2005/12/22 - 2005/12/23
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night-train298さん
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さて、この後はなんと!
バレンシア・デ・アルカンタラに。
11年ぶり。ここは思い出の土地であり、スペインが大好きになっていた私をさらに虜にさせ、スペインの神髄を教えてくれた神聖な(!)場所なのだ。
たぶんここを訪れる日本人は、私と私の家族くらいしかいないかもしれない。
その時のことは、以下のホームページに書かれているので、良かったらのぞいてみてほしい。
http://4travel.jp/traveler/night-train/album/10023085/
ひょんなきっかけから農場パーティに招待された私とむらやん。
そこで知り合った7人のスペイン人と、村人たちとの交流。
その人たちに、再会するのも楽しみだった。
ただし・・・いっさいアポなしである。
予告もない。
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ただ一人、細々とクリスマスカードを交換していたのが、肉屋のルカだった。
ルカはあの旅の最後に会って、アドレスを書いてもらっていたからだった。
それもほんの偶然のことだったけど。
そしてルカの店の場所は知っていた。たぶん今でも行けると思う。
たった一泊しかしなかった村だけど、特別な場所なのだった。
また、2年ほど前に兄夫婦がレンタカーで旅行した際に、立ち寄ってもらったこともある。
そのときはルカには会えず、お父さんにだけ会って写真を撮ってきた。
パーティの時のルカの思い出といえば、みんなが歌い踊る中、早々と床に座っていびきをかいて寝ていたことだけ。
でも、彼が持ってきた豚の皮やチョリソーはとびきり美味しかった。
さて、そのルカにアポなしで会えるのだろうか? -
タクシーは思い出の広場で止まった。
まだお昼休みの時間帯で、閑散としていた。
ホテルは以前に泊まったところと決めていた。思い出のホテルだし。
人に聞きながら、スムーズにホテルも見つかり、荷物を置き、さっそく思い出の村の広場へ。
時間は3時。まだ静かだ。
11年前の夏もそうだった。じりじり照りつける太陽。閑散とした広場にアイスクリーム屋だけが静かに客を待っていた。
今はそのアイスクリーム屋も閉店中だ。
私は再び激写体制にはいった。広場のベンチをあちこちの角度から写しまくる。
誰も座っていないベンチを激写する変な東洋人は、さぞかし奇異に見えるに違いない。
天気はいいのだが、日陰は寒い。
夏には心地良かった日陰が、今はとても暗くて冷たい場所に思え、夏は敵にさえ見えた太陽の暖かさに感謝する。
11年前に思い立って降りた、ここから3kmのレンフェ(スペイン国鉄)の駅まで行ってみようか。
確か道は一本道。コルク工場の前まで来たけど、このあたりで引き返そう。 -
ルカの店を覗いてみた。
場所は間違いないのだが、店の中のレイアウトが違う。
写真に撮っているので、覚えているのだ。おかしい。
何度も店の前を通るが、なかなか開かない。
やっと5時になって店が開いた。
中には金髪の綺麗な女性が店を切り盛りしていた!
ひょっとしてルカの奥さんなのかな?と、恐る恐るルカのことを聞いてみる。
すると、ルカは店をやめ、工場(肉の)を経営しているのだという。
その通りの名を教えてくれた。
また、ナチョーの名前(そのときの仲間のひとり)を言うと、彼は田舎に引っ越したということだった。
だんだん暗くなって心細くなってきたけど、その道は私が泊まっているホテルのそばだったので、歩いていき、通りがかりの男の子にルカの名前を言うと、すぐそばの家に連れていってくれ、ベルまで鳴らしてくれた。そこはルカの両親の家で、工場はまだここから800メートル先だという。
途中でまた人に聞くと、工場に連れていってくれ、その裏にある入り口まで連れていってくれた。
ルカは電話中だったが、うれしそうに出迎えてくれ、少々びっくりした様子ではあったが、よく来てくれたねと、事務所に入れてくれ、今は12人の人を雇って工場をやっていること、コンピューターを使いはじめたので、eメールもできるようになったことを話してくれた。
そして何人かの従業員を紹介してくれた。 -
明日の朝にはこの村を出ると言うと。今夜は一緒にご飯を食べに行こうということになった。
そして、今後の予定を少し話すと、クリスマスは楽しいから、ここで過ごさないかと提案してくれた。
しかも、26日なら、自分が運転して、巡礼の出発点のカルカボソまで連れていってくれるという。
願ってもない話だった。
しかし26日までとはちょっときつい。
でも、交通の不便なカルカボソ(巡礼再出発点)まで行ってもらえるなら、充分予定通りにはなるはず。(もともと予定もないのだし)
迷うところではあったが、この村で『なるようになる』のもいいかもしれない。
話が決まると、ナチョーの家に行ってみようということになった。
ナチョーは今や二人の子供のパパだという。
車はどんどん田舎へ入っていく。
この田舎をルカは心から愛している。だから、灯りのないこんな道でも迷うことはない。
ナチョーは広い敷地内の古い家に住んでいた。
上の子供(5歳)と奥さんは、子供のパーティにでかけていて、ナチョーと赤ちゃんがいた。
ナチョーは少し英語ができる。11年前に私たちを農場パーティに誘ってくれた張本人だった。
彼は人相はコワオモテだが、とてもいい人なのだ。
古い暖炉の前で、カヴァを飲みながら生ハムをつまみ、なつかしい話が始まった。
あの時の青いトラックが今でも庭にあるよ。あ〜、あのトラック・・・。
「ところであの頃二人は何歳だったの?」
ナチョーは29歳で、ルカは28歳だったという。(おじさんかと思っていたのに!)〜〜〜
そこへ二人の友人のアウロラと、その娘のブランカがナチョーが作った生ハムを取りにやってきた。
そして、ルカが彼女に一緒にクリスマスを過ごさないかと誘っている。
アウロラは、普通に「いいわよ」と答えている。
ルカは私を見て、こう言った。今夜はアウロラの家でディナーを食べるよ。
そして明日からあなたはアウロラの家に泊まるんだ。
アウロラはびっくりした様子もない。いいのだろうか?
しかも時期はクリスマスまっただ中である。
ナチョーの家を出ると、アウロラの家に向かった。
そこはやはり田舎の一軒家で、大きな家だった。
家には暖炉の前に、主人のイルデがいた。
スペインでは、こんなことは珍しくはないが、何でアポなしで見ず知らずの外人を普通の顔をして受け入れることができるのだろうか?
サンティアゴへの道と同じく、門戸は誰にでも開かれているのだろうか?
料理はシンプルだけど、これがまたおいしい。ニンニクのたれで味付けした肉を、暖炉の炭火で焼く。二種類のチーズ。レタスのサラダ。
モッツァレラチーズに似た方の白いチーズには、地元で取れた蜂蜜をかけて食べる。おいしい!
その時あるものを、人数に関係なく分け合って食べる。
暖炉のそばには大きなテーブルがあり、分厚いテーブルクロスが足を隠すくらいかけられている。
その中に足を入れなさいと言われたのでやってみると、それは西洋こたつなのだった。
テーブルの下、中央に炭を入れる場所があり、暖炉の炭をそこに入れるのだ。
それは心地の良い暖かさだった。
明日はルカは仕事でマドリッドまで行くので、夜の7時にホテルで待ち合わせすることにした。
朝早く出るということで、今日はそろそろ帰るという。
「ルカは何時に眠るの?」
「普段は9時。朝5時に起きるから。」
「なるほど〜、あのパーティですぐ寝てしまったのは、そういうわけだったのね!」
ルカは大笑いをしている。 -
12月23日 バレンシア・デ・アルカンタラ観光
11年前に来たときに、ここホテルのかわいい男の子が掃除を手伝ってていたのを覚えている。
ホテルのおじさんに聞いてみると、今17歳になっているという。
6歳だったんだ。
ホテルは階下がバルになっている、典型的、または私の理想的安宿である。
そこでカフェ・コン・レチェとトーストの朝食。おいしかった。
今日はこの村の見学に費やす。以前にもしっかり観光したつもりだったので、長い一日になりそうだった。
何しろ小さな村なのである。
それでもインフォメーションがあるのだという。
まずはそこからスタートしよう。 -
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小さいながらも立派なインフォメーションではないか。
中にいる女性は英語も話せるし、とても親切。
この村の立派なパンフレットもある。
ここが孤立するばかりか、以前よりも活性されているようだった。
聞けば、10年前からあるのだと言う。私たちが訪れた次の年ではないか。
パンフレットは二つもらい、むらやんへのおみやげにしよう。
今回むらやんにもスペインに行くことさえ言っていない。あとで絵はがきをここから送って驚かせよう。
ここで、絵はがきを売っている店や郵便局の場所も聞き、見どころを尋ねてみた。
パンフレットの地図を見ながら、順路まで書いてくれた。
私が想像していた以上に観光できる村だということがわかった。
村の中心部より少し離れた場所に古い地域がある。
そこはユダヤ人の住んでいた地域で、イサベル女王の時代1492年に、カトリック信者のみが国内に留まり、それ以外の人たちは、改宗するか、国外に出るよう命じたそうである。
その時まで住んでいたジューイッシュの地域のため、門の形が違うのだということだった。シナゴークもあるのだという。
ってことは貴方の先祖はジューイッシュなの?と、もしかしたら失礼な質問をすると、
「私はスペイン人なのよ。名字がゴンサレスだから。名字を聞けばわかるのよ。」
また、村のはずれにある、ローマ時代の橋も気になったので、チェックしておいた。
そして、城跡の中にある施設には、インターネットが無料でできる場所があるのだという。そんなハンディな情報まで教えてもらい、うれしさのあまり、彼女の写真を撮らせてもらった。 -
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この城跡の中に、PCを使える施設がある
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バレンシア・デ・アルカンタラの村
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ドアが小さく形が違う
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午後二時までは実務的なことを済まそう。
お店が開いているうちに、はがきを買って、切手を買って、テレフォンカードを買って、スーパーにも行って・・・。
はがきはインフォメーションで教えてもらっておいてよかった。意外な店にあったから。
駅を撮った写真のポストカードがあった。これをむらやんに送ろう。
あの時回った教会などのはがきも買った。
そろそろバルに入ろう。ここから三軒のハシゴがはじまった。ビールとタパスを少しづつ。ひとりでしかも昼間にバルのハシゴかぁ。
ポルトガルでは食に苦労したし、今後はバルにも行けそうもない。羽を伸ばすのは今のうちかもしれない。
そうこうするうちに二時になってしまった。
今度はさっき買ったテレフォンカードで電話をしまくろう。
カードは20ユーロ分。
最初はパキ。携帯は通じなかったので自宅にかけてみた。
弟のアンヘルが電話に出た。パキは四時に帰ってくるという。
次はフェルナンド。
メールをもらっていたからだ。
フェルナンドの住んでいる北部はかなり寒く、山の上には雪が積もっているという。
パキのことろに行く予定の日にちを告げると、今父親が病気のため、手術を待っているので、おそらく行けないだろうけど、もし行けるようになったら連絡するという。
秋に電話で話した時は、北米を少し旅行したあと、南米に一年くらい行くと言っていたのに、帰ってきたのはお父様の病気のせいかもしれなかった。
今回は南部中心の旅である。
最も北部でマドリッドである。フェルナンドはフランスの道の巡礼路沿いに住んでいて、ガリシアに近いカステーリャ・イ・レオン州のポンフェラーダの近くに住んでいる。
次回はきっと北の方で会えるかもしれない。
電話はここで切り上げて、陽が高いうちは観光することにしよう。
マップを片手に城跡から始めた。教会、古い家の町並みを回ると、やはり小さな村のこと、一時間で終わってしまう。
再び電話大会。
パキはまだ帰っておらず、またアンヘルとおしゃべり。
今度はイサベル(銀の道)に電話をしてみた。
まだわからないけれど、会える可能性はけっこう高そうな話ぶりだ。彼女は話が長いから、カードの残りが少なくなってきた。
次はペペ(銀の道)。電話番号が違うようだった。
ではペドロへ。
いつものような落ち着いた声。
そして歩き残した38kmを歩くと言うと、その時だけはおおげさに驚いていた。
「オステアー!」
彼が話している途中でカードがなくなってしまった。まぁいいか〜! -
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今度は村はずれのローマの橋まで行ってみよう。
これを探すのはけっこう困難だった。人に聞けば聞くほど迷ってしまう。
でも、迷って歩く道は、片側が谷になっていて、景色はいいし、豚や牛や馬に出会うことができ、銀の道を彷佛させ、楽しいものであった。
全く反対方向に歩いてので、逆方向に向かって歩くと、やっとお目当ての橋があった。
銀の道を歩いていたら、日常的に出会うローマ時代の橋。ここでは車も通っているではないか。
山里の田舎道は、子供の頃に読んだ物語を思い出した。
男の子が、家から見える「金色の窓」の家を目指し、ある日旅に出る。
途中で小川に足を浸しながら、おべんとうのチョコレートパンを食べる。
チョコレートパンとは私の想像による脚色で、挿絵がそう思わせたのである。
それがまたおいしそうで、それ以来長い間、あこがれのチョコレートパンであった。
ちょうど西日がさし始め、村を見渡すと窓が金色に光っている。
そしてこの山里の風景が、まさに物語の少年が歩いた道のイメージに一致した。
そろそろ観光は終わりにして、城跡のpcをいじれる場所に行ってみよう。
ここには10台くらいのpcが並んでいて、無料で使わせてくれるのだった。
座っていると、カードを作って持ってきてくれた。これからもこのカードを使えばいいらしい。自分のログインナンバーが入っているのだった。ちょっとうれしい。
日本語も、半分くらい見れるから助かる。
メールにはピレネーの山間部にあるインフォメーションのメリチェリから、クリスマスカードが。そして夏の銀の道の情報をくれたことがきっかけでメル友になったドイツのアンジェリカからも来ていた。
二人にはスペインに来ていることは言っていない。久々のメールだった。
きっと驚くだろう。特にアンジェリカに彼女も歩いたあの銀の道の38kmを歩くと言えば、どう思うだろう。
早速二人に返事を書いたが、返信ボタンがわからずに、適当に押したらメリチェリへのメールも、もらったメールも消えてしまった。
彼女にはどこかで電話したいなぁ。 -
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もう六時半だ。店が閉まる前にもう少しテレフォンカードを追加しよう。
12ユーロ分買い足した。
スーパーでは念のため(!)チョコレートとナッツ、水を非常用に買っておいた。
なにしろ今夜から、現代的な生活とは隔絶されるのだから。
待ち合わせのホテル階下のバルに行くと、大勢の人。たばこの煙がもくもく。
私が入ると店主が来て、ルカから連絡があって、10時になるという。
バルにいたくないような状況だし、また電話作戦に出た。
今度は銀の道の街道沿いにあるバルの経営者、エレナに電話をしよう。
これから歩くカルカボソのバルの店主はオスタルも経営していた。
夏にここまで歩いてジュースを飲み、このエレナに頼んでプラセンシア行きのタクシーを呼んでもらったのだった。
その時不思議なことに彼女は私たちがこの村に泊まらないことは承知の上で、彼女のオスタルを案内していてくれたのだった。
今回調べた結果、アルベルゲ(巡礼宿)は町外れにあり、ベッドもない状態だということで、ここに泊まることにしていた。
それはイサベルが調べてくれたことで、イサベルからエレナに問い合わせをしていたので、私が電話をすると、すぐにわかってくれ、「おお!ハポネッサ!!!」と感嘆の声を出した。26日に行くからと言っておいた。
これでかなり安心だ。
これから三日間は電話もできないような田舎に行くのだ。
暇でもあるし、電話する相手を探す。
フランスの道で会ったアドリアーノに電話してみた。しかしでない。
イワンにも挨拶しておこう。
旅の最後はイワン(銀の道)の家に泊まることになっているけど、どんな状況なのだろうか?
いつものテンションで電話に出てきた。朝の5時から今日は二時まで働いて、今サラマンカに来ているという。明日の24日も25日も仕事なのだと悲しそう。
土日も休みなく、朝の5時から午後二時まで。次の日は午後二時から夜の9時まで連日働いているのだ。
その合間に毎日大学に行き、週に三日合気道をする。若いから出来るのだろうけど、すごいパワーの持ち主だ。
もう一度パキに電話をしてみる。
今度はお父さんが出た。まだ帰ってこないらしい。
10時までどうやって時間をつぶそう。
歩いていたら、教会へ自然と足が向いた。しばらく座って考える。
実はとても心細かったのだった。
これから知らない人と過ごす三日間。そしてその後の一人で歩く38km。
やはり今日中にこの村を出るべきだったのではないか・・・。
寒い中、外を歩いているわけにもいかない。
100%地元の人で溢れるバルにいるのも気が引ける。
ルカは10時まで帰ってこない。
ホテルはもうチェックアウトしてしまったから、居場所がないのだ。
自由もないような気がした。
思いどおりにならないからだ。これから過ごす田舎の家に行ったら、さらに不自由になる。
車がなければどこへも行けないからだ。
自分が『わがまま』だと、こういう時に苦しむことになる。
なぜだろう?小さい嫌なことが頭にどんどん浮かんでくるのだ。それが大きな波となって、私はとても憂鬱な気分になってきた。
こんなに友人たちは良くしてくれるのに。ルカだって精いっぱいやってくれているのに。
自分は『自由』が好きなのではなく、勝手気ままにふるまうのが好きなだけではないか。
もやもやした気持ちの中、教会を出てホテルのバルに戻った。
だいぶ客の数は減り、静かになっていた。
アルコールを飲む気になれず、ココアを注文して、奥で静かに溜まった日記を書くことにした。
日記を書いているうちに落ち着いてきた。
そうして日記にはこう結んである。
『友情を大切にする人間になろう。ここに来た目的は・・・少しでも多くの友人に会うこと。それだけだ。』
『それだけ』ってなんだろう?あれ?巡礼の歩き残し分は?まぁその時そう思ったのは事実なんだからいいかな〜。
10時を少し過ぎたころ、ルカがやってきた。落ち着けたおかげで優しく迎えることができた。
荷物を持ってアウロラの家に向かう。
今日からこの一家とルカの三日間の生活が始まる。
誰も英語を話さない。
スペイン語漬けの合宿のようだ。
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