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(この画像は泉岳寺から程近い旧細川邸の庭先の自決場所の一つ。<br />この場所の中央にある平らな石の置いてある箇所が大石内蔵助良雄の切腹した場所  普段は門が閉ざされ12月14日のみ、門が開き公開される)<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br /><br />赤穂義士の討ち入りの12月14日が近くなってきたので<br />今年もこの時期、泉岳寺で執り行われた赤穂義士の法要に参加した時のレポートを巻頭に持ってきました.<br /><br /><br />いつも画像が一枚も無い私の旅行記ですが今回は数葉の画像と共に大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場の画像を表紙画像に載せました。ここは普段は門は固く閉ざされ非公開の場所ですが十二月十四日だけは門が開かれ、今は庭石のようなものが置かれているだけの場所ですが、 正直云って、霊感の殆ど無い私でさえも、かなり涼やかな霊気を感じてしまうような、或る意味、とても不思議なちょっと怖さすら感じさせるパワースポットでした。(ー_ー)!! (大きな置石がある場所が切腹した場所だという事です)<br /> <br />更に云えば一番最後の画像<大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場>に何人もの苦しそうな表情の顔が見えると、リアルな友人の何人かに言われたけど(ホンマかいな??)、云われてみればそんな感じの顔の陰影が岩陰や木漏れ日の陰影の中に見えるような気がしない訳でも無い。(&#x27;;&#x27;)オイオイ( ^)o(^ )頼むよ〜〜<br />300年の時空を超えても彼等の魂は未だに成仏もせず彷徨っているのか?!<br /><br />  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br /><br />さてお馬鹿な話はここまで〜法要参列レポートはここからです。<br /><br />毎年、12月14日、この日の高輪・泉岳寺は幾多の供養に参る人波が途絶える事の無いほどに賑やかになる。この日は泉岳寺最大、且つ泉岳寺の檀家でも最強の人気を誇る赤穂義士の討ち入りの日として知られている<br />。<br />云わずと知れた元禄15年(1702)12月14日未明の遺臣たちによる吉良邸討入りは300年を超えた現在でも歌舞伎や映画、芝居でも<忠臣蔵>としてドラマチックに脚色され広く多くの人々の心に訴え、そのストーリー展開は日本人の感性や国民性に非常にマッチして魂を揺さぶるもの多々あるのだろう。<br /><br />浅野氏が吉良氏を襲った江戸城・松の廊下刃傷の真相も未だに諸説紛々、イジメに対する逆襲、赤穂の塩に関する賄賂の要求に対する拒絶、或いは浅野氏の癲癇<てんかん>体質説、本当の真相は藪の中というミステリアスな部分もある。<br />以前 両国の江戸東京博物館で江戸城 松の廊下のジオラマというか、模型が展示されているのを観たことがあるが、L字型に折れた松の廊下は全長50M,幅も5Mも有ったらしい<br />。<br />私も齢を重ねるごとに所謂<忠臣蔵>に多大なる関心を持つようになってきた。たまたま仕事で深い付き合いの有った人が、毎年、12月14日には泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要にしばしば参列していると伝え聞いて、私も是非にその法事に参列してみたいとお願いし同行する事に相成った。<br /><br />歴史モノにまったく頓着の無き配偶者からは「赤の他人の法事に参列してど〜すんのよ〜」と無慈悲で無粋な事を云われようと、法事に参列する四十七士の子孫達の様を通じて、三百年前の江戸の人々の心を奮わした事件に思いを寄せるのもタイムスリップしたような感覚が味わえそうでロマンが有って良いではないかと感じていた私は12月14日の法要参列を愉しみに待った。<br /><br />中央義士会という組織がある。ここは赤穂義士に関わる学術研究団体である。私は今回、この中央義士会が仕切る泉岳寺での12月14日の集まりに参加することになった。 参加費用はジャスト¥3000なり(*^_^*)<br /><br />この団体の長はN氏と云う、史実と物証だけに基づいた赤穂義士の研究と勉強をひたすらに数十年も続けているプロであり、その道ではかなり知られた御仁でもある。彼の書物を購入し、プロフィールを読めば、私と出身大学も出身学部も同じではないか!軽くシンパシーを感じる事も無くは無かった。中央義士会では<赤穂浪士>などとは言わない。あくまでも忠義を尽くした<赤穂義士>が本来の呼称だと考えている事が言葉の端々から感じとれた。<br /><br /><中央義士会>は赤穂義士研究の為の財団法人として泉岳寺にもきわめて深く食い込んでいるようで、泉岳寺の本堂で執り行われる厳かな法要にも参加費用を払った我々は参列出来るのだ。<br />大きなガラス戸から見える本堂の外は、とてつもない参拝の群集が文字通り押し合いし、誇張抜きで線香の煙で霞みがかかるほどの状況と喧騒の中で凛とした静寂な空気の佇まいの中の本堂にいる自分は軽い優越感を感じていた事を否定する事は出来ない(*^_^*)。<br /><br />かって観た事のないような立派過ぎるほどの巨大な祭壇に向かって左側の席には赤穂義士に連なる子孫の方々が三十数名参列されている。右側の席には中央義士会関係の我々ギャラリーが50〜60名は座っていた。やがておずおず袈裟を身に纏った僧侶達が巨大な本堂の四隅を固めるかのようにポジションを取りはじめた。いったい何人いるのだろう、、無粋で無遠慮な私は目で袈裟を着た僧侶の数を追いかけて数えてみた。その数は十数名!  更に祭壇の真正面に添えられた西陣織?のような美しい赤紫の生地で覆われた椅子に一人だけ高貴な紫の袈裟を着たヒトキワ貫禄のある僧侶が腰掛ける。おそらく泉岳寺で一番の大僧侶なのだろう。大僧侶が腰かけたところを合図にするかのように、本堂に朗々と響く読経が始まった。<br /><br />僧侶十数名による経読みの迫力はさすがだった。まるでステレオのようにお経があちこちから響き渡る。我が菩提寺での法要とはスケールも迫力も全然違う。(ー_ー)!!<br />泉岳寺が泉岳寺として全国的に認知されてる云わば泉岳寺を支えている赤穂義士の法要である。寺の力の入れ方もハンパではない。泉岳寺の数多い檀家の中でもスーパースター級の檀家なのだ。<br />この場にいるだけで参加費用¥3000の価値はあるなあ と妙な所で納得してしまう訳の判らない私である。実に良いモノを見せてもらったという感じです。30分以上!に渡るステレオ読経が終わり、法要は滞りなく終了した。皆が次の場所へ流れて行く中で、私はあらためて祭壇に近寄り、80cm!はあろうかと思われる今まで見たこともないような巨大な位牌を無遠慮に眺めては深い思いに耽ってみたりする( ^)o(^ )<br /><br />法事が滞りなく終わると泉岳寺内にある立派な集会施設に場所を移す。今度はN氏による講演会と懇親会、質疑応答である。この部屋に入場の際、銀座○○の松花堂弁当、大石家の家紋の入ったネクタイピン、ワンカップ酒、蜜柑の入った紙袋を渡される。三千円で法事に参列出来て。講演会を聴いて、更にこんなに物品サービスして貰っていいの??というのが正直な感想でした(*^_^*)  さすがに翌年参加した時は松花堂弁当が二個入りの<赤穂の塩饅頭>に変わっていましたが(*^_^*)<br />とても正直な主催者曰く松花堂弁当だと赤字になってしまうそうな(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン 深〜〜く納得・・・しました。<br /><br />N氏の赤穂義士に関する新しい史実の開陳を含めた講演を聞いた。勉強熱心?な私はメモをとったりする。そのメモ書きを何処かに失してしまい(&#x27;;&#x27;)、講演の内容を詳しく書けない。記憶に残っているのはN氏曰く、今回新たに何処にも発表されていないまったく新しい史実を皆様に、この場で初めて開陳しますと重々しく前説で述べて語った事。いったいどんな赤穂義士に関する新事実が判明したのだろうと、ワクワク軽く期待したのが・・・( ^)o(^ )<br /> <br />その新しい史実とは四十七士がいざ、吉良邸に向かう直前に大石内蔵助が同士に与えて口に含ませたものに<なた豆>があったという話。何でも今でも高級な福神漬けなどに含まれているものらしい。ある種の強精作用、興奮作用があるという。ドーピング検査やれば引っかかるかも? ひるまずにパワフルに敵を倒してガンガン行けという事なんでしょうね。大石内蔵助 実にキメが細かい。<br /><br />ふ〜〜〜っむ、、赤穂義士研究家は実に様々な事でさえ調べに調べてその道の第一人者に成り得るのだなあと感じ入った次第である。映画やTVドラマなどで大河ドラマのような忠臣蔵の製作が始まると時代考証などへのアドバイスを求めて、しばしばN氏のもとへ番組スタッフが訪ねてくるという。そんな時に史実にはない、大石内蔵助の息子、大石主税に実は許嫁<いいなづけ>が居たかのような荒唐無稽なストーリー展開や蓮っ葉なシナリオを持って来られると史実に徹底的にこだわるN氏は激怒して番組の監修を降りたくなることもしばしばだと苦笑しながら云う。<br /><br />昼行燈(ひるあんどん)と揶揄された大石内蔵助は、実はリベンジを恐れる吉良側を油断させる為に復讐の素振りも見せず、芸者遊びを重ねたりしてわざと韜晦(とうかい)の術を使ったと思われる。更に大石内蔵助は幾度も幾度も同士の赤穂義士の本気度、忠誠心を試すが如く、討ち入りまで赤穂義士の振り落しテストを行い、百数十名の浪士はやがて四十七士に絞り込まれたという話もN氏から聴いた。裏門からの切り込みの大将として16歳の息子の大石主税を使い、三人一組でチームを作り一人の相手を確実に倒して行ったという。寝込みを襲われた吉良側の家臣は二十名が命を落とし、二十数名が怪我を負ったのに対し赤穂義士側は一人が軽い捻挫を負っただけで、全員無傷だったという。<br /><br />義士達は吉良邸討ち入り後、吉良邸の向かいの寺、<回向院>での休息を求めたが、関わりを強く恐れた回向院の門塀は固く閉ざされままだったという。彼等は明け方、両国の吉良邸から高輪の泉岳寺までのおよそ三里(12KM)の深く積もった新雪の道を20キロ近い武具を身に着けて3時間で歩き抜いたという。この時の最年長は熱血漢、堀部安兵衛の舅の堀部弥兵衛金丸齢77歳、、、籠に乗って移動したという話を聞いたことがある。<br /><br />浅野内匠頭の墓前に、槍に突き刺さった吉良上野介の首を一刻も早く差し出す為に考えられぬような、江戸時代の人はとんでもない早足です。バックパッカーだった私からみても20kのザックを背負い、おそらく膝まで埋もれるような新雪の中をそんな早足でなど絶対に無理です。その話を講師のN氏から聞いたとき、当時の積雪はどの位だったのでしょうか?と思わずN氏に尋ねたい衝動に駆られましたが、他の質問者との内容の落差が余りにも凄すぎるような気がして堪えました(*^_^*)<br /><br />およそ二時間に及ぶ講演と質疑応答を終え、この年の12月14日は300年前の江戸の町民を歓喜させたという歴史の深淵に触れる事の出来た、私にとってそれはそれは〜とても充実した一日と相成りえました。<br />

12月14日・赤穂義士の泉岳寺 法要参列篇 

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2013/12/01 - 2013/12/01

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kio

kioさん

(この画像は泉岳寺から程近い旧細川邸の庭先の自決場所の一つ。
この場所の中央にある平らな石の置いてある箇所が大石内蔵助良雄の切腹した場所  普段は門が閉ざされ12月14日のみ、門が開き公開される)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


赤穂義士の討ち入りの12月14日が近くなってきたので
今年もこの時期、泉岳寺で執り行われた赤穂義士の法要に参加した時のレポートを巻頭に持ってきました.


いつも画像が一枚も無い私の旅行記ですが今回は数葉の画像と共に大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場の画像を表紙画像に載せました。ここは普段は門は固く閉ざされ非公開の場所ですが十二月十四日だけは門が開かれ、今は庭石のようなものが置かれているだけの場所ですが、 正直云って、霊感の殆ど無い私でさえも、かなり涼やかな霊気を感じてしまうような、或る意味、とても不思議なちょっと怖さすら感じさせるパワースポットでした。(ー_ー)!! (大きな置石がある場所が切腹した場所だという事です)
 
更に云えば一番最後の画像<大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場>に何人もの苦しそうな表情の顔が見えると、リアルな友人の何人かに言われたけど(ホンマかいな??)、云われてみればそんな感じの顔の陰影が岩陰や木漏れ日の陰影の中に見えるような気がしない訳でも無い。(';')オイオイ( ^)o(^ )頼むよ〜〜
300年の時空を超えても彼等の魂は未だに成仏もせず彷徨っているのか?!

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さてお馬鹿な話はここまで〜法要参列レポートはここからです。

毎年、12月14日、この日の高輪・泉岳寺は幾多の供養に参る人波が途絶える事の無いほどに賑やかになる。この日は泉岳寺最大、且つ泉岳寺の檀家でも最強の人気を誇る赤穂義士の討ち入りの日として知られている

云わずと知れた元禄15年(1702)12月14日未明の遺臣たちによる吉良邸討入りは300年を超えた現在でも歌舞伎や映画、芝居でも<忠臣蔵>としてドラマチックに脚色され広く多くの人々の心に訴え、そのストーリー展開は日本人の感性や国民性に非常にマッチして魂を揺さぶるもの多々あるのだろう。

浅野氏が吉良氏を襲った江戸城・松の廊下刃傷の真相も未だに諸説紛々、イジメに対する逆襲、赤穂の塩に関する賄賂の要求に対する拒絶、或いは浅野氏の癲癇<てんかん>体質説、本当の真相は藪の中というミステリアスな部分もある。
以前 両国の江戸東京博物館で江戸城 松の廊下のジオラマというか、模型が展示されているのを観たことがあるが、L字型に折れた松の廊下は全長50M,幅も5Mも有ったらしい

私も齢を重ねるごとに所謂<忠臣蔵>に多大なる関心を持つようになってきた。たまたま仕事で深い付き合いの有った人が、毎年、12月14日には泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要にしばしば参列していると伝え聞いて、私も是非にその法事に参列してみたいとお願いし同行する事に相成った。

歴史モノにまったく頓着の無き配偶者からは「赤の他人の法事に参列してど〜すんのよ〜」と無慈悲で無粋な事を云われようと、法事に参列する四十七士の子孫達の様を通じて、三百年前の江戸の人々の心を奮わした事件に思いを寄せるのもタイムスリップしたような感覚が味わえそうでロマンが有って良いではないかと感じていた私は12月14日の法要参列を愉しみに待った。

中央義士会という組織がある。ここは赤穂義士に関わる学術研究団体である。私は今回、この中央義士会が仕切る泉岳寺での12月14日の集まりに参加することになった。 参加費用はジャスト¥3000なり(*^_^*)

この団体の長はN氏と云う、史実と物証だけに基づいた赤穂義士の研究と勉強をひたすらに数十年も続けているプロであり、その道ではかなり知られた御仁でもある。彼の書物を購入し、プロフィールを読めば、私と出身大学も出身学部も同じではないか!軽くシンパシーを感じる事も無くは無かった。中央義士会では<赤穂浪士>などとは言わない。あくまでも忠義を尽くした<赤穂義士>が本来の呼称だと考えている事が言葉の端々から感じとれた。

<中央義士会>は赤穂義士研究の為の財団法人として泉岳寺にもきわめて深く食い込んでいるようで、泉岳寺の本堂で執り行われる厳かな法要にも参加費用を払った我々は参列出来るのだ。
大きなガラス戸から見える本堂の外は、とてつもない参拝の群集が文字通り押し合いし、誇張抜きで線香の煙で霞みがかかるほどの状況と喧騒の中で凛とした静寂な空気の佇まいの中の本堂にいる自分は軽い優越感を感じていた事を否定する事は出来ない(*^_^*)。

かって観た事のないような立派過ぎるほどの巨大な祭壇に向かって左側の席には赤穂義士に連なる子孫の方々が三十数名参列されている。右側の席には中央義士会関係の我々ギャラリーが50〜60名は座っていた。やがておずおず袈裟を身に纏った僧侶達が巨大な本堂の四隅を固めるかのようにポジションを取りはじめた。いったい何人いるのだろう、、無粋で無遠慮な私は目で袈裟を着た僧侶の数を追いかけて数えてみた。その数は十数名!  更に祭壇の真正面に添えられた西陣織?のような美しい赤紫の生地で覆われた椅子に一人だけ高貴な紫の袈裟を着たヒトキワ貫禄のある僧侶が腰掛ける。おそらく泉岳寺で一番の大僧侶なのだろう。大僧侶が腰かけたところを合図にするかのように、本堂に朗々と響く読経が始まった。

僧侶十数名による経読みの迫力はさすがだった。まるでステレオのようにお経があちこちから響き渡る。我が菩提寺での法要とはスケールも迫力も全然違う。(ー_ー)!!
泉岳寺が泉岳寺として全国的に認知されてる云わば泉岳寺を支えている赤穂義士の法要である。寺の力の入れ方もハンパではない。泉岳寺の数多い檀家の中でもスーパースター級の檀家なのだ。
この場にいるだけで参加費用¥3000の価値はあるなあ と妙な所で納得してしまう訳の判らない私である。実に良いモノを見せてもらったという感じです。30分以上!に渡るステレオ読経が終わり、法要は滞りなく終了した。皆が次の場所へ流れて行く中で、私はあらためて祭壇に近寄り、80cm!はあろうかと思われる今まで見たこともないような巨大な位牌を無遠慮に眺めては深い思いに耽ってみたりする( ^)o(^ )

法事が滞りなく終わると泉岳寺内にある立派な集会施設に場所を移す。今度はN氏による講演会と懇親会、質疑応答である。この部屋に入場の際、銀座○○の松花堂弁当、大石家の家紋の入ったネクタイピン、ワンカップ酒、蜜柑の入った紙袋を渡される。三千円で法事に参列出来て。講演会を聴いて、更にこんなに物品サービスして貰っていいの??というのが正直な感想でした(*^_^*)  さすがに翌年参加した時は松花堂弁当が二個入りの<赤穂の塩饅頭>に変わっていましたが(*^_^*)
とても正直な主催者曰く松花堂弁当だと赤字になってしまうそうな(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン 深〜〜く納得・・・しました。

N氏の赤穂義士に関する新しい史実の開陳を含めた講演を聞いた。勉強熱心?な私はメモをとったりする。そのメモ書きを何処かに失してしまい(';')、講演の内容を詳しく書けない。記憶に残っているのはN氏曰く、今回新たに何処にも発表されていないまったく新しい史実を皆様に、この場で初めて開陳しますと重々しく前説で述べて語った事。いったいどんな赤穂義士に関する新事実が判明したのだろうと、ワクワク軽く期待したのが・・・( ^)o(^ )
 
その新しい史実とは四十七士がいざ、吉良邸に向かう直前に大石内蔵助が同士に与えて口に含ませたものに<なた豆>があったという話。何でも今でも高級な福神漬けなどに含まれているものらしい。ある種の強精作用、興奮作用があるという。ドーピング検査やれば引っかかるかも? ひるまずにパワフルに敵を倒してガンガン行けという事なんでしょうね。大石内蔵助 実にキメが細かい。

ふ〜〜〜っむ、、赤穂義士研究家は実に様々な事でさえ調べに調べてその道の第一人者に成り得るのだなあと感じ入った次第である。映画やTVドラマなどで大河ドラマのような忠臣蔵の製作が始まると時代考証などへのアドバイスを求めて、しばしばN氏のもとへ番組スタッフが訪ねてくるという。そんな時に史実にはない、大石内蔵助の息子、大石主税に実は許嫁<いいなづけ>が居たかのような荒唐無稽なストーリー展開や蓮っ葉なシナリオを持って来られると史実に徹底的にこだわるN氏は激怒して番組の監修を降りたくなることもしばしばだと苦笑しながら云う。

昼行燈(ひるあんどん)と揶揄された大石内蔵助は、実はリベンジを恐れる吉良側を油断させる為に復讐の素振りも見せず、芸者遊びを重ねたりしてわざと韜晦(とうかい)の術を使ったと思われる。更に大石内蔵助は幾度も幾度も同士の赤穂義士の本気度、忠誠心を試すが如く、討ち入りまで赤穂義士の振り落しテストを行い、百数十名の浪士はやがて四十七士に絞り込まれたという話もN氏から聴いた。裏門からの切り込みの大将として16歳の息子の大石主税を使い、三人一組でチームを作り一人の相手を確実に倒して行ったという。寝込みを襲われた吉良側の家臣は二十名が命を落とし、二十数名が怪我を負ったのに対し赤穂義士側は一人が軽い捻挫を負っただけで、全員無傷だったという。

義士達は吉良邸討ち入り後、吉良邸の向かいの寺、<回向院>での休息を求めたが、関わりを強く恐れた回向院の門塀は固く閉ざされままだったという。彼等は明け方、両国の吉良邸から高輪の泉岳寺までのおよそ三里(12KM)の深く積もった新雪の道を20キロ近い武具を身に着けて3時間で歩き抜いたという。この時の最年長は熱血漢、堀部安兵衛の舅の堀部弥兵衛金丸齢77歳、、、籠に乗って移動したという話を聞いたことがある。

浅野内匠頭の墓前に、槍に突き刺さった吉良上野介の首を一刻も早く差し出す為に考えられぬような、江戸時代の人はとんでもない早足です。バックパッカーだった私からみても20kのザックを背負い、おそらく膝まで埋もれるような新雪の中をそんな早足でなど絶対に無理です。その話を講師のN氏から聞いたとき、当時の積雪はどの位だったのでしょうか?と思わずN氏に尋ねたい衝動に駆られましたが、他の質問者との内容の落差が余りにも凄すぎるような気がして堪えました(*^_^*)

およそ二時間に及ぶ講演と質疑応答を終え、この年の12月14日は300年前の江戸の町民を歓喜させたという歴史の深淵に触れる事の出来た、私にとってそれはそれは〜とても充実した一日と相成りえました。

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  • 12月14日は泉岳寺最大のイベントの日、<br />様々な記念行事が観られる。

    12月14日は泉岳寺最大のイベントの日、
    様々な記念行事が観られる。

  • この画像は赤穂義士の法事の行われた本堂の中から撮影したもの<br />12月14日は義士祭が執り行われ、この画像はその模様。

    この画像は赤穂義士の法事の行われた本堂の中から撮影したもの
    12月14日は義士祭が執り行われ、この画像はその模様。

  • 赤穂義士法要の立派な祭壇、戒名は仔細に見ると信士になっている。<br />お供物のミカンと比べてみれば、位牌のとてつもない大きさが判る。

    赤穂義士法要の立派な祭壇、戒名は仔細に見ると信士になっている。
    お供物のミカンと比べてみれば、位牌のとてつもない大きさが判る。

  • 大石内蔵助良雄以下、16名が切腹を命じられた<br />旧細川邸の庭跡、 この門は普段は固く閉ざされている。<br />12月14日のみ門が開放され庭跡の様子を垣間見る事だ出来る。<br />

    大石内蔵助良雄以下、16名が切腹を命じられた
    旧細川邸の庭跡、 この門は普段は固く閉ざされている。
    12月14日のみ門が開放され庭跡の様子を垣間見る事だ出来る。

  • 東京都の記念史跡になっている

    東京都の記念史跡になっている

  • 赤穂義士達は数か所に別れ、この細川邸には大石内蔵助以下16名が畳の上ではなく細川家の屋敷の庭先での切腹であった。<br />討ち入りの翌年2月4日の事だった。<br />木漏れ日のこの中庭、とても静寂な雰囲気で<br />相当に涼しげに感じたのは12月の寒さの所為だけでは<br />ありますまい(・・;)<br /><br />そして 平成26年正月に送られてきた中央義士会からの会報に寄ると<br />画像中央に位置する平べったい置石のある場所が大石内蔵助<br />の切腹場所だったという。<br /><br /><br /><br />あら楽し<br />思いは晴るる<br />身は捨る <br />浮世の外に<br />かかる雲なし<br /><br />大石内蔵助の有名な辞世の句です。<br /><br />忠勤に徹し義を通し思いを遂げた今はもう心残りは<br />何も無いないという事なんですね

    赤穂義士達は数か所に別れ、この細川邸には大石内蔵助以下16名が畳の上ではなく細川家の屋敷の庭先での切腹であった。
    討ち入りの翌年2月4日の事だった。
    木漏れ日のこの中庭、とても静寂な雰囲気で
    相当に涼しげに感じたのは12月の寒さの所為だけでは
    ありますまい(・・;)

    そして 平成26年正月に送られてきた中央義士会からの会報に寄ると
    画像中央に位置する平べったい置石のある場所が大石内蔵助
    の切腹場所だったという。



    あら楽し
    思いは晴るる
    身は捨る 
    浮世の外に
    かかる雲なし

    大石内蔵助の有名な辞世の句です。

    忠勤に徹し義を通し思いを遂げた今はもう心残りは
    何も無いないという事なんですね

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  • 唐辛子婆さん 2011/12/09 09:54:33
    不思議い\(◎o◎)/
    kioさん、おはようございます。

    おかしいなあ、ここへのカキコが消えている。

    確か、どうしてそんなに速く歩けたのか、とか書いたと思いますが。
    13票も獲得してるんだし、もう少し書き込みがあっても
    よさそうなもんですけど残ってるのはさすらいおじさんだけ。

    念のためと思って投票してみたらできるじゃありませんか\(◎o◎)/
    投票、以前した筈なんですけど・・・。

    た・祟りかぁ〜〜??

    それにしても当時はやはり気温が低かったんですね。
    12月14日に歩くのに難儀するほどの雪とは!

    唐辛子婆

    kio

    kioさんからの返信 2011/12/09 22:02:50
    RE: 不思議・大好き(*^_^*)
    唐辛子マダム 書き込み 投票ありがとうございます。


    > おかしいなあ、ここへのカキコが消えている。
    > 確か、どうしてそんなに速く歩けたのか、とか書いたと思いますが。

    その書き込み、覚えてますよ。不思議に思い、
    過去ログ探してみましたが、探せませんでした(';')

    > それにしても当時はやはり気温が低かったんですね。
    > 12月14日に歩くのに難儀するほどの雪とは!

    いや〜 旧暦ですからね。新暦(西暦)に直すと12月14日は
    実際は1703年1月30日になるらしいですよ。

    で、討ち入り当日の未明の三時半くらいの頃は雪はすでにあがって
    いたようです。<忠臣蔵>という 元禄赤穂事件を題材にした
    ドラマ仕立ての復讐劇の創作作品が歌舞伎や演劇でドラマチックに
    演じられることによって、人々の琴線に触れるようなストーリー展開に
    なっていったという部分はあると思います。

    四十七士が高輪の泉岳寺に到着するころは、すでに江戸の町民による
    口コミニケーションにより、数多くの人々が泉岳寺に連なる沿道に集まり
    凱旋将軍の如く、彼らの復讐劇を讃えたという話もあります。(*^_^*)

    唐辛子婆

    唐辛子婆さんからの返信 2011/12/09 22:23:41
    RE: RE: 不思議・大好き(*^_^*)
    > いや〜 旧暦ですからね。新暦(西暦)に直すと12月14日は
    > 実際は1703年1月30日になるらしいですよ。

    な〜んだ。それなら今でも降るかも。

    > で、討ち入り当日の未明の三時半くらいの頃は雪はすでにあがって
    > いたようです。<忠臣蔵>という 元禄赤穂事件を題材にした
    > ドラマ仕立ての復讐劇の創作作品が歌舞伎や演劇でドラマチックに
    > 演じられることによって、人々の琴線に触れるようなストーリー展開に
    > なっていったという部分はあると思います。

    そういうことなんですね。
    そりゃ、泥べっちゃの忠臣蔵なんてカッコ悪いですもんね。

    > 四十七士が高輪の泉岳寺に到着するころは、すでに江戸の町民による
    > 口コミニケーションにより、数多くの人々が泉岳寺に連なる沿道に集まり
    > 凱旋将軍の如く、彼らの復讐劇を讃えたという話もあります。(*^_^*)

    それでも畳の上で切腹させてもらえなかったというのが
    やっぱりあわれで涙がでます。

    ところでkioさんならご存知でしょうか?
    浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
    天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。

    唐辛子婆

    kio

    kioさんからの返信 2011/12/09 22:34:53
    RE: RE: RE: 不思議・大好き(*^_^*)

    > そういうことなんですね。
    > そりゃ、泥べっちゃの忠臣蔵なんてカッコ悪いですもんね。

    そそ、 そういう事ですよん。 敵を取って、新雪の上を黙々と泉岳寺に
    向かって歩く。 絵になるじゃありませんか〜〜

    > それでも畳の上で切腹させてもらえなかったというのが
    > やっぱりあわれで涙がでます。

    幾つかの大名屋敷に分散させられた赤穂義士達はかなり厚遇された
    ようです。ただ、畳の上で切腹は許されなかったようですね

    > 浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
    > 天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。

    へっ?? それ 初めて聞きました。なんでしょう?

    唐辛子婆

    唐辛子婆さんからの返信 2011/12/09 22:42:40
    RE: RE: RE: RE: 不思議・大好き(*^_^*)
    > > 浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
    > > 天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。
    > へっ?? それ 初めて聞きました。なんでしょう?

    これです。
    オカマかなあ?なんていったら罰があたるかしらん?
    http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10549533/
  • さすらいおじさんさん 2006/06/18 12:00:50
    泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要のレポート、興味深く拝見しました
    kioさん
    6月15日に帰国しました。
    盗難の際、温かいメッセージをいただきありがとうございました。kioさんの体験されたハプニングに比べればハプニングは少なかったと思います。
    チェ・ゲバラも教えていただいた映画を見ていたのでキューバの博物館など、見学先で見る写真など、思い当たるものも多く、充実したものになりました。


    泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要のレポート、興味深く拝見しました。私も東京に行った際、泉岳寺や吉良邸跡を訪問しました。
    藩主への忠誠心は日本人の心を捉え続けていますが、浅野はメンタルな病だったのでは?吉良は国では名藩主とのことだが本当に意地悪だった? など疑ってみたりしますが興味は尽きませんね。

    kio

    kioさんからの返信 2006/06/20 00:41:17
    さすらいおじさん様 お帰りなさい
    さすらいおじさん さん おかえりなさい〜

    南米より無事の生還なによりですよん
    自分にはとても出来ない真似です。心底 たいしたもんだと思いますよ

    ボリビア山中で殺されたチエ・ゲバラのデスマスク画像を観たことが
    有りますが、とても凛とした表情で、ただ目を閉じているだけにしか見えませんでした。<20世紀最後の革命家>というイメージが強いですよね

    >泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要のレポート、興味深く拝見しました。私も東京に行った際、泉岳寺や吉良邸跡を訪問しました。
    藩主への忠誠心は日本人の心を捉え続けていますが、浅野はメンタルな病だったのでは?吉良は国では名藩主とのことだが本当に意地悪だった? など疑ってみたりしますが興味は尽きませんね。

    赤穂義士の法要に親戚でも関係者でもないのに、ノコノコと出席した
    私のレポート、読んでいただき併せて投票も頂戴しありがとうございます。

    さすらいおじさん氏の仰るとおり、刃傷・松の廊下での事件は
    その原因に関しては諸説紛々、謎解きは永遠のテーマかもしれません。

    大石内蔵之助以下、16名が斬首された旧細川邸の庭先、
    この討ち入りの日だけは閉ざされた扉が開き、その様を
    観る事が出来、画像をアップしましたが、かなり涼やかな気分に
    なったもんです〜〜〜〜〜(m--)m



  • kioさん 2006/01/23 23:28:45
    大石内蔵助良雄
    あら楽し
    思いは晴るる
    身は捨る 
    浮世の外に
    かかる雲なし

    大石内蔵助良雄の有名な辞世の句です。

    忠勤に徹し義を通し思いを遂げた今は自らの今後は
    どうなっても良い。晴れ晴れした気分だという事なんですね

    って仇を取る総大将はそうかもしれませんが、
    その部下達は46人の思いは・・・どうなんでしょう、、
    浅野氏のあだ討ちという気持ちだけでなく、大石内蔵助良雄の男気に惚れ
    類稀なるリーダーシップに殉じたという事なのか

    この大石内蔵助良雄、同士の決意や強固な気持ちを確認する作業を
    何度も何度もテストのように実施しています。
    当初は130人くらい居た同士も振り落とされ、或いは異を唱え、
    或いは自ら脱落し最後は47人になっていったようです。


    いやはや〜4トラ旅行記の書き込みとは程遠い内容になっちまいました(笑)

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