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今年は1905年日露戦争勝利から100年目です。<br />その今年2005年に、祖父が出征第四軍第十師団騎兵第十聯隊第三中隊の一兵士として従軍していた行軍軌跡を訪ねて旅をした。

「日露戦争勝利100年」:祖父従軍の足跡を追って満州へ

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2005/04/16 - 2005/04/28

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明石DS

明石DSさん

今年は1905年日露戦争勝利から100年目です。
その今年2005年に、祖父が出征第四軍第十師団騎兵第十聯隊第三中隊の一兵士として従軍していた行軍軌跡を訪ねて旅をした。

  • 2005年4月17日<br /><br />前日大連に着き、17日の朝、乗り合わせのマイクロバスで中朝国境の町丹東に到着。駅前の丹鉄賓館に宿を取り駅前を写す。

    2005年4月17日

    前日大連に着き、17日の朝、乗り合わせのマイクロバスで中朝国境の町丹東に到着。駅前の丹鉄賓館に宿を取り駅前を写す。

  • 丹東、鴨緑江の対岸の北朝鮮側<br /><br />観光モーターボートに乗って写す

    丹東、鴨緑江の対岸の北朝鮮側

    観光モーターボートに乗って写す

  • 大孤山。古建築群の寺院。<br /><br />小雨と霧で全貌は見えなかった。<br />第十騎兵連隊は南尖に1904年6月4日上陸後<br />一路岫岩に向けて進軍、6月8日岫岩を占領する

    大孤山。古建築群の寺院。

    小雨と霧で全貌は見えなかった。
    第十騎兵連隊は南尖に1904年6月4日上陸後
    一路岫岩に向けて進軍、6月8日岫岩を占領する

  • 岫岩満族自治県<br /><br />1904年明治37年6月8日<br />出征第十師団はロシア軍を駆逐し、この街を占領した。<br /><br />2005年平成17年4月19日撮影

    岫岩満族自治県

    1904年明治37年6月8日
    出征第十師団はロシア軍を駆逐し、この街を占領した。

    2005年平成17年4月19日撮影

  • 岫岩〜バスにのり柝木城を経て海城に向かう<br /><br />100年前の分水嶺の戦い、柝木城の戦場風景も<br />こんな景色が広がるところだったと思う<br /><br />岫岩〜柝木城〜海城に向かう長途汽車より<br />2005年平成17年4月20日撮影<br />

    岫岩〜バスにのり柝木城を経て海城に向かう

    100年前の分水嶺の戦い、柝木城の戦場風景も
    こんな景色が広がるところだったと思う

    岫岩〜柝木城〜海城に向かう長途汽車より
    2005年平成17年4月20日撮影

  • 柝木城付近の景色<br /><br />2005年平成17年4月20日撮影<br />

    柝木城付近の景色

    2005年平成17年4月20日撮影

  • 海城の街中でバイク三輪に乗り、<br />中国銀行へ両替をしに行く。<br /><br />寒かった。セーターを取り出し着る。<br /><br />2005年平成17年4月20日撮影<br />

    海城の街中でバイク三輪に乗り、
    中国銀行へ両替をしに行く。

    寒かった。セーターを取り出し着る。

    2005年平成17年4月20日撮影

  • <br />1904年明治37年<br />9月4日:遼陽占領、日本軍の死傷者・23533人<br /><br /><br />2005年平成17年4月20日撮影<br />


    1904年明治37年
    9月4日:遼陽占領、日本軍の死傷者・23533人


    2005年平成17年4月20日撮影

  • 日露戦争行軍軌跡<br /><br />出征第四軍:野津大将<br /><br />大孤山〜岫岩〜分水嶺〜柝木城〜遼陽〜沙河会戦<br />沙河の対陣、黒溝台の会戦〜奉天〜鉄嶺へ<br /><br /><br />第十師団騎兵第十聯隊<br />隊長は、三岳於莵勝(おとかつ)中佐<br />

    日露戦争行軍軌跡

    出征第四軍:野津大将

    大孤山〜岫岩〜分水嶺〜柝木城〜遼陽〜沙河会戦
    沙河の対陣、黒溝台の会戦〜奉天〜鉄嶺へ


    第十師団騎兵第十聯隊
    隊長は、三岳於莵勝(おとかつ)中佐

  • 黒溝台の会戦は<br />1905年明治38年、1月〜2月21日頃<br /><br />この渾河を挟んで日露両軍は対峙していた。<br />その日本の最左翼に位置する秋山支隊に対してロシア軍は突如攻勢を仕掛けて、日本軍は危機に陥った。<br /><br />秋山支隊の駐屯地を訪ねる<br />黒溝台村<br />沈旦堡<br />韓三台(現在は連三台・・姫路の騎兵十聯隊、祖父が駐屯していた)<br />李大人屯(秋山好古が居た。秋山支隊の司令部)<br /><br />

    黒溝台の会戦は
    1905年明治38年、1月〜2月21日頃

    この渾河を挟んで日露両軍は対峙していた。
    その日本の最左翼に位置する秋山支隊に対してロシア軍は突如攻勢を仕掛けて、日本軍は危機に陥った。

    秋山支隊の駐屯地を訪ねる
    黒溝台村
    沈旦堡
    韓三台(現在は連三台・・姫路の騎兵十聯隊、祖父が駐屯していた)
    李大人屯(秋山好古が居た。秋山支隊の司令部)

  • 平成17年4月21日撮影<br /><br />現在の黒溝台村<br /><br />変哲もない平野の中の小さな集落だった。100年前この附近に秋山支隊に属する種田支隊が陣をはり、苦戦をしていた。360度、山は見えない。 <br />

    平成17年4月21日撮影

    現在の黒溝台村

    変哲もない平野の中の小さな集落だった。100年前この附近に秋山支隊に属する種田支隊が陣をはり、苦戦をしていた。360度、山は見えない。

  • 平成17年4月21日撮影<br /><br />現在の黒溝台村

    平成17年4月21日撮影

    現在の黒溝台村

  • 平成17年4月21日撮影<br /><br />現在の黒溝台村

    平成17年4月21日撮影

    現在の黒溝台村

  • 平成17年4月21日撮影<br /><br />黒溝台村を出て次の目的地、北東方向、沈旦堡に向かう。

    平成17年4月21日撮影

    黒溝台村を出て次の目的地、北東方向、沈旦堡に向かう。

  • <br />豊辺支隊が駐屯していた沈旦堡<br /><br />沈旦堡は畜産業の村のようだ。この辺では一番大きい村とのことであった。 <br /><br />


    豊辺支隊が駐屯していた沈旦堡

    沈旦堡は畜産業の村のようだ。この辺では一番大きい村とのことであった。

  • <br />ロバも馬も違和感はまったくない。<br /><br /><br />


    ロバも馬も違和感はまったくない。


  • <br />1905年日露戦争当時、黒溝台の会戦が行われた。<br /><br />豊辺支隊が駐屯していた沈旦堡<br />


    1905年日露戦争当時、黒溝台の会戦が行われた。

    豊辺支隊が駐屯していた沈旦堡

  • 沈旦堡の村の様子<br /><br />2004年4月21日撮影

    沈旦堡の村の様子

    2004年4月21日撮影

  • 沈旦堡の中心街

    沈旦堡の中心街

  • 沈旦堡から連三台へ向かう道<br /><br />向かう道はやはり泥濘の悪路。それに韓三台は今の地図にもなかった。「坂の上の雲」では沈旦堡と李大人屯とのほぼ中間に位置すると書いているので、その場所にある連三台という村を目当てに向かった。 <br /><br />何せ、360度の平坦な大地が広がるところだから、場所的にはそんなに見当外れの所には行かないだろう。でも、目印もなく平坦といっても遥か遠くまで見通しが良いとも言えず、道も結構、数あるのだ。分岐点の度にタクシーの運転手は人を見つけ聞いてくれていた。その内、停留所で停まっていた公共汽車(バス)を見つけ、後ろの行き先案内に連三台という文字があった。運転手はそれを見つけ、タクシーを止めて直ぐにバスに駆け寄り運転手と話をしていた。そして、そのバスの後ろを付いて行くことになった。 <br /><br />

    沈旦堡から連三台へ向かう道

    向かう道はやはり泥濘の悪路。それに韓三台は今の地図にもなかった。「坂の上の雲」では沈旦堡と李大人屯とのほぼ中間に位置すると書いているので、その場所にある連三台という村を目当てに向かった。

    何せ、360度の平坦な大地が広がるところだから、場所的にはそんなに見当外れの所には行かないだろう。でも、目印もなく平坦といっても遥か遠くまで見通しが良いとも言えず、道も結構、数あるのだ。分岐点の度にタクシーの運転手は人を見つけ聞いてくれていた。その内、停留所で停まっていた公共汽車(バス)を見つけ、後ろの行き先案内に連三台という文字があった。運転手はそれを見つけ、タクシーを止めて直ぐにバスに駆け寄り運転手と話をしていた。そして、そのバスの後ろを付いて行くことになった。

  • 連三台村へ到着<br /><br />祖父が100年前に秋山支隊の一兵士として、この地に駐屯しロシア軍と激戦をまみえた。当時は韓三台という地名だった。<br /><br />2005年4月21日撮影

    連三台村へ到着

    祖父が100年前に秋山支隊の一兵士として、この地に駐屯しロシア軍と激戦をまみえた。当時は韓三台という地名だった。

    2005年4月21日撮影

  • 連三台村は何の変哲もない小さな村だった。<br /><br />1949年の中華人民共和国建国の時に韓三台から連三台に、名前が変ったと村の人が言っていたと運転手が教えてくれた。そうか、そうだったのか。それを聞いてなんだか万歳をしたい気分になった。三岳支隊、すなわち祖父が属していた姫路の騎兵第十連隊が駐屯していた場所である。

    連三台村は何の変哲もない小さな村だった。

    1949年の中華人民共和国建国の時に韓三台から連三台に、名前が変ったと村の人が言っていたと運転手が教えてくれた。そうか、そうだったのか。それを聞いてなんだか万歳をしたい気分になった。三岳支隊、すなわち祖父が属していた姫路の騎兵第十連隊が駐屯していた場所である。

  • 連三台村

    連三台村

  • 連三台村

    連三台村

  • 沙河の会戦図<br /><br />黒溝台最左翼を守備する:秋山支隊<br />黒溝台・沈旦堡・韓(連)三台・李大人屯 <br /><br />

    沙河の会戦図

    黒溝台最左翼を守備する:秋山支隊
    黒溝台・沈旦堡・韓(連)三台・李大人屯

  • 後方は韓三台。<br /><br />サラバ韓三台(連三台)<br />360度山はなし<br /><br />

    後方は韓三台。

    サラバ韓三台(連三台)
    360度山はなし

  • 秋山支隊司令部の駐屯地へやって来た。<br /><br />前方遠くに見えるのは李大人屯の村、こんな距離で支隊は駐屯していたのだ。

    秋山支隊司令部の駐屯地へやって来た。

    前方遠くに見えるのは李大人屯の村、こんな距離で支隊は駐屯していたのだ。

  • 李大人屯の村の入り口<br /><br />全てが凍る厳冬期、日本軍の総司令部の予測を翻して、ロシア軍は一番手薄な日本左翼軍に攻勢を掛けていた。 <br /><br />そこが秋山好古が司令部を置いていた所である。奉天会戦を前に、この辺りで日本軍はロシアの逆襲にあい大苦戦をした。<br /><br />秋山の黒溝台の戦いについての戦後の一言・・・<br />「私は黒溝台の戦いでは負けた。しかし一歩も逃げなかったために、結果として勝ったかたちになっている」 <br /><br />日本軍の防御体制の一番手薄な左翼を10万以上の敵に攻撃された。<br /><br />ロシア側の戦史では、この黒溝台付近の戦いを「沈旦堡の会戦」と呼称している <br />「不慮より起こった」黒溝台会戦は1月29日黎明のロシア軍の退却を持って終わった。 <br /><br />李大人屯も小さな村だった。<br />大きさの順では・・・<br />?沈旦堡、<br />?李大人屯、<br />?黒溝台、<br />?連(韓)三台の順であるが。<br /><br />町の中心部に近いところで露店が多く開かれ活況を呈している。馬やロバの運搬、農耕作業はこの辺りではまだまだ当たり前の如く多い。馬に曳かせた台車に商品を並べて道端で店を開いている風景も珍しくない。<br /><br />そしてここで見ている分には何ら違和感もない。道にはアヒルが行列をなし散歩?餌を求めて歩いているのだろう。車に轢かれて瀕死のアヒルも見かけたが。勝手にアヒルは歩き回っているが帰巣本能があるようだ。<br />

    李大人屯の村の入り口

    全てが凍る厳冬期、日本軍の総司令部の予測を翻して、ロシア軍は一番手薄な日本左翼軍に攻勢を掛けていた。

    そこが秋山好古が司令部を置いていた所である。奉天会戦を前に、この辺りで日本軍はロシアの逆襲にあい大苦戦をした。

    秋山の黒溝台の戦いについての戦後の一言・・・
    「私は黒溝台の戦いでは負けた。しかし一歩も逃げなかったために、結果として勝ったかたちになっている」

    日本軍の防御体制の一番手薄な左翼を10万以上の敵に攻撃された。

    ロシア側の戦史では、この黒溝台付近の戦いを「沈旦堡の会戦」と呼称している
    「不慮より起こった」黒溝台会戦は1月29日黎明のロシア軍の退却を持って終わった。

    李大人屯も小さな村だった。
    大きさの順では・・・
    ?沈旦堡、
    ?李大人屯、
    ?黒溝台、
    ?連(韓)三台の順であるが。

    町の中心部に近いところで露店が多く開かれ活況を呈している。馬やロバの運搬、農耕作業はこの辺りではまだまだ当たり前の如く多い。馬に曳かせた台車に商品を並べて道端で店を開いている風景も珍しくない。

    そしてここで見ている分には何ら違和感もない。道にはアヒルが行列をなし散歩?餌を求めて歩いているのだろう。車に轢かれて瀕死のアヒルも見かけたが。勝手にアヒルは歩き回っているが帰巣本能があるようだ。

  • 李大人屯の村の中心部<br /><br />2005年4月21日撮影

    李大人屯の村の中心部

    2005年4月21日撮影

  • 李大人屯の村の中心部<br /><br />2005年4月21日撮影

    李大人屯の村の中心部

    2005年4月21日撮影

  • 李大人屯村の風景<br /><br />2005年4月21日撮影<br /><br />ここで100年前、秋山好古支隊の司令部が置かれていた。今の中国人のほとんどは日露戦争を知らない。

    李大人屯村の風景

    2005年4月21日撮影

    ここで100年前、秋山好古支隊の司令部が置かれていた。今の中国人のほとんどは日露戦争を知らない。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • uchuunekoさん 2011/09/22 13:07:04
    祖父の戦没地へ行ってみたい
    明石DS様
    非常に興味深く拝見しました。
    私の祖父は、騎兵第一旅団 騎兵第十四聯隊 第三中隊長でした。

    明治38年1月30日に戦死したとの事です。多分、沈旦堡あたりかその後の黒溝台会戦での戦死だと思うのですが、少しでも知っている家族はすべてすでに故人となってしまいました。

    仕事も現役から引き、やっと自由な時間ができたので是非祖父の戦没地を訪れてみたいと思い、いろいろ探してこの旅行記を見つけました。

    今は一人旅なので、どうも無理かと諦めかけていますが、もしツアーのようなものがありましたら教えて下さい。

    明石DS

    明石DSさん からの返信 2011/09/22 14:03:02
    RE: 祖父の戦没地へ行ってみたい
    uchuunekoさん

    ご尊父は戦死されたのですね。明治38年1月30日というと、まさに黒溝台の激戦での戦死と思われます。
    「黒溝台会戦は1月29日黎明のロシア軍の退却を持って終わった」との記録がありますが、ご尊父は、30日戦死なら、もしかしたら即死ではなく致命傷の後の数日後の戦死かもですね。
    中隊長として率先戦いに挑まれ戦死された様子が目に浮かぶようです。心からご冥福をお祈りします。

    私の祖父は騎兵伍長として日露戦争に従軍し鉄嶺手前でロシアの銃弾を受けながらも無事に帰国を果たしそのお陰で、私も私の家族もこの世に存在出来ることになりました。

    祖父は1月20日に韓三台(連三台)へ第四軍・第十師団騎兵第十連隊第三中隊一騎兵として布陣し韓三台から見れば左翼の黒溝台・沈旦堡はロシアの攻撃が激しく犠牲者が沢山でたと手紙で寄越しています。

    ツアーは知りませんが、NHKの「坂の上の雲」放送以来、いろんなツアーが出来ているようです。
    瀋陽の日本語ガイドが居る旅行社に頼めば簡単に案内してくれると思いますよ。きっと供養になり、亡きご尊父も喜ばれることと思います。

    秋山騎兵旅団が戦った黒溝台の会戦で陣を置いた「黒溝台」「沈旦堡」「韓三台」「李大人」の四つの部落は2005年、平成17年の6年前に私が訪ねた時は、遼寧からタクシー貸し切って行きました。

    瀋陽からでも十分行ける距離でもあり、是非とも当地を訪れて頂きたく思います。
    明治38年の、その時も、今も、見渡す周囲の景色は同じだったろうと思います。なにせ何もない平野が広がっているのですから・・・。



    uchuunekoさん からの返信 2011/09/22 14:25:03
    RE: 祖父の戦没地へ行ってみたい
    早々のお返事、本当にありがとうございます。
    ご教授のように、1月28日に馬上で負傷し30日に死亡と聞いたことを思い出しました。
    以前、国立公文書館のア−カイブを調べたときに秋山旅団長から陸軍へ宛てた負傷通知と遺体の日本への送還の公文書がありました。その中に死亡の日付が30日となっていたような気がします。
    この文書は今回は探し出せなかったのですが、2月8日付けの内閣総理大臣伯爵桂太郎署名の陸軍騎兵少佐の任官の文書を見つけました。

    是非とも現地を訪れて見たいと思いますので、教えていただいた方法でいろいろ調べて見ます。

    本当にありがとうございました。またこれからもいろいろ教えて頂きたくよろしくお願いいたします。

    明石DS

    明石DSさん からの返信 2011/09/22 14:26:44
    RE: 祖父の戦没地へ行ってみたい
    uchuunekoさん

    先ほどの私の返信中
    戦死されたのは、父上(ご尊父)ではなく祖父様ですね、
    間違えたことをお詫びします。
    失礼をお許し下さい。

    明石DS

    明石DS

    明石DSさん からの返信 2011/09/22 14:41:01
    RE: RE: 祖父の戦没地へ行ってみたい
    uchuunekoさん

    私は当時の祖父が属していた騎兵隊(姫路)の日露戦争当時の資料を得ようとして、現在の姫路の自衛隊駐屯地に行きました。

    そこで
    「出征第十師団・騎兵第十連隊:日露戦争戦歴」を見つけてもらい。祖父の騎兵連隊の出征から凱旋に到るまでの従軍軌跡がわかりました。

    一枚の紙でしたが、私にはお宝でした。時系列に軌跡と戦いの参加場所が書かれていました。自衛隊でコピーしてくれました。その「出征第十師団・騎兵第十連隊:日露戦争戦歴」の一枚の紙が満洲を巡る大いなるきっかけになりました。

    参考までに。

    uchuunekoさん からの返信 2011/09/22 14:47:37
    RE: 祖父の戦没地へ行ってみたい
    度々、貴重な情報をありがとうございます。
    本当に貴重な資料を獲得されたのですね。羨ましいいです。

    秋山旅団の戦歴だと、防衛省の防衛研究所の資料の中にあるかも知れませんね。
    どこにあるかも含めて、いろいろ勉強してみます。

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