2004/01/11 - 2004/01/11
43位(同エリア53件中)
obaqさん
陸路でアフリカの地中海沿岸(エジプト、リビア、チュニジア)を走りました。 その中のリビア キュレナイカ地方の部です
リビアのバス(プラヒム)とガイド(ナサ)の出迎え
車は三菱の19人乗りでエジプトのバスより一回り小さいもの
従って荷物はカバーを掛けて屋根に載せることに
ところが
VISAの入国地がトリポリ空港となっていたため、日本大使館への問い合わせなどで手続に時間がかかってしまい、結局バスの中で8時間待たされることに
但し、係官はフレンドリーでした
入国手続きに8時間、リビア、アルベイダのホテル到着がAM4:20 翌朝出発が10:10 寝たのは2時間ぐらいでした
リビアのスルーガイド について
最初、顔を見たときは、鼻の下にひげを生やし何となくうさんくさそうで、背が高く、怖そうな人に見えたうえ、国境での応対は無口で、国境でのハプニングがあったせいかもしれないが、私たち全員が同じ印象でした。
ところが時間が経つにつれて、全く反対だという事が解ってきたのです。
国境では、私たちは8時間も車に缶詰にされたわけですが、彼は私たちが国境へ着く5時間前に、すでに来て待っていたのです。
結局14時間、運転手と二人でそこで過ごした事になります。
車の中で待たされている間、私たちにはコーヒー、紅茶、バナナ、ウエットティシュ、クッキーを、何度も準備してくれて、すごくサービスがいい。
彼に、私たちに会うまでの食事はどうしていたか聞いたら、バナナ、バナナ、バナナ、バナナ、・・・・
なんと14時間自分と運転手はバナナだけしか口に入れなかったらしい。
そして、その後毎日どこかでバスを止め、ティータイムを設け、彼の奥さん手製のクッキーとティシューを渡してくれました。
まずここでリビアを見直すことになったのでした。
-
まずはキュレーネ遺跡の観光(出発より18km)
ギリシャが作り、後にローマが使った典型的な遺跡です
フォーラム(集会所) -
フォーラムとバジリカ(裁判所)の境となる壁の列柱
BC5世紀頃ギリシャによって建てられ、BC4世紀にローマが統一されることによって使われる事になった -
バジリカの出入口
この遺跡は紀元以降に建てられたものが多い -
バジリカの出入口(外側)です
-
回廊の壁
-
フォーラムの周りにはトレーニングセンターのようなものがあり、ローマ時代の人々はここを走って、健康に留意していたのですね。
今のトレーニングジムの大きなものらしいです -
フォーラム、バジリカの外にある”王道”
今は無いが、この道の先にはアクロポリスがあります
この道でもジョギングなどをしていたようです -
フォーラムから王道への出入口
ここでローマ時代の町に必ずあるものを・・・
フォーラム、バジリカ、トレーニング道路、公衆浴場、公衆便所、円形劇場、円形闘技場、大小の神殿etc -
この町にはこのくらいの規模の円形劇場が3つありました。
ここは一般の市民のための円形劇場。
フォーラムと王道を挟んで向かい側に位置する -
王道に沿って各神々が彫られた列柱が続く
-
神たちに見守られながら、歩いたり走ったりしていたという事です
-
-
二つ目の円形劇場、
ここは今でも現役として使われているそうで、ギリシャ時代はVIPの為に使われました。
BC4世紀に建立 -
王道の先の景色
とても広いです -
公衆浴場は非常に大きく、部屋数も多い。
ローマ時代には大切な社交場だったそうです -
モザイクや大理石を配して・・
現代の温泉センターなど及びも付かないほど素晴らしいものだったことがよく分かります -
この色とデザイン見てください。
現代のものとなんの遜色も無いですね。
2000年前のものとは思えない・・・ -
三つ目の円形劇場
寂しいところにあるわけではありません
周りがまだ未発掘なだけです。
まだまだ沢山お宝が埋もれているんですね〜 -
今まで見てきたところを振り返ります
フォーラムとバジリカ、その前の王道を挟んで、円形劇場や公衆浴場などが対面に並んでいました。 -
先ほどと同じ、王道に沿ってフォーラム、バジリカの先の遺跡です。
町の広大な遺跡です。
民の家や施設などの跡ですが、やはり頑丈な小神殿が目に付きます。 -
ここは女性を踊らせたりして会食をしたところ
-
その裏側からの写真です
-
勝利の女神の像
足の下にイルカが彫られている -
ズームでもう一枚
-
小神殿、
生け贄の動物を捧げる場所があり、血を流す溝や匂いを消すための、お香木を燃やす場所があります -
小神殿
別角度から -
特に説明はなかったのですが何かの女神の像でしょう
-
アクロポリスがあったあたり
岩に穴があいているのはビザンチン時代に使われたお墓だそうです -
丘の下にはB.C.6世紀、水不足でティーラ(ギリシャのサントリーニ島)を抜け出した島民たちが、アポロンの神の導きでたどり着いた最初の町といわれる遺跡があります
-
塀に沿って道が出来ています。
最初に下の町へ移住してきて人口が増え、狭くなって後から今まで見た丘の上の町が出来たものだそうです。 -
下の町の入り口につきました
-
下の町の全体を
-
サートリーニ島から求めてきたというアポロンの水。
今でも流れ続けています -
アポロ神殿
BC7世紀に建立
民の命の源の神をまつる。
さすがに大きいです
一番古い形式、ドーリア式の柱、ローマの柱の様式はイオニア、コリントと3つの形がある -
-
アポロ神殿の周りに建てられた神々の像
-
アポロ神の奥さんの神殿、動物と戦った強い神だったそうだ
-
崖っぷちに面した円形闘技場
-
円形闘技場
それほど大きくはありません
最初に町が出来た当初の人工に合わせて作られているそうです -
公衆浴場
やはり綺麗で大きい
いくつにも部屋が分かれています -
公衆浴場 上の方から
-
近くの海が見えます。
港も出来ていたそうです。
海の国ギリシャの民ですから当たり前ですね
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- Rockyさん 2005/10/06 10:47:51
- >ギリシャが作り、後にローマが使った典型的な遺跡
- obaqさん
>ギリシャが作り、後にローマが使った典型的な遺跡
文化の輸出はすごいですね!
単品の車や有名ブランドでなく、大きな街その物を..
それもローマ時代に...
ギリシャ、ローマ時代の街がこんなにも遠方に建立され、現在も遺跡として見れることに驚きです!
居間で歴史と遠方の国を楽しめました。
mrocky
- obaqさん からの返信 2005/10/06 11:55:15
- RE: >ギリシャが作り、後にローマが使った典型的な遺跡
- mrockyさん、今日は
キュレーネ遺跡を見ていただき有り難うございます。
>ギリシャ、ローマ時代の街がこんなにも遠方に建立され、現在も遺跡として見れることに驚きです!
ローマの人々は建築物に限らず、芸術性やあらゆるものに対して、ギリシャのことを認め、優秀さを感じていたようです。
ローマが作った円形劇場の観客席と舞台の割合も、270度から180度に変えるなどしてはいますが、ギリシャの建て方をそのまま採用しているようですね。
アフリカとは行っても、地中海沿岸では、ローマ時代のメッカでした。
対岸にはローマがあり、シチリア島までは舟で行けばすぐそばです。
むしろシリア、ヨルダンやトルコなどの中近東よりも行き来が多かったかも知れませんね
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
42