1998/10/26 - 1998/10/29
2517位(同エリア2867件中)
早島 潮さん
浅草でサンバカーニバルが始まった。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100828/trd1008281828007-n1.htm
平成10年10月26日(月)
オプションでイタイプー発電所を朝、見学するという。昨日の雨のせいで家内は参加したくないような口ぶりであるが、無理に説得して同行することになった。参加するのは男ばかりで家内を入れて6人である。8時に集合してイグアスの街を通り抜けて発電所へ到着した。
イタイプー発電所はパラナ川に建造された水力発電所で、ダムの総延長距離8km、貯水池面積は琵琶湖の2倍あるという。出力70万キロワットの発電機が18基あるので、総発電量は1260万キロワットとなり、世界最大である。1975年から始めて1995年に完成した。建設の最盛期には飯場としての住宅が9000戸あったといい、労働者も3万人が従事した。総工費150億$で20年の歳月がかかった。タビーンの直径は18mもあり放水管の直径は10.5mである。
ブラジル国全体の消費電力が5000万キロワットであるからこの発電所だけで4分の1をまかなうことができるのである。現在は5社出資のウエコンが経営している。
ダムはロックヒルダムの部分に特徴がある。250mの幅に高さ80mであるという。
ダム建設の技術では世界第一である。イグアスの人口は24万人でホテルの数だけでも200軒あるというから、大きな観光都市である。高級住宅地では80坪の土地で4LDK程度のアパートで2500万円位だという。
ホテルへ帰ると間もなく、ブラジル側からの滝見学へ出発である。遊歩道を歩きながら滝を見学するわけだが、沢山の滝が轟きわたりながら落ちていく様は、壮観の一語に尽きる。見事なものである。昨日より落差を大きく見ることができる。最終はエレベーターで一般道路にでることになるが、エレベーターホール近くでの滝の落ちゆく様は物凄い。
昼食はLa Mammaというレストランでイタリア料理を食べたが、今回の旅行ではここの料理が一番口にあった。特に肉が美味かった。ここではカイピリーニャというブラジルの焼酎を飲んだが甘口でとても美味かった。メキシコのマルガリータと似た感じのカクテルであると言えよう。
三国国境の街、パラガイのシューザ・デル・エーステという都市は、人口210万でタックスフリーの街だというから昔の香港を小型にしたような国、際都市らしい。
ブラジルの国花はイッペイといい9月上旬に黄色い花をつける。
イグアスのカレワ空港よりリオデジャネイロへ飛び、到着後、グローリアホテルへ直行した。ガイドは三浦という男でちょっと癖のある気障な野郎で駄洒落を飛ばしては一人悦にいっているようなところがある。夕食はホテルのレストランでバイキングであった。野菜と果物をしっかり食べた。
平成10年10月27日(火)
ホテルを8時に出発してコルコバドールの丘へ昇るために、登山電車の駅へ向かった。朝一番の電車へ乗って混雑を回避しようという作戦である。赤色の車体の電車に乗って窓の外をみると色々な植物が観察できる。 大きな木の幹に直接ぶら下がっている干瓢くらいの大きさのあるジャカの実。赤い花を咲かせている女王の耳飾り。朱色のアフリカ鳳仙花。
電車の中でガイドの説明が続く。ブラジルは1500年にペドロ・アルパレス・カプラルによって発見された。1533年に、最初の砂糖が生産された。1727年にコーヒーの栽培が始まった。1728年にダイヤモンド鉱が発見された。そして現在宝石は全世界の生産量の80%をブラジルが占めるという。
コルコバドールの丘には巨大なキリスト像が建っているが四方を展望できる場所としては最高のロケーションである。実に素晴らしい眺めである。この俯瞰は世界の三大景観の名に値いするものがある。
再び電車で下ってくると起点駅には、沢山の乗客が列を作って順番を待っている。これを見ると一番の電車に乗るべくホテルを早く出発した理由がよく判る。
この後、マラカナンサッカー場を見学した。ここでは選手のロッカー室や練習室、シャワー室も見学できた。Tシャツもショップ内で買うことができた。サッカー場で変わっているのは観客席に沿って円周状に幅10メートルほどの溝が掘られていることである。説明によればゲームの結果に興奮した観客がグラウンド内へ雪崩こまないように設けたバリアであるという。このようなバリアが設けられているサッカー場は世界でここだけしかないそうであるから、この国の人々が如何にサッカーに熱狂するかがよく判る。
サンバ大会の審査が行われるコンクリート製の大きなスタンドにも立ち寄った。3000人〜5000人のチームが踊りながらここで審査を受けるという。想像するだけでも壮観である。ブラジル人を熱狂させる二つの物。それはサッカーとサンバであるという。そのグラウンドと舞台を見学したわけ。である。サッカー場は運が良くなければ中へ入ることができないという。
この後、リオデジャネイロの中心街、オフイス街を通って三角形の形をし、たメトロポリターナ大聖堂(サンセバチオン)の内部を拝観した。カリオカ水道橋もバスの中から目撃できた。
昼食は繁華街の通りを信号待ちしながら斜めに横切って、シュラスコ料理を食べに行った。実に贅沢な食べ方をするものである。食べたくない肉を入れる皿が用意してあるのである。いろいろな部分の牛の肉がでてきた。あばら骨についている肉が一番美味いということである。こぶ牛の肉はブラジルでなければ食べられないというのでトライしたが、筋張っていてあまりうまいとは思わなかった。アマゾンの現地人の食事の作法は肉片を一口食べては残りを捨てるのが作法で、いくら美味しいからといって残さず食べてしまうのは非礼とされるという。豊穣の国なればこその食事のマナーである。この習慣が採り入れられたのがシュラスコ料理ではないかと考えている。
昼食に堪能した後、ポンデアスーカルへ登った。ケーブルカーで中継していくわけだがコルコバードの丘に向かい合うようなロケーションである。ここからもリオの市街と美しい海岸線や入り組んだ海が見渡せてまさに絶景である。
コパカバーナ海岸、イパヌマ海岸、マラカナサッカー場等も見えている。暫し景色を堪能したのち雲行きが怪しくなってきたので急遽、時間を切り上げて下山し宝石店へ急行した。Hスターンの本店である。店員と対面して一つずつ宝石を見せてくれるのである。暫く見ていたが、買う気がないので家内とはぐれたから探しにいくという口実でその場から逃げ出した。家内を見つけて側へ行くとすぐ終わるから一階の民芸品売り場で待っていてくれという。その通りにしたが、退屈してしようがない。所在なげな顔をして椅子に腰掛けていると店員が階下の駐車場で飲み物のサービスをしているからそちらで寛いでくれという。そこでカイピリーニャを2杯御馳走になった。そうこうしているうちに家内がやってきて、相川夫妻と一緒の送迎バスでホテルまで送って貰った。結構距離があった。家内は狙いをつけていた腕時計を買った。今回の旅行では一番高い買い物となった。15万円である。
夕食は中華料理店で食べてからサンバショーをプラットフォーマーという店へ見に行った。中華料理も品数が多くて少しずつ食べたが満腹した。東ヨーロッパへ行った時には食が貧しいという印象であったがそれに比べるとここブラジルではいずこも雲泥の差であるといえよう。まさしく豊穣の国であり、食である。農産物、鉱産物、工業製品の全てが自給自足できる国であるから国民性は明るくておおらかなようである。
サンバの踊り子達は均整のとれた素晴らしい体をしているが顔貌は美形とはお世辞にも言えない。見ていてもときたま居眠りをしていた。気がついて。目をあけるが半分は寝ていたのではないかと思う。ビデオ撮影ができないので後から見るというわけにもいかないし困ったものだ。それにしても彼女ら、の月収は15,000円程にしか過ぎないという。気候が暑く、食べ物が豊富な国では貧しくとも表情が明るく、悩みなどないかの如くみえるから不思議だ。これにひきかえ不況のどん底にある日本人の表情は暗すぎる。ショーのフィナーレは流石に豪勢であった。数枚カメラに収めた。帰宅したら12時半であったので慌ててベッドに飛び込んだ。
平成10年10月28日(水)
5時半モーニングコールの1時間前には目が覚めて、シャワーを浴びてすっきりする。9時00分出発で空港へ向かう。約5時間後にマナウス到着。空港から外に出ると空調が効いていないので流石に暑い。大塚さんという男のガイドが迎えにきていた。バスで自然科学博物館へ直行する。アマゾン川で捕獲される魚や蝶、昆虫の標本が展示されているのだが、魚は大きなものばかりである。ピラルクという魚には驚いた。鱗の一枚が靴べらのように大きくて固いのである。丹念に展示品を一点づつビデオカメラに収めた。
この後ゴム景気の時建設されたという贅を凝らしたアマゾナス劇場を見学した。ヨーロッパから材料を運んで作ったという凝りようである。港の記念碑の塔が劇場の前に建っていた。このあとトロピカルホテルへ早く入ったので、河畔へ出てみようということになって家内と二人で出掛けたが少し歩いただけで汗だくになってしまった。
桟橋にあがってネグロス川の水に手をつけてみただけで部屋へ帰った。湿度も温度も高いので動くのもものうく気だるい。思考力も停止してしまいそうである。夕食はホテルの食堂でバイキングであった。食後ホテル前の商店街へ行ってタオルを2枚買ったが8ドルもする高いものであった。暑くてクーラーも最高値にセットしてあるが冷しきれない。湿気が高くて洗濯ものも乾かない。
平成10年10月29日(木)
9時出発ということでホテル前の桟橋から船に乗る。ネグロス川のクルーズである。船の上から陸地を見ているといろんなものが観察できて面白い。高床式の住居、造船所水に抉り取られたとはっきりわかる赤くはだけた壁面群れをなして係留されている貨物船、沢山の客を乗せた水上バス、水上バスの屋根下からハンモックを吊るして寝ている乗客、海上に浮かんでいる石油スタンド、沖あいに停泊している大型貨物船、大きなエンジン音をたてながら水飛沫をあげながら早い速度で動いている小舟。
昨日見たアマゾネス劇場のドームの屋根も見えている。空には禿鷹が数羽舞っている。街と反対側の岸はバージアと言い、雨期には土地は水没してしまい、立木だけが水に浮い。ているように見えるという。水没しても立木は順応しているから枯れることがないという。明らかに水に抉られたと思われる赤い疵あとも見えている。
暫く経つとやがて、ソリモンス川とネグロス川とが合流する地点に近づいた。驚いたことに両方の川の水の色が全然違うのである。ソリモンス川は白く、ネグロス川は黒っぽいのである。温度はソリモンス川の方が低く、流れの速度は速いということである。このため合流地点でも二つの川の水は混じらず、一方の流れが下に潜ることになる。二つの流れの色は見方によっては牛乳とチョコレートのようにも見える。ところによっては渦を巻いている。そしてピンクイルカと青イルカが水面に跳ね上がるのを目撃することができる。青イルカのほうが多いようである。私は一回だけだったが赤イルカをはっきりと目撃することができた。一瞬のことだから、人に教えることができない。
二つの川が合流してアマゾン川になって暫く行った地点のバージアに船をつけて上陸した。そこには現地人の高床式の住居があって、白人と混血した一族が生活していた。民芸品の土産物を手作りして沢山陳列していた。魚の鱗や貝を組み合わせてつくった人形面や彫物などが並んでいた。錦蛇の皮が干すために竿につり下げられていたりした。子供が「怠けもの」を抱いていて写真をとるたびにモデル料を請求した。インコウを抱いている少年もいたがこちらには全然お呼びがなかった。
ここでゴムの木から樹液を取り出す実演を見せて貰った。この人は魚捕りの網を熱心に編んでいた。53人の孫がいるという老婆がハンモックで昼寝していたし、鶏や家鴨が歩き廻っていた。この後再び船に乗って、三角州へ戻りここへ係留して昼食を食べることになった。アマゾン川で捕れる魚や果物や、米を炒めたものが用意されていた。結構美味しく御馳走になった。氷でビールも冷やしてあり、有料であるがよく冷えていてこれも美味かった。乗っている従業員は一族のようであったが、先祖が混血しているせいか、欧州人の顔だちをした子供や原住民だとわかる顔をした子供がいて面白い。金髪の女の子もいたし、青色の目の子もいた。
食後、丸太を浮かしている貯木場へ行ってピラニア釣りが始まった。舟の上から釣り糸を垂らして釣り竿の先で水面をピチャピチャ叩いて、ピラニアの注意を引き餌に食いついたところを釣り上げるのである。3艘の小舟に分乗して釣り糸を垂れたが、我々の舟では餌だけ取られて一匹も掛からなかった。最後になって漸く一匹、お情けのように女船頭の糸に掛かった。これで釣りは約1時間半の予定を終わり、再び部落へ行ってジャングルの中を行進して大オニハスの葉と花を見学に行った。一つだけ大きな花が咲いていた。
この後船に帰ってつり上げたピラニアのから揚げを食べたが美味かった。
クルージングを終わって引き揚げにかかった頃、俄に雲が大きくなってスコールに見舞われた。僅かな時間であったが、南国らしい体験であった。
マナウスの 出船入り船 俄雨
ホテルへ帰ってバイキングの夕食を済ませブラジルでの日程を終了した。ピラルクのあばら骨についた肉を切ってもらって食べたがとても美味しかった。
深夜11時にホテルを出て空港に向かいマナウス2時発の飛行機でマイアミへ向けてとびたった。
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