1999/10/05 - 1999/10/12
95位(同エリア142件中)
早島 潮さん
カナダの東部を流れるセントローレンス川沿いに開けたナイアガラ・フォールズからケベック・シティに至る全長約800kmに及ぶメープル街道はカナダ随一のゴールデンルートである。この道はヘリテージ・ハイウエイ(伝承の道)としても親しまれている。今回訪問した街はナイヤガラ・フォールズ,トロント,オタワ、モントリオール、ローレンシャン高原、ケベックであったが、何れも今日のカナダを代表する諸都市でイギリスとフランスの両文化が巧みに溶け合い或いはその個性を主張しあっていた。折から錦繍のメープル街道を訪ねる旅はナイヤガラの滝から始まった。
この滝はエリー湖からオンタリオ湖へ流れるナイアガラ川中流地点にあり,アメリカとカナダの国境付近に位置していて大自然の驚異を目のあたりに見せつけてくれる。滝はゴート島によって二分されており上流に向かって右側の馬蹄形のものがカナダ滝で幅675m落差54m。左側がアメリカ滝で幅260m、落差51mである。一分間の流水量はカナダ滝で1億5,500tもあり、これは東京都で使用する一日分の水量に匹敵するというからその規模の巨大さが判る。ナイヤガラ川に沿って自動車道路が走っており地の利が便利であることから世界有数の観光スポットとして知られ毎年1,400万人もの観光客が押し寄せる。
この滝を四通りの方法で心ゆくまで観察した。第一番目の方法はごく普通に滝の正面の広場に立って、紺碧の河の流れが瞬時に純白の滝に変わるその雄姿を眺めることである。
第二にはテーブルロックという場所に立って滝の落ちゆくありさまを横から見ることである。
第三には霧の乙女号という観瀑船に乗って滝壺近まで近寄って下から滝を見上げることである。第四には高さ236mのスカイロンタワーに登って滝を上から見下ろすことである。どの方法で見ても視点が変わってまた新しい発見があった。
しかし何といっても最もスリリングなのは滝壺まで近寄って轟音を聞きながら滝の飛沫を全身に浴びて目の前に見た膨大な水量の落ちゆく様であった。折から太陽の光を受けて立ちのぼる虹には自然の神秘を感じたものである。
滝の様々な態様を観察し十分堪能してから滝から5km離れたワールプールを見に行った。これはナイヤガラ川が東へ70度流れの向きを変える地点で出来る渦巻きである。ここにはワールプールを鑑賞するためにスパニッシュ・エアロカーと呼ばれるゴンドラが渦の上をゆらゆらと横断している。滝のある地域の道路沿いにはあちこちに「BB」という看板を出した民家が見られた。朝食付きの民宿なのである。一泊3,000円ということであった。
翌朝は8時に出発してオタワへ向けて出発する予定であったが、まてどくらせどバスが来ない。この時期紅葉をみるために観光バスは引っ張りだこなのだそうである。昨夜確認してあるから大丈夫だと添乗員は泰然としているが、30分経ち一時間経ってもバスがやってこない。いらいらが次第に嵩じてくる。ここは外地なのだ、外国の習慣に慣れなければならないと無理に気を鎮めようとするがどうにも落ち着きが悪い。これが東南アジアであればそんなものさと思いなすことができるであろうが、先進国で且つ契約社会のカナダでまさかこの種の経験をしようとは思わなかった。そのうち1時間15分遅れでバスが到着した。バスの運転手は遅れた言い訳もしない。
天気は小春日和で爽やかである。空気は玲瓏で気分がよい。今朝の気温は摂氏二度だというがそんなに寒さを感じない。街道沿いに果てし無く原野や田畑が続き沿道の立木は全て紅葉している。赤色は少なくどちらかと言えば黄色が多い感じである。
町並みが現われると必ず教会があってその周辺には民家が立ち込めている。開拓が進むと先ず教会が建てられ、その周辺に集落が出来るという形で村落が発達してきたことがよく判る。昼過ぎにオタワ市内にたどり着き発音の綺麗な現地ガイド嬢の説明を聞いた。
文明博物館はその建物を前方から見ると原住民の顔を模してあるといわれるだけに、眺めれば眺める程に面白い形をしている。文明博物館からオタワ川を挟んで眺めた国会議事堂はネオゴシック様式でその典雅な姿を川面に映して聳え建っている。折からの紅葉した立木とともになかなの風情があって美しい。オタワのシンボルと言われているだけのことはある。中央にセンターブロック、その両脇にイーストブロック、ウエストブロックを従えている。1916年の火災で焼失し現在の建物は1922年に再建されたものである。
バイワードマーケットは1840年代から市民の台所として活躍してきたもので、ハロイーンが近いので、かぼちゃに顔を彫ったものが沢山並べられていた。
北欧でもそうであったがカナダでも走行する車は照明を昼間でもつけている。これは事故防止のためであるが、日本ではみられない風景である。
朝早くオタワを出発して、ローレンシャン高原のトレンブランというリゾート地へ、長駆230kmのバスドライブである。ドライバーがこの地方は初めてというので地図を片手に運転するので心もとないこと夥しい。結局ローレンシャン高原の中を一時間ほども遠回りをしてしまったが、街道沿いの紅葉を心ゆくまで堪能した。
トレンブラン村を同行の一紳士と散策中、豪華なホテルがあったので見学しようと入って行くと物々しい警備員に入館許可証の提示を求められて泡を食ってしまった。たまたまNAFTAの会議でこの地へ来ているクリントン大統領の泊まっているホテルであることを知りびっくりした。
翌朝は400kmを5時間の予定でケベックシティへバスドライブである。州道40号沿いの紅葉は素晴らしかった。特に赤、橙、黄、緑と四色に色づいているのがよい。概ね山並みは女性的であり、メープル街道は全山此れ錦繍という感じであった。
ケベック州の州都ケベックシティは、フランスの植民地拠点として建設された。カナダでもっとも歴史のある町で古くからイギリスとフランスの植民地支配争奪の的となり戦いが繰り返されたところである。イギリス支配下を経た現在も住民の85%以上がフランス系カナダ人というフランス文化圏である。当然に公用語はフランス語で看板の文字も全てフランス語である。ケベック市は1985年に世界文化遺産に指定された町で18世紀の歴史をそのまま閉じ込めたような町である。
旧市街でセントローレンス川を見下ろす位置に建っているお城のような建物シャトーフロントナックはケベックのランドマークであり、フランスのシャンポール城を模して作られた重厚なホテルである。また高台にある星型の要塞シタデルの前面には総督の散歩道と称される遊歩道が設けられておりセントローレンス川の風光をめでながらそぞろ歩きをするのに相応しい場所である。すぐ近くのダルム広場では大道芸人がパフォーマンスを繰り広げており沢山の観光客が群がって楽しそうに眺めている。
市庁舎、ノートルダム大聖堂を見学してサンルイ通りやサンジャン通りをそぞろ歩きするとレストランやショップが軒を連ねており観光客や買い物客が楽しそうに行き交っている。店内ではフランス語が飛び交っている。ノートルダム寺院のステンドグラスが美しかった。
商店街プチ・シャンプランは旧市街の崖下の狭い道の両側にレストラン、カフェ、ギャラリー、ブティックが軒を連ねている商店街で、多くの観光客で賑わっている。1608年にフランス人サミュエル・サンプランが上陸して植民地住宅を建設してから最初にできた北米最古の商店街なのである。通りの行き止まりには旧市街へ出られる急勾配の通称首折り階段が設けられていて、ここも多くの人通りがあった。この地域にあるロワイヤル広場から見上げると、カメラアングルが絶好の位置にシャトーフロントナックが聳え建っている。
州議事堂、高級住宅街、戦場公園等をバスで観光し黄昏どきをオルレアン島のメープルシロップ工場へ見学に行った。メープルの幹からシロップを取り出すところや、シロップを濃縮していく工程をつぶさに見学することができた。収穫は極寒の3月に樹液を採取し24時間以内に精製しなければならないが、家内手工業によっており40ℓの樹液から僅か1ℓの製品がとれるだけだというから大変な重労働である。この工場でホームワインと手製のケベック料理を御馳走になったがカントリーミュージックを聞きながらの素朴な田舎の味は格別であった。見学したこの家内工場のマーケットシエア率は七五%であるという。
ケベックのホテルを朝出発してモントリオールへ向かった。ここではネオゴシック様式の大聖堂、ノートルダム寺院、ジャックカルチェ広場、ボンスクール教会、ボンスクールマーケットを慌ただしく見学してモン・ロワイヤルの丘にある聖ジョセフ礼拝堂に参詣した。この大規模で壮大な礼拝堂は当初、奇跡の人といわれるアンドレ修道士が建てた数メートル四方のものであったが、彼の没後熱心な信者によって1924年から建設が始められ1960年に完成した。今では年間200万人が訪れる世界的な巡礼地に変貌した。アンドレ修道士は信仰の力で多くの人の病を治したといわれ、特に足の病いを多く治したといわれる。実際に歩けるようになった人達の松葉杖が沢山奉納されていた。現代の奇跡であるといえる。
ケベック州内の自動車のナンバープレートは車の前部にしかついておらず、必ずフランス語でJe me souviensという標語が書き込まれている。これは私は忘れないで覚えているという意味であるが、車のナンバープレートにまで掲げて彼らフランス系住民が拳拳服膺していることは何か。
それは第一に開拓者精神であり、
第二に英仏戦争に負けた敗戦の屈辱であり、
最後にフランス文化とフランス語の誇りである。
この話をきいた時、勤勉な態度が失われ第二次世界大戦の敗戦体験が風化し、美しい日本語が死後化しつつある祖国の現状に照らしてみてケベック人は偉いと心の中で一人叫んでいた。
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