1970/08 - 1970/08
35263位(同エリア37227件中)
片瀬貴文さん
昼夜の食事には客をホテルまで迎えに行き、レストランに案内する。
夕食は8時に始まり3〜4時間。
終わってホテルに届ければ、帰宅は夜半を過ぎる。
明朝の飛行場出迎えまで、充分な睡眠時間がない。
だが、昼夜レストランの脂っこい高カロリーの料理ばかりでは、体も懐も持たない。
二日目には 家内の手料理となる。
家族にとって、日本では簡単に会えない珍しい、あるいは毛色の変わった訪問客は、願ってもない社会勉強の機会である。
海外だけでなく、日本文化の幅や深さを知る、恵まれた機会なのだ。
子供は、カーテンから漏れてくるおじさんたちの裏話やエロ話を、じっと聞いていたに違いない。
お客たちも懐かしい家庭料理にありつける上、家内や子供たちの海外生活の話題が聞けるので喜んでくれる。
海外旅行でレストランの食事ばかり食べていると、三日目には家庭料理が恋しくなるものだ。
日本からの客にとっては、視察テーマばかりでなく、この土地に住んでいる人たちの実感や実態を知ることは、海外旅行の経験を深めるために大切な要素なのだ。
特に、主婦や子供の話は、彼らにとって珍しいものが少なくない。
私には、その後客をホテルに届ける仕事が待っている。
しかし、次々に家庭にやって来られる客を迎えるのは、大きな楽しみだった。
このようにわが家を訪ねた客は、3年間で数百人、ピークでは一か月で50名以上に達した。
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この旅行記へのコメント (2)
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- fkさん 2005/08/23 09:45:16
- 1970年代フランス
- 片瀬貴文さま,
日本人の接客はたいへんなお仕事でしたね。
要求がはげしいから。
ジンバブエでお仕事をされ,時々換金の為も兼ねてフランスへ
でかける,という事でなかったでしょうか?
1970年前後,私はサンドゥニ(パリの北10キロ)にいました。
サンドゥニはゴシック様式を完成させた最初の教会が建設された
ところ。
米軍が第二次大戦の戦勝パレードでこのサンドゥニからパリに
行進した,という話は米人退役軍人から,ずっと後で聞きました。
当時ジャパニーズ・レストランはパリに数軒しかなくて
とても高いものでしたから数えるだけしか行かなかったです。
愛車モトベカンでパリを走っていて日本食の看板に引き込まれて
食事したとき,
日本を忘却していたせいもあり,日本語を聞くのが嬉しかった,
また,豆腐を食べて涙がポロリ,お新香の味に感極まって涙が
ポロリ,遠い遠い祖国を思いだしたものです。
- 片瀬貴文さん からの返信 2005/08/23 17:46:02
- RE: 1970年代フランス
- サンドニとは!
懐かしい名前ですね。
このあたり左翼が強く、選挙では注目地区でした。
町の雰囲気にどことなく温かさがあって、大好きです。
パリで市電が復活したとき、久々にサンドニに行ってきました。
カフェの賑わいなど、昔のままのようでした。
日本人の接待は、楽しい思い出です。
ただ年に一回ほど、国会議員に手こずることがありました。
東京の憂さを、パリで発散させる時代だったのですね。
アフリカのストレス発散には、スペインの田舎を一人旅しました。
「太閤記」や「坂の上の雲」を読みました。
1970年代、今とは違い、遠い遠い祖国でしたね。
「お新香に感動」
またお話を聞かせて下さい。
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