2004/07/08 - 2004/07/09
28376位(同エリア29198件中)
dramanoさん
- dramanoさんTOP
- 旅行記24冊
- クチコミ2件
- Q&A回答2件
- 79,134アクセス
- フォロワー0人
愛機アドレス110で東京を出発、「みちのくひとり旅」に出かけました。
青森まで行くつもりでしたが岩手県平泉で踵を返して、ぐるっと山形・新潟・長野を周って帰りました。
107枚の大作なんで(無駄な写真が多い?)、ボチボチ見てください。
PR
-
<長野-川中島古戦場>
長野市街の南に位置します。
当時の土塁と、見え辛いでしょうが奥に信玄・謙信の像があります。 -
<信州松代(まつしろ)-7月8日(木)夕食>
長野市川中島から更に南に松代の街があります。
JR信越本線から離れていたために開発から取り残され、1966年長野市に合併したことにより、開発から免れた古い町並みに観光資源として目が向けられるようになったそうです。
実際に観光地として整備が進んだのは、この2・3年だそうです。
長野電鉄屋代(やしろ)線松代駅の前にあるスーパーで寿司折りと発泡酒を買って、駅で食べました。 -
<信州松代-長野電鉄屋代線 松代駅>
夕食を食べたのと同じ場所で寝ました。
暑いのでシュラフカバーのみです。
木造で良い感じの駅舎でした。 -
<信州松代-長野電鉄屋代線 松代駅>
駅舎の天井です。
この天井を見ながら眠りました。 -
<信州松代-長野電鉄屋代線 松代駅>
駅舎の中、寝たところの対面です。
右から改札口と窓口、左の窓口は手荷物を預かってもらうときに開きました。 -
<信州松代-長野電鉄屋代線 松代駅>
駅前のロータリーから見た駅舎。 -
<信州松代-松代城跡>
武田信玄が上杉謙信と戦うために山本勘助に築かせた「海津城(かいづじょう)」がその始まりで、その後松代藩真田家の居城となりました。 -
<信州松代-松代城跡>
「太鼓門」です。
城門や石垣等の復元が今年済んだばかりだそうです。 -
<信州松代-松代城跡>
「松代駅」のすぐ裏なんで、「長野電鉄屋代線」を挟んで撮ってみました。 -
<信州松代-思索の小道>
右手の林は街の南西に位置する「象山(ぞうざん)」という山です。
流れる小川は「神田川」。
場所に拠りますがまるで京都の「哲学の道」のようです。
「哲学の道」もかつては「思索の小道」と呼ばれていたそうです。
「佐久間象山」が日本の行く末を考えながら歩いたのでしょうか?
もしそうなら、「西田幾多郎」の歩いた「哲学の道」より古い話ですね。
ただし由来は不明です。 -
<信州松代-黄檗宗象山恵明寺(おうばくしゅう ぞうざん えみょうじ)>
「象山」のふもとにあります。
分かり辛いでしょうが、屋根に鯱と六文銭が見えます。
このお寺を創建する際に明(清?)から招いた僧の故郷の地名をとって、山号を「象山」としたそうです。 -
<信州松代-神田川に架かる木橋>
「思索の小道」が終わるあたりに架かってます。
後ろは「象山」です。
一本だけ立つ桁が不安定そうです。 -
<信州松代-象山地下壕>
太平洋戦争末期に本土決戦に備え、大本営・政府機関等を松代に移す計画の下、「象山」「舞鶴山」「皆神山」に地下壕が掘削されました。
地元住民と朝鮮人の手によって掘られたそうです。
そのうち「象山」には政府機関が移される予定だったとのことです。 -
<信州松代-象山地下壕>
素掘りで岩肌が生々しいです。
内部は年間通じて14℃で、半袖・短パンで入ると寒いです。 -
<信州松代-旧横田家住宅>
松代藩の中級武士の住宅です。
私邸ではなく藩から与えられた公邸だったそうです。
吹き抜けの天井が珍しく撮影しました。 -
<信州松代-旧横田家住宅>
住宅の裏手には畑地があり、家人に野菜を栽培させていたそうです。 -
<信州松代-旧横田家住宅>
裏からです。
二階には上がらしてもらえませんでした。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校(ぶんぶがっこう) 剣術所>
1855年に開校された藩学校です。
時期が悪く(芸術家の先生、スミマセン)、真ん中にどでかいアート作品が鎮座していました。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 剣術所>
梁組みです。
いいなぁ。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 正堂>
「正堂」の廊下。左の部屋は藩主の居間で、ふすまに金箔の貼ってあるのが微かに見えます。
隣の間には銀箔が貼ってありました。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 正堂>
「正堂」の廊下を逆から撮りました。
右手は「文学所」です。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 槍術所>
真田家の菩提寺「長国寺」に移築されていたものを、元の位置に復元したものです。
ここにもアート作品があります。
基本的には「剣術所」と同じですが、やや大きいらしいです。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 槍術所>
真ん中が藩主の間で、ここだけ二重天井(他は吹き抜け)になっており、鴨居も框もやや高くなっています。
本来はここだけ引き違い戸がはめられていたとのことです。
以上のことは剣術所・柔術所・弓術所でも同様です。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校 柔術所>
ここの藩主の間は元の通り戸がはまっています。
下の畳(マット?)は現在柔道の練習に使われているために敷かれてあり、本来は板間です。
痛そう! -
<信州松代-旧松代藩文武学校>
右が「弓術所」、左が「正堂」です。
「弓術所」は弓道の練習に利用されているため、危険防止のネットが張ってあります。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校>
「正堂」の正面です。 -
<信州松代-旧松代藩文武学校>
後ろに引いて冠木門(かぶきもん)です。
樹木の剪定中でした。
左は「番所」です。 -
<信州松代-旧真田邸(新御殿跡)>
幕末に参勤交代の制度が緩められ、城内だけでは屋敷が足らなくなり、城外に新たに建てられた御殿。
維新後は城外にあったために取り壊しを免れた。 -
<信州松代-旧真田邸>
冠木門です。 -
<信州松代-7月9日(金)昼食>
信州と云えば「お焼き」でしょう!
野沢菜と茄子だったかな?
暑い中、外に出ていたので、生ビールも頂きました。
場所は「真田宝物館」と「旧真田邸」のある「真田公園」の休憩所です。 -
<信州松代-7月9日(金)昼食Pt.2>
2度目の昼食です。
ソースカツ丼が食べたかったのです。
場所は「食堂 くらた」。
汁ダクでした。
混雑時を避けたためクーラーが切られていて、地獄の暑さでした。
余りに暑くて、水筒にウォータークーラーの水を入れさしてもらいました。
おばちゃん、ありがとう! -
<信州松代-気象庁精密地震観測室>
「小坑道」の入り口です。
下に降りた所までしか入れません。
先程の「象山地下壕」と同じく、戦争末期に「舞鶴山」の地下に掘られました。
ここには天皇・宮内省(当時)関連の施設が置かれる予定だったとのことです。 -
<信州松代-気象庁精密地震観測所>
「大坑道」の入り口です。
左に配置図があります。 -
<信州松代-皆神神社>
世界最古のピラミッドだと主張されている「皆神山」の下にも、地下壕が掘られましたが、こちらは公開されていません。
食料庫になる予定だったそうです。
山の上には「皆神神社」が鎮座してます。 -
<信州松代-皆神神社 本殿>
この後ろにも本殿らしきものがあり、どっちが本殿なのか良く分かりませんでしたが、お参りの鈴がやたら高い位置にあって怖かったので、写してみました。
彫刻も立派です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35