし無く続く荒涼とした砂漠が現れる。時に現れる小高い山には草木が生えておらず荒々しい岩肌が太陽光に照らされて茶褐色に光っている。砂漠には駱駝が食するというラタミという雑草がところどころ生えているだけである。地平線の果てまで広がる広大な砂漠を駆け抜けていくと時折砂山が築かれて白い砂煙が立ちのぼっている所がある。これは燐鉱石を採取している現場である。ヨルダンの貴重な砂漠の鉱物資源である。数カ所でこの燐鉱石の採掘場を目撃した。付近に敷設されている狭軌で単線の鉄道線路は燐鉱石運搬用であるという。
殺風景な砂漠の光景にうんざりしかけた頃、丘陵地が現れ高度が次第に上がっていき今までの平地と異なり起伏の多い地帯が現れた。村落もぼつりぼつりと現れ始めた。ペトラの街へ近づいたのである。かなり高度の上がった山中へ入ったと思う間もなく市街地の開けている峠に差しかかった。このあたり一帯をモーゼの谷と呼ぶらしい。前方に開けている街がペトラの街であった。折から運良く太陽が真向かいの山頂に落ちていくところであった。
到着した日には観光案内所からシークを通ってエル・ハズネに至る通路に足元だけを照らす蝋燭の照明が設置され、古代の「闇と静寂を体験」できるイベントが催されるというので20$払って参加した。
往復一時間半程の行程であったが、岩壁に囲まれた古代の隊商道を静まりかえった暗闇の中、通路に沿って一定の間隔をとって置かれている紙袋で覆われた蝋燭の照明だけを頼りに歩いた探索は今回の旅で最も印象深い体験であった。
周囲は両側を岩壁に閉ざされており、場所によっては天井を覆うように張り出している岩壁が今にも落ちてきそうにさえ思える。台湾のタロコ渓谷も夜中に歩けばこのような雰囲気かなと過去の体験を知らず知らずのうちに思い出していた。岩の割れ目から仰ぐ空には星が大きくきらめいていて、聞こえるものは自分の足音だけである。他人の足音も最初は聞こえていたが、それぞれの歩く速度に従って距離が空き、自分の足音だけしか聞こえなくなるのである。しかも初めて通る道であり、行く手にどんなものが待ち受けているのかさえも予測がつかないから恐怖心と好奇心がないまぜになった複雑な心境である。段差のある石畳みの個所もあるので足元に気を取られて周囲を見回す余裕もない。ただひたすら照明を頼りに歩くのみである。足元を照らす照明はあたかも京都は化野の念仏寺の墓地の灯明のような趣である。
好奇心と不安な気持ちを抱きながらなおも歩を進めると岩壁と岩壁の合間にライトアップされた巨大な殿堂の一部が突然視界に飛び込んでくる。大きな一つの岩に彫り込まれた二階建てのエルハズネの遺跡である。
岩壁の合間の狭い道を通り抜けて広場にでるとエルハズネが全容を現す。赤みがかったピンク色をした殿堂は6本の柱によって支えられている。遺跡の前に開けた広場には紙袋に覆われた蝋燭の照明が幾列かに整然と並べて置かれており、いやがうえにも漆黒の空間に神秘性をかもし出している。足元に注意しながら殿堂に近づき階段を登っていくと一階には両側に小部屋のある大広間へと繋がっている入り口がある。ここに佇んで恐る恐る中を覗き込むと殿堂の奥は漆黒の暗闇で中から妙なる音色が聞こえてくる。笛の音か弦楽器の音色なのか定かではないが荘厳な気持ちになり身が引き締まる思いである。暫くその場にたたずんで音色に聞きほれながら古代人はどのような思いでこの場に佇んだであろうかと思いを馳せてみた。おそらく彼は神をそこに意識したのではないかと思った。
そのうち同行の仲間や他のグループの人々が三々五々集まってきて暫しの静寂は破られてしまったが、そこに居合わせた者皆が同じ思いに沈んでいるように思えた。
テント張りの土産物屋でお茶のサービスを受け再び元の道を辿ってホテルへ帰りついた。
平成14年4月30日(火)
朝8時半にホテルを出発して昨夜歩いた道を今度は馬に乗ってシークの入り口まで行きそこから徒歩でシークを通り抜けた。昨夜は暗くて黒い岩壁だけしか見えなかったが太陽光の中で観察すると切り立った岩壁は砂岩であり、自然の造りなす文様が岩肌に刻み込まれていてそれだけでも美しい景観である。しかも驚いたことにこの岩壁のあちこちに穴が穿たれていたり、彫刻が施されていたりして、ここにはその昔商店が建ち並んでいたものと考えられている。さらに驚いたことは岩壁に水路が穿たれており、水道設備が整っていたことである。
そしてこのシークを感慨も新たに通り抜けると再びあのエルハズネの神殿が切り立った岩壁の間に今度は太陽に照らされて佇立する威容が突然目の中に飛び込んでくる。感激の一瞬である。
このエルハズネは紀元前1世紀頃アレタス3世のための墓として建設されたものと考えられている。高さ40m、横幅28mで二層からなっていて一階の正面には6本の柱が建っている。両端それぞれ2本の柱は壁に埋め込まれた形をしていて柱の間にはゼウスの息子の騎手を表す台座に乗った像が彫刻されていて片方は馬に乗って西を向き、もう片方は東を向いている。これは死者の魂をあの世へ送っている様を描いていると考えられている。二階は三区画の岩の塊をそれぞれ4本の柱が取り囲んだように彫り込まれていてその上には屋根を模した装飾が施されている。中央の屋根の上には壺を乗せている。この壺の中には財宝が入っているという迷信が伝えられている。 そして二階部分の建物を擬した壁面には蠍を描いた像、ナバティアの神々を象徴化した像が彫り込まれている。彼等は多神教を信じていた。
このエルハズネをやり過ごして更に奥へ進むと岩壁を利用して作られた円形劇場、犠牲の祭壇、大寺院、凱旋門、翼を持ったライオンの寺院、柱廊等の遺跡がある。これらの遺跡からこの地に都市機能をもった集落が営まれていたことがよく判る。
更にグブサ山に登っていくとアーンの墓、シルクの墓、コリンシアンの墓、宮殿の墓等の遺跡がある。何れも巨大な砂岩に刻み込まれた大きな彫刻である。
たった一回だけのしかも駆け足の見学で遺跡のひとつひとつを詳細に説明することはできないが、一口で表現すれば、ペトラ遺跡は墓の芸術だといえなくもない程に墓が多いという印象である。
登り道を上へ上へと登って最後はアッ・ディル(ナバティアの修道院・ペトラで最大の遺跡)までたどりついた。この地点で標高は1030mであった。下りは登りよりも疲れる行程となり、へとへとに疲れ果てて本日の観光を終えた。ここでの圧巻はなんといってもエル・ハズネであった。
ここヨルダンでは酒が許されているので、ホテルの夕食では久し振りにワインを痛飲した。岩に穴を穿って部屋の作られている「墓場」跡のバーへ二次会に繰り出して、同行の人達5人で歓談し楽しい夜を過ごした。某氏曰く「これこそ『ハカバー』だ」と。
平成14年5月1日(木)
バスでワディラムへ向かった。このワディラムの砂漠は「アラビアのローレンス」の映画の撮影が行われたことで有名である。
ここでは四輪駆動のトラックに乗り換えて砂漠の砂地を疾駆した。ローレンスが撮影のとき利用したといわれる「ローレンスの泉」、「fha文字」で書かれた碑文の岩、七つの智恵の柱という奇岩、2000年前に「サモジ語」で描かれた岩絵等を見学した。
ローレンスがアラビア人を率いてヒジャース鉄道を破壊するために出撃するシーンに使われたという場所は大きな岩山の下に五色に輝く砂漠が広がっていた。
昼食はテントの中で品数盛り沢山のベトウィン料理を堪能したが、炊き込みご飯は日本の米と同質の短粒米が使われておりほどよい味付けはとても美味しかった。今回の旅行中の食事の中では一番美味しいと思った。そしてこのような米を常時食べているのならベトウィン料理の愛好者になってもいいとさえ思った。
このベトウィンテントのある地帯には観光客が体験宿泊できるテントが幾張りも設営されていたので、この料理も観光客用に新たに開発されたメニューではないのかなとふと思ったりもした。
食後、たまたまこの地に居合わせた地元のテレビ局の撮影チームに依頼されて観光客としての取材を受けることになった。この地を観光地として紹介するための映画を制作しているところだということで、正装したアタラザワイド族の酋長(地元の有力な族長)も同行していた。
簡単な取材後、本日の宿泊地タブークへ向けて長時間のバスドライブが始まった。 国境に到着してヨルダン側の出国は短時間で終了したが、サウジアラビアの入国には長い時間がかかってしまった。1時間半位待たされたであろうか。
この間、我々を出迎えるためにリャドから飛行機で駆けつけ待機していたガイドのサレー氏ともども入出国管理事務所長の部屋へ案内され、所長同席のもとに茶菓の接待を受けた。
口上は遠国の日本から来られた皆さんに書類審査をする間くつろいで戴きたいということであったが、真相はバスの中に置いてある携行荷物の中身を検査するために我々を格好つけて所長室へ誘導し茶菓を振る舞ったということである。このことはバスに戻ってから荷物の中身が全員等しく荒らされていたことで判明した。多分、アルコール類、麻薬、裸体の女性の写真等を持ち込んでいないかどうかをチェックしたためと思われる。ことほど左様にこの国ではアルコール類、女性の裸体画の流入を恐れ、神経質なまでに警戒しているのである。神権絶対主義政権の権力基盤維持のために張りめぐらされた秘密警察組織の恐ろしいところである。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
早島 潮さんの関連旅行記
ヨルダン の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
16