2005/12/23 - 2005/12/26
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night-train298さん
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12月24日 クリスマスイブ
私はブランカの部屋を使わせててもらうことになった。
しかしこの部屋の恐ろしく寒いことと言ったら!
暖房は個室には一切なかったため、冷蔵庫のような部屋で寝ることになってしまったのだ。
それでも数時間は寝ることができたが、目が覚めたら寒くて横になってもいられない。
階下に降りていくと、ブランカと友達のグロリアがいた。
私は外に散歩に行くことにした。
家を出て左方向へ。
銀の道でさえも通らなかったような荒涼とした田舎道だった。
ゆっくりとその自然に身を置くことは貴重な体験だった。
三十分ほどで引き返すことにした。
家に戻るとみんな起きてきて、朝ご飯をブランカが用意してくれた。
ビスケットやら、菓子パンやら、あれこれ出してくれる。ブランカは15歳。典型的なスペイン美人だ。性格も穏やかでやさしくかわいらしい。
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アウロラの家
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食事を食べていると、今日はドルメンという大昔の石で作られた家?を見にいくという。ストーンヘンジの小さいバージョン。
イルデとルカが運転して車でドルメンを見にいく。
二人にとっては当たり前の景色らしく、世間話をしている。
次はどこに行くのかと思ったら、小さな村に着いた。
そこでバルに入ってビールを飲む。どんどんタパスも出してくれる。
おじいさんがフラメンコを歌い出す。クリスマス気分なのだろう。
そうだ!この村なら携帯が使えるかもしれない。(アウロラの家の辺りは電波が悪い)ルカの電話を借りてパキに電話をしなくては。
まだスペインに来てから、一度も話していないのだ。
やっとパキが電話に出た。そろそろセビリアに着く日にちが決まりそうだからだ。
とりあえず、28日か29日に着くけど、26日にはわかると思うので、もう一度電話すると伝えた。いつものように明るいパキ。みんなから私がいつセビリアに来るのか問い合わせがあったけれど、何も答えることが出来なかったのと笑っている。
バルに戻るとアウロラも来ていた。そして次のバルへ。
そこには日本人のような顔のおじさんが飲んでいて、みんなでからかって遊ぶ。
おじさんは携帯の番号を教えてくれた。ほかのおじさんも。
教えてもらっても・・・。
みんなお互いを良く知っている。
「どこへ行っても友達がたくさんいるのね!」
「友達はほんの少しいい人がいればいいんだ。」
そこに子供がやってきた。ロッシオとハミー。とてもかわいい。
なんだか楽しい雰囲気だ。
今度はイルデを置いて、アウロラの車で帰るという。途中の万屋で買い物をして。 -
ブランカと友達
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イルデが暖炉の火の番をしてくれる
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ドルメン
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ルカとバルの人々
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アウロラ
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これがクリスマスディナーかと思ったら・・・
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家に戻るとアウロラが料理を作り出した。ウズラの肉を小さく切って小麦粉をまぶして油で揚げている。私もお手伝いをすることにした。
夕方アウロラの命令で、ブランコと犬の散歩に行く。
二匹の犬がいて、ジンゴとコンゴ。
散歩はコンゴだけ。狩猟犬のジンゴを散歩に連れていくと、恐ろしいことになるのだという。
途中トゥンパという石でできたかいば桶のようなものをブランカが見せてくれた。
中を覗くと水が溜まっていた。
後で辞書で見たら、お墓なのだった。
家に戻り5時半より、食事が始まった。
イルデがしとめたうずら料理。丸ごと煮込んであった。これがクリスマスディナーだと思ってしっかり食べた。
その後はだらだらと過ごす。
バレンシア・デ・アルカンタラに住んでいる18歳の息子も戻ってきて23時になると、本当のクリスマスディナーが始まった。
イルデが分厚い料理本を見ながら、アサリの料理を作り始めた。
そしてテーブルには次々と海の幸が並べられた。
生ガキ、カニ、エビ、あさりの料理。
ここは海から遠い分、高価なものではないだろうか。
魚介類は大好物だが、新鮮でないとすぐに当たるのだった。少々心配はあった。
しかも食べる以前からお腹がいっぱいなのである。
あ〜っ、困った!
カキは殻を自分で開けなければならない。イルデがそれを引き受けた。
この中でも生ガキが一番危ないと思ったが、一つ恐る恐る食べてみた。身はとても小さいのだが、味がギュッと濃縮されていて、おいしいではないか。
縁起ものの?クリスマスディナーだし、せっかくもてなしてもらっているので、がんばって食べることにする。
エビも味噌は危ないなと思いながらも好きなので、つい食べてしまう。
プリプリしておいしい。
カニは渡り蟹のような大きさでおいしくはない。
幸い肉のように重い食事でなかったのは助かった。話によれば、スペインのクリスマスはターキーではなく、海の幸が多いということだった。 -
ルカとアウロラのファミリー
この後は、子供たちはそれぞれ村に向かう。朝までのパーティがあるらしい。
ブランカはおしゃれを始めた。マニュキュアを塗ったり、シャワーを浴びて髪をセットし・・・。
二人はアウロラからおこづかいをもらっている。どうも息子のアルフォンソは一家の悩みの種らしい。
今は学校にも行かず、働いてもいない。親にも反抗的だった。ブランカとは対照的だが、そんな時期なのかもしれない。
二人を送ると、大人だけのパーティが始まる。
カヴァで乾杯をし、アウロラと共通の話題を探す。
アウロラも旅行が大好きで、スペインの話、ポルトガルの話、日本の話・・・。
スペイン語のみで話すというのも正直大変だ。
限界までがんばって、得意の文句。
「テンゴ スエニョ」(眠くなっちゃった〜)と言って二階にあがる。
今日もシャワーを浴びることができないまま終わってしまった。 -
12月25日 Feliz Navidad !
朝階下に降りていくと、誰もいない。
夕べの食器の洗い物をすませていると、ルカが降りてきた。
ルカは朝食用に生ハムを切ってくれる。さすがプロの手さばきは違う。
そしてこれから散歩に行こうという。
今日は天気が悪い。雨が降りそうだ。
昨日とは反対方向に道を出た。
遠くでイルデがトラクターを動かす音がする。
クリスマスでも働いているのか。
ルカは毎日10kmを歩いているのだそうで、この辺りの地理は詳しいのだと言う。
夏は働かないけど、冬場は毎日5時から9時まで働いているのだという。
そのお陰で順調に商売が発展しているようだった。 -
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朝露で濡れた緑はさらに鮮やかで、夏の暑さを想像することなんてできない。
この辺りは、ドルメンがたくさんある。今も原始的でさえある景色。何千年前のものだかわからないが、その頃とあまり変わっていないのかもしれない。
大きな岩山に出た。これを登るのだと言う、上の方には、顔の形をした岩がある。
散歩というよりは、巡礼の歩きのように長かった。
途中で水が湧いている場所があり、そこにはカップが置いてある。
おいしいお水を飲んでまた歩く。どこかに行って戻るのではなく、一周して違う道から帰るコースを考えて歩いてくれているらしい。
帰って時計を見たら、三時間半歩いていた。長い散歩だった。 -
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別のドルメン
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ドルメン
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アウロラがキッチンで
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西洋こたつの中はこうなっています
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今度はイルデが家の回りを案内してくれるという。
コンゴとジンゴがくっついてきた。本当だ、ジンゴの奴ったら足がめちゃくちゃ早い。
イルデはユーモアがあって一緒にいて楽しいおじさんだった。
最初にイルデが育てている畑を見せてくれた。
果実などの苗木が並んでいる。まだ植えたばかりの柿や日本の梨。
どんな風に実をつけるのか、楽しみだ。
ここにも古い住居跡があるイルデはその中に入ってみせてくれる。
ハーブを紹介してくれたり、説明も上手だった。
いつのまにか大きな岩山の頂上にいた。そこから家が見える。
黄色い車が止まっているのが見えた。
イルデはナチョーが来たと言い、よく見るとこちらを見て手を振っている人がいる。
ここから一気に下っていく・・・。 -
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イルデとジンゴ
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ナチョーは奥さんの実家があるマドリードに行っていたが、一人で先に帰ってきたという。
と言っても結婚をしているわけではない。付き合いは15年になるが、結婚なんて紙切れ一枚の問題だと言う。
話は11年前のことになり、ナチョーに出会うまでのいきさつを話す。裏のストーリーだ。
ナチョーは英語が少し話せるので、無口だった私もようやく生き返った。
ナチョーに会った時に、恐い人だと思ったことなど話すと、大笑いしていた。
アウロラたちは家族の写真を持って見せにくる。明日の朝、長女のホルへがカセレスから戻ってくるから、彼女の写真を探してくれていたのだ。
朝の列車は、それこそ私とむらやんが乗った同じ時刻の列車に違いない。
マドリード方向からのこの夜行しか、いまや国境駅には止まらないのだ。 -
よく話を聞くと、イルデは現在57歳で、52歳まで電話局に勤めていたけれど、けんかして辞めたらしく、それで引退し充分な年金をもらって生活をしているということだった。
アウロラも同じくカセレスの電話局に勤めていた。
そこで二人は出会い、ここに引っ越すまでカセレスにいた。
イルデはその前はイビサ島で働いていて(電話局)そこで結婚して娘がいるのだった。前の奥さんとのの子供だ。
その子の写真もたくさんあったから、彼女はイビサに住んでいながら、交流はあるようだった。
私はこれまで農業で生計を立てているのだとばかり思っていたら、それは趣味なのだと言う。
植物や動物の話をしていると、分厚い立派な図鑑を持ってくる。
地理の話をしていると、これまた立派な世界地図の本を持ってくる。
星の本や月の地図。本もたくさんあり、決して自然の中に漫然と生活しているわけではなく、知的な生活をしているように見えた。
三時半ころ、昨日の残りの海の幸と、昨日下準備をしておいたウズラの肉を揚げたものが入ったスープで食事になる。
ここでいっぱい食べるとまた後で大変なので、少なめにしておく。
男たちはカヴァをたくさん開けている。
だらだらと夜は更けていく。
その後のディナーは特になかった。残りの魚介をつまんだだけだった。スペインのシステムはどうも読めない。
しかしたくさんのチョコレートや、クリスマス用のお菓子。それらをつまみながら、私とアウロラは、日本の話、この地域の話をたくさんした。
一昨日行ったバレンシア・デ・アルカンタラのパンフレットを見せ、ローマの橋を見た話をすると、何倍も大きくてすごいローマの橋があるのだと教えてくれた。
アウロラは、日本の歌を歌ってくれと言う。う〜ん、困った!仕方ない。
唱歌を思い出しながら歌うが、歌詞が思い出せない。
それでもアウロラは「きれいな曲ね。」と聴いてくれる。
現代的でクールに見えるアウロラだが、とても素朴で優しい本質を持っている。
今日こそはシャワーを浴びることにした。
この家にきて、初めてのシャワーなのだ。汚いクリスマスになってしまった!
しかし、このシャワーは手強かった。
お湯の量が少ない。ちょろちょろとしか出ないのだ。これが普通らしい。
私は日本の家のお風呂が恋しくなった。脱衣所にもふろ場にも暖房があり、当然湯船があり、お湯はふんだんに出る。当たり前なことが、どんなに贅沢なことなのか。
無事にバスルームから生還したが、このまま今日は部屋に行こう。みんなに挨拶して部屋でドライヤーで暖まりながら髪を乾かせばいいだろう。
凍える濡れ髪のまま部屋に上がり、ドライヤーのスィッチを入れた瞬間,家中の電気が消えた・・・。
あーっ、やばい!電力も自家発電で、夜はたくさん電気を使うから、供給不足なのであった。
仕方なく、そのまま寝ることにした。
明日はいよいよここを出るのだ。
11年前と同じく、この村に突然来て、すっかりお世話しなってしまった。
ここほどの田舎というのは、どんな交通手段を使っても、来れるものではない。
寒かったけど、心の温かい人たちと過ごした2005年のクリスマスを、私は忘れないだろう。
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