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東大寺大仏殿から東に少し歩くと手向山(たむけやま)八幡宮がある。<br />手向山八幡宮は聖武天皇が大仏造営に際し、東大寺の鎮守の神として天平感宝元年(749年)宇佐より招聘、鏡池の辺りに祀り、その後、北条時頼が建長2年(1250年)現在地に移した。<br /><br />百人一首には、5つの紅葉の歌が遺っているが、その一つに菅原道真が手向山を歌っている。<br />古来ここは、紅葉が美しかったのだろう。<br /><br />このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに <br />(このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに) <br />菅原道真(すがわらのみちざね) (845〜903) 「古今集」<br /><br />「この度の旅は、あわただしく出発しましたので、道々の神様方への幣も用意できませんでした。<br />代わりに、このみごとな手向山の紅葉を、私の捧げる幣として、神よ御心のままにお受け取りください」<br /><br />この歌は、昌泰(しょうたい)元年(898年)10月20日、朱雀院(宇多上皇)が吉野へ行幸した時、従駕して詠んだ歌である。<br />道真は、宇多上皇によって引き立てられ、右大臣まで引き上げたのは宇多上皇だった。<br /><br />「幣(ぬさ)」というのは、お祓いの時に神主さんが持っていて祝詞を読みながら振り回す白い紙が付いたものだが、当時の幣は色のついた絹を小さく切ったものだったらしい。<br />旅に出る時はそれを幣袋(ぬさぶくろ)に入れて峠や山や川の神に、旅の無事を祈ったそうだ。<br /><br />百人一首から紅葉の歌をもう一つ。<br />奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき<br />(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき)<br />猿丸大夫(さるまるだゆう)「古今集」<br />

手向山八幡宮の紅葉

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2005/11/27 - 2005/11/27

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ソフィ

ソフィさん

東大寺大仏殿から東に少し歩くと手向山(たむけやま)八幡宮がある。
手向山八幡宮は聖武天皇が大仏造営に際し、東大寺の鎮守の神として天平感宝元年(749年)宇佐より招聘、鏡池の辺りに祀り、その後、北条時頼が建長2年(1250年)現在地に移した。

百人一首には、5つの紅葉の歌が遺っているが、その一つに菅原道真が手向山を歌っている。
古来ここは、紅葉が美しかったのだろう。

このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
(このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに)
菅原道真(すがわらのみちざね) (845〜903) 「古今集」

「この度の旅は、あわただしく出発しましたので、道々の神様方への幣も用意できませんでした。
代わりに、このみごとな手向山の紅葉を、私の捧げる幣として、神よ御心のままにお受け取りください」

この歌は、昌泰(しょうたい)元年(898年)10月20日、朱雀院(宇多上皇)が吉野へ行幸した時、従駕して詠んだ歌である。
道真は、宇多上皇によって引き立てられ、右大臣まで引き上げたのは宇多上皇だった。

「幣(ぬさ)」というのは、お祓いの時に神主さんが持っていて祝詞を読みながら振り回す白い紙が付いたものだが、当時の幣は色のついた絹を小さく切ったものだったらしい。
旅に出る時はそれを幣袋(ぬさぶくろ)に入れて峠や山や川の神に、旅の無事を祈ったそうだ。

百人一首から紅葉の歌をもう一つ。
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき)
猿丸大夫(さるまるだゆう)「古今集」

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