2006/01/24 - 2006/01/24
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井上@打浦橋@上海さん
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大昔の上海は、どこにあったか?
この小さな漁村に最初に上海県が置かれたのは1291年らしいです。
度重なる倭寇の襲来を防ぐために、明代中期(1559年頃)に、城壁を造り、やっと県城としての形が整ったと言うことです。
そこが、どこかと申しますと、豫園がある地域です。
下の【黄浦区地図】で豫園を探してください。
豫園の西側に南北を走る広い道路・河南南路が確認できます。豫園の南側には復興東路という東西を走る広い道路も確認できます。復興東路の東端には老西門という青字の地名が確認できます。河南南路と復興東路の交点を中心に、老西門までの距離を半径としてできる円内が、その大昔の上海の地域なのです。
南北方向がやや長めの楕円形の道が確認できると思います。
南半分の半円が「中華路」です。北半分の半円が「人民路」です。2つ併せて「中華人民」となるのです。
この道の内側に城壁があり、中華路と人民路は城壁の外側のお堀ということです。
城壁は1912年から14年に取り壊され、お堀も埋め立て、楕円形の道になったということです。
今日の散歩は、その楕円形の道の散歩です。
第1部は人民路、第2部は中華路です。
私は競馬好きでして、日本にいる頃は競馬に狂っていました。負けてばかりでしたが、右回りの中山競馬場は比較的、的中させていました。ということで、右回りコースを選びました。
表紙の写真は清同治年間の上海県城図です。
この古地図を見ますと、城門は全部で7門確認できます。門とは違う城郭のようなものも北東部に2つ、北西部に2つ確認できます。
現在は勿論、門はないですが、地名としては残ってます。それは、老西門から右回りで、小北門、老北門、新北門、小東門、大東門、小南門、大南門、小西門です。しかし城郭は、大境閣というのが1つ残っています。
当初、城門は黄浦江にある港に通じるために東側と南側に多かったそうです。
朝宗門(大東門)、宝帯門(小東門)、朝陽門(小南門)、跨龍門(大南門)、儀鳳門(西門)、晏海門(北門)の6門だったそうです。租界の発達とともに1860年以降は障川門(新北門)、尚文門(小西門)、拱辰門(小北門)、福祐門(新東門)と西側、北側にも門が出来て行ったということです。そして本来の北門と西門が老北門、老西門と呼ばれるようになったとか。
-
コレが【黄浦区地図】です。
以下の話を、理解したいのなら、元画像まで拡大してご覧ください。
我が家は打浦橋というところです。
そこから、まずは43路バスで、徐家匯路、陸家浜路を行き、海潮路で降ります。そこから歩いて、跨龍路に入り、中華路に出まして、東に行きまして、11路トロリーバスのバス停まで行きます。そしてバスに乗り、西方向に逆戻りしまして、11路バスの終点・老西門まで行き、そこで降り、そこから右回りの散歩を始めます。 -
あさ7時55分です。
久しぶりの青空です。 -
旧正月(春節)が近付いてると言うことで、こんな、提灯も、飾りつけ始まられました。
-
43路バスを降り、陸家浜路を少し戻り、跨龍路に入りました。跨龍路は陸家浜路を南北に横断する道です。
この龍を跨(また)ぐ道と言う名は、私の想像ですが・・・
陸家浜路は、昔、陸家浜という水路と言うか川だったんです。その川を龍に見立てて、これを跨ぐ橋の延長道路だったから、そういう名が付いたのかと・・・。
この跨龍路は中華路にぶつかって終わります。そこに跨龍門(大南門)があったんでしょう。
跨龍路で見かけた牛乳配達おじさんです。光明乳業・低温直達・新鮮配送・・・・と書かれています。 -
中華路を東へ、バス停まで行きました。
そのバス停手前にあります火の見櫓(やぐら)です。
正式には小南門火警鐘楼と言います。
現在は公安局の小南門派出所になっています。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1910年に完成した高さ約36mの火の見櫓。1911年11月3日早朝、辛亥革命の武装蜂起の合図の鐘が鳴らされる。1927年の工人第三次武装起義の際にも、この鐘がゼネスト開始の合図となる。鐘楼は現存するが、鐘は文革時に外される。
・・・・・とあります。 -
バス停脇の小道・兪家弄に入ってみました。
朝、8時半前ですので、朝飯を買ってる人もいます。 -
古い建物ですね。
久しぶりの太陽ですので布団が干されています。 -
手前右の台車には馬桶が6つ載っています。
中身が入ってるのか、あるいは空なのか・・・・。
まあ、どっちでもイイですが。
これもまた、朝の風景なんでしょう。
「馬桶」は、移動式トイレです。
上海の下町の住空間には、未だに多く見られるのです。 -
バス停に着きました。
このバス停の名は「小南門」です。
私が乗るのは11路バスです。
楕円形の中華路と人民路をクルクル回るバスです。
小南門の次は大南門、次は尚文路(小西門)、終点が老西門です。
その終点から、また同じ方向に進み、小北門、老北門、新北門(豫園入り口)、新開河、小東門、大東門、そしてまた小南門へ、ということになります。
920路バスは、老西門から西蔵南路に入り、そのあとは淮海中路を西に真っ直ぐ行き、華山路に入り、南に下がり上海交通大学、徐家匯を通り、漕渓北路に入り宜山北路まで行くようです。
300番台のバスは夜間専用バスです。 -
バスを待ってる間に周りをパチッ!!
バス停脇の雑誌売り場を写しました。
「網球王子」とは・・?「神奇宝貝」はピカチューですね。
「十二生肖」・・・「猛鬼故事」・・・
手前のほうには「武器攻略」「主攻精鋭」「攻防武器」「海洋戦略」
「争覇武器」と言った物騒な雑誌がたくさん並んでいます。
その手前には「迪迦奥特曼」が・・・コレはウルトラマン・ティガのことです。 -
11路バスはまだ来ません。
右回りバスは向こうから来ることになっています。
遠く向こうに金茂大厦が見えます。 -
やっと11路トロリーバスが来ました。
空調車ですね。
ということは料金は2元です。 -
車内の様子です。
乗車する人は前から乗り、降りる人は後ろから降りることになってますが、守らない人は結構います。
料金は、2元を料金箱に入れるか、交通カードを料金徴収感知器に晒します。
このバスは右回り、つまり内回りとなります。 -
終点の老西門に着きました。
ココで一旦、皆さん降りるのかと思っていましたが、
降りずに、そのまま乗っていても構わないようです。
私は、ココで降りまして、再び散歩を開始します。
まだこのあたりは中華路です。
老西門自体は、復興路が中華路と交わる所にあったそうです。 -
中華路は、もうすぐ終わり、人民路に変わります。
このバスは2階建てバス911路バスです。
ココが始発バス停です。 -
方浜中路が見えてきました。
この道の手前までが中華路でして、ココを超えますと人民路になります。
「浜」とは東西を走る水路のことでして、方浜中路も昔は水路だったと言うことです。
今日の散歩はここから始まります。ただ今、8時51分です。 -
人民路を右回りに進みます。
歩道の広いところで、ダンスを楽しんでる人が数人。 -
人民路の内側の脇道・万竹街にある倉庫のような建物です。
住居とは思われません。 -
大境閣が見えてきました。
前の道は大境路です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
大境閣は城壁の上におかれた望楼の一つで、1815年の改築を経て三層の楼閣となり、正殿には関帝をまつる。当時の「滬上八景」の一つ。民国当初に城壁が撤去された際に、撤去工事の監督事務所が置かれたため、この部分のみわずかに旧城壁が残存した。・・・・・とあります。
大境路から城壁の外に出る所に小北門があったそうです。
大境路の様子は下記をご覧ください。
「上海の下町はコテコテ上海なのだ!!(後編)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10027344/ -
こちらが人民路側です。
右の城壁がわずかに残存する城壁ということなんでしょう。この建物の中には2年前は、上海県城の歴史展示場があり、当時の様子の模型やら、いろいろと資料があったんですが、去年の6月に入ってみましたら、もぬけの殻状態になってました。それでも入場料を取られたんですが・・・・・。 -
大境閣の北側は小さな公園になっています。
-
人民路を再び右回りで行きます。
左に見えてきましたのが四明公所の門です。
四明公所は俗称・寧波会館と言われていまして、
旧上海で最も有力な同郷会館だったらしいです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1797年創設。寧波、紹興地区出身の客死者の葬祭を助け、民国以後は学校、病院を開設。1849年所在地がフランス租界に繰り入れられ、のちに租界当局が移転を強要したため、1874年と1897年二度にわたり死傷者を出す流血事件が発生。人民路沿いに門が現存。・・・・・とあります。 -
人民路をまた右回りで行きます。
このあたりは人民路は北東方向に向かいます。
そして淮海東路が西から伸びてきて、ここで斜めに交わり、
ここで終わります。
また、例のパイナップル・ビルが見えてきました。 -
人民路と山東南路が交わるあたりです。
北から伸びてきた山東路はココで終わります。
角には「情侶婚紗店」の看板が見えます。
このあたりの人民路沿いには婚礼服店が多いのです。 -
人民路と河南南路の交差点です。
河南南路はココで終わらず、更に南へ行き、
陸家浜路まで行きます。
東方タワーが遠くに見えます。
河南南路から城内へ入るところに老北門があったそうです。 -
更に人民路を行きます。
このあたりの人民路は広くなりスッキリしました。
右側が緑地帯というか公園になっていますが、
4・5年前は商店民家がビッシリだったです。 -
人民路は内側を広げて、
民家や商店を立ち退かせ、公園にした訳ですが、
4・5年前の民家ビッシリ状態を思い出せません。
外側は、昔のままですので、こういった長屋タイプの商店・住宅が今の公園に並んでいたんでしょう。 -
豫園への入り口ゲートがあります麗水路です。
上海の人は豫園とは言いません。
城隍廟(ゼンハンミャォ)と言います。
豫園に買い物に行こう、でなくて城隍廟に行こう、となります。
ゲートには「豫園旅游商城」と書かれていますが・・・。
昔は、このゲートの手前に新北門があったということでしょう。 -
四川南路との交差点です。
四川南路の南端となります。
四川南路に教会があったはずです。
それを見に行きます。
角に南翔橋小籠館という看板が見えます。
なんか、古くて昔からあって、という感じですので、
旨い小籠包子が食えるのかもしれません。 -
はい、立派な教会がありました。
洋浜天主堂(聖ヨゼフ教会堂)です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・・
アヘン戦争後清朝政府からジェスイット会への賠償として提供された土地に、1861年に建てられたカトリック教会。教会が出来る以前は最初のフランス領事館の所在地であった。・・・・・とあります。
丁度、門が開き、守衛さんは気を利かしてくれまして、
私が写真を撮り終えるまで、門を閉めるのを待ってくれました。 -
そうなんです、今は小学校なんです。
四川南路小学という看板が掲げられてますね。
こんなところで、勉強できるなんて・・・
うらやましい気もしますが、息苦しい気もします。 -
また人民路に戻ります。
四川南路で途中見かけた店です。
「八十八 年の夏季」って、なんでしょうね。 -
人民路に戻りました。
また右回りで進みます。
環城商廈という店です。 -
人民路を更に行きますと視野が大きく広がります。
2・3年前に出来た大きな公園が、目の前に広がります。
この公園にも民家や商店がビッシリだったんですが、
綺麗に無くなってしまいました。
前の道は安仁路という道ですね。
道路清掃のおばさんが、道を教えています。 -
人民路を更に右回りで行きますと、
浦東の風景が目の前に広がってきます。
このあたりは新開河地区と言います。
前を真っ直ぐ行く道が新開河南路です。
1本左側の道が新開河北路です。
両方とも短い道でして、
以前、この道の間には天后宮というのがありました。
私の前を歩いてる女性は先ほど、道路清掃員に道を聞いていた人です。
どこへ行くんだろう・・・。
服装から想像しますに、地方から来た人なのでしょう。 -
浦東の風景がドバーっと広がりました。
おでんタワーも、シャングリラ・ホテルも、金ぴかビルも、
CITI CORPビルも、
そして中国で一番高い(価格が)マンション・湯臣一品も
見えます。
金茂大廈の手前に4棟並んでるマンションです。
一番左の棟が一番、価格が高いんでしょう。平米当り10万元(日本円150万円)だそうです。一番狭いユニットで434?だというんですから、4340万元です。つまり日本円で6億5千万円です。アチョー!!!って感じです。
この湯臣一品に関しましては、下記をご覧ください。
『上海の超億ション「湯臣一品」&金ぴかビル&濱江大道からの眺め』
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10042434/ -
人民路内側の広大な公園は古城公園というらしいです。
浦東を見渡せるところには、こういった見晴らし台もあります。 -
見晴台に上がり、西方向を眺めました。
公園からスロープで、ここに登って来られるようになってるんですね。 -
黄捸路という道ですね。
人民路から黄浦江へ抜ける小道です。
向こうが浦東です。 -
人民路を右回りに更に行きます。
この辺りでは南方向に向かう形になります。
前を向こうに向かって伸びる短い道は、
龍潭路でしょう。
金茂大廈がわずかに見えます。 -
人民路を更に南に下がります。
城内に入り道です。
梧桐路という道ですね。
梧桐とはフランス租界の道に並びます街路樹・プラタナスのことです。
洗濯物が気持ち良さそうです。 -
人民路から黄浦江へ向かう小道です。
高橋路と言う道でしょう。
左の果物屋は、道を半分以上占拠しています。 -
童涵春堂が見えてきました、人民路は、もうスグ終わりです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・・・
旧上海四大著名漢方薬店の一つ。1783年小東門に開業。のち、童善長という寧波人の経営となり現名に。1937年大世界の西に北号支店を開店。1947年小東門の店も復活し、以来南北二店に並び立つ。香港でも商標を登録、ニューヨークに支店を開く。・・・・・・とあります。 -
童涵春堂を過ぎますと方浜中路となります。
右側が童涵春堂ですね。
そして、ココから上海老街が始まります。
上海老街のゲートがありますね。
そして、人民路はココで終わります。
小東門は、このあたりにあったということでしょう。
ここから始まります、方浜中路の様子は下記をご覧ください。
「上海の下町はコテコテ上海なのだ!!(前編)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10027317/ -
こちらの道は、黄浦江へ向かう道です。
方浜東路です。
昔の名は、小東門路です。
ここで、「上海・城壁があった道、人民路」は終わりです。ただ今、9時39分です。
人民路の西端を出発したのが8時51分でしたので、48分掛かったと言う事です。
この続きは「上海・城壁があった道、中華路」をご覧ください。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- イスカンダル亜力山大さん 2006/01/27 18:47:53
- 火の見櫓!
- 井上さんまいど、イスカンダル亜力山です。
火の見櫓が残ってるとはねえ。
しかも、消防でなく公安が引き継いでるとは、おそれいりやの・・・・。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/01/29 08:25:17
- RE: 火の見櫓!
- イスカンダルさん、どうも。
あの火の見櫓は今は、何も利用されてないような・・・
でも残してあると言うのは、古い建造物で残そうと言うことなのか・・
それにしては、なんだかほっぽられてるような・・・
(「ほっぽる」は神奈川県西部の方言らしいです)
気をつけていないと、まず、あのあたりを歩いていても気が付かないはずです。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/01/29 08:57:30
- 訂正
- 「それにしては、なんだかほっぽられてるような・・・」
の部分を
「ほっぽらからされてるような・・・」
に訂正します。
いや、待て、どっちだ・・・??
ワカラン!!
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2006/01/29 17:40:02
- RE: 訂正
- 春節おめでとうございます。
新年好!
じゃなかった、旧正月のおめでとうは何って言いましたっけ?
過年好! だっけ?
忘れました。
先ほど徳島日中の春節を祝う会に行ってきたところなのに、もう忘れました(x_x)
え〜っと、肝心の(何でや?)言葉、徳島では「ほったらかされる」と言います。
神奈川西部と似てますね。
ほな。
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