2005/07/02 - 2005/07/03
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fk7611さん
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概ね好天に恵まれたZermatt行。
この日は、ホテルのチェックアウト時に、
「今日は暑くなるよ。」といわれましたが、
その通りでした。
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-
アルパイン博物館には、1865年7月14日のウィンパーらによる、
マッターホルン初登頂と、下山途中の悲劇に関する資料が沢山収められています。
ぜひ、ウィンパーの「アルプス登攀記」をお読みになってから、
行かれることをお薦めします。 -
イギリス人のウィンパーは、
アルプスの山に魅せられ、
マッターホルンには8回目の挑戦で、
初登頂に成功。
それまでにも、アルプス中の山に登っています。
「アルプス登攀記」を詠むと、
単なる3,000mクラスの山なら、
あっという間に登ってしまうのに驚かされます。 -
ウィンパーと時には協力者となり、
最後は競争相手となったカレル。
彼は、イタリア人であることに誇りを持ち、
最後までイタリア側から、イタリア人が初登頂を、
との精神でマッターホルンに挑み続けました。
ウィンパーらの初登頂時には、僅かの差で及ばず、
ウィンパー隊が投げ下ろす石で先を越されたことを知り、
踵を返して帰って行ったそうです。 -
初登頂後、下山途中の転落事故の際、
生き残ったウィンパーら3人と、
墜落死した4人との間で切れたザイル。
「アルプス登攀記」によると、
本来、人同士を結ぶためのものではなく、
切り捨てながら使う雑用ロープだったとのことで、
それを仲間が知らずに使ってしまったとのこと。 -
初登頂ルート(赤線)と
墜落現場(黒破線)。
墜落死したミシェル・クロー、ハドソン、ハドー
の遺体は回収されたが、ダグラス卿の遺体だけは
発見されなかったとのこと。 -
ウィンパーが全幅の信頼を寄せていた山岳ガイドの
ミシェル・クロー。墓碑の銘文はウィンパーによるもの。
下山途中にクローが先頭に立ち、
2番目のハドーの足場確保をはじめたところで、
ハドーが足を滑らせ、クローを突き落とす形となり、
ザイルにつながれたダグラス卿、ハドソンも
次々に転落。 -
ハドソンも、登山に関しては、かなりの経験の
持ち主であったと。 -
元々、ウィンパーとは別に、
ハドソンたちと他の山を計画中だったダグラス卿は、
騙されて先にカレルが出発したことを聞いた
ウィンパーに説得され、急遽、マッターホルンへ。 -
初登頂直後の悲劇の原因となったハドー。
かれは、この年に登山をはじめ、
直前にハドソンに連れられてモンブランを
登頂しているが、いかんせん、経験不足から、
山頂直下の難所で足を滑らせた。 -
Zermattで一番手ごろな、時間的にもすぐに行けるのが、スネガ。
地下を走るケーブルカーであっと今に到着。 -
午前中は雲ひとつ無かったマッターホルンも、
午後になると雲がかかりだします。
(常識だそうです)
スネガからのマッターホルンは、
一番美しく見えるそうです。 -
少し雲がかかりながらも、
スネガでマッターホルンを見ながら、
カフェを。 -
ウルリッヒ・インデルビーネンという超人の記念碑です。
彼は、マッターホルンに370回も登頂し、
最高齢登頂90歳の記録保持者でもあります。
ちなみに、泉が作られていて、
長寿とスーパーパワーにあやかり、
一口、飲ませていただきました。 -
1泊2日の楽しい旅も終わりも迎え、
ジュネーブのアパートに帰りつくのに、
5時間近くかかりました。
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