2005/08/29 - 2005/09/11
209位(同エリア341件中)
fkczさん
厚生省のサハリン(シュムシュ島)慰霊巡拝に参加しました。
その記録は1ページ投稿しましたが,もう少し写真をUPしておきたいと思います。記憶に深く刻まれた旅でした。
慰霊巡拝の参加者に配られた「占守(しゅむしゅ)島における戦闘等の概要」から抜粋:
「昭和20年8月9日のソ連参戦以降、8月15ひまでに目立った動きはありませんでしたが〜
17日(ソ連軍)艦船はカムチャッカを出航しました。その規模は人員8,363名、砲門218門ということでした。〜
日本側には北千島の将来について米国が関心を寄せることがあってもソ連が関心を示すことは全くないと信じられ、また終戦後の今日ソ連軍が攻撃することはまずないとの見方が支配的でした。
8月18日午前1時半過ぎ、突如ソ連軍の砲撃が開始されました。午前2時半竹田濱に配置されていた村上大隊はソ連軍の上陸を発見し応戦を開始しました。未明の奇襲を狙ったものです。しかし、奇襲から立ち直った守備部隊の反撃は強烈で、竹田濱の両側から激烈な砲火をソ連軍に浴びせました。」
写真は洋上慰霊の場面
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団結式の翌日ロシア船イーガリ号に乗り込みました。
ロシア女性が笑顔で迎えてくれました。
ロシア国籍の客船に私たちはとても興味を覚えるのでした。 -
イーガリ号は小樽港桟橋を離れて,サハリンへ向かいます。
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食堂は二部屋あって,こちらは広い部屋でした。
団体生活が始まりました。 -
ロシア サハリン州のコルサコフ港(樺太南端の港)に接岸して,入国手続きをとりました。
ロシアに入国したのを感じたときです。
少し,未知の世界に踏み込んだ気持ちになります。 -
コルサコフを出航して翌朝には択捉(エトロフ)島がはるかかなたに見渡せるのですが,濃霧の為はっきりは見えませんでした。
かの大戦が始まる前エトロフに日本軍艦が集まった。そしてそこからハワイ奇襲攻撃に向かった... -
イーガリ号のデッキでの慰霊祭です。
若い人たちはボランティア組織から参加して私たちの面倒をみてくれました。
(私も彼らから見ると年寄りなので...) -
千島はどこも濃霧が漂い寒々としていますが,9月上旬だと言うのに,
パラムシル島(シュムシュ島の南の島で山が多い)を目の前にしたときは,天気の悪いところだな〜というのが第一印象でした。 -
パラムシル島の海岸をバスが走っている。
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この巡拝では何回も慰霊祭を行いました。
そして最も大切な慰霊祭はシュムシュ島での合同慰霊さいです。
シュムシュ島でのソ連軍との戦いで多くの戦死者がでたからです。
戦いに参加して無事生き残り,そしてシベリアに抑留されて帰国,長い人生を送り今回参加されている方々,親兄弟を戦争で亡くされた遺族の方々,60年の年月を経てシュムシュへやっと辿り付いたのです。
御霊に祈る為に
そのシュムシュ島は人影もなく寒々としていた。
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