2006/03/04 - 2006/03/04
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くに・クマさん
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ボランティアガイドの市外研修旅行。
去年合併したので、新山口市に入った小郡・秋穂周辺を巡ります。
市外研修と言いながら、市内研修(笑)
多分、普通に山口に観光に来る人は行かないような史跡巡りとなりました。
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最初は旧小郡町、漂白の俳人、種田山頭火の暮らした其中庵です。
割と住宅街の中にあります。 -
建物自体は復元したものです。
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今でこそ、ずいぶん評価が高くなっていますが、生きていた頃はそういう訳でもない訳で、質素な住まいです。
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其中庵の休憩所の横の道を歩いて移動。
新山口駅方面が見渡せます。 -
桜の名所、栄山公園にある山口大神宮外宮小郡遙拝所。
県庁近くにある山口大神宮は西のお伊勢さんとして参拝客が多かったけれど、幕末、スパイが山口藩内に入ってこないようにと参拝出来なくなってしまったため、こちらに遙拝所を造ったんだそうです。 -
つづいて、御茶屋跡(看板のみ)や山陽街道と石州街道の合流点に行ってきましたが、写真載せるには今ひとつ。
バスを駐車した小郡ふれあいセンターで撮ったマンホール。
山頭火の句で最初に覚えたのはこれでしたが、長いこと「はちのこ」を「蜂の子」だと信じこんでいたのでした。 -
五重塔を建てた大内盛見ゆかりの妙湛寺を見学後は、陶地区の正護寺へ。
陶晴賢の分骨墓があります。
屋根に鳩?と思ったら、飾り物でした。 -
彼方に見える、周防大橋ときらら元気ドーム。
この畑の周辺も、かつては海だったそうです。 -
こちらのお寺は、明治初年脱退騒動(奇兵隊を解散して新しく常備軍を作ろうとしてあぶれた兵が反乱を起こしたとか)があった時に立てこもりに使われてました。
その時の銃弾の跡が、今も本堂に残っています。 -
2カ所ある銃弾の跡のうち、一つには弾も残ってます。
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県重要文化財の薬師如来像。
平安期作で県内では最も古いと言われているそうです。 -
お昼は長沢池の長沢ガーデンで。
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本日の昼食。
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長沢池って横の道はよく通るんですが、食事に来たのは初めてでした。
意外とといっては失礼ですが、なかなかの眺めでした。
併設で安い温泉もあるし、料理も結構評判がいいので、施設が古めの割にはお客さんも多かったです。 -
食事の後は大村神社(時間無くて立ち寄らず)横の鋳銭司郷土館へ。
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鋳銭司出身の大村益次郎と、地名の由来である昔の貨幣鋳造についての資料が展示してあります。
入館料100円が示すようにかなりこじんまりした施設ですが、内容はなかなか見応えありました。
写真OKということで、大村益次郎像とツーショット。
靖国神社に建っている像の縮小版だそうです。 -
少し離れたところにあるお墓にもお参りです。
右にあるのは奥さんのお墓。
年の離れた奥さんのヒステリーは激しかったそうで、治まるまで麦畑の中に何時間も隠れていたという話が残っているそうです。 -
続いて、秋穂の正八幡宮。
クマが乗っているところは鳥居。
台風で倒れちゃった第一鳥居だそうです。
聞くまで鳥居と気付きませんでした。 -
歴史の古い第2鳥居は元気に建ってます。
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立派な建物です。
拝殿と楼門が一緒になっている楼拝殿造りは、山口県独特なんだそうです。 -
檜皮葺の屋根。
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柱の基礎石。
周りの溝にはシロアリ防止で塩水を入れていたそうです。 -
最後の研修地は、秋穂港近くのお上使道跡。
室町時代には秋穂の港が山口の主要港だったそうで、西の京と言われた山口へと向かう道がお上使道と言われていたそうです。 -
ちょっと当時の道を歩いてみます。
総勢80名近くでてくてく。
日頃ここに来る観光客なんてまずいない訳で、農作業してる人たちはちょっとびっくりした感じでした。
うちの会の人は精力的に歴史を勉強してる人が多く(私はかなりいい加減^^;)、さらに陶ヶ岳を越えて山口まで歩いた人もいるそうです。 -
瀬戸内海の穏やかな海です。
秋穂は車海老の養殖でも有名です。 -
帰りのバスの車中から。
山口への道があった陶が岳です。
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