1979/02 - 1980/01
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kioさん
エアコンも無いのは安い室料を考えれば仕方のないことだった。 私は畳1.5枚くらいの比較的大きな窓を半分ほど開け、カーテンを閉めた。室内にある調度品はベッドを除けば小さなチェストがあるだけだった。 蛍光色のルームランプはチカチカと付いたり消えたりを繰り返している。 明日 クレームつけてやる、、と思ったが、泊まり客がいても、このままの状態で今まで営業してきたんだろうな と思うと、文句いうのも滑稽に感じるようになった。
やがてベッドの上にうつ伏せになり、今日の出来事を日記風に書き留めていた。 さすがに睡魔に包まれた私はメモ書きを切り上げて、灯りを消してトランクスパンツ一枚で眠りに入った。 ところが3分あれば深い眠りにつくタイプの私が、眠いのに眠れないのだ。確かに暑くてたまらないのだが、それだけではなかった。痒いのだ。私は無意識に掻きむしっていたのか、両腕だけでなく、脇腹や足にも 尋常でない痒みを感じた。 堪らなくなった私は付いたり消えたりするランプをつけると、二の腕の掻きむしった痕には 血が滲んでいるのが見えた。
この痒みは蚊ではないように感じた。 ダニの類がベッド周りのシーツに蠢いているように感じた。 旅の携行薬品は正露丸とバンドエイドだけだった。虫刺され軟膏は切らしていた。 あまりの全身の痒みに我慢の出来なくなった私は室内にある洗面所でタオルを濡らし全身を拭いた。痒みが緩和されるわけではないが楽になったような気がした。 結局、私はそういった作業を夜中に何度も繰り返しながら、あまり熟睡が出来ない状態でエジプト初日の朝を迎えた。
朝のコーラン(イスラム教の祈り)の響きが風に乗ってスピーカー越しに聞こえてきた。 その時だけはとても清々しい気持ちで、コーランの響きに耳を傾けていた。 詩吟にも似た厳かな響きが私を感動させた。 改めてアラブの国に来ていると感じた。
部屋を出た私はレセプションに向かった。 フロントの担当者は昨夜と違っていたが、私は善処を要求した。
掻きむしって血の滲んだ二の腕を見せながら、シーツを変えて、ベッドを日干ししてくれと言うと、40を過ぎたくらいの小太りのフロントマンは大袈裟にのけ反りながら、このビルの一階に薬局があるから、そこで薬を買え と言う。
蛍光ランプが不具合だから交換してくれと要求してみると、
「気にするな!ミスター〜」 と言う。 更に判りやすい英語で付け加えた。「今まで沢山のゲストがあの部屋に泊まったが誰もランプの事など気にしていないよ」
本も読めない。メモ書きも出来ないというと、「日中にすれば済むことじゃないかあ〜 ミスター」 と暖簾に腕押しのような事を言う。 更に彼はこう付け加えた。「ドルを持っていたら、公定レートより10%上乗せして交換してあげようじゃないか ミスター!」
私はいささか呆れ気味で彼の元を去るしかなかった。 その時、私は背後から日本語で声をかけられたのだ
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「おはようございます。 日本の方ですか?」と、日本語が背後から聞こえてきた。振り返ると20代半ばの私とほぼ同世代の東洋人の男性がディバッグを背負い立っていた。私は戸惑いがちに返事をすると、彼はフロントでの私とフロントマンとのやりとりを聞いていたようだった。
「昨夜は大変だったようですね よろしかったら日本の軟膏を余分に持っていますから、お使い下さい」と声をかけてくれた。 私たちはフロントの片隅でしばし立ち話をした。 彼はジョージ・ツバキと名乗り、ブラジル日系三世で、九州の大学での留学を終えて、アジア、アフリカ、欧州へと向かいながらブラジルのサンパウロに数ヶ月かけて帰国の途上だという。 私とは逆のコースだった。 今日はこれから同室の友人とサッカラーの階段ピラミッドを見学に行くという。 やがて彼は軟膏を取りに行ってきますといいながら、戻ってきたときは、東洋系の小柄な可愛い女性を伴っていた。 彼の旅の連れらしい彼女と軽く会釈を交わした。彼が封の切っていない新しい軟膏を差し出すので、私が軟膏は売って欲しいと頼むと、自分は日本に留学中とても親切にされてきたので今度は自分がそれを日本人に返す番だからといった意味の言葉を云いながら感じの良い微笑みを浮かべ金を受け取ろうとしない。
私は彼に礼を言うと、お互いに部屋番号を教えあい、夕食時にでも旅の情報交換をしましょうと、再び逢う事を約束し私達は別れた。
滞在二日目のカイロでの予定は、カイロ中心街のタハリール広場にほど近い航空会社でパキスタン行きの予約を入れてから、GIZAの三大ピラミッド見物に行くか、カイロ博物館にいくかを考えていた。
市内観光地図は昨夜、空港のインフォメーションで既に手に入れていた。 バスに乗るには難解なアラビア文字を覚えなければならなかった。ここからタハリール広場に向かう市内バスは400番のバスで行けることを地図で確認した。空港からタハリール広場からは一本のバスで行けることが確認できた。ツーリストインフォメーションで手に入れたガイドブックでアラビアの数字を覚えた。
部屋に一度、戻った私は、固形の洗濯石鹸で、数ヶ月履き続けているジーンズを洗面所で洗い始めた。極端に乾燥したこの国では、生地の厚いコットンもすぐ乾くように思えたからだ。下着やTシャツは旅の道すがらよく洗濯をしたが、ジーンズは初めて洗った。もみ洗いしながら、洗面所の水は真っ黒に変色していく。欧州各地の足跡をもみ洗いしているような気持ちになった。 やがてねじ上げて絞れるだけ絞り、持参している洗濯ばさみを使って窓辺に干した。
おそらく日中は40℃を超えているこの街は湿気がない分、乾燥室同様だった。 私はスペアのジーンズをバミューダ丈に五徳ナイフで裂いて出かける事にした。 これから行く国々は亜熱帯エリアばかりを予定していたからだ。
ロビーに向かい 鍵を預け、エレベーターのボタンを押すと、やがて、エレベーターは軋むような音をさせながら、このフロアより、昨夜と同じ15センチ高い位置で、ドアを開いた。これがここのエレベータの標準なんだと思うと、エジプト的で愛しい気持ちにさえなった。
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