2005/10/12 - 2005/10/12
137位(同エリア289件中)
おむさん
【テレジン小要塞(収容所)】
プラハフローレンツバスターミナル17番乗り場からバスで1時間ほどの所にある小さな町テレジン。
ここは言わずと知れた、第二次世界大戦時ナチスドイツが強制収容所として使われたアウシュビッツ同様忌まわしい場所です。
そしてこの収容所で有名なエピソードのひとつが当時ここには一万五千人のユダヤ人の子供たちが収容されていました。
そしてこの子どもたちのほとんどはアウシュビッツに送られ、ガス室で殺され生き残ったのはわずか百人でした。
私はここを訪れる前日本で「テレジンの小さな画家達」という
1冊の本を読む機会があり、この本でとてつもないショックと
怒りとそして感動を覚えました。
子供達は朝から晩まで過酷な労働や虐待、そして空腹に耐えていました。
少しでも労働に使えない弱った子供達は東行き(アウシュビッツなどに送られガス室行き) つまり毎日が生と死の選別。
ほんのわずか10歳やそこらの子供が毎日そんな残酷な現実と直面しながら、怯えながら暮らす日々。
到底私には想像も絶する精神状態、極限状態であり、読んでいくうちに悲しみを通り越して怒りの気持ちで一杯になりました。
でも、子供達がこんな極限状態におかれ人間としての尊厳も希望も全て失われようとしていたとき、それを心配する大人たちの力で、ナチスに必死な交渉を続け週に一度だけ子供達を集めて遊ばせてもいいという許可を得ました。
絵を描くことは許されていなかったにもかかわらず、ナチスに見つからないよう命がけで、絵を描き希望を託し子供達は4000点もの絵を残しました。
そんな貴重な絵がプラハのピンカスシナゴーク、そしてここテレジンに直筆の絵が展示されています。
私は、この本を読んで子供達の絵が頭に焼き付いて離れる日はなくここは絶対に訪れようと強く思いこの日を待ち望んでました。
行きのバスの中からひどく緊張し胸が詰まるような感覚に襲われ
正直見るのが怖いくらいだったけど、本当に来てよかった、見てよかったと思えました。
今回の東欧旅行をふりかえってみて、改めてチェコにもポーランドにもけして、美しい場所ばかりではなく、こういう悲しい歴史が詰まった所もたくさんあるという事実に少しでも触れることが出来、私にとって本当に有意義な旅となりました。
是非、テレジンをこれから訪問される方、興味をお持ちの方に
この本を強くおすすめしたいと思います。
「テレジンの小さな画家達」野村 路子 (著)
ナチスの収容所で子どもたちは4000枚の絵をのこした
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018843290&Action_id=121&Action_id=121&Sza_id=C0
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【小要塞入り口】
大要塞と小要塞とあるのだが、共に川を隔てて徒歩10分位。
バスは大要塞のゲットー資料館横に到着したのだが
あえて、道を戻り小要塞(収容所)より見学する。
小要塞とゲットー資料館はそれぞれ入場料160コルナ(1コルナ=約5円)必要ですが、両方見学するつもりなら共通チケット180コルナがあるのでこちらを購入したほうがかなりお得です。(2005.10月現在)
ここでも受付で言語を聞かれて、ジャパニーズと言うとかなりわかりやすい日本語のリーフレットを渡されました。
英語のツアーなどもあるようですが、このリーフレットのおかげで非常にわかりやすく見学することが出来ました。 -
【第三中庭】
1942年6月以降女子専用に指定され、1944年にはリトメジツェ収容所に向けた作業班の第一陣がここに収容された。(←リーフレットより)
芝の緑と日差しがまぶしく、とてもここでの悲惨な収容生活は信じられない雰囲気さえあったが、一歩建物の中に足を入れるとそこは薄暗く、薄汚れ、異様な雰囲気に満ちてました。 -
【第三中庭にて】
ある一室から見える風景。
鉄格子の隙間からどんな思いで外を眺めたのでしょう -
【第一中庭への入り口】
見覚えのあるスローガン
「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になれるあるいは労働は自由への道。
これはナチス強制収容所の典型的なスローガン。
ここもアウシュビッツ同様、自由どころか地獄への入り口でありました。 -
【第一中庭にて】
ある一室。各部屋は6畳から8畳位で3段ベッドが並んでいますがこんな狭い部屋に30,50.100人とすし詰め状態で寝かされていたと言います。
寝返りを打つときには、全員が一緒に動かなければいけなかったと言われた程です。 -
【トイレ】
収容者が使っていたと思われるトイレ。
今は朽ち果てていますが、SSの兵舎で見るトイレとは当然似ても似つかぬお粗末なものでした。
家畜同然に扱われていた様子が垣間見れます。 -
【第一中庭 Aブロック】
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【治療室】
誰のための治療室だったのかはよくわかりません。 -
【地下道】
地下道は元の要塞の一部で戦時中は利用されなかった。この地下道は処刑場へと通じていた。
どこまでもどこまでも続くこの地下通路はうす暗く、一人で進んでいると、いつまでも見えない出口に言いようのない恐怖を感じた。 -
【処刑場】
ここで約250人の囚人が銃殺された。
最大の処刑が行われたのは1945年5月22日の1日で52人が処刑され、その大部分はレジスタンスのメンバー。 -
【絞首台】
この処刑台は一度だけ3人の処刑のために使用された。
たった3人、されど3人の尊い命が奪われました。 -
【死の門】
囚人を処刑場へと導いた。
過去の話とはわかっていても、この門をくぐるのは
足がすくむような思いがした。 -
【プール】
1942年に防火用水池として建設されたプールだが看守の家族が水浴場として利用していた。
収容者が建設作業中虐待され殺害された場所でもあり血と汗のにじんだプール。
そんなプールで看守の家族の笑い声や楽しい声が響いていたのかと思うと人間の対比にゾッとする程です。 -
【第4中庭へ】
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【第4中庭の処刑場】
ここは見せしめの為の処刑場でもあった。
38号監房から脱走を図り、失敗した3人の囚人のうち1人と無作為に選び出された2人の男性と1人の女性らが共に写真中庭の先端部で見せしめのため処刑された。
残る2人も逮捕され、第一中庭の独房近くで「石たたきの刑」で処刑された、とある。
「石たたきの刑」・・想像するだけで、背筋が凍る気がしました。
とても心の通った人間の出来る行為とは思えません。
しかし、それが出来てしまうのも戦争の恐ろしさ、人間の恐ろしさなんですね。 -
【看守塔】
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【国民墓地】
ダビデの星と遠く向こうに見える十字架が対照的です
見渡す限りのお墓と赤いバラで埋め尽くされています。
ユダヤ特有のお墓の上に小石が置かれているのが印象的でした。
ここに埋められてる人の無念な思い、ここを訪れ石を添える人の悲痛な思い。
これらの心情は到底察しきることは出来ませんが、
想像してみるだけでも涙が溢れてきました。 -
【国民墓地】
無数に植えられた赤いバラ。
私はきっとこの先赤いバラを見る度にアウシュビッツ・ビルケナウやテレジンの記憶が蘇るような気がします。 -
【大要塞入り口】
小要塞を出て、ゲットー資料館のある大要塞へと歩いてきました。
小要塞の団体客の賑わいとはうって変わってこちらの要塞への道は人っ子一人おらず静けさがただよっていました。
複雑な気持ちで門へと向かいます。 -
【子供達の絵】
テレジンで子供達が必死な思いで書いた絵のひとつです。
写真は買ってきたポストカードを写したものです。
とてもかわいらしい風景の絵なのに、どこか寂しげな雰囲気が漂っています。
展示では1枚1枚の絵の下に名前、生年月日
そしてアウシュビッツへ送られた日にち。
(死を意味する)が書いてあるのです。 -
【子供達の絵】
これは、なにかの書類の紙に刺繍された絵です。
絵の具もクレヨンも鉛筆も紙も不足する中、大人は命がけで子供達のためにゴミ箱から書類の紙切れなどを拾いしわを伸ばし、子供達に与えました。
そして、刺繍をする糸もない子供達のために、大人達は自分達のまとっているボロボロのセーターのすそをほどいてまで、子供達に与えました。
子供達は日々の苦しさと絶望で楽しかった思い出や日常すらも思い出せないほど追い詰められていました。
むしろ、ナチスはユダヤ人に人間としての尊厳なども奪い家畜同然に調教することが目的でした。
そんな中でも絵を書くことで必死で希望や思い出にすがりつき、絵を描いてる間だけは幸せな気分を味わえた子供もいたと言われます。
いつかまた元の様に幸せな日がやってくると絶望に近い希望を捨てない子供達の必死な願い。
「生きたい」ではなくむしろ「死にたくない」
そんな心の叫びが伝わってきました。 -
【子供達の絵】
食卓にはたくさん着飾った人が座りとても華やかであるべき食事風景なのに、料理はほんのわずかしか並んでいません。
子供達は、日々の苦しさのあまり、楽しかった事、思い出が書こうとしても思い出せなかったと言います。
いくら楽しかった事を絵に書こうと思っても気がつくと、収容されていた3段ベットを無意識に書いてしまった子供もいたようです。
本当なら楽しい事、希望で満ち溢れているはずの幼い子供達がどれほど過酷な状況におかれ、精神的にうちのめされていたのか、こんなに胸が痛むことはありません。
実際に子供達が書いた、まさに本で見かけた絵をゲットー資料館で初めて目にしたとき、たまらずに思わず絵の前で泣きながら立ち尽くしてしまったほどです。
ほとんど、死を待つばかりの毎日で両親とも引き離され、考えられない過酷な労働に加え、ひどい食事や極めてひどい衛生状態に置かれた幼い子供達。
そんな子供達の精神力や生きる希望を唯一支えた絵の数々。
私が生まれて後にも先にも、これ以上感動と悲しさを味わう絵は他にはけしてないだろうとさえ思いました。
買って帰った子供達の絵のポストカードですが今だ見るだけでたまらなく辛くなり、飾れずにしまっています。
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この旅行記へのコメント (4)
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- SUR SHANGHAIさん 2005/12/11 23:24:46
- はじめまして
- テレジンのこの収容所は私も訪れたことがあります。
ヨーロッパを旅すると、美しい風景の合間にこんな歴史もあったんだぞ、という所が点在していてドキッとさせられますね。
美しい風景もこんな歴史も同居しているのをこの目で見ることは意義あることだと思います。
- おむさん からの返信 2005/12/11 23:32:36
- RE: はじめまして
- >SUR SHANGHAiさん
コメントありがとうございます。
本当に世界には美しい景色の中に悲しい歴史というものが必ず潜んでいて
皮肉ですね。
でも実際に訪れていろんなことを感じる事ができてほんとによかったなともおもいます。
SUR SHANGHAiさんのすごい数の旅日記またゆっくり拝見させてもらいますね、自分も旅してる気分に浸れてすごく幸せです・・
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- まみさん 2005/10/24 08:42:19
- 私も野村路子さんの著書を読みました。
- おむさん、こんにちは。
行きそびれたテレジンの写真を拝見させていただきました。ありがとうございすま。
私はチェコに行ったときはテレジンは避けてしまったため、プラハのユダヤ博物館の一つ、ピンカスシナゴーグにある子供たちの絵について、いまひとつわかっていなかったようです。
翌年、ポーランドのアウシュヴッツに行くことになって、プラハ、ブダペストとユダヤ関係の博物館を回って、東欧のユダヤ人のみならずナチスの残虐行為を含め、ヨーロッパのユダヤ人のことを思いのほか知らないことを思い知らされ、これは少し調べて行かなくては、と思って最初に読みやすそうと思って手にとったのが、野村路子さんの「アウシュヴッツの子供たち」でした。
実際にはテレジンに収容された子供たちのことが書かれてあり、扉のカラーには子供たちの絵もありました。それで初めて、テレジンがアウシュヴッツとはまた違った意味で残虐な行為が行われたところと知りました。
わかんないで行くと、本当、いろんなことを見逃してしまいますねぇ。
- おむさん からの返信 2005/10/24 10:46:22
- RE: 私も野村路子さんの著書を読みました。
- まみさんいつも感想頂いてほんとありがとうございます(^▽^)
野村さんの書いた本は子供向けということもあり、あまり難しい表現を使ってなくて大人の私にも非常にわかりやすくて、なおかつ、心にドーンと響いてくる本が多いですね。(事実を書いてるだけではありますが)
私もこの本を読む事がなかったら、きっとテレジンには行ってなかったと思います。
テレジンで子供の絵を見てかなり心身ともに憔悴してしまった私はその後
プラハにもどりピンカスシナゴークの前まで行ったのですが、中まで入ることが出来なかったんですよねえ。。
今となれば、ちゃんと見ておくべきだったと後悔でいっぱいです。
日本に帰ってからも、私が知るべき事は山積みだと思い出来るだけいろんな本を読むようにしてます。
まみさんのように、これからはいろんな町の歴史とかもちゃんと勉強していこうと思ってますゞ(^^ )
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